本当の宝物(アナザストーリー)
‥アナザーストーリーについて‥
私が本作品を仕上げた後で、「雅和の場合」「香里の場合」という少し視点をずらした形で物語を描きたいと思った。理由は、この「本当の宝物」が私にとって生き方の原点の再確認の場だったからだ。ドラマに登場人物がいるなら、その人物の数だけドラマがある筈だ。たとえ、エキストラ的な「支所長の神谷課長」にしても、「出世を諦める理由」や家族のドラマが存在する筈だ‥
意味のない登場人物は、登場させる必要がない。仮にそれが「極悪人」であったとしても、少なくとも生まれた時点から「極悪人」である筈がないように、その人を「極悪」に追い込んだ理由がある筈だ。「生きていることに意味がある」のならば、「仮に命が無い『存在』にだって意味がある筈だ」‥そんな思いが重なって「雅和の思い‥彼が何故野球を諦めかけたのか?」「香里の思い‥彼女は何故優司を選んだのか?」‥そこまでいくと限りなくドラマが広がってしまい、収拾がつかなくなってしまう恐れがあったので、とりあえず、今回は二人の主要人物に絞って本編で表現できなかった部分を補おうと思っている。
しかし、実は密かに守君の父親‥小林健司にも面白いドラマがあるんだろうなぁ、と企んでいたりもするのだが‥
結局、「出会い」こそが人生にとっての「本当の宝物」なのかもしれない。私はこの小説を書きながら、素敵な「出会い」をした。濱守栄子さんもその一人だと思っているし、「佐藤さん」という一組のご夫婦(?)との出会いも素敵な気づきを私に教えてくれた。かつて新採用教員時代の「お母さん」からも、久しぶりにお電話をいただいたし、多くの仲間やフェイスブックでの小さな「呟き」からも大切なことをたくさん教えてもらえた。
誰にでもある「出会い」‥しかし、その重要性に気づくか見逃してしまうのかは、最終的には「自分」でしかない。「出会いを大切にできる人は、きっと心も豊かな筈である」‥そんな「当たり前」なことに気づかせてくれた。この日々は、決して無駄ではなかった。私はそう信じて残された日々を生きてゆきたい。
「人を信じ、安らぎこそが大切なのだ」と気づいた朝だから‥
2017・5・17(WED)10:12
‥香里の場合‥
「私は、この人の傍にいたい。‥できるなら、いつまでもずっと‥」
それは、何の根拠もない私の直感だった。‥職場でのつまらない会議よりはマシだと思って、休んでいた介助の職員の代わりを申し出たのは、三号車の安井さんの運転するバスだったからだ。「安井さんなら、きっと分かってくれる筈だわ!」それも私の直観だった。私はいつも、自分の直観を信じて生きてきた。亡くなった父のように「人を信じる」ということは、生き方として素敵だなと思う。‥でも、亡くなった父のように誰に対しても盲目的に信じた場合、信じた分だけ騙された時の傷が深くなってしまうものだ。相手を「見抜く目」を持たなければ、「信じても大丈夫なのか、否か?」それを見極める力を持つことで、私の直感は間違えることが少なくなってきた。‥そう言う意味では安井さんは、何でも相談できる頼りがいのある人の一人だった。
「えっ?‥私が安井さんと不倫?」‥違うのよ。私が最初に言った「この人」って、安井さんのことじゃないわ。安井さんは亡くなった私の父のような存在‥私の話すことを何でも真剣になって聞いてくれて、いっつも適切なアドバイスをしてくれる‥そんな存在なのよ。「その人」のことも含めてちゃんと話すからさぁ、最後まで聞いてくれない?
今年の冬は、寒暖の差が激しいというか、とにかく小春日和みたいに暖かい日があったかと思うと、「その日」のように急に寒くて、夜中に雪が降っていたみたいで、天候が不順だった。私は小学校の頃から空手を習っていたので、あまり気にはしていなかった。けれど、気温差の変動についていけない多くの人が体調を悪くしてインフルエンザもいつもの年より流行が早くなって年明けには学級閉鎖や学年閉鎖なんて新聞記事が載っている程だった。私が勤めているK特別支援学校では、幸いまだ閉鎖になるクラスはなかった。「寒いなぁ、学校休んじゃおうかな?」なんて不埒な考えが一瞬だけ頭の中をよぎった。それほどに寒い朝だった。だが、私の心の中にあった不安‥と言うか、悩みみたいなものがあったので、そのまま自室にいることを避けるように、私は職場へ向かうバスに乗った。私の「心の中の不安や悩み」は、完全にプライベートなものだったので、私は「仕事モード」に切り替えた。今の日本に於いて、すべてがそうだとは断言できないけれど、少なくともK特別支援学校に於いては、二種類の教育方針があって、互いに自分の考え方を批判しあうような関係構図が存在していた。「対象児童・生徒の自身が持っている個人的な能力を少しでも伸ばしてあげることに重点を置く」と言う考え方と、「対象児童・生徒が如何にして、卒業後に放り出される現実という名の社会で生きて行く道を模索していくべきなのか?」を考えていくやり方の二つだ。私は、対象者にとっては、どちらも必要不可欠なものだけれど、どちらかと言えば後者の方が大切だと思っている。
「一位数の加減の計算ができなかった児童が計算可能になる!」或いは「自力で十歩しか歩けなかった生徒が自力で百メートル歩行可能になる!」という目に見える発達は、確かに賞賛されるべきなのかもしれない。しかし私は言う。
「現実の社会でそれに、どういう意味があるんですか?」
「施設」と言う「守られた社会」の中で意味があっても、缶コーヒーを一本買うのに財布の中から一万円札を出してお釣りも要求しないような児童や生徒は社会的に生きていける存在ではなく、「可哀そうな障害者だから仕方ない」と思われるそんな存在にしかなれないのではないか?‥寧ろ、自分で「行きたい場所」まで自分を運んでくれる電車の切符の買い方や電車の乗り方を知る。或いはその子が迷子になってしまい「行きたい場所」が分からなくなった時に、通りすがりの人に道を尋ねる方法を身につけた方が、社会に出た時に有意義なのではないだろうか?‥どちらにしても、「障害者」としての看板を降ろせないのなら、少しでも本人の気持ちが出せるように、「社会」の中で生きていって欲しい。「障害者なのだから‥」と取り残されるような社会の中で、「私はここにいます!‥助けてください」と自己主張できる方が本当に健全な社会だと言えるのではないだろうか?‥私は、教師として教え子である児童・生徒を‥たとえ何らかのハンディを抱えた「障害児」と呼ばれていたとしても‥未来社会に生きていく人間として大切にし、対等な存在として接したいと思っている。別に考え方の違う教師が子どもを大切に扱っていないと言いたいわけではない。