夜と男と花魁と (挿絵ありver)
「――――さて、出るか」
深夜。
俺は自分の屋敷、自分の部屋にて行動を開始する。
窓から差し込む月明りで部屋の中はゆらりと照らされていた。
「魔王のやつは……いないか」
てっきり俺のベットに潜り込んで夜這いをかけられると思ったが、そんな事はなく俺の身は乱れず誰かが居た気配もない。
まぁ、俺は別に自分の部屋に籠っていただけで寝てはいないから夜這いなんかかけられれば一瞬で撃退できたのだが。
「さ。それじゃ始めるとするかな」
俺は壁に掛かったアンティーク時計を確認する。
きっかり23時。
一番盛り上がるという時間には一時間ほど早いが……まぁこれも『保険』だ。
早速目当ての場所に向かうとしよう。
「……っと。到着」
俺は王から貰った転移用の札を使用し、風俗街へと転移する。
一々札や魔方陣といった人工物を使わなきゃならないのは不便だ。今回の黒幕が恩恵を受けている女神が転移の力でも持っていないだろうか。
その女神が馬鹿なら……更に助かるんだが。
「フン。……そう上手くはいかないか」
俺は見据える。逃げず街道の真ん中で、目の前をただまっすぐに。
客が一人もいない街を、見た。
「――――そのおみ足、止めなんし」
その異様な街で、夜でさえ輝いて見える程の美しい花魁が……また俺を寂寥に見ていた。
「おいおい。随分と大層なお出迎えじゃねぇか、俺がそんなに金持ってるように見えたか?」
花魁の背後には晴れやかな着物を身に着けた花魁に、フリフリの服を着たメイド、スーツをクールに決めたホスト、等。
実に華やかで、色っぽく、美しい出で立ちで……それぞれ刃をその手に携えていた。
その数は少なめにみて30程。
まぁ、これが全勢力ではないだろう。本丸は……この街の奥にある……遊郭の最上階あたりか。
「わっちが欲しいのは金子ではありしんせん。帰りなんし」
歌うように。しかし静かに先頭に立つ花魁は言う。
「そうつれない事言うなよ。遊女が客をもてなさねぇで何が花魁だ? 24時って、あんなデッカい声で『予約』してたのにちょっと早めに来ただけでつっぱねるのかよ」
「あからさまに言われれば、わっちらも策を練る。当然でありんす」
「チッ。黒幕暴いたってブラフ張ったのに結局奇襲は失敗か。幸先わりぃな」
……まぁ、それもいつもの事だ。
だったら。俺のやる事は変わらねぇ。
「そうやって待ち伏せして威嚇してるとこ悪いがな。俺はアンタらの後ろに控えてやがる親玉に用があんだよ」
「それはそれは。なら益々をもってわっちはここを動くわけにはいきゃんせん」
「俺はこう見えてフェミニストだ、男はともかく女……それも極上の太夫に手を挙げたくはねぇんだがな」
「わっちらも矜持がありんす。この街をよそ者に壊されるのは見ておられん」
「そうか。なら、通らせてもらおう」
俺はそう言って、歩いた。
ただ特別な事をせず、ただ自分の身体を前へと進ませる。
艶やかな黒髪を持った最上に美しい花魁は、口ではああいっても自分を傷付けられる事に抵抗があるのか、俺が進むたびに一歩また一歩と引き下がる。
「――――灯篭」
なんて。少々夢を見過ぎたかもしれなかった。
俺の身体は、見えない何かによって固定された。
肌に食い込むこの感覚は……幻術や魔法の類じゃない……糸だ。
それも、極限まで細くしなやかな糸。
夜に紛れてそれは不可視の攻撃となり、俺はその場から動けない。
「俺の時間差も読んで、罠も貼っていやがったか。喰えねぇ女だ」
「わっちはこの街の太夫。蝶でありんす、そう容易く捕まりたくありゃしんせん」
まるで水面に揺蕩う木の葉のように、朧に花魁は言う。
一筋縄じゃいかねぇな。コイツは間違いなく、強い。
「三度目はありんせん。この街から去って遠く遠くへお逃げ。頭と身体が生き別れる前に」
「ったく、そんな邪険にするなよな。初回の客だぞ俺は、もしかしたら大金落とすかもよ」
「………ほな、お終い」
