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アリアドネの糸

 一度、見たものは忘れないという記憶力で同年代の子よりも文字を覚えるのが早く、そして、家の絵本は読みつくしてしまった。

新しい本を買い与えたところで傾くような財政ではないが、少しだけ躊躇う出費でもあった。

あまり貴族が利用することは無いが、領内には珍しいことに図書館がある。


 五歳の誕生日に図書館に行くことを許可すると、そこからは毎日のように通った。

読んだことのない本に目を輝かせてアンネワークは絵本を選んだ。

家には、あまりない図鑑や画集なども選び、片っ端から見る。

読んだら本を棚に戻すというのも楽しく、どんどんと奥へ進む。


「あっ、皇子様」


「・・・どうして?」


「これに載っていたわ」


 アンネワークの視線の先にいたのは、セバンスティーノ・アレキサーダ・クヌリスト。

隣国の公爵家の次男で、皇位継承権を持つため皇族の肖像画に名を連ねていた。


「まいったな。お忍びで、この国の図書館司書をしていたけど、見つかったからにはいられないな」


「えっ、私なにも見てないわ。見てないのよ。ほんとうよ」


「ふふ、では、姫と私の秘密にしましょう」


「誰にも言わないわ」


 自分のせいで帰ってしまうのではないかと心配になったアンネワークは、毎日のようにセバンスティーノの元へ通った。

そのときに名前も一緒に教えてもらったが、上手く発音することができず、愛称で呼ぶようになった。


「ねぇセバス」


「どうしました? 姫」


「どうして、セバスなの? ティーノとかアレクでもいいと思うの」


「姫のために本を用意するのは執事のようでしょう。執事と言えば名前はセバスチャンと相場は決まっているのですよ」


「そうなの?」


「はい」


 アンネワークへ間違った常識を教えて、それがからかわれたのだと気づくまで時間がかかった。

それでも二人の関係は続き、アンネワークが学院に入るのに合わせてセバンスティーノも職場を変えた。


「ねぇセバス」


「どうしました?」


「私ね、二番目の王子様の婚約者になったの」


「それは・・・おめでとうございます」


「だからね、図書館に来るのが難しくなるの」


 フーリオンは第二王子だが、王と王妃が不在のときに変わりに国を任される立場にある。

肩書は、王太子妃だが、王妃と同等の知識と教養が必要になる。


「お城でお勉強するんだって」


「それはそれは・・・寂しくなりますね」


「お芝居も観に行けなくなっちゃう」


「勉強を頑張れば、きっとご褒美がもらえますよ」


 落ち込んでいるアンネワークを励ますために頭をゆっくりと撫でる。

十歳の令嬢が気づくはずないが、アンネワークの様子を監視している者が複数いた。

本を読むための図書館で本を読んでいなければ、それだけで目立つ。

おそらくは身辺調査だろう。


「そう落ち込まずとも、また会えますよ」


「本当?」


「えぇ」


 セバンスティーノの出自は複雑なものだが、持っている権力は強い。

お忍びで働いていたが、アンネワークのためなら身分を明かすことも厭わなかった。

身分を隠して、自国を出ていたのは、異母兄から逃れるためだ。

クヌリスト公爵家の当主は、幼い頃より決まっていた婚約者と結婚をし、長男を授かった。


 だが、運悪く流行り病に罹り、公爵夫人は命を落とした。

親族はすぐに後妻を勧めたが当主は固辞した。

それでも後妻への申し込みが後を絶たず、対応だけで一日が終わるということも珍しくなかった。


 その状況を知った皇女は、自分を後妻として娶れば、面倒なことは全部引き受けるし、子どもも要らない。

そう言って皇女は一目惚れしていた公爵に嫁いだ。

さすがに皇女が後妻にいる家に、自分の娘を愛人にしたいと申し出る家は無かった。

誤算だったのは、当主が皇女を一人の女性として愛したことだろう。


 そして、クヌリスト公爵家の次男としてセバンスティーノは産まれた。

継承権を持つ皇女が産んだことで、セバンスティーノは、公爵家でありながら皇族でもあるという複雑な出自を持つことになる。

さらに皇帝に子どもができず、次期皇帝はセバンスティーノであると公言された。

皇帝が公爵家を兼務することはないからクヌリスト家の跡継ぎは長男なのだが、自分の立場を奪われるのではないかと疑心暗鬼になり、険悪な関係になる。

公爵家に興味はないと示すために勝手に国を出て、他国で図書館司書をしていた。


「あれ? どうしてセバスがお城にいるの?」


「アンネワーク、知り合いか?」


「あのね、お忍びで司書さんをしている皇子様なのよ。あっ、違うのよ。これは秘密なの」


 秘密を全部、話してしまったが、フーリオンに話すまでは誰にも話さずに秘密を守っていた。

アンネワークの言葉だけで全て分かったフーリオンは、聞かなかったことにした。


「この城の図書館の司書をすることになってね」


「なら図書館に行ったら会える?」


「そうだね。そのときは、アンネワーク姫の騎士(ナイト)も一緒に来るといいよ」


「ナイト?」


「では、またね」


 秘密を共有するだけ親しい間柄というので、フーリオンはセバンスティーノへ敵対心を持った。

顔合わせをしてから二週間で婚約まで決めたが、これから一緒にいるつもりが、二週間後にはフーリオンは学院に入ってしまい会えなくなる。

なのにセバンスティーノは毎日、顔を合わせることになる。

この顔合わせは、フーリオンに一つの決断をさせた。

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