青天の霹靂1
この国の令嬢たちは十歳になると、王族の婚約者候補の試験を受けることが出来る。
その試験は難しく合格者のいない年もある。
それでも毎年受けるのは少しでも良い点を取れば、候補として選ばれることがあるし、結果によっては爵位が上の家から婚約の話が出て来ることもあった。
そんな誰もが気合を入れる日に、ワフダスマ伯爵家では穏やかな朝を迎えていた。
「あぁ心配だわ」
「何、落ちたところで問題ない」
「そうじゃありませんわ。アンは芝居のこととなると我を忘れるから他の方の迷惑にならないかと、もう心配で心配でパンが喉を通りませんわ」
両親の心配を余所に話題の中心にいるアンネワークは侍女にパンのお代わりを頼んでいた。
頬いっぱいにパンを詰めてご機嫌な様子だった。
試験は義務ではなく権利だが、受けないというのは自分の子に問題があると宣言しているものなので、一回は受けさせる。
そのあとは、同年代に爵位が上の者がいたら辞退したり、試験の結果を持って結婚相手を探したりする。
「アン、良いですか? 大人しく、くれぐれも大人しく、試験を受けるのですよ」
「はい、お母様」
「あぁこんなことなら風邪でも引かせれば良かった」
「おいおい」
十歳なら多少お転婆でも子どもだからという言い訳で乗り切ろうと考えて、両親は試験を受けさせることを決めた。
そして、願わくば落ちてくれと本気で願っていた。
その願い空しく、十歳にして満点を出すという快挙を成し遂げてしまうことをまだ知らない。
「さぁアン、そろそろ仕度をしますよ」
「はい」
他の令嬢たちが両親からの期待に押し潰されながら未だに暗記した内容を確認しているが、アンネワークは着替えが終わると本を読んでいた。
アンネワークは本を読んでいると大人しいため両親は、せっせと本を買い与えた。
それでもすぐに読んでしまうから領地内の図書館に通うことだけは許可した。
「お母様」
「なあに? アン」
「試験が終わったら図書館に行っても良い?」
「いいですよ」
とにかく今日一日はアンネワークの好きなことをさせて大人しくさせようとした。
今のところは効果があり、アンネワークはご機嫌でメイドに髪を結ってもらっている。
この調子で何事もなく終わって欲しいという両親が祈るなかアンネワークは試験を受けるために王城へ馬車に乗って出発した。
荷台には試験終わりに寄る図書館に返すための本が積まれている。
この試験には合格すれば婚約者候補となれるためアンネワークの十歳というのは珍しいことではない。
難関と言われる試験に、ほとんどの者が問題を考えることを諦めるなかアンネワークだけは解答欄を埋めた。
とにかく何か書けと言われて空欄を埋める令嬢はいるが、アンネワークは適当に書いているのではなく、正解を書いていた。
「はい」
「えぇと、アンネワーク嬢でしたな」
「終わったので帰っていいですか?」
「はい?」
試験問題は最初にすべて配られて夕方までに解けば良いとなっており、試験会場の出入りは自由だ。
中庭には軽食や昼食が用意されており、好きに食べることが出来る。
監視の目は、そこかしこにあるため答えを誰かから聞こうとしても無駄だった。
「・・・全部、埋まっていますね。見直しなどはよろしいのですか?」
「はい」
「では、帰宅を許可します」
会場の出入りは自由ではあるが、家に帰ることだけは試験の終了を意味する。
これでアンネワークは今日一日、王城に入ることはできない。
少しでも早く試験を終えて図書館に行くことしか考えていないアンネワークは、会場を出た時間の記録も更新した。
待機していた御者は試験が難しくて棄権して来たのだと思っている。
「お嬢、おかえりなさい」
「ちゃんと試験は受けたわ。だから図書館に行ってね」
「へい」
言葉遣いは悪いが、アンネワークが借りた重い本を運ぶには腕っぷしも必要だったため専属で辻馬車の御者を雇った。
町のことも詳しいためアンネワークが間違って治安の悪いところに行かないための監視役としても適任だった。
「それで、また昼過ぎにお迎えに来たらいいですか?」
「うん。そのときには、ルーナおばさまのミートパイも買っておいてね」
「へい」
重い本を受付まで運ぶと、御者はアンネワークの言いつけ通りにミートパイを買いに向かった。
主人が用事を終えるまで一時馬車預かり所で仮眠を取る。
本を返し終えるとアンネワークは、返却された本を棚に戻しているセバンスティーノを探した。
「あっ、セバス」
「これはアンネワーク姫。今日は試験ではありませんでしたか?」
「終わったら図書館に寄っても良いってお母様が言ったから来たのよ」
「そうでしたか。今日はどんな本をお探しで?」
「お姫様が冒険するお話がいいわ」
セバンスティーノは、隣国の公爵家の次男で、皇帝の甥に当たり、継承権も持っている。
皇帝の妹がセバンスティーノの母親で、一目惚れした公爵の後妻になった。
そのせいで、長男と次男の母親が違うという貴族ではありがちなことに加えて、次男だけが継承権を持っているという事態になった。
そんな複雑な立場であるからして、兄と不必要な確執を持つことを避けるために、身分を隠して図書館司書をしている。
「なら、このあたりなど如何ですか?」
「まぁ! 面白そう」
一度見たら忘れない記憶力のアンネワークは、教養のためと言われて見た各国の王族皇族の肖像画からセバンスティーノが皇族だと見抜いた。
まさか幼い令嬢に見破られるとは思っていなかったが、身分を隠しているのだと秘密を教えるように囁いたところアンネワークは、あっさりと秘密の共有者になった。
セバンスティーノの面立ちは、伯父に当たる皇帝の若いころにそっくりだ。
「それで試験はどうでした?」
「全部の解答欄は埋めたわ」
「それは頑張りましたね」
アンネワークが読んでいない本を選び一緒に受付まで運ぶ。
昼過ぎに迎えが来るまで、読んだ本の感想を言い合っていると昼を告げる時計の鐘が鳴った。
「あら、大変」
「迎えですか?」
「そうなの。バディドに昼過ぎにねってお願いしたの」
「では、急ぎ貸出手続きをしましょう。返却は二週間後です」
アンネワークが本に夢中になると時間を忘れることを知っている御者のバディドは受付にアンネワークを探しにやって来ていた。
抱えた本の数の多さにげんなりしながらもバディドは、馬車まで運ぶ。
「セバス、またね」
「次は新しい本を用意しておきますよ」
馬車は公園に向かうと、そこで買っておいたパイを食べる。
バディドはすでに食べているからアンネワークが食べるのを見守る。
「お嬢、このあとはどこへ?」
「お家に帰るわ。本を借りたから読みたいもの」
「へい」
予想より早い帰宅にアンネワークが試験が解けずに帰って来たのだと思った両親は、あの手この手でアンネワークを慰めた。
気落ちしなくても、また来年受ければいいとまで言った。
翌日からは、いつも通りになり、アンネワークは本に没頭する生活が始まった。
試験が終わってから一週間後に通知が届いた。
【今回の試験においてアンネワーク・ワフダスマ伯爵令嬢は、合格基準に達する学力を持つと証明す。よって、来月に開催する第二王子の茶会に出席されたし、なお、試験の点数が満点であったため、断ることはできない】
要約すれば、こんな内容の通知で、それを読んだアンネワークの母親であるロザリーは現実を受け止めきれずに気を失った。
まさか我が子が試験に合格するとは思っていないし、満点を出すとも思っていない。
ちょっと本好きで、本を読んでいればご機嫌で大人しいと思っていた。




