プロローグ
俺は、自分の理想を諦めたくなかった。
「(絶対に……この手で掴んでやる……)」
土砂降りの雨の中。
泥と血と、そして痣だらけの身体を引きずりながら、俺は次のダンジョンへ。
それが……俺の日常だった。
暴力と、蔑みと、嘲笑と、理不尽と、悪意と、嗜虐。
そんな、地獄のような……いや、地獄の方がいくらかマシな生活だった。
「(俺の理念は、理想は……っ! 間違いなんかじゃ……ない……っ)」
魔法が使える、スキルが使える、冒険者制度がある、職がある、モンスターが居る、国がある、王がいる、様々な種族がある。
この世界は……俺には合わないのだろう。
いや、どんな世界でも俺はこうして悪意に晒されていたのかもしれない。
毎日毎日傷を負い、辛辣な言葉を暴力を浴びて……俺はそれでも、諦めなかった。
「(『アイツ』の分まで……俺は、諦めない……っ!)」
先の見えない努力、結果の伴わない現実、無力な自分。
それでも、絶望で塗り固められた今でも……望む未来があると信じて、俺は一日たりとも無駄にはせず……修行し続けた。
這うようにして生き、死んだようにして動き……亡者の様に研鑽を積み上げる。
「(俺は……能力を奪う能力を、修得するんだ……ッ!)」
能力を奪う能力。
そんな……未だ誰も成し得ない、あるのかさえ分からない最強にして最高にレアな能力。
俺はこの能力で……珍しい能力をコレクションしたい……その為にはなんだって差し出したし、努力は惜しまなかった。
一人でダンジョンに赴き、一人でモンスターと戦い、一人で生き抜き、一人で死の瀬戸際を歩く。
そんな俺を、誰しもが笑った、不気味だと罵り、絡んでくる奴らもいた、理不尽な暴力にも嫌というほど晒された。
だが俺は一切の反撃もせず……それを受け入れた。
なぜなら……多大な困難や試練を受け入れてこそ、能力は開花するものだと信じて疑わなかったからだ。
精神が狂うような不幸は、俺にとっては大事な経験値だった。
「……今日は、けっこう……やれた、な」
雨に濡れながら、真夜中の街を歩く。
泥と血と傷に全身を覆いながら、いつものように疲労感に押しつぶされそうになりながら、歩く。
腹も減った。視界もくすぶる。何日寝てないだろう。
だからこそ――――『もっとだ』。もっと自分を追い込まなければ、能力は手に入らない。
今にも気絶しそうな、この疲労困憊とした身体を引きずって……次はどのダンジョンを、制覇しようか。
「……このあたりは、もう、大体……いてて、クリアしたしな」
上手くまとまらない頭をなんとか回し、俺は帰路を進む。
町はずれの古びた洋館。それが俺の住処だった。
もう朽ちて荒れ果て、辛うじて雨風は凌げるだろうという我が根城。
俺が蔑まれ気味悪がられる要因の一つだ。
「……そうだ、道具買わなくては、あと、食糧」
ぶつぶつと、歩きながら進む。
……いつもと同じだ。いや、まだ夜行性のガラの悪い奴らに絡まれないだけ幸運かもしれない。
なにもかもが日常で、なにもかもが変わりない。
「――――答えよ」
だが、今日に限っては…………違った。
「貴様。この世界をどう見る」
暗闇よりも更に暗いローブで、全身を隠した奴は俺の前に現れ問いかける。
「後数刻すら残ってはおらぬような死に体。この世全てが怨敵だと……呪いに近いその双眸、貴様にはこの世界がどう見えておるのだ」
幽霊の類か……それとも、遂にお迎えか。
どちらにせよ、いい不幸が待っていそうだ、嬉々として答えよう。
「そんなもの決まっている」
俺は死に体のグチャグチャに傷つき、底の無い沼のように重い身体を引きずり。
呪詛のような声で。
「――――この世界は、美しい」
と。答えた。
当然の帰結。俺が野望を叶えられるこの世界が、美しく無くてなんなのか。
「そうか……ならば」
我をこれで、殺してくれ。
不気味な声で、正体不明の存在は何もない空間から一振りの剣を取り出した見せた。
こんな暗闇でも、俺の霞んだ視界でも理解できるような業物。
黄金の柄に蒼い宝石をはめ込んだ……勇者のような剣だ。
「聖剣エクスカリバー。我が撃ち滅ぼした勇者の獲物、闇を切り裂き希望を携える聖剣。これで我を斬る事を赦す」
呻くように……あるいは、絶望しきったように、その聖剣を俺に手渡す。
俺はその重量を受け止める。
「下賤なる人間よ、貴様のような愚かで脆弱な者にこそ。我の命を潰やせる権利があろうよ」
「……テメェは死にたいのか」
「無論だ。その瞳で尚も世界はも美しいとほざく、哀れな人間よ。我の最後には貴様が相応しい」