ただ、その教師たちの多くが子どもを「人間」としてではなく、「障害児」としか見ていないような気がしてならないのだ。その考え方は、偏見であって間違っているのかもしれない。「自分の未熟さを棚に上げて、偉そうなことを言うな!」と怒られるかもしれないけれど‥私の考え方は、「私の生き方」なのだと信じている。普通校であっても、「自分は偉い先生だ」と思い込んでいる教師は、子どもたちの気持ちに寄り添うことができずにいるような気がする。私は、普通校での勤務がないので「決めつける」つもりはない。保護者対応や研修会、学校行事や様々な委員会などの諸会議‥余りにも多すぎるそれらの雑務のせいで、ゆっくりと子どもと接することのできない教育現場にいて「子どもたちの声」に耳を傾けることさえできずに日々悩んでいる教師が大半だと思っているし、そう信じたい。テレビなどで「いじめによる自殺」の報道に接した時に胸を痛めている教師がほとんどなのだろう‥学校で終わらない仕事を家に持ち帰っている「過労教師」が、大多数であることも認める。「働き方改革」などと政府は言っているけれど、単に労働時間だけを短縮したって、学校での仕事量が変わらなければ、結局主役である筈の子どもたちが犠牲になっていくばかりで、このままだと、本当にこの国はいつか滅びてしまうかもしれない。
えっ、何?‥「アンタの教育論が聞きたいんじゃなて早く『その人』の話を聞かせろって?」‥分かってるって。でも、もう少しだけ聞いてよ。‥でないと、私が何故そう感じたのか分からなくなるからさぁ‥
私は「その日」の朝、通勤バスの中で、そんなことを考えながら揺られていた。心の中は窓から見える景色のように寒々としていた。すると不意に窓に若い男性教師の顔が浮かんで見えてきたような気がした。大抵の場合、新採用の教師というものは、明るく笑顔の似合う人が多いものだ。‥でも、前の日に彼は、暗く沈んでいた。少なくとも昨年の四月に採用されて本校で最初に挨拶した時の彼の目は輝いていた。
「この度、本校に着任させて頂きました。棚田雅和と言います。三月に大学を卒業したばかりで、何も分かっていませんが、ずっと野球をやっていたので力仕事だけなら任せて下さい。よろしくお願いします!」
私は、直感的に「この人は気づける教師になれるかも‥」と思った。幸い配属が私と同じ中等部だったので、校長から言われるまでもなく、私は一つずつ仕事を丁寧に教えてあげた。彼は私が教えた仕事を精一杯に取り組み、失敗しても負けない逞しさがあった。着任して初めての週末に彼の歓迎会をした。駅前の小さな居酒屋の座敷に中等部の数人と酒を飲んで食べたのだ。その時に彼がいきなり私に訊いてきた言葉が印象的だった。
「この学校にも決まりとか、規則とかってあるんですか?」
「‥いきなりねぇ。規則っていうか、絶対にダメなことは一つかな?」
「それは何ですか?」
「自分を含めて『人を傷つけてはいけない』ってこと」
「自分を含めて‥ですかぁ?」
「自閉的傾向がある生徒に自傷行為ってのがあるのは、勉強したでしょう?」
「はい。講義で学びましたし、実際実習でも観察したことがあります」
「何年か前に、うちの学校で机に頭を叩き続けて大怪我をした子がいたの」
「誰も止めなかったんですか?」
「みんな止めたわよ。でも私が言うまでその子はやめなかったのよ」
「先生は、その時に何て言ったんですか?」
「貴方の頭さんが泣いているわよ‥ただ、それだけ」
「たった、それだけですかぁ?」
「そうよ。それだけ‥何故だか分かる?」
「分かりません‥」
「その子に理解できる言葉で話しかけたからよ。『危ない、とか危険だから』なんて言葉が理解できない子に、大きな声でそんな言葉を何回言っても伝わらないのは当然だと思わない?」
「それって、つまり‥」
「相手の立場になってあげて、相手が理解できる言葉で話してあげるの‥まぁ、特別支援教育の基本なのかもしれないわね」
「さ、さすがぁ。山口先生って本当のプロフェッショナルなんですね!」
「‥あのさぁ、どうでもいいんだけど、その『山口先生』って言うの。やめてくれない?‥私は貴方の同僚であって、先生なんかじゃないから」
「ですがぁ‥」
「香里って名前があるんだから『香里さん』で構わないし、『山口さん』でもいいからさぁ。‥私は貴方のことを『マサさん』って呼ぶわよ、いい?」
「でも‥」
「子どもの前では『先生』でいいけど、公式な場じゃない時は‥分かった?」
「はぁ‥」
はぁ?‥だから、マサさんも「その人」じゃないって。「その人」と出会うきっかけを作ってくれたのは、確かにマサさんかもしれないけど。お願い。もう少しだけ聞いてくんない?
マサさんは、毎日遅くまで残って仕事をしていた。ある日私が子どもたちの織った「さをり織」のタペストリーを教室の後ろの掲示板に飾っている時だった。隣の教室にいた彼が私の教室に突然入ってきたのだ。
「何か用?」
「あのぅ、マジックありませんか?」
「マジック?‥あるけど何色?」
「‥何色っていうか、それよりそれ素敵ですね?」
「そう?‥どうしてそう思うの?」
「理由は‥分かりません」
「はぁ?」
「素敵だなって思ったから、素敵ですねって言っただけで‥」
「へ~ぇ」
「僕、何か変なこと言ってますか?」
「いいえ。間違っていないと思うわ。‥でも、さをりを見てそんなふうに言ってくれたのマサさんが初めてよ?」
「僕はただの野球バカだから、芸術品の良さなんて分かりません。サオリって作者の名前ですか?」
「えっ?‥貴方は、さをり織りのこと。何も知らないの?」
「はい。初めて見ました。‥僕、何か失礼なこと言いましたか?」
「貴方って、本当に素直なのね?」
「それって、教師失格ってことですかぁ?」
「いいえ。寧ろその真逆で、最高の教師になれる可能性を持っているっていうことなのよ!‥このタペストリーの作者に会ってみたい?」
「ええっ?‥ご存知なんですか?」
「明日の昼休みに、作業室に来ればいいわ!」
私は、自分が素敵だと思ったことを素直に「素敵だ」と言える、マサさんなら、私の気持ちを理解してもらえるような気がした。それで彼に私が今の学校で学んだことの全部を彼に教えてあげようと思った。‥でも、本当の理由は誰も知らない。誰にも話していなかったからだ。本当の理由は、マサさんが「昔の私」に瓜二つと言ってもいいぐらいに似ていたからだ。
「人間は、努力しなければ輝く存在にはなれない。努力した分だけ輝く場所に立つことができる」
かつての私も、その言葉を信じて生きていたからだ。‥それは、私が誰にも言いたくなかった私の過去の辛い経験だった。
えっ、「眠たくなってきた」って?‥「今夜は、朝まで話しを聞いてあげるわ!」って言ってくれたじゃないの!‥私の人生の一番大切な部分なんだから、ちゃんと聞いてよ!‥ねぇ、起きてよ~!