月が雲に隠れる、辺りは暗闇が支配する、花魁はその耽美な顔に影をくぐもらせ。
「紅蜘蛛」
優美な着物を揺らして、腕を横に振る。
背後に控えた戦力は自身の持った獲物を掲げて走り出し、俺の身体は鋭く糸が食い込み張りつめ切断の瞬間が一刻もしないうちに訪れる。
「不思議な力使うて強いんやろうけど、でもわっちには遠い遠い」
この糸裁きを複製したところで、糸ありきの能力は俺には扱えない。
その要たる糸がないと意味が無い、俺はそんなの持っている訳もない。
身体は糸で拘束及び致命の一手は下されて、周囲は凶器を持った奴らが俺を目掛けて殺しにかかる。
そして。花魁は俺を嗤うことなく怒ることなく恨むことなく、ただ水の様にうけながすかのように、その手中にある糸を。
引き切った。
「…………っ」
「――――ようやく、お前の動いた表情が見れたよ」
俺は『花魁の前まで移動して』、そのお高くまとった顔を見据える。
身体には一つの傷もない。
「流石は太夫、間抜けに驚いた顔も整ってやがる」
「何時の間におりんした……」
「えらい事聞くじゃねぇか。俺は言った筈だ、通らせてもらうと。だからそうしたまで」
「だが……!」
「『糸を千切り凶器を持った敵を全ていなしてかいかぐり』歩いてお前の前に来た。別に特別な事は何一つしていない」
「……それが、主の能力かえ」
ギリと、花魁はおれを睨む。
「いや? 能力なんて一つも使ってねぇよ」
「……馬鹿、な」
花魁はあの人数と糸をかいくぐってどうして、と言いたいようだが。
そもそも実力にレベル差があり過ぎるし……なにより俺を殺すには殺意も用意も……まるで足りてねぇ。
あんな程度、俺はダンジョンで何度体験したってこともない。
「そうだ。いい事を思いついた」
俺は睨み上げる花魁の顔を、恥辱で上塗りするように笑う。
「なぁ。お前を買いたいんだが、いくら必要だ?」
「……わっちは買われはせん。帰っておくんなんし」
「……分かりやすく言おうか。お前を買うのに、俺は何人後ろの命で払えばいい?」
「……ッ!!」
「睨むな睨むな。お前が自分を売らないのは分かり切ってる、当然情報も吐かない事も。だったらお前の守りたい従業員はどうだ?」
場は静まり返る。深い夜に相応しい静けさ。
そのせいで花魁の顔は見えないが……。
「わっちは……いや、わっちらは、とうにその覚悟は決めなんした! 殺したければ殺せ!」
顔色は、窺う必要なさそうだ。
「――――そこまで。もう良いですよ」
背後から聞こえる声。
この空気をその一言だけで塗り替え自身のものへとした、圧倒的な……けれど夜風に揺れる草のようにしなやかな存在感。
……あぁ。なるほど。
「後は、我が遊郭で。お招きしましょうお客さま」
ようやく女神のご登場だ。
◇
「女神連盟が一人、『バロン』と申します。真の名は告げられませんが、どうぞよろしくお願いいたします。」
女神バロンに連れられ向かった遊郭、そのお座敷で紫色のふわっとした髪を揺らすことなく彼女は俺に一礼する。
行燈もない月明りぐらいがあるだけの座敷なのにも関わらず、この座敷は明るかった。
月明りだけと思ったが、それでも十分すぎる。
「おい、そっちの奴は誰だ?」
ここは何畳もある座敷だというのに、そこに居るのは俺とバロンと名乗った女神と……。
「……菊蘭と、申します」
紅い着物を身に纏った、黒髪短髪の花魁だけだ。
俺が街中で出会った奴とは別の女。
控えめに言えば美少女、普通に述べれば絶世の美女、素直に行って女神の如き美しさ。
この女一人で国が一つ傾きそうな程の、筆舌に尽くしがたい美貌の持ち主だ。思わず目線がその花魁に集中してしまう。
「まぁ座れよ二人とも。立ったままじゃ話だって出来やしない」
「いえいえ、私は二三言葉を交わせばそれだけで。後はこの菊蘭がお相手しますので」
「どうぞ今宵は……よろしくお願いいたします」
菊蘭と呼ばれた花魁は、ゆっくりと着物を直し正座をして頭を畳につけた。
