主人と美人と死人と
「いや、これは単なる憶測なのですが、貴方はこの騒動、或いは異常事態を解決するためにこの街そのものを破壊しようとしていたのではありませんか?」
「なにを馬鹿な事言ってんだ、ついには呆けたか」
「そうだとしたら良かったのですがね。まぁ……私も確証はないのです。ただ貴方は、それが出来る人間でしょう?」
「……心外だな」
「なら人外と評しますか? ……人の身でそこまでの領域、地獄すら見飽きたとするその瞳。……人の身で、その境地に辿り着いてしまうなんて……女神でさえ救い難い」
女神の瞳は、俺の元居た街のやつらの目と同じ。
世界から外れ、奇異を超え異端者異常者の烙印を押すような瞳だ。
悪魔や鬼よりも蔑まれ、災害や飢餓よりも嫌悪する……破綻した者を見る視線。蔑視。
「神様でさえ救済できなくとも、自分の救済は自分でするさ」
「それは……いえ。では私はこれにて。後は菊蘭とごゆっくり。事に及ぶのであればお申し付けください、この遊郭一番のお座敷にて貴方に至高の夜をご案内しましょう」
そうして女神バロンは一礼し、襖を音も無く開け出て行った。
月明り差し込む広々としたこの座敷。
夜の冷たい、すくような匂いが……あっという間にこの座敷を穏やかで幻想的な空間へと変えてしまう。
目の前でただこちらを見る、存在するだけで全てを魅了しぐずぐずにしてしまいそうな花魁は……朧のように美しく、儚く……現実ではないのかと錯覚するほどだった。
「……なんなりと、この菊蘭へお申し付けください。必要な知識は既に手に入れております、きっとご満足いただけるでしょう」
たおやかに、優しく透き通る声。
ともすれば消えてしまうような儚さ、まさに手も届かないような高嶺の華。
そんな奴が……何でもすると言っている。
男からすれば、掛け値なく……最上の喜びであり至福だろう。
「菊蘭……俺の要望に何でも添うんだな?」
「はい、何でもいたします」
「そうか。では試させてもらうぞ」
「なんなりと」
俺は立ち上がり、菊蘭を見下ろす。
菊蘭は無表情、無感情で俺を見上げる。
……息を大きく吸い込み。そして。
「『幼い頃長い間離れ離れになっていた好きな人と偶然出会いそこから一緒に遊ぶようになるが自分は相手の事が好きなのに相手は自分の事を友達としか見てくれなくてある日いつもの帰り道で勇気を出して想いを伝えようとする、そんなツンデレ幼馴染として適切なセリフを答えよ』」
「勘違いしないでよね……これは、ホンキなんだから」
戦慄した。
何でもするからと言ったから無理難題を押し付けたのにも関わらず……菊蘭は完璧に演じて見せたのだ。
もう場所はこの座敷ではなく河川敷が見える通学路だった。
……コイツ……出来る……ッ!!
「やるな、ならば。『大好きなお兄ちゃんが隣の人妻に人気がでそうなのを嫉妬してお兄ちゃんの書いている若干エロティックな題名の小説を便宜上当たり障りなく削除しようとした。そんなロリ妹のセリフを答えろ』」
「……その妹は、貧乳ですか巨乳ですか」
「……っ!? バカな……っ!!」
俺は……この俺が、一歩退いてしまう。
この花魁は台詞を言うどころか……あろう事かロリ巨乳という、ともすればロリは貧乳派と巨乳派という一大戦争を引き起こしかねない要因さえ考慮したのだ。
へっ……久しぶりに滾ってきやがった……! とんでもない逸材だ……!
「す、好きな方で……やってみろ」
「では、貧乳ではありますが膨らみかけの、成長途中という設定で答えは『……文字じゃなくて、現実を見てよお兄ちゃん』」
バカな!! そこまでフォローしていくのか!?
それならば貧乳派、巨乳派それぞれの要望もまとめる事ができる……!
会心の答えだ……そしてセリフも申し分ない。
このクオリティ、そして知識量は……幼き頃……俺を庇って死んだ幼馴染に匹敵する。
俺に数多の知識を伝えたアイツに匹敵するとは……逸材にも程があるだろう……!!