私にも以前「憧れていた人」がいた。一人の美しい女性だった。名前は言いたくないので、「彼女」と呼ぶことにする。‥彼女は私の「憧れ」をそのまま表現したような女性だった。誰が見ても彼女の耀きを否定できるものではなかった。‥私が何故「‥だった」と過去形で表現するのかと言うと、現在の彼女が(私を別にして)客観的に、もしくは社会的に見て他人から「他の表現」で見られているからだ。
彼女は私より五つ年上で、近所に住んでいた。小学校入学前から美しく輝いていて、私を空手の世界に誘ってくれたのも彼女だった。誰に対しても優しく分け隔てなく接していた彼女は、誰からも愛され、憧れの対象のような存在だった。それなのに決して己惚れたりせず、自己中心的な考え方も持たず、幼かった私の「つまらないコンプレックス」にも、真剣に耳を傾けて聞いてくれた。
「努力は必ず報われるわ。今できなくて、自分を悲しむだけじゃぁ負けを認めたことになるのよ。頑張れば必ず素晴らしい結果が待っているわ!」
彼女は自分の美しさに溺れることなく、努力して希望した大学に進学し、大手の総合商社に採用された。それを自慢することもなく謙虚さを忘れなかった彼女に私は憧れ「あんな風に、私もなりたい」と素直に思った。私は、自分がそう考えたことを今も「間違ってはいない」と思っている。
‥だが、そんな彼女に「不幸な現実」が襲ったのだ。当時彼女が付き合っていた恋人に会うために自宅から出て国道にあるバス停でバスを待っていた彼女に、酒を飲み無免許で暴走してきた車が激突してきたのだ。運転をしていたのが未成年の男子高校生であったため、大した罪に問われることもなく家庭裁判所に送られた。何の落ち度もなかった彼女は僅かな賠償金と引き換えに脳と脊椎に障害を背負わされ、美しかったその顔にも深い傷を残してしまったのだ。事故があった当初は同情的だった恋人も会社も「障害者」になってしまった彼女を見放したのだ。お見舞いに行った私に彼女は言ったのだ。
「あの事故で、私は死ぬべきだった」
「どうしてですか?」
「そうすれば、私はみんなの心の中で『美しく輝いていた私』を思い出として残しておくことができたから‥」
彼女は、障害のせいで喋ることさえたどたどしくなった自分を恨むように、涙声で私に話した。私は、「その時」何も言えず、病院を後にしてしまったのだ。私の心の中で彼女は、外見がどんなに変わろうとも、輝きを失っていなかったのに、「貴方の考え方は、間違っている」と言えなかった。本当は「人間の美しさは、外見や業績で決まるものではないのよ?」と言いたかったのだけれど‥
私の生き方を大きく変えた彼女とは、その後も年に一度は出会っていたのだが、私は自分の思いを直接彼女に伝えることはできなかった。頭の中では、信念として「存在そのものが輝いているんだ」と分かっていたのだけれど‥
私は、生き方を変えて、それまでの普通校ではなく、特別支援学校を希望するようになった。だが、私が勤務することになった特別支援学校にも、命を、その輝きを大切にできていない人たちが少なからずいたことに、愕然とした。私は、一瞬「そんなものなのかもしれない」とさえ考えてしまった。そのことを彼女に話すと「人間なんてそんなものよ‥」と言われて自分が考えていたこと‥「人を信じることの大切さ」を見失いかけてしまった。そんな私に「貴方が思っていることは間違っていないわよ」と教えてくれた濱守栄子というシンガーソングライターの存在を東北で震災復興のボランティアをしていた親友の一人が教えてくれた。濱守さんの『国道45号線』というCDを聴いた時に私は涙を止めることができないくらい共感したのだ。
「大切な何かを失ってしまった時、それに気づくことが大切なんだ」
私が夢中になって濱守栄子さんの歌う動画を見ていて、濱守さんが大船渡の吉浜荘という福祉施設での経験を基にして作った『キセキ』という歌が私の生き方に「自信と勇気」を与えてくれた。私は私の全部をマサさんに伝えることで、マサさんに「本当の教育者」になって欲しいと思っていた。
「君がもし、苦しくて笑顔を作れない時は、君の傍で代わりに笑うよ」
濱守さんの言葉が私にマサさんの背中を押してくれたと言っても過言ではなかった。私は『キセキ』を傷ついた彼女にも聴かせた。彼女は涙を流して喜んでくれた。そして「罪を償い終えた加害者の男性と会う勇気が持てた」と微笑んだ。‥それなのに、「その日」のマサさんが珍しく暗い顔で私に言ったのだ。
「生徒の心が見えません。特に守君の心が見えないんです。守君のお母さんからお手紙をもらったんです。『ちゃんと守の心を見て欲しい』って‥」
「心を見るってことは、つまり相手に寄り添うってことじゃないかしら?」
「相手に寄り添う?」
「そう。心を寄り添わせれば、必ず見えてくるものよ?」
「どうやれば、心を寄り添わせることができるんですか?」
「それは‥自分で考えてみて。自分で考えて悩んで答えを出すものだと思うわ」
私には、具体的なアドバイスができなかった。口惜しいけれど‥
あらっ?‥もう寝ちゃったの?‥「今夜は朝まで付き合うから!」って言っていたくせに‥
その頃、私には縁談っていうか、私のことを愛してくれている男性がいた。学校の校医をしていた三十代前半の内科医師だった。恐らく独身の若い女性教師の「憧れ」のような存在だったのだ。そんな男性が「私を愛してしまいました」と言うのだ。理由を尋ねたらその男性医師は笑顔でこう言った。
「子どもたちを見ていると、誰が一番素敵な先生であるのか分かりますよ」
男性医師は、私にプロポーズをしてくれた。私も少なからずその医師に好意を持っていたのでプロポーズをされた時は、素直に「嬉しい」と思っていた。でも、その医師の結婚の条件が私を悩ませる結果になった。
「今の仕事は、激務過ぎます。どうか、結婚後は今の仕事を辞めて欲しい」
その男性医師が私の身体を心配して言ってくれているんだと言うことは、理解できた。確かに特別支援学校という現場は身体を張った仕事内容だと思うし、中等部や高等部の場合、生徒がもしパニック症状を起こしてしまったとしたら、怪我だけでは済まされない場合もあるのは事実だったからだ。その医師と結婚すれば、給料のためにだけ働く必要もなくなり、子どもを産んで安定した平穏な家庭を築いていけばいいのだ。でも私は‥少なくとも「給料をもらうためだけに」今の仕事を選んだわけではない。小さな交通事故だけれど、人生そのものを否定されたと思い込んでいた彼女のために‥否、自分の生き方が間違ってはいないということを証明するために、働いていた筈だった。でも彼女に話すと、彼女は、まるで自分のことのように喜んでくれた。
「貴方が幸せになることで、私も幸せになれるのよ?」
だが、本当にそうなんだろうか?‥私が、世間的な「幸せ」になることで、本当に「不幸だと思っている」彼女の幸せを証明したことになるんだろうか?‥昨年末のイヴに求婚された私は、年末年始と悩みを抱えたままに日々を過ごし、答えを出せないままに三学期を迎えたのだ。だから「その日」偶然介助員の女性に代わってスクールバスに乗ることになり、運転手の安井さんに相談してみることにしたのだ。私の話を真剣に聴いてくれた安井さんは、慎重に運転しながらこう言ってくれたのだ。
