怒りを買う
何も分からないマリエルは隣の席の令嬢に話しかけた。
「ねぇ」
「何か?」
「授業はいつ始まるの?」
「先ほど自習だとモルドフェフ先生もおっしゃっていたではありませんか。お好きな教科を勉強なさったらいかが?」
一度もマリエルを見ることなく令嬢は刺繍を作り続ける。
机に伏せて寝ている令息もいるから説明されなくてもクラスが最下位だということは分かった。
「貴女は勉強しないの?」
「しているではありませんか。刺繍の勉強を。それよりも礼儀をお勉強なさったらいかが?」
「どういう意味よ」
「初対面の場合は家格が下の者から名乗り出て声をかける許可を求めるもの。お父様は簡単なことすら教えてくださらなかったのかしら?」
マリエルを一度も見ないまま答える令嬢はマリエルの態度に特別不快感を覚えてはいなかった。
「わたくしはメザリア・ロンデよ。爵位は伯爵家を賜っているわ」
「伯爵家なら私もよ。同じじゃない」
「同じ? 爵位が同じでも立場が違うわ。貴女は伯爵家の令嬢、わたくしは伯爵家の当主よ。話しかけるなら相手の立場も考えて話さないといけないのよ。学校は平等を謳っているから罰則はないけれども社交界に出れば、学生気分ではいられないわ。社交界のことを学ぶのも今のうちよ」
メザリアは幼くして両親を亡くしたが後見人の監督のもと当主になった。
卒業さえできれば良いから特に力を入れて勉強はしていない。
「それで、わたくしは名乗ったのに貴女は名乗らないのかしら?」
「私はマリエルよ」
「そう。では金輪際話しかけないでくださるかしら? マリエル」
「どういうことよ」
「わたくしは家名も一緒に名乗ったのよ。なのに貴女は家名を名乗らなかった。つまりは、わたくしと仲良くするつもりはないと宣言したのだもの。それならこちらも同じだと返しただけだわ。何か問題でもありまして?」
メザリアは一度もマリエルを見ていないが口調は出来の悪い娘を諫めるもので嫌悪感などは含まれていなかった。
すでに当主として領地を治めているメザリアにとって礼儀のなってないマリエルをあしらうのは造作もないことだった。
この教室には家の事情から嫁いだ者や卒業したという実績だけを求める者が集まっており学校も波風を立てないようにしている。
「いきなり貴族となり戸惑うことも多いでしょうけれど伯爵家の養子となるなら見合った振る舞いと教養を身に着けることを助言しておくわ」
「どうやってよ。自習自習って教えてくれないなら勉強のしようがないじゃない」
「配られた教科書には問題が載っているわ。それを解けば良いのではなくて? 勉強する意欲があるなら学ぶための教科書を開くと思うのだけど間違っていて?」
「・・・間違っていない」
「刺繍の邪魔だから金輪際話しかけないでくださると嬉しいわ。聞きたいのなら他の方にお聞きになってちょうだい」
マリエルは未だに家名を名乗っていないからメザリアは冷たく突き放した。
同じ伯爵家であってもマリエルと親しくして繋がりを深くしたところでメザリアには得になることがない。
興味が無いように見えてマリエルとメザリアの会話を聞いていたクラスメイトたちはマリエルへの対応を決めた。
教科書を抱えて近くの席の生徒へ話しかけた。
「ねぇどこまで進んでるか教えて欲しいのだけど」
「まずは名乗られたら如何?」
「マリエルよ」
「家名はどこかしら?」
「ゴンゴニルドよ」
「伯爵家の令嬢が紹介もなく話しかけるのは不敬ではなくって? 一応これでも公爵家の令嬢なの」
貴族の仕来りというのは学んだから時には必要だということは理解している。
それでも転生前の学校では身分というものがほとんど無かったから忘れてしまいがちになっていた。
「マリエルが最近ゴンゴニルド家に入ったという話は聞いておりますから一度だけ目を瞑りますけど次からは気を付けていただけると助かるわ」
「分かったわ、ありがとう」
「・・・それで授業の進み具合を尋ねてらしたのよね。それならば全て終わっておりますわ。ここは貴族クラスですもの」
「えっ?」
マリエルの口調に腹を立てながらも公爵令嬢は答えたが、その答えはマリエルの望むものではなかった。
まだ入学して数か月しか経っていないのに教科書が終わっているということに納得できなかった。
「どうして終わってるのよ」
「どうしてと聞かれましても困りますわね。終わっているものは終わっているとしか答えられませんわ」
「だから終わっている理由を聞いてるの!?」
「ここは貴族クラスですもの。何が不思議なのか理解しかねますわ」
「次の試験の範囲は?」
「いい加減にしてくださるかしら? わたくしに何か尋ねたいのでしたら誰かに紹介していただいてからにしてもらえますかしら? 伯爵令嬢が気軽に話しかけますと品位というものに関わりますの」
貴族の仕来りに不慣れであろうからと一度は大目に見てもらえたがマリエルの不遜な態度に関わることを拒否する者が続出した。
順番に話しかけていくなかでマリエルより家格の低い男爵令嬢が逃げることができず相手することになった。