「なら連撃だ……ッ! 『記憶喪失の少女を励ます獣じみた少女のようなセリフ』を答えろ!」
「大丈夫だよ! 私だってみんなからよくドジーとか全然弱いーとか言われるも!」
「『校門へ向かう坂道の下で勇気を出してその坂をあがろうとする時に言うようなセリフ』を答えろ!」
「あんぱんっ」
「『とあるカフェで働く少女が奇妙な客が来店し兎を探し出す様を見て言うようなセリフ』を!!」
「なんだこの客……!」
「『笑顔がステキで一生懸命に頑張っていたアイドルが心折れてしまい言った本心のようなセリフ』を!!」
「『笑顔』なんて、『笑う』なんて、誰でも出来るもん! 何にもない……私には何にも……!」
「『世界を救っていく英雄魔術師が店にやってきた時に見た目は女性中身は男が言うようなセリフ』!!」
「いらっしゃい! ささ、ずずいっと奥まで。退屈してたんだ、話し相手になってくれるかい?」
「『巨乳美少女眼鏡委員長が猫になった時にいいそうなセリフ』ッ!!」
「にゃにゃめにゃにゃじゅうにゃにゃどのにゃらびでにゃくにゃくいにゃにゃくにゃにゃはんにゃにゃだいにゃんにゃくにゃらべてにゃがにゃがめ」
「完璧だ……」
「ありがとうございます」
「俺は『ラギ』って言うんだ、よろしくな菊蘭」
「はい。ラギ様ですね、どうぞよろしくお願いいたしま「『ツインテ迷子ロリが名前を噛んだように』」よろしくお願いします、ラララギさん」
「不意打ちにも対応とは……」
「……あの、こんな事で良いのですか?」
菊蘭はおずおずと困惑したように首を傾げた。
「こんな事? これも十分なお前の仕事だろう」
「いえ……ここは遊郭。女遊びはこれ以外にありましょう」
「……まぁそうだな。お前が普通の奴なら、直ぐにでもお前に手を出していただろう」
「普通……? 私の身体は確かに至高の美と言われ異常かもしれませんが……」
「そんなことじゃねぇ。……言っても分からねぇか、いや、自覚してないと言った方が正しいか」
「申し訳ありません……私には貴方様の言う事が理解できません」
「あぁそうだろうな。だから俺がわざわざ教えてやる」
菊蘭は、無反応、無感情。
「――――お前は、もう死んでるんだよ」
「おかしな事を仰るのですね。私はこうして生きていますのに。ほら、触れてみて下さい」
それは、この言葉を受けた後でも変わらなかった。
「俺が言いたいのはそうじゃねぇよ。……って言っても、お前にゃ分からねぇか」
「……?」
「質問だ。お前の生まれは何処だ」
「私はこの街で生まれました」
「お前はどうやって生きてきた」
「私はこの街の人々によって育だちました」
「ならお前はこの街から出た事はあるか」
「いいえ。私はこの街以外の事は知りません」
「この街以外の情報は」
「知りません、私の世界はこの街だけ。それ以外は必要ありません」
「親はどこだ」
「知りません」
「ここは何の国だ」
「知りません」
「女神からどんな奇跡を授かった」
「知りません」
「俺の能力を知っているか?」
「知りません」
「俺が女神を倒した事知ってるか?」
「知りません」
「俺の能力には多様性があると知っているか?」
「知りません」
「俺の能力なら女神さえ屠れると知っているか?」
「知りません」
「では、最期の質問だ」
俺は。菊蘭を凝視する。
「――――俺の能力は、何度も質問した相手を強制的に洗脳するんだが。知っているか?」
「知りません」
空間が、爆ぜるように歪んだ。
畳も襖も分け隔てなく、視界の中で揺らぐ。揺らぐ。
感覚が追い付かない、身体は吹き飛んだという事が俺には分かった。
何か強い衝撃が俺を吹き飛ばした。
この神秘的な空間を無粋に破壊した衝撃があった。
理解できたのはそれだけだった。
「……おや、確実に頭を貫いたのですが。どうしてまだご存命なのでしょう」
壁に激突し、姿勢を崩した俺の前。
女神が居た。紫の髪に白く十二単のような衣に身を包んだ女神が。
その手には……眩い光で構成された槍が握られている。
いつか神殿で見たのは……光の剣だったが、今度は槍か……アレを飛ばしてきやがったな……。
「盗み聞きは関心しねぇな。ったく、そんな物騒なモノ投げてんじゃねぇよ、お前の大事な『操り人形』に当たったらどうするつもりだ?」
「……やはり、女神を打倒したというのは伊達ではありませんでしたか。まさかそこを読まれるとは思いもしませんでした」
俺は菊華を見る。
こんな事態なのにも関わらず、菊華は俺を見ていた。
一切動かず、無表情無感情、中身の無い人形のように見る。
神との闘いが……始まった。