「人生なんて一度きりだ。目の前にある『幸せらしきもの』に自分を任せるのもいいし、これからやってくる何かに賭けてみるのもいい。『大切なことは人生という大きな流れに自分を預けることだ』‥そう私に話してくれたのは、他でもない山口先生じゃないんですか?」
「‥あぁ、確かに。以前、そんなこと言いましたよね?‥私」
「ええ。答えを出すのは、結局自分しかいないんですよ?」
ご自身の息子さんが障害を抱えていて、母親を亡くして悩んでいた安井さんに、施設に預けるべきか、仕事を辞めるべきか悩んでいた時に私が安井さんにアドバイスさせてもらったことを思い出した。安井さんに話した私は、急に心が軽くなったような気がした。「ありがとうございます。安井さんに話して気持ちが楽になったような気がします!」私は、その日あった学校での珍事やマサさんの面白い反応などを身ぶり手ぶりを交えながら楽しく語ったのだった。運転していた安井さんは、私の話す珍事に笑い、楽しそうに聞いてくれていた。たまたま「その日」は並走するいつものバイパス道路で事故か何かあったらしくて、いつもとは違うルートで学校へ戻ることになった。「過酷な授業の後で疲れているだろう」そう思って安井さんが私のために判断し選んでくれた道路を走っている時に私は「その人」に奇跡的に出会ってしまったのだ。普段なら絶対に通らない道だし、学校名を宣伝しているようなスクールバスを、大抵の人はスルーするか、憐れみの眼差しで見るだけなのに、「その人」は違っていた。混雑していた道路でノロノロと走っていたバスに、自転車に乗っていた「その人」は、必死に走ってきて追いつき、中にいた私たちのことをじっと見ていたのだ。「その人」の眼差しを見た瞬間に私は直感した。
「私は、この人の傍にいたい。できるなら、いつまでも‥」
私が、「その人」に対して直感的にではあったにせよ、何故そう思ったのか、論理的に説明することは、多分今現在でも不可能なのかもしれない。敢えて言葉にするなら「私と同じ匂いがしたから‥」だ。車中でバカ話しをしている私を「その人」は不思議なものでも見るように「貴方は何故そんなに元気なんですか?」と言いたそうな気がした。私と目が合った時に、「その人」は、軽く頭を下げて「無理しないで下さいね?」と私に囁いてくれているような気がした。
「その人」もきっと仕事を終えて疲れているんだろうに、微笑んだ私に手を振ってくれたのだ。他の誰もが見て見ぬふりをする特別支援学校のスクールバスの私にだ‥
「お願い。バスを止めて!」
私が安井さんに、私が「その時」感じたことを伝え、バスから降ろしてくれるよう言った。でも、私の思いをちゃんと受け止めてくれた安井さんは、それなのにこう言ったのだ。
「今、ここでバスを降りることは簡単です。‥だが、先生が突然目の前に現れたとしたら、相手の方は寧ろ困惑されるんじゃないですか?‥その人が、先生にとって、本当に大切な人であるなら、いつかきっと、ちゃんとした形で会って思いを伝えることができると思いますよ?」
‥確かに常識的に言って、安井さんの言っている方が正しい。そんなことは、百も承知だった。通りすがりの「その人」にスクールバスから女が降りてきて「貴方の傍にいたい!」などと言ったとしたら、相手がどう反応してしまうか予想できる。「いきなり、何言ってんだ?」と思うのが、常識的だ。
でも、私が「その人」に出会えたのが、奇跡だとすれば、「その人」に再会できる確率なんて、それこそ「奇跡的な可能性」しかないと思った。安井さんが言うように、「本当に大切な人なら、いつかちゃんとした形で再会して自分の思いを伝えることができる」なんて楽観的に思うことができなかった。バスが走り去った後も私の心の中の「小さな輝き」消えなかった。いつまでもずっと‥
えっ?‥「眠ったふりをしていたけど、ちゃんと聞いてたわよ?」ですって?‥貴方のそういう所が私は好きだけど、友だちを減らしていく原因だと思うんだなぁ‥まぁ、いいか!
結果的に言うと、安井さんの判断の方が正しくて、私は「その人‥石丸優司さん」と再会できたし、しっかりと話すことができたのだ。後で、そのことを優司さんに話すと「僕も、まさか再会できて驚いていた」らしい。
私が優司さんと再会したのは、学校の公開授業参観の時だった。生徒がインフルエンザのため授業が無くなってしまった私がマサさんのフォローのつもりで「さをり織」の束を抱えて時だった。私が偶然目にしたプールに落ちてしまいそうなケンちゃんを助けようと思って、抱えていた織物を「これ、お願い!」と偶然傍にいた人に預けたのだが‥まさかその人こそ、私が二度と再会することはないだろうと思っていた「その人!」だったのだ。
誤ってプールに落ちてしまったケンちゃんを夢中になって飛び込んで助けだした私に対して、他の皆が賞賛の言葉をくれたのに、優司さんだけが「何故、あんな無茶をしたんだ!」と私を叱るような目で見ていたのだ。もちろん、言葉にはしなかったんだけれど‥保健室に運んで出てきて彼に「再会!」した私は、全身びしょ濡れになった姿を見られて「恥ずかしい」と思った。それは、多分異性に対して生まれて初めて経験した感情だった。‥多分、それが「初恋」と言う心の変化だったんだろうと思う。偶然優司さんがマサさんのお母さん‥笑子さんの同僚だったと聞いたので、急いで着替えた私は「あの人は、必ずマサさんの教室にいる筈だ!」と思って中等部Aへ行き、優司さんの傍に気づかれないように立って授業を見ていた。否、本音を言うとマサさんの授業そのものよりも、石丸優司という男性を見ていただけなのかもしれない‥
普段の私ならマサさんの授業に対して授業中に直接口出しなんて絶対にしたりしないのに、思わず叫んでしまったのだ。「ストライク~!」と‥私は自分が何故あんなことを言ってしまったのか、自分でも理解できなかった。多分言った直後の私は赤面していたのかもしれない。
「あのぅ、もしよろしければこの後少しでいいので、どこかでお話しできませんか?‥もちろん、マサさん‥あぁ、棚田雅和さんも、遅れて来ると思う彼のお母様もご一緒なのですが‥」
「僕は、別に構いませんが‥どうして僕なんかと?」
「この学校に来て、貴方が感じたことや多分疑問に思ったことについて説明しておきたくて‥ご迷惑ですかぁ?」
「いいえ。実は今朝、この学校の門をくぐった時から僕の頭の中にはたくさんの疑問があったんです。貴方にお聞きしたかったことも含めて‥」
「それじゃぁ、屋上に小さなベンチみたいなのがいくつか置いてありますので、そこで待っていていただけますか?‥すぐに行きますので‥」
私は急いで更衣室に戻りまだ濡れたままだった髪をドライヤーで乾かした。一瞬「私服に着替えようか?」とも考えたが、やめた。不自然に私を着飾るよりも、有りのままの「いつもの自分を見て欲しいから‥」鏡に映った自分に呟いた。いつもの話し方、いつもの自分を見せればいい。そう思って私は、屋上に続く階段を一気に駆けの上がったのだ。
「お待たせ~!」
