傷がつく
アンネワークの泣き顔を見ていると、今すぐにでも嘘だと言って抱きしめてしまいたくなったフーリオンは足早に図書室へ向かった。
あそこなら人気がないことと司書であるセバンスティーノは事情を知っている。
事実確認をしようとフーリオンを追いかける野次馬を追い払ってくれる。
ただ、マリエルだけは通すと打ち合わせをしていた。
「あの・・・」
「何だ?」
「あの・・・」
「・・・これで、俺も後には引けなくなったな」
「あの、元気を出して」
「君に慰められるとは思わなかったな」
フーリオンは、立ち上がると軽くマリエルを抱きしめた。
急に抱きしめられてマリエルは硬直した。
「やっぱり違うな」
そう言い残してフーリオンは、立ち去った。
このまま会話をしていると本音を口走ってしまうと、頭のどこかで冷静になったフーリオンは寮へ戻った。
学生という身分であるから飲むことはできないが、度数の高い酒を呷って眠ってしまいたかった。
「フーリオン」
「・・・ウォルトル」
「アンネワーク嬢はジャクリーヌ嬢に預けて、そのまま王妃様のところへ向かわせた」
「そうか」
「あと、あの図書室での最後のアレはどういう心境だ?」
「心境も何も、黙らせるには手っ取り早い方法だろう?」
フーリオンに抱き締められたことで、マリエルは婚約破棄を信じ切った。
だが、マリエルがフーリオンに抱き締められたことを吹聴すれば、どれだけ注意してもアンネワークの耳に入る。
人助けの接触すら拒んだフーリオンが安易に抱き締めるとは思えなかった。
「フーリオン・・・」
「俺は、本当にアンネを愛しているのか確かめたかったんだ」
「はっ?」
「だって、そうだろう? 国のためという理由があれば、婚約破棄を大衆の面前で告げられるんだぞ。だから抱きしめてみた」
出自は間違いなく、王と第一側妃の子で、第二王子だ。
だが、フーリオンを取り巻く環境は、優しいものではなかった。
五歳年が離れているため、次の王は間違いなくニーリアンだと、思うものが大半だったが、そう思わない者も出てくる。
王と王妃は政略結婚だが、関係はよく、第一側妃も自分の立場を弁えていたため問題らしい問題もなかったが、周りは勝手に解釈し、王や王妃、第一側妃が違うと否定しても本音を隠しているだけだと曲解されてしまう。
加熱していく周りを宥めようとすれば、するほど悪化し、フーリオンは王座を狙い、異母兄を亡き者にしようとしていると勝手に解釈された。
そんな立場であるから幼いころから刺客を送られ、毒殺も日常のことになっていた。
フーリオンの命を狙うための手引きを王妃の実家の派閥に与する上位貴族がするため、いくら警備を強化しても収拾がつかない。
それは、王妃に二人目の子どもができても変わらなかった。
誰も信じることができず一人でいるようになり、母親である第一側妃も庇えば、自分の家の派閥の者が勝手に動くとして何もできないでいた。
そんなときに会ったのは、五歳下のアンネワークでフーリオンを取り巻く環境を一瞬にして変えてしまった。
「・・・アンネがいなければ、俺は生きていない」
「それで結果はどうだったんだ?」
「アンネには心動かされるが、あの令嬢には心動くどころか、冷えたな」
「俺から言わせれば、そんなことを確かめるために抱き締められた奴さんに、ちょっと同情しちまったよ。わざわざ確かめなくても分かり切ったことだろう」
「そうか?」
初めて心を許した相手を傷つけることができるのは、愛していない証拠ではないかと自分自身を疑い、実行した。
まだるっこしい手段を選ぶフーリオンに、ウォルトルは呆れとともに友人であることに覚悟を決めた。
「あとは、王の承諾待ちだと思わせれば良いだけだが、こっからが正念場だ。婚約破棄を宣言したから明日から別々に行動、というわけにはいかない」
「あぁ」
「絶対に、態度を崩すなよ」
「わかってる」
「アンネワーク嬢の対応は、俺とジャクリーヌ嬢で受け持つ。お前は、婚約破棄をしたが正式な承諾がないため婚約者として扱わなければいけない悲劇の王子を演じろよ」
それはフーリオンにとってもアンネワークにとっても苦行だった。
ただ一緒にいるだけなら距離を置いて、視線を合わさなければ耐えられたかもしれない。
「・・・今にも死にそうな顔をしてるな」
「そうだな。このまま・・・」
「馬鹿なことを考えるなよ。親友とその婚約者の無理心中なんて俺は嫌だぞ」
「わかってる」
「本当にわかってるんだろうな? 信じるぞ。あと朗報かどうかは分らんが、奴さんが旧講堂の階段から落ちて足を捻挫したらしい」
人気のない旧講堂で階段から落ちたというのは色々な憶測を呼んだ。
落ちたマリエルは、自分で足を滑らせて落ちただけだと言うが、ロチャードとグリファンは信じていない。
実際は、マリエルの言うことが真実なのだが、二人の疑いの目は何故かアンネワークに向かう。
「ダンスの練習をしなくて良かったのは、良いかもしれないが、奴さんの取り巻きが突き落とした犯人はアンネワーク嬢だと言っているらしい」
「ありえないな」
「あぁ。それは俺も思う。常に俺かジャクリーヌ嬢が傍にいているし、落ちたときアンネワーク嬢は、王妃様とセバンスティーノ殿といた」
「たしか、外交問題について話すんだったか」
「口実だったけど、助かったな」
そのあとも何かにつけてマリエルは、アンネワークに言いがかりをつけたが、どれも不発に終わる。
比例してフーリオンの手のひらに爪の形をした傷が増えた。




