暴漢が違えた
適当な路地に入るとマリエルは迷うことなく、奥へ進んだ。
そこではフーリオンが血眼になって探しているアンネワークがいた。
一人ではなく、顔を黒い布で覆った男が一緒だ。
「えっ」
「ちっ」
「きゃぁぁぁ」
男は持っていたナイフでアンネワークを殴り気絶させると、マリエルに向かって来た。
体が竦み、声も出せないがナイフが迫って来るのが分かると一目散に逃げ出した。
走りながらもこれがイベントだということは頭の端で理解している。
多少の怪我を負っても死ぬことはないという確信があった。
「きゃぁぁぁ」
「騒ぐな」
「いっ、あぁぁぁぁぁぁぁ」
避けようとしたためナイフが左腕を深く刺し、目の前が赤く染まるほどの痛みに襲われた。
叫び声で人が集まり、そこにはフーリオンの姿もあったが、マリエルには目もくれず奥へと走る。
簡単に止血され、マリエルは軍病院に搬送された。
だから知らなかったが、路地の奥で気を失っていたアンネワークを横抱きにしてフーリオンが馬車に乗り込んだことを。
アンネワークとマリエルを襲った男は逃げたが、目撃情報から見つかり捕まった。
「マリエル、大丈夫か?」
「えぇ」
軍病院で治療を終えたマリエルは学院の療養室に移された。
左腕の怪我は深いが、神経を傷つけていなかったから日常生活には支障がない。
それでも怪我のあとは残るため夏になっても半袖の服を着るのは難しい。
「暴漢に襲われたと聞いた」
「おい、ロチャード」
「大丈夫よ。学院から帰るときにアンネワークを見かけて、それで」
「そうか」
フーリオンが逸れたアンネワークを探していたことは豊穣祭に参加していた生徒なら知っている。
もし一人でいるのなら声をかけるだろう。
「もしかしたら」
「おい、ロチャード」
「どうしたの?」
「いや、今は止めておく。怪我が良くなったら話すよ。今は療養してくれ」
気になることを言ってロチャードはグリファンを連れて療養室を出た。
グリファンの怪我は打ち身だけだったため痛みが引けば歩ける。
お見舞いとして来てくれたのはロチャードとグリファンだけだった。
マリエルの怪我を知っているはずのフーリオンもオーリエンも来ない。
「せっかくイベントが発生したのに、どうして二人は来ないの?」
麻酔が効いているから痛みはないが、刺されたときの恐怖は覚えている。
包帯の上から怪我をなぞった。
「ちゃんと暴漢に襲われたし、しかも暴漢に襲われるのはシークレットルート特有のイベントだから間違いない」
夜になったら来るかもしれないとマリエルは起きていたが、見回りの先生すら来なかった。
日が昇ってから眠りについたマリエルは乱暴に起こされる。
「起きなさい!」
「うぅん」
「起きろ!」
「えっはっ」
「起きたか」
「どうして、ウォンがいるの?」
「どうしてって、怪我をしたというから迎えに来たんだ。早くしろ。馬車を待たせてる」
状況が読めないままウォンに手を引かれ、ゴンゴニルド伯爵家の紋章がついた馬車に乗った。
どこに連れて行かれるのか分からないままマリエルは寝不足もあって眠りに落ちる。
気づくと、入学前までいた自分の部屋の天井が見えた。
「家? どういうこと?」
「起きましたか? お嬢様」
「ウォン」
「どうしてここにいるか分からないという顔ですね」
カモミールのお茶を淹れたウォンは近くの椅子を寄せて座った。
喉が渇いていたマリエルはお茶を飲む。
「まず、お嬢様は怪我をしました。それも軍病院にお世話になるほどの」
「えぇ、少し縫われたわ」
「大怪我を負ったお嬢様は実家にて静養することが貴族としての決まりです」
「それで家に帰って来たのね」
お茶のお代わりをウォンに要求してマリエルは自分の中で事態を完結させた。
楽天的に考えているマリエルに溜め息を吐きながらウォンは優しく続けた。
「それもありますが、お嬢様は男性に襲われたということで貴族令嬢としては傷がつきました」
「はい?」
「つまり、令嬢として清らかではないと見做されて、まともな嫁ぎ先などないということです。そうなると大抵は、実家でそのまま過ごすことになります」
「いやよ、それは、ありえないわ。だいたい私は被害者なのよ」
「襲ってくださいと言わんばかりに路地裏に行っていて、その良い訳は通りません」
同じように路地裏にアンネワークもいたのだが、それはマリエルの事情には関与しない。
ウォンの言い回しに、このまま退学をさせられる雰囲気を感じ取ったマリエルは奥の手を出す。
「あの路地にはアンネワークもいたわ。それに私があそこに行ったのは迷子になってたアンネワークを見かけたからだし」
「ワフダスマ伯爵家のご令嬢をですか? だったらどうして周りに伝えなかったのです? あのときは班の方と一緒にいたのでしょう」
「お、思わず体が動いちゃったのよ」
苦しい言い訳だが、マリエルは怪我が治るまでは学院に戻れない。
メイドや御者にもマリエルを家から出さないように通達はされていた。
このまま退学をさせようにも本人が納得しないことは目に見えている。
だから学院に戻るまでの家庭教師を休む間もなく雇っていた。