走り寄る私に背中を向けていた優司さんは、私の方へふり向くといきなりこんなことを言ったのだ。
「廊下や階段、まして屋上などでは走ってはいけません。貴方が学んできた高校や中学の規則にありませんでしたか?」
「‥確かに、そんな校則がありました」
立ち止まった私に優司さんは、続けた。
「何故走ってはいけないのか、理由を教えないままに『校則』という法律みたいなもので、僕たちは縛られて生きてきた。それが『当り前』だというように‥それなのに、貴方は『あの時』に走った」
「はぁ?」
「あの時、何故プールに飛び込んだんですか?」
私は、できるだけ平静に論理的な説明をした。‥でも、どうしても説明しきれなかったので、言ってはいけないと思っていた言葉を発してしまったのだ。
「それが私の仕事だから‥」
どんな論理的な説明よりも、相手を納得させて黙らせてしまうその言葉を私は使ってしまったのだ。ケンちゃんママになら「仕事ですから気にしないで下さい」と納得させてあげても構わないと思うし、ママの心を少しでも軽くしてあげるためには有効だったのかもしれない。私に求婚してくれた若い男性医師がその言葉を聞いたら必ずこう言うだろう。
「だから、そんな危険な仕事は辞めて欲しい」
それなのに、優司さんは賞賛もしないばかりか、私の身体のことも気にしたような素振りもしなくて、「自分は部外者ですから‥」と逃げ出そうとした。だから私は、失礼なのを承知の上で、彼を無理やりにマサさん親子の前でマサさんの授業について「貴方だったら、どうしたと思う?」と表舞台でボールを投げたのだ。いきなり「部外者」にボールを投げて「打って見せて!」と言うような、それこそ本末転倒な質問を投げつけてしまったのだ。
「この人が、私の思うような人なら、きっと何か素敵な答えを返してくれる」
それも、私の直感だったのかもしれない。私は、それまでもマサさんにたくさんのアドバイスをしてきた。でも、マサさん自身に気づいて欲しかったから、「心を寄り添わせる‥」なんて抽象的な言葉でしか言えなかった。‥それなのに、優司さんは具体的で分かりやすい言葉でマサさんに、答えてくれた。
「‥あの時、守君はお父さんを探していたんじゃなくて、自分の投げる球を受けてくれるキャッチャーを探していたんじゃないかな?」
それは、私がマサさんに百回以上言ったアドバイスよりも的確で、マサさんに気づいて欲しかった答えだった。私は全身が震えるような気がした。優司さんは、私が思っていた以上の人なのかもしれない‥私にとって、優司さんへの思いが恋から愛へと変わった瞬間だった。
ちょっと~!‥何よ?「結局、一目惚れの相手がやっぱり素敵な人だった」って私が言いたかったとでも思ってるの?‥そんなに単純な話だったらこんなに遅くまで聞いてもらうつもりなんてなかったわ。
私たちは互いに携帯番号とメールアドレスを交換してその日は別れた。夜になってメールでお礼を述べて、大好きな濱守栄子さんの『キセキ』も添付して優司さんに贈った。次の日、事故後病院から自宅に戻ってずっと引き籠ったままの彼女にも優司さんのことを話した。
「香里さんは、その人が運命の人だと思っているの?」
「はい。‥ただ」
「お医者様のことが気になるのね?」
「お医者さんも優司さんも、どっちも優しくて私のことを大切に思ってくれているから‥」
「もしも‥もしもだよ?‥私が加害者だった男性と付き合いたいって言ったとしたら、貴方はどう思う?」
「えっ?‥そういう展開になっているんですかぁ?」
「だから、もしもよ?」
「それは‥個人的な問題だから、私が口出しできることじゃないと思います」
「でしょう?‥答えを出すのは、貴方自身なのよ。私が変な口出しをして、貴方の人生を狂わせることになったとしても、私には責任が持てないわ」
「私自身の問題かぁ‥」
私は、その時彼女が本当に「加害者」だった男性が仕事の後毎夜のように、訪問して彼女の心に寄り添おうとしていたことに心を迷わせていたことを知らなかったのだ。「加害者を許すべきか、愛してもいいものか?」彼女の心の中にそんな葛藤があったなんて‥
私の心の中をどんどん占領していく優司さんが「大切な存在」であることに少しも変化はなかった。それは事実だったと思う。でも、私のことを真剣に考え、私の身体を大切に思ってくれている男性医師からのプロポーズに対しても正式な答えを出してはいない。‥私は、別に優司さんから求愛されているわけでもなかったし、ましてや求婚もされてはいなかった。でも、私が男性医師からのプロポーズに対して正式な答えを出せないでいることが、男性医師の心を裏切っているんじゃないかしら‥「少なくとも、その人に対して不誠実なのではないんだろうか?」‥私は、眠れない夜を重ねてしまった。そして、とうとうマサさんと守君の出場する野球の試合を迎えたのだ。私は優司さんの隣に座って試合を観ていた。完全試合を達成しようとしていた守君のことに気づいて動揺したマサさんに優司さんが何か声をかけた。「何て言ったの?」って聞いたら、「この試合でお前は本当の守君の担任になれるんだよ」彼はそう答えた‥私は優司さんが本当はマサさんに何て言ったのか、なんてどうでもよかった。そしてその時に決心したのだ。
「この人は、私を安定した楽な生活には、してくれないかもしれないけれど‥私を本当に幸せにしてくれるのは、この人だけなのかもしれない」
次の日仕事帰りに、私は「私の決心」を報告するつもりで、彼女の家に訪れたのだ。私の思いを聞いた彼女は、思いもよらないことを私に話したのだ。
「実は、私も決めたのよ。彼が『一緒に住んで欲しい』って言ってくれていたのをさっき、OKしたの。もちろん、結果的に結婚するかどうかは、まだ決めていないし、最終的に彼を赦せるかどうかも分かっていないわ。‥でも、社会的に何の役にも立たないと思い込んでいた『障害者』になってしまったこんな私に『貴方は本当の命の輝き方を教えてくれました。僕を憎み続けてもいいんです。結婚して欲しいなんて贅沢なことも望みません。僕は今現在の貴方を愛してしまいました。どうか、ずっと傍にいて欲しいんです!』って言ってくれたのよ。私その言葉を聞いた時に思ったの『本当の幸せ』って、見せかけの形あるものじゃなくて、相手の真心の中にあるんじゃないのかなって‥」
私の決心を聞いても、彼女は微笑んで言ってくれた。
「お互いに相手も形も違うけれど、『本当の宝物』を探し出せたってことなのよね?」
私は、その足で男性医師に会いに行った。
「ごめんなさい。私には、貴方の愛を受け入れることができません」
「‥それは、僕を選ばないと言うことですか?」
「はい。自分の幸せは自分で見つけたいんです。自分で決めたいんです」
「分かりました。貴方の幸せを祈っています」
えっ?‥「それで‥優司さんは何てプロポーズしたのか?」って?‥してないわよ。彼は何も言ってくれなかったわ。‥だから、私の方から言ってやったのよ。
次の土曜日に、優司さんに「会いたい」って電話をかけた。「僕も貴方に話したいことがある」と言われたので、誰もいない学校の屋上で会う約束をした。でもいつまで待っても彼が肝心なことを言いにくそうにしていたので思い切って私は言った。