女神バロンは言う。
「この子はこの街……いえ、この世界で見ても他に類を見ない美しさを備えた我が遊郭の虎の子。高嶺の花で御座います、今まで誰の目にも触れられず、一切の男を知りませんしこれが初めてのお勤め。極上と、言えば簡単ですが……後はその身で体感していただければと」
「俺を懐柔するつもりか? この花魁で」
「何を言っているんですか。私は乱暴な争いなんて望みません、平和に解決できるのであればそれが一番なだけです」
「へぇ、待ち伏せなんかさせて言うじゃねぇか」
「あれは彼女が勝手にやった粗相です、大変申し訳ありませんでした……。だからこそ、私はこの秘蔵の子を貴方に差し上げようと考えたのです。この子の魅力はこの国ならず世に出れば世界中から幾らでも欲しいと男女問わず渇望されるような珠玉。それすなわち貴方のようなお方にこそ相応しいと私は考えました」
女神は雰囲気を柔らかく静かに微笑む。
菊蘭は俺の方をじっと、大人しく見つめていた。
吸い込まれそうなその黒い瞳には、魔性と表現するにはおおよそ足りない渦巻くような魅力があった。
女神の評価は、謙遜や世辞ではなく……真実だ。
「一時期はこの街の発展の為、少々遊郭から姿だけ見せますが、それもひと時です。その後はこの子の全てが貴方のモノ。世界がどんなに羨んでも決して手に入らない美が、全て自らのモノとなるのです」
「……そりゃいい。買収の交渉材料で尚且つ相手が男なら破格の話だ」
「では承諾いただけますね?」
「俺もここで頷きたいんだけどな、どうにもお前が、女神が関与した理由が見えてこねぇ。そこを話せば俺も気持ちよく取引に応じれるんだがな」
「それはもっともです。では、貴方は女神には信仰が必要だとご存知ですか?」
「初めて聞いたな、そうなのか」
……女神バロンがどの程度俺の事を知っているのか。身辺調査をどこまで終えているのか分からない。
極力、俺の情報は出さないようにしておこう。
「他の女神は信仰の為、地上の子らに奇跡を与えます。その結果良い方向に事が進めば私達は信仰を得るのです」
「なぁ女神バロン、この風俗街の繁栄は国にとっちゃ好ましくないらしいぞ。良い結果とはいかないんじゃないか」
「それは私の知るところではありません。私が奇跡を貸した菊華が望んだ事。彼女の望んだ未来が叶えば私は信仰を得られるので」
「そのせいで他の奴らがどうなってもいいのか?」
「言い方が少々悪いですね。誰かが栄えれば誰かが衰退するでしょう。この街が栄え身を崩す者も出てくるでしょう。しかしそれらは仕方なき事なのです」
女神バロンは、微笑みを絶やさない。
そこに悪意は一切にして無かった、清廉潔白、まさに聖なる存在だ。
「いわば運命。この国は変わる時がきたという事なのです。誰も運命には逆らえません」
「なら教えてくれよ。なぜ菊蘭を選んだ? 信仰を集めるのしてももっと都合の良い奴がいただろう」
「偶然ですよ。偶然。ただ……そうですね。しいて言えば」
ちらと女神バロンは菊蘭を見る。
彼女は女神の視線を合わせず、自分の瞳に俺を映す。
「私は、きっと……同情をしてしまったのでしょう」
「…………へぇ。そうか。女神様の同情を引くとは、やるな菊蘭」
「……お褒めの言葉。有難く賜ります」
「それではよろしいですね。この菊華を差し出す代わりに、貴方はこの街の件から手を引いてくださいますか?」
「あぁもちろん手を引いてやるよ。俺はこの街に何もしない」
「それは良かった。私は貴方がそう言って下さるかどうかだけが気がかりで」
「大袈裟な。俺はただこの街を調査しに来ただけだっての」
「ふふっ。でも貴方……」
女神バロンは、静かに……そして威圧するように腹の底を見据えるように、言った。
「この街を……壊滅させようとしているでしょう?」
ゾッとするほどに冷ややかな微笑み。
……女神がする笑顔にしては、凶悪過ぎる。
この言葉を額面通り受け取れる訳が無い、これは……警告だ。