手が離れる
ウォルトルの護衛のもと、芝居を楽しんだアンネワークだったが、本人も周りも気づかなかった。
水に濡れて体が冷えたことで風邪をひいていたことに。
「うぅ」
「ずいぶん熱が高いわね。最近、無茶をしてたんじゃないの?」
保険医は氷嚢をアンネワークの額に乗せて、診療記録を作る。
昼間は保険医が看病し、夜間はフーリオンが泊まり込んで看病していた。
「さぁ薬の時間よ」
「いやぁぁぁぁぁ」
「だだ捏ねないの。飲まないと治るものも治らないわよ」
布団に包まって薬を拒絶するアンネワークだが、風邪で体力が落ちているため抵抗空しくも、舐めるように薬を飲む。
一気に飲む方が苦くないのではないかと保険医は思ったが、大人しく飲んでくれるなら飲み方は関係ないと見守ることにした。
「・・・はい、お利口さん」
「にがい」
「あとで、ホットチョコレートを淹れてあげるから大人しくね」
「はぃ」
アンネワークが完全に風邪をひいたというのは料理人の間でも話題になった。
消化に良くて栄養のあるものを作っては料理長が運んで来るという徹底ぶりだ。
その甲斐あって、アンネワークの風邪は酷くならないうちに完治した。
「元気になったな」
「うん」
「体力が落ちているから、あまり無理をするなよ」
「だいじょうぶ」
「本当か? まぁ今日は観覧だけだから大丈夫か」
アンネワークが風邪をひいたと聞いて、王宮医師の派遣を本気で考えた王妃は、檀上から元気な姿を見て安心した。
お揃いの帽子を被った王妃とアンネワークは密かに笑い合った。
風が吹いてアンネワークの帽子が飛ばされて、轢かれるかと思ったがモルショーンの機転で事無きを得た。
「・・・フーリオン」
「あぁ」
周りがアンネワークの無事に安堵している中、一人の令嬢が睨んでいた。
立場上、顔と名前を一致させているから、睨んでいるのが、マリエルだと分かると警戒の色を二人は強めた。
「たしかにロチャードの邪魔をアンネはしたが、彼女が怒るのは少し違うな」
「調べるか?」
「いや、警戒だけしておいてくれ。ロチャードの勇姿を見たかっただけかもしれないからな」
「分かった」
フーリオンは、アンネワークと連名でブルデング公爵家へ詫び状を送った。
だが、それをロチャード自身は知らないままだ。
「・・・ロチャード様、大丈夫かな?」
「ぶるる」
「そうだね。モルショーンが一緒だったから大丈夫だよね」
轢かれそうになったが怪我をしなかったことでアンネワークの中に恐怖心はない。
今日も料理長からもらった人参と林檎をモルショーンの餌入れに入れる。
「今度ね。豊穣祭があるんだよ。いっぱいのお店が出て、トマトが舞うの!・・・あれ? トマトが舞うのは、違ったっけ?」
「ぶるる」
「とにかくね。町に出られるんだよ」
町に出ることを喜んでいるが、アンネワークは芝居を見るために毎週末、町に出ているし、時には泊りがけで見に行ったりもしている。
ここまで自由に出入りしている令嬢も珍しいが、王家が認めているから誰も文句が言えない。
「アンネ」
「ふー」
「ぶるる」
「そう不満そうな態度をするな。アンネは病み上がりなんだ。それに二人きりにしてやってるだろう?」
最初はフーリオンも一緒にいたが、モルショーンが嫌がったためアンネワークだけにした。
さすがに馬にまで嫉妬するほど狭量ではないと、フーリオンの言だ。
「ふー」
「また風邪をひいて豊穣祭に出られないのは困るだろう?」
「それは嫌」
「なら今日は帰ろう」
「はい」
どこをどうしたら、頭まで飼葉まみれになるのか不思議だが、アンネワークが楽しそうなら良いというフーリオンは、丁寧に絡まった飼葉を落とす。
アンネワークが元気になって喜んだ者は多い。
「嬢ちゃん、元気になって良かったな」
「ありがと、料理長もおじや、美味しかったよ」
「そうかそうか。俺の故郷では病人に食わせるんだよ」
「もう治ったから普通のご飯が食べたい」
「なら、腕によりをかけて作るか」
こっそりとアンネワークの料理だけデザートが豪華なのは、気のせいということにしておく。
しっかりと全部食べて、アンネワークは豊穣祭に万全の体調で挑んだ。
人が溢れかえって、一度、離れると祭りが終わるまで会えないと言われている。
普段より警護の人数は多いが、それでも油断はできない。
「ふー、迷子になっちゃいそう」
「しっかり手を繋いどけよ」
「分かった」
逸れないように、ゆっくりと歩いていたが、人込みに押された一瞬で手を離してしまった。
すぐにフーリオンはアンネワークを探したが、姿が消えた。
「アンネ?」
「どうされましたか?」
「アンネが逸れた・・・いや」
「兄上」
「オーリエン」
「まずは、この近辺を兵に探してもらいましょう」
「あぁ」
報告を待つ間にフーリオンの機嫌は最悪になっていく。
分かっているオーリエンですら話しかけるのに勇気がいる。
そこに何か知っていると匂わせたマリエルが果敢にもフーリオンに声をかけた。