「‥あのぅ、優司さん?」
「何ですか?」
「優司さんに、一つだけお願いが、あります」
「お願い?‥何でしょう?」
「私を‥貴方の妻にして下さい!」
「ええっ?」
「だから‥何度も言わせないで下さい!」
「こんな僕で‥いいんですか?」
「そんな貴方でなきゃいけないんです。私が考えて決めたことです。‥それとも、私じゃぁダメですか?」
「いや、そうじゃなくて‥幸せに、今の僕には貴方を幸せにできる自信がありません」
「幸せなんて、誰かにしてもらうものじゃないと思う。『幸せ』は、二人で一緒に育てていくものだと、多分‥」
「‥五十年後に二人で乾杯できたらいいですね。もしかしたら、ワインやビールじゃなくて、渋茶かもしれないけれど‥」
「そういうのを『本当の幸せ』って言うんじゃないのかしら?」
私たちは、思わず顔を見合わせていつまでも笑っていた。まだ夜風は寒くて、春には遠かったんだけれど‥必ずやって来るものだと信じていたいから‥
‥雅和の場合‥
「セーフ‥ゲームセット!」
八月の甲子園球場に試合終了のサイレンと共に、大きな歓声が響き渡りました。‥でも、その後のことをどうしても思い出せなかったんです。一体自分の身に何が起こったのか、不思議でならないんですが、試合の後の記憶が完全にどっかに飛んで行ってしまったようでした。「その時」までの記憶は鮮明に残っていたのに、気が付いたら自分の部屋の椅子に座って、まるで母が自分の顔を鏡で見るように机の上に置かれている自分のキャッチャーミットを見ていたんです。一体自分はいつから「それ」を見ていたのかも分からなかったんです。
「もしかしたら、今までずっと自分はここにいて、悪い夢を見ていたんじゃないのか?」
‥そう思いました。‥否、そう思いたかったんです。でも、「その時」までの記憶が、自分を否が応でも現実に引き戻してしまいました。あまりにも残酷な現実に‥
「試合に負けたんだ‥俺のせいで負けたんだ。甲子園で‥しかも第一回戦で負けたんだ。優勝候補のH高だったのに‥」
何故か涙が溢れてきて止まらなかったです。悔しさや悲しさからでは、ありません。敢えて言うなら「喪失感」からだと思います。小中高と十二年間、好きなものを全部我慢してやってきた「野球」‥その全部が一度に否定されたような気がしたんです。辛く苦しかった練習も、両親に無理を言って入った私立のH高も、すべて「その先」にあった憧れの地‥「甲子園」があったから、だから頑張れたんだと思っています。同じ市内に「そこ」はあったんですが、自分がその舞台に立つには、余りにも遠い場所でした。甲子園は、野球少年の憧れだったし、夢そのものでした。
小学校に入学する前から野球を始めていて、入学と同時に学校の少年野球のチームに入れてもらい、最初は外野の球拾いから始め、高学年になった頃に努力が実って五年生の時にはエースで四番を任されるようになりました。県大会にも出場して、優勝こそできませんでしたが、チームの主将にも選ばれ、絶好調な日々でした。中学へ進んでも同じで、憧れていただけの自分が、いつの間にか「憧れられるような存在」になっていました。有頂天というのは、きっとあの頃の自分のことを言うんだと思います。
けれど、学費の高い私立のH高へ入学して「当たり前の現実」というものを思い知らされました。百名を超える野球部には、日本全国から小中と自分のような「エースで四番打者」ばかりだったんです。H高だけではなく、他の強豪校もきっと同じなんだと思いますが、余程ずば抜けて高い技術か何かを持っていなければ、そんな野球部で「レギュラー」という位置を確保することは不可能だったんです。どんなに高校で「秀才」と尊敬された者であっても、東大に入ってしまうと「凡人」になってしまうのと同じなんです。熾烈な競争を勝ち抜いて来た者たちが「そこ」に集まり、「そこ」で、また熾烈な競争を勝ち抜いていかなければ、頂点には立てないんです。正直に言うと「仲間意識なんて」考えることさえできなくて「みんながライバルであって敵だ」と思っていました。春の選抜高校野球で準決勝まで進んだH高だから、当然のことなのですが、新入部員を含めた野球部員の誰もが「レギュラー」に憧れ、そうなるために他の部員よりも監督にアピールして認めてもらえる努力をしました。時には、仲間を蹴落としても構わないとさえ思ったことがあったのも事実です。「誰かの怪我」が「自分のチャンス」なんだとさえ、思う程の競争社会の中にいました。仲間が練習を終えた後に隠れて自己練習をすることが日常化していました。一年生の夏と二年生の春に甲子園の切符を手にしたH高でしたが、ベンチには入れず観客席から声援を羨望と妬みの眼差しで観ているしかなかったんです‥
H高には、プロ野球のスカウトからも注目されていた秋吉未来というエースがいたので、レギュラーの座を勝ち取るためにはポジションを変えるしかありませんでした。捕手というポジションが一番の近道だと思い、グラブをミットに変えて練習を続けたおかげでレギュラーの正捕手にはなれませんでしたが、控え投手の球を受ける補欠のキャッチャーとして高三の夏の甲子園では「ベンチ入り!」を許されたんです。盗塁を阻止するための二塁への正確な球を投げられることが認められたんだと思います。僕の高校生生活最後に訪れたチャンスを手に掴んだんだと思いました。
全国の高校球児の聖地である甲子園球場‥その「晴れ舞台」に、補欠とは言え出場させてもらえただけでも「天にも昇る」気持ちでした。地元で優勝候補の一つに挙げられていたH高の試合です。一万人以上の観客とテレビやラジオを始めとして多くのマスコミが注目していました。第一回戦とは言え、大戦相手は春の選抜大会の時、準決勝で負けた東京地区代表のS高です。S高には、これもプロの切符を既に手に入れたような椿光彦というエースがいました。準決勝で完封されたH高は「打倒、椿光彦!」を目標に県大会を勝ちあがってきたようなものでした。まさしく、「因縁の対決」だったんです。
試合開始直後から、二人の投手戦になりました。速球中心の秋吉に対して、多彩な変化球で相手打者を翻弄する椿の球にH高の各打者は、なすすべもなく打ち取られてしまい残塁の数だけを増やしていったのです。試合が動いたのは、九回表先攻のH高の七番センターの前田が四球を選び盗塁してツーアウト、ランナー二塁の場面でした。正捕手の八番田中がレフトオーバーの長打を打ったんです。二塁にいた前田は、余裕でホームを踏み、守備の乱れの間に二塁にまで達していた田中が一気に三塁を狙ってスタートをかけたんです。でも、元々俊足ではなかった田中は三塁上でクロスプレーになりました。
「アウ~ト!」
H高が初の長打で一点先取しました。‥だけど、それは同時にクロスプレーの際、三塁手と激突した田中を致命的な右足首の骨折という犠牲を残す結果となったんです。後一回の守備を残すだけとなったけれど、正捕手で主将の田中を失ったH高の監督はベンチへ目を向けてから主審に「選手交代」を告げました。球場内に鶯嬢の声が響きました。
