花に水をあげるのは、誰?
「リィリー!」
「なんですか、殿下。」
今日も彼女は麗しい。風に揺れるたびに光が舞う銀の髪も、潤んだように色気を湛えた紫水晶の瞳も。
だが、僕は叱らなくてはならない。彼女の行動について。
「またカノンに暴言を吐き、酷い事をしたと聞いた。カノンをいじめるのは止めてあげてくれ。」
「今度は、私が何をしたとおっしゃっているの?」
「マナーがなってないと怒鳴ったそうだな。」
「彼女に貴族のマナーが足りないのは、殿下もご存じでしょう?いつも言ってますが、怒鳴っていません。マナーについては教えた覚えはありますわ。ですが、家で教えるはずのものを身につけてから、学園に入学するべきだったと思いますけど。」
確かにカノンは数か月前までは平民だったから、マナーについてはどうしようもないこともある。だが、貴族には暗黙のルールは多すぎる。なかなか覚えきれるものでもない。
「お茶会へも誘わないとか。」
「殿下。なぜ私が彼女をお茶に誘わないといけないのですか?私が誘わなくとも、殿下や殿下の側近たちと毎日お茶してらっしゃるじゃないですか。」
女性たちから嫌われて泣いているカノンが不憫で、休憩時間には一緒にいることを許可しているが、女性とのお茶会とは、やはり違うではないか。
「だから、君に頼んでいるんじゃないか。カノンと仲良くしてやってくれないかと。」
「無理ですわ。と、何度言えばいいのでしょうか?」
「嫉妬しているのかい?だけど、カノンはそういう子じゃないんだよ。わかるだろう?」
「・・・。」
僕の婚約者候補の中でも最有力のリィリが、カノンと仲良くしてくれれば、カノンの悪い噂もすぐ収まるはずなのに、なぜこんなにも頑固なのか。
嫉妬しているんだろうとは思うが、何度も言っているようにカノンに特別な感情などないのだ。僕が愛しているのはリィリだけなのだから。
「それについては何度もお願いしましたでしょう。交換条件で殿下と側近の皆さまがカノン様と一般的な距離を守って下さい。それが出来るのでしたら、考えます。」
「距離の何が問題なんだ・・・。」
「今の恋人のような距離を止めて下さい。それが私たちの総意ですわ。」
「カノンとは友人だと何度も言っているだろう。」
「言葉ではなく、態度で示して下さい。」
「そうはいってもな―――、」
側近のジェイクとアラドは、カノンを好きなのだと思う。あの二人を引きはがすのは無理だろうな。
「それが出来ないのであれば、カノン様はこのままです。」
「リィリ、君が動けば何とかなるだろう?頼むよ。」
いつもならここまで頼めば、しょうがないなという感じで聞いてくれていたのに、今回は珍しくリィリが折れない。
「殿下。」
ふと、いつから名前で呼ばれなくなったのだろうと頭を過った。
「分かってらっしゃらないのですか?」
「なにを?」
いじめられていた下級貴族の令嬢を助けているだけなんだが、何が問題なんだ。リィリがため息をついた。
漂う色気にどきりとするよりも、何か良くない事が起こりそうで、心臓が早鐘を打ち、落ち着かない気分にさせる。
「わかりました。カノン様のことは何とかしましょう。」
「ありがとう、リィリ!」
やっぱりリィリは優しい。学園を卒業したら、リィリを妃に迎えたい。
*◇*◆*◇*◆*
二週間後。
カノンは退学となった。リィリが手配したらしい。
「リィリー!」
「なんですか、殿下。」
「カノンを退学にするとはどういうことなんだ!」
「殿下がカノン様のことを何とかして欲しいとおっしゃったのではないですか。」
「退学にしろとは言ってない!仲良くして欲しいと言っただけだ!」
「私は無理ですと、申し上げましたわよね。」
「そうだが・・・。」
仲良くすることがそんなに無理な要求だったのか?
「では、少し殿下にもわかるようにしましょうか。」
リィリが微笑んだ。でも、その笑顔は悲しそうだった。
「アル兄様、ラフィ、ミルド様とカルド様、お願いしますわ。」
リィリが別室へ向けて声を掛けた。
呼ばれたのは、リィリの兄と、仲良くしている令嬢達の兄や弟。何が始まるのか。
リィリの兄のアルバートは宝石を手に、侯爵家のラフィールは花束を手に、ミルドとカルドの双子はお菓子を手に、リィリの側に集まった。そして、彼女に愛を囁きだした。
「リィリ、今日も君は可愛いね。今度この宝石を付けて、私とダンスを踊ってくれないか?」
「リィ。君の為に育てた薔薇だよ。受け取ってくれないか。」
「リィリ様、リィリ様。このお菓子美味しいんだ、一緒に食べようよ!」「こっちのお菓子も美味しいんだよー!」
ラフィールがリィリの頬に口づけを贈ろうとした時に、体が動いた。やめろ!と出したこともないような僕の大きな声が彼らを止めた。
「なぜ、止めるのですか?」
「なぜ?なぜって当たり前だろう!!」
リィリに触れていいのは僕だけだ。
「じゃ、質問を変えますわ。ちやほやされる私を見て、どう思いましたか?」
「・・・。」
―――嫌だった。
「止められたことと、そのお顔を見るに嫌だったのですか。少しは私のことを想ってくれていたのですね。」
―――もう、遅いですけど。
彼女の呟きは、誰にも聞こえなかった。
「・・・なぜ、こんなことをする。」
「配役をお教えしますわ。私のところに立っていたのは、カノン様。周りのお兄様達は、殿下と側近の皆さまですわ。」
「意味がわからないんだが、」
「私達から見た、殿下達とカノン様と、言えばわかりますかしら?」
目の前の光景が僕達とカノン?
「殿下。」
「・・・・。」
「毎日毎日、こんなものを見せられて私達が何も思わないはずがないでしょう。側近の中には婚約者を持つ方もいました。彼女は毎日泣いていました。」
リィリには、僕がカノンに愛を伝えているように見えていたのか?
確かにカノンに宝石をあげたことがある。
リィリの誕生日用に用意していたら、カノンが宝石を持っていないというので、小さいのを1つあげたんだ。とても喜んでくれて、良いことをしたと思っていたが。
あの宝石を選んでいた時も、途中から入ってきたアラドとカノンを交えてカノンの宝石を選ぶことになった。
あれを他者が見ていたら、僕達二人が好きな女性に贈り物をしているように見えた?
昼食時もいつの間にか、カノンが一緒に食べることが当たり前になっていた。
僕達の中に、下級貴族の娘が一人。僕にはそういう感情はない。だが、さきほど見せられたリィリ達。彼らが本気でリィリを口説いていたわけではないのはわかっているが、理屈ではなく嫌なのだ。 リィリが彼らに微笑んでいるだけで嫌なのだ。アラドには婚約者がいたはずだ。伯爵家のサリアと言ったか、彼女はどんな気持ちでアラドを見ていたのか。
リィリはどんな気持ちで僕を見ていたのか。
そんな中で、カノン、カノンと、彼女の事ばかり頼む僕は-――
「リィリ。」
「殿下。申し訳ありませんが、今後は愛称で呼ばないで頂けますか。私はもう殿下の婚約者候補ではありませんので。」
「え?」
「だから、妹のリリディアの婚約が決まったんだ。」
アルバートが嬉しそうに、妹の頭を撫でた。
「僕と?」
「なに冗談いってるんだ、―――とだ。」
相手の名前は僕ではなかった。
確かに、リィリは婚約者候補の筆頭だ。だが、正式な婚約者ではないことに気づく。
先ほどの続きのように、ラフィールがリィリの頬に口づけた。
リィリは嫌がる素振りも見せず、俯いて頬を染める。そして、ラフィールの腕の中にするりと納まった。
意味がわからなかった。
そこに立っているのは、なぜ、なぜ、僕ではないのか。
―――リィリが浮気した?
「リィリ!浮気は許さないよ!」
くすくすと目の前の二人が笑い出す。
「殿下。私は殿下の婚約者でも、恋人でもありません。なので『浮気』と言われても困りますわ。」
「こ、恋人だろう!」
「一度も殿下から愛を囁かれたことも、私から告げたことも、ございませんけど?」
「え?」
言っていない?
嘘だ。嘘だ。言ってないはずない!
―――いや、僕は、口に出していっていたか?
「殿下。愛は口に出さないと伝わりませんよ。そして、女は愛を欲しがる生き物です。愛を与えて、育まないと、逃げられますよ」
ラフィールが、リィリの髪に口づけを贈りながら言う。そして、リィリに甘く囁く。
―――花に水をあげないと枯れるって、みんな知っているはずなのにね。
アルバートも僕に何か言いたいことがあるのか、リィリの髪を撫でた後、こちらを向いた。
「第三王子殿下。知らないようですので言っておきますが、リィリが殿下の婚約者候補の最後の一人です。殿下を見捨てずに残っていたのですがね、こんなことになって残念ですよ。」
確か、僕の婚約者候補は五人いたはず。リィリしか見てなかったので、他は気にしていなかった。
「なので、早めに次の『婿』として迎えてくれる家を探した方がよいですよ。」
確かに、第三王子の僕の婚約者の条件は婿入りできる貴族。
リィリのところは、兄であるアルバートがいるが近衛騎士となり平民の女性を妻に迎えていた。兄夫婦を祝福したリィリが婿を迎えることとなり、僕がリィリと結婚して次期公爵となる予定だった。
次の婿入り先?何を言っているんだ。僕にはリィリが、リィリが―――
悩んでいるうちに、リィリ達は暇の挨拶をし、背中を向ける。
「リィリ!リィリ、君を愛しているんだ!」
悲しそうな顔で振り返ったリィリは、ふっとため息をはいた。
そして、もう一度、彼女と目が合った時には、リィリの目には僕に向けての感情が何もなかった。
「今更、もう遅いですわ。殿下。」
読んで頂いたことに感謝を。