水に落ちる
園遊会当日を迎えた。
「台本、無くしちゃった」
「台本なくても科白は覚えてるんだろ?」
「・・・うん」
力なく返事をしたアンネワークは、ベティエに心配されながらも出番を待った。
舞台女優は、どれだけ悲しくても笑顔で観客の前に出るのだという懇意にしている女優に言われた言葉を思い出し、堂々と科白を言った。
「あぁもう見てられないわ。どいて」
「えっ?」
小声で言われたため、観客には聞こえていないが乱入してきたマリエルの言葉にアンネワークは動きを止めて、何もできないまま科白を奪われてしまった。
何が起きたのか分からないまま、フーリオンに抱き上げられて第三応接室へ運ばれた。
「うっ、えっぐ」
「アンネ」
「うぅ」
マリエルに釘を刺した王妃は、迷うことなく第三応接室へ来た。
「アン、こちらへいらっしゃい」
「王妃、しゃま」
「貴女が頑張っていたことを知っていますよ。だから、わたくしに顔を見せてちょうだいな」
フーリオンの膝から降りて、王妃の隣に座る。
ハンカチで涙を拭われて、アンネワークは少しだけ気分が盛り返した。
「アンの出番を奪った子には、わたくしがお灸を据えておきました。一度くらいでへこたれてはいけません。また頑張って主役の座を勝ち取ってごらんなさい」
「王妃様」
「こんなに泣いては目が腫れてしまいますよ」
「王妃様にせっかくお芝居を見せられると思ったのに」
「こらこら、王妃様ではないでしょう?」
「おば様」
「えぇ、そのおば様が新しく上映されるお芝居の券を手に入れてあげますから笑ってちょうだい」
王妃も第一側妃も男子しか産んでいない。
幼いころから王城に出入りしているアンネワークは娘も同然だった。
「しばらくは公務で、国を離れますが、戻って来たら、とびっきりのお芝居を見せてくれるかしら?」
「もちろんよ。おば様が見たことないものを演じてみせるわ」
「その意気ですよ。さぁ着替えていらっしゃい。食事を一緒にしましょう」
「はい、おば様」
完全に、王妃に良いところを持っていかれたフーリオンは、ソファに同化するようにお茶を飲んでいた。
応接室を利用するときは事前に申請しておけば、お茶だけは準備してくれる。
毎日のように使っているため、すでに申請がなくてもお茶が用意されている状態だが、もう少しすれば、お菓子も常備されるのではないかと予想されていた。
衣装から制服に着替えるとアンネワークは、フーリオンの手をしっかりと握って、王妃のもとに向かう。
執務があるということで、王妃以外は城に帰った。
「それでね、アン」
「はい、おば様」
「お土産は何が良いかしら? 羽ペン? それともガラスの置物かしら?」
「そういえば、今度行かれる国は、ガラス工芸が主要産物だったと思いますわ」
フーリオンの兄のニーリアンが王になったあとは、フーリオンは外交を担うことが決まっている。
それはアンネワークが記憶さえすれば、他国の法典すら暗唱できるからだ。
今も他国の主要産物なら上位十品目は答えられる。
「ならば、合わせたもので、ガラスペンにしましょう」
「楽しみですわ」
和やかに食事が終わり、アンネワークは、次のお芝居のために演劇部員と相談に精を出した。
時間があると言っても練習や小道具を作るのに時間がかかる。
「ベティエ!」
「アンネ様」
「王妃様が次のお芝居を楽しみにしているって」
「それは、心して作らないといけませんね」
「だから次は、主役の座を死守できるように稽古するのよ」
「私たちもアンネ様の衣装を頑張って作りますね」
そう意気込みを確認しても、まだ話が決まっていない。
同じ話の流れでは、面白くはない。
何か違うことが欲しい。
悩んでいるアンネワークは、乗馬場に来ていた。
「・・・ねぇモルショーン、どうしたら良いと思う?」
手が汚れることも厭わずに、飼葉をモルショーンの餌入れに入れる。
愚痴を言いながら思い出したように入れるため量が少なく、催促するモルショーンの前脚の音でアンネワークが気付くというのを繰り返した。
「せっかくの園遊会だったのに、よく分からないうちに終わっちゃったのよ」
「ぶるるる」
「モルショーンも残念だって思ってくれるの? ありがとう」
厩にいて園遊会が何かわからないが、アンネワークの機嫌が良くなり餌をくれるなら勘違いしたままでもいいと、モルショーンは鼻をアンネワークに擦り付けた。
「ふふふ、くすぐったいわ」
「ひーん」
「みんなと考えてるんだけど、なかなか決まらないのよ。あっ、忘れてた。料理長から人参を少し分けてもらったの。食べる?」
アンネワークが担当になってから人参や他の野菜がときどき食べられるため、モルショーンはますます他の人の言うことを聞かなくなった。
「それに今度、遠乗りの授業があるのよ。私、外で乗ったことないの」
「ぶるる」
「それに外に出るための馬は、モルショーンじゃないかもしれないのよ。それは不安だわ」
「ぶる」
「アンネ、そろそろ戻るぞ」
「はぁーい、じゃぁまたね。モルショーン」
細かい飼葉がついた手を水で洗い、制服についた土を払う。
園遊会で乱入したマリエルと顔を合わせることもなく、穏やかな日を過ごした。
アンネワークが気にしていた遠乗りも相手はモルショーンだった。
「ふふふ、モルショーンで安心したわ」
「ぶるる」
何度も授業を受けていれば、乗馬経験のない令嬢たちも何とか乗れるようになり、平坦な道なら一人で進むことができるようになった。
その習熟度を確認するための遠乗りで、でかけるということをしない令嬢からは密かな人気でもある。
目的地である湖畔で休憩してから学院に戻る。
思い思いに過ごすが、アンネワークは珍しい花を摘みに湖畔の周りを歩いていた。
「アンネワーク様?」
「はい?」
「あちらに綺麗な花が咲いておりましたわ」
「どこでございますか?」
アンネワークがよく見ようと身を乗り出したところを、声をかけた令嬢は思い切り背中を押した。
急なことでアンネワークは、湖に落ちた。
大きな音がして、皆の視線が集まるとアンネワークが溺れているところだった。
近くにいる令嬢は、口に手を当てて驚いている。
「アンネ!?」
「フーリオン!?」
溺れているのがアンネワークだと分かると、一目散に飛び込み、泳いで傍に行く。
ウォルトルは一瞬、遅れて走って向かうことを選んだ。
フーリオンやウォルトルなら余裕で底に足がつくが、アンネワークではつかない。
「アンネ?」
「げほっ、うぅ」
「大丈夫だ」
「うぅ怖かっ、げほっ、けほ」
しっかりと抱き上げて、手を伸ばすウォルトルにアンネワークを渡す。
フーリオンは勢いをつけて自力で這い上がる。
さすがに服を着たまま泳いだため疲労が溜まっていた。
「ワフダスマ様!?」
「少し水を飲んだだけだと思いますよ。大事を取って先に戻っても?」
「は、はい」
本人の不注意であっても、何かあれば教師の責任が問われる。
今回は、溺れて死んでしまう可能性があったため、教師は自分の進退が脳裏に過ぎって青くなっていた。