「守ります、H高の選手の交代をお知らせします。八番キャッチャー田中君に代わりまして、棚田雅和君。八番キャッチャー棚田君‥」
一瞬、目の前が暗くなったような気がしました。ベンチの前で準備体操をしていた自分に、監督が肩を叩いて言いました。
「零点で抑えて勝とうなんて思うな。同点になってもいい。次があると思って秋吉の球を受けてやれ!」
「はいっ!」
軽いキャッチボールの後でマウンドに行くと投手の秋吉が声をかけました。
「‥お前、俺の直球を受けたこと、あったっけ?」
「えっ?」
それは、投手秋吉未来にとっては、何気ない一言だったのかもしれません。でも、それまで控えの捕手として、控えの投手の球しか受けたことがなかった自分を急に不安にさせてしまう一言だったのです。ちゃんと受け取る自信はあったんですが、一瞬困ったような顔を見た秋吉は、優しく言ってくれました。
「安心しろ。後三つのアウトでいいんだ。後九つのストライクで俺たちは、宿敵の椿に勝てるんだ。‥俺に任せろ」
生まれて初めてテレビに映り、ラジオで中継された「晴れ舞台」に立てたんです。一万人を超す観衆‥その中には遠く、鳥取からわざわざ孫の晴れ姿を観るために、夜行バスで駆けつけてくれた祖父母も、H高進学のために少しでも家賃の安い今の公団住宅に転居してくれた両親も見守ってくれている筈でした。
「‥お前、俺の直球を受けたこと、あったっけ?」
ピッチャーの何気ない一言が頭の中で渦巻いていました。言葉の裏に「お前なんかに、俺の直球が受けられるのか?」というキャッチャーに対する不信があるのではと思ったせいだといます。「自分は投手から信頼されていない」という疑心暗鬼は「こんな捕手にでも受けられる球を投げておこう」と投手は考えているんだろう‥と思わせたのかもしれません。一つの三振を奪った後で、四球とボークによって二人の走者を出してしまいました。続く打者の送りバントで一打逆転のピンチになりました。内野手全員が投手に駆け寄って言いました。
「後、アウト一つで勝てるんだ。仲間を信じて頑張ろうよ!」
「うん。‥みんなを信じるよ!」
投手の秋吉未来は最終打者に向かって渾身の速球を投げました‥だが、捕手はその直球を捕球できずにパスボールしてしまったのです。球はフェンス前まで転がっていました。スクイズを狙っていた三塁ランナーは一気にホームに戻って同点となってしまいました。焦った捕手はすぐに自分が捕球し損ねたボールを追いかけました。ボールを拾い上げた捕手は、そのままホームベースへ向かったんです。二塁ランナーが三塁を蹴って一気にホームへ突進してきたからです。捕手はスクイズを警戒して三塁手が前進守備をしていたので、ホーム上で自分にボールを投げるようにと構える三塁手の要求に頷きました。だが、捕手が投げたボールは運悪く突進してきたランナーの身体に当たり、三塁手のグローブには納まらなかったんです
「セーフ‥ゲームセット!」
僕が何故、甲子園での経験を語りたらなかったのか、理解していただけましたか?‥高校野球‥甲子園球場は、僕にとって屈辱の経験でしかありませんでした。‥それなのに、誰も僕を責めなかったんです。僕はみんなが自分を憐れんでいるような気さえしました。優しくされればされるほど、僕は惨めな屈辱感しか持てませんでした。だから退部届を持って部室に行き、監督に退部することを願い出たんです。けれど、監督は言いました。
「あの試合は‥私の指導法の失敗だった。『勝ちたい!』としか考えていなかった私が、君たち部員に本当に教えなければいけなかった大切なことを伝えていなかった。棚田‥君が野球部を去り、私を憎んでも構わない。ただ、私を嫌いになってもいいけれど、野球だけは嫌いになっては欲しくない」
僕は「その時」監督が何を言いたかったのか、理解できないままに部室を出ました。「敗北とは、敵に背中を向けることだ!‥相手に弱みを見せることは、自分で負けを認めたことになる!」が口癖だった、鬼のような監督が、その年を最後に引退する決意をしていたことも知らなかったんです。野球部を退部した僕は、普通の受験生に戻りました。それなのに「野球」しかしていなかった僕は学習面では、完全な劣等生でしかありませんでした。結局自分から捨てた筈の「野球」のお陰で大学を推薦入試で合格することができました。僕は大学で教育学を専攻し、将来中学校の教師になり「好きだった筈の」野球を生徒に教えるつもりでした。仮に僕が今の職場でなく、普通校に就職していたとしたら、もしかしたら僕はH高の監督の過ちを繰り返していたかもしれません。
でも僕が採用された学校は、今のK特別支援学校でした。採用された学校名を知った時、正直に白状すると「自分は二度も野球から捨てられた」と思いました。「ハンディを抱えた児童や生徒に野球を教えるなんて無理だ」と思いました。「自分は今まで何のために生きてきたんだろう?」と悩みながら職場であるK特別支援学校の門をくぐりました。‥でも、僕はその学校で山口香里という素敵な先輩教師と出会うことができました。与えられた仕事を真面目に、そして必死にこなしていた僕に香里先輩は声をかけてくれました。
「どうしてそんなに頑張るの?‥頑張らなくてもいいんだよ?」
最初、そう言われた時に僕は答えました。
「頑張らなければ意味がないでしょう?」
すると香里さんは笑いました。そしてこう言いました。
「‥それじゃぁ、聞くけど頑張りたくても、頑張れない人たちには、意味が無いの?‥そもそも意味って何?」
「えっ?‥意味ですかぁ?」
「生きている‥それだけで意味があるし、もっと別の考え方をするなら『存在していること』それだけでも、意味があると思わない?」
「先生が言ってらっしゃることの意味が分かりません‥」
「例えば、私が今手に持っているこの本‥本自体は生きていないけど、意味があると思わない?‥私が着ている服も、砂浜の小さな砂の一つひとつ‥どれもこれも、存在しているだけで意味があると、私は思うの。‥違うなぁ。存在してなくても、もしかしたら意味があるのかもしれないわ」
「ますます分からなくなってきました」
「‥上手く例えられないかもしれないけど‥『幸せだな』と思うこと、これって形を持たなくて見えないけど、意味があるとは思わない?‥愛すること、願うこと、信じること、許すこと‥全部形を持ってはいないけど、意味があるとは思わない?」
「あっ、‥なるほど、そういうことかぁ!」
「うん。そうやって私を理解してくれた貴方が、素敵だなって思うわ。こんな思いにも意味があるとは思わない?」
「はい。思います!」
「だから、貴方が今無理して疲れたとしたら、疲れが顔に出るの。そんな貴方を子どもたちが見たら、きっと悲しいと思うのよ‥」
「だから、頑張らなくてもいいんですか?」
「そう。頑張らない‥でも、諦めない」
「頑張らない‥でも、諦めない」
「確か長野県だったと思うんだけど、鎌田實さんとかいう偉いお医者さんの言葉よ。大切に覚えておくといいわ」
「はい。肝に銘じます!」