「そうか。なら殺してやるよ」
死の間際。自分の殺しを依頼するような状況であっても、目の前のローブから威光と覇気を感じさせた。
どうしようもなく溢れる、人の上に立つオーラ。
だが、俺にはそんなもの関係ない。知った事でもない。
「お前を殺せば、この聖剣はくれんのか?」
「やるとも。どうせ我には必要のないものだ。その聖剣も我の命も」
「なら、死ね」
俺は聖剣を握り。
振りかぶり。
空気を裂き。
首を差し出すその身体を引き裂く様に。
「…………き、貴様ッ!!」
俺は聖剣を地面に叩きつけた。
その剣は甲高い鉄の音を響かせ、いとも簡単にへし折れる。
「我に情なぞかけたか、人間の分際で弁えぬようであれば」
俺は憤慨し圧倒的なプレッシャーを放つ目の前のローブを睨む。
「俺はお前の存在を殺した。お高い身分も名前も何もかもをだ」
「……なっ」
「だから、自由だぞ。どこへでも行け。そして……この解釈が気に食わないなら首を出せ。その時は正真正銘殺してやる」
俺は茫然と、そして茫洋としているローブの言葉を待った。
そうして……帰ってくる言葉は。
僅かに揺れた……そして確かに感じる疑問の言葉。
「なぜ、我を助けるような真似を……貴様は、我を殺せたのだぞ。その聖剣も手に入ったというのに……『人間なら殺して奪う』のが道理だろう、それが人間だろう」
「それならその偏見だらけの視界を広げてもう一度世界を見てみろ。テメェが知らないだけで、世界は美しく面白い」
「…………」
「ま、一回死ぬほど後悔して絶望してからが人生本番だぜ。試しにちょっと生きてみろよ。」
「……どうして、そんな、優しく」
その声は……まるで、こんな事初めてだと言わんばかりの戸惑いだった。
だから俺は答える。
……『トラウマ』をフラッシュバックさせながら。
「俺はもう二度と、誰かの『死因』にはなりたくねぇんだよ」
「…………稀有な、人間もいたものだ」
だが、存外心地よい。……と、憑き物が落ちた様に安堵の声を漏らす。
「おい人間。我を愉しませた褒美を取らせよう、言うがよい」
「アァ? 謝礼か? んなもんいらねぇよ、とっとと生きてろ」
「よもや我の申し出を断る腹積もりか人間。ほざくなよ、貴様の無用な願いなぞ聞き及ばぬと知れ」
「尊大な奴だなお前……あー、なら」
俺は逡巡した後、尊大な相手に向かって告げる。
「俺が困ってる時、危険が及んだ時に助けてくれ。これなら謝礼として申し分ないだろ?」
「良いだろう、我の誇りにかけて誓う。我が助力し力になり、危機を退けてやる」
「頼もしいお言葉だな。それじゃ、またどっかで会ったらよろしくな」
「待て、我は」
と、その声を遮るように。
魔方陣が、地面に展開する。
「そこにおられましたか、探しましたよ」
そしてそこから。
冷酷な雰囲気の、長身のスーツを着た男が、ゆらりと現れた。
暗闇に現れるその姿は、まるで悪魔だ。
「貴女様は高貴なお方でいらっしゃいます。このような場に相応しく御座いません」
「我はもう決定した、書もしたためたであろう」
「どうかご再考をば。この決定及ぼす影響をお考えくださればと」
「くどい。我は覆さぬ、もう決めたのだ」
……なんだ。ただの家出してきた貴族か。
大方、習い事や家での規則に我慢できなくなって家出してきたのだろう。
死神でも幽霊でもない、ただの家出娘……そこに不幸は起こりそうもない。
「貴女様は魔界を統べる『魔王』なのです! その意味をお考えください!」
…………ん?
「そんな事我が一番よく知っている! それでも我は見つけたのだ! 遂に見つけられたのだ!」
「何を見つけのですか! それは魔王……いえ、魔界よりも大事なものなのですか!?」
「あぁ、そうだ」
「……っ!? それは、一体……まさか、魔族に反感を」
「違う。我は同胞に手は下さぬ」
「では、魔界を攻める冒険者に何か情が湧きましたか!」
「違う。冒険者共は今でも我の敵である」
「ならば休暇ですか! 連日の職務に匙を」
「それも違う。休暇ならこうして『見つけた』などと、喜んではいない」
「では一体どうなさったというのです! 魔王様! 貴女は何をなさりたいのですか!!」
「あぁ、よく聞け。これから我が何をしたいか何を考えているのかを、この魔王の言葉を聞き逃すでないぞ」
魔王。
そう呼ばれたローブ野郎は。
「――――この男に婚約を申し込む」
そうして。
こちらを振り向き……そのローブを脱いで素顔を晒して。
恥ずかしそうに続けた。
「我はな……貴様に、恋をしてしまったのだ」