僕が自信を失って諦めそうになると、必ずって言っていいほどに香里さんは、考えるヒントをくれました。僕に「気づかせて」くれました。心を開いてくれない相手に対して「貴方が自分の心を開かなければ、相手は決して心を開いてはくれないわ」と教えてくれたのも香里さんでした。「誰かが苦しんでいたなら、貴方が代わりに笑ってあげなさい」と教えてくれたのも‥とにかく、棚田雅和を本当の教師‥いいえ、「本当の人間」にしてくれた香里さんを僕は一人の人間として尊敬しています。
それから石丸優司さんも僕にとって大切な存在になりました。優司さんは、いつも控え目で「僕は何もやってないよ」と言いながら、僕に大切なことをたくさん教えてくれました。そのことについてだけ、もう少し話をさせて下さい。僕が石丸さんのことを知ったのは、母の同僚で「素敵な人がいるのよ?」と母から教えてもらったのがきっかけでした。母は僕の住んでいる市の市役所の支所で勤めていました。今もそれは同じです。僕が初めて優司さんと出会ったのは、公開授業参観の日でした。最初は一般の参観者の一人だと思っていました。でも、その何日か前に香里さんが「今日、素敵な人を見たの!」と話していた人が優司さんだと知られて、驚きました。でも、優司さんは知れば知るほど、話せば話すほどに、その魅力を相手に「気づかせて」くれるような人物でした。「これは内緒にしておいてくれ」と言われていたのですが、僕と守君が草野球の試合に出る日の前日の夜に、なかなか寝付けなかった僕は、優司さんに電話をかけたんです。僕が「なかなか眠れないんです‥」と言うと優司さんは優しくこう答えてくれました。
「眠れない?‥どうしてだい?」
「守君の担任として‥ちゃんとできるかなぁって不安で‥」
「‥だったら、担任という看板を降ろせばいいんじゃないかい?」
「えっ?」
「一人の野球好きな人間として、明日楽しめばいいんじゃないのかい?」
「それは‥無理です」
「どうして無理なんだい?」
「草野球だとしても、野球ってそんなに甘いもんじゃありませんから‥」
「僕には、よく分からいんだけど‥」
「少なくとも試合に出る以上は、勝つために闘う。それが野球というものです!」
「それじゃぁ、どうして主審は試合開始にあんなことを言うんだい?」
「プレイボールのことですかぁ?」
「プレイって言う英語は直訳すると『遊ぶ』ってことだよね?」
「はい‥」
「ボールで遊びましょうって発想を変えればいいんじゃないのかなぁ?」
「あぁ‥」
優司さんに言われた時に僕はなんだか肩の力が軽くなったような気がしたんです。優司さんは、いつも物事の本質を分かりやすく、それでいて的確にアドバイスしてくれました。‥だから香里さんは、僕に「貴方の本当の師匠は、優司さんかもしれないわよ?」と言ってくれたんだと思います。難しく考えるよりも単純化することで相手に分かりやすく伝える‥これは、教育という場で最も大切な考え方だと信じています。彼、優司さんは、こんなことも言いました。
「学校の校則で『廊下を走ってはいけない』ってあるよね。『規則だからダメなんだ』と押しつけるよりも『君が走ることで、誰かを‥例えば歩くのが苦手な人とぶつかって、相手が大怪我をしたとしたら、君は自分で責任を取ることができるかい?‥或いは、走っている君を見て他の誰かが真似をしたとしたら、君には直接的には関係ないかもしれないけど、本当に君は間違ってはいないと思う?』って、先生から優しく言われたら『何故、必要ない時には廊下は走ってはいけないのか?』少なくとも考えるヒントになりはしないだろうか‥?」
彼の言葉は大学で学んだ「当事者性」であり「相手の立場に立って考える」という考え方を見事に「分かりやすい言葉」で説明していたのです。複雑で難解なことを、分かりやすい言葉に置き換えて「単純化すること」‥それこそが「相手の立場に立ってあげる」という「人間にとって最も大切なことなんだよ?」そう教えてくれました。
僕が、それまで信じていた「敗北とは、敵に背中を向けることだ!‥相手に弱みを見せることは、自分で負けを認めたことになる!」という言葉に対しても、優司さんは「確かにそうかもしれないけど‥」と言いながら僕の肩を叩きながら話してくれました。
「相手が、空腹な肉食動物なら確かにそうかもしれないけど‥もし、相手が心を持った人間だったら、背中を見せたり、自分の弱さを見せるということは、『私は貴方を信用していますよ?』という証拠になるように思うんだけど‥」
「僕の考え方が間違っていたということですか?」
「いや、間違っていると断定するつもりなんてないよ。君が仮に『勝ち負けの世界で戦っている』なら、それが一番いいアドバイスだと僕も思う。‥でも、今の君のように、いつまでも自分の弱さを隠していたんじゃ、大人は誤魔化せても、子どもたちには見破られてしまう。ましてや守君のように『心の目』で相手を見ている子には‥君のリングは今現在『教室』なんでしょう?」
その時、僕はそれまで「野球」という勝敗の世界の「しがらみ」のようなものに自分が縛られていたんだということを‥「本当の強さとは、自分の弱さを自覚することなんだ」という一番大切なことを、分かりやすく教えてもらったような気がします。香里さんは、すぐに答えを言わないで敢えて僕に「考えるヒント」を与えてくれる参考書のような存在であったのに対して、優司さんは、難しい概念的なことを幼い子どもにも分かるように例えてくれる絵本作家のような存在だったと思っています。二人は一見すると相反するように思われるかもしれませんが、結局未熟だった僕のことを「大切に思ってくれていて」僕を常に正しい方へ導こうとしてくれていたんだ、という点で共通していたのです。
他にも、数え切れないほどにたくさんの大切なことを香里さんと優司さんから教えていただきました。それらの一つずつの言葉を忘れないで、僕もしっかりと自分の人生に活かしていきたいと思っています。
最後に一つだけ、どうしてもお話ししたいエピソードがあります。実は、香里さんと優司さんは一度だけ喧嘩‥って言うか、口論になったことがあるんです。僕と守君が草野球の試合に出させてもらった後にみんなでバーベキューのお昼を済ませた後に僕のために駅前の小さな居酒屋で三人が祝勝会をしていた時のことでした。思いがけない出会いから、こうなった偶然の不思議さをお互いに話していた時に突然優司さんが香里さんに言ったんです。
「初めて貴方に出会った時に言いましたよね。『人間には二つのタイプがある』って?」
「ええ。言ったわよ?『気づくタイプ』と『気づかないタイプ』って‥」
「‥そういう考え方って、間違ってはいないと思うけど、本当に正しいのかなぁ?」
「えっ、何が言いたいのかしら?‥意味が分からないわ!」
「『気づくタイプ』はいいとして、『気づかないタイプ』の人間は、そのままでいいと思っているんですか?」
「どういうこと?」
「本当は、みんなに気づいて欲しいと思っているんでしょう?」
「そりゃ、‥確かにそうだけど」
「そのために、何をしたんですか?」
「えっ?」
「人間をタイプ分けすることは、簡単ですよ。でも、『気づかないタイプ』の人間の中にも、いるかもしれませんよ?‥『気づきたいけど、気づけない人』も‥タイプ分けするってことは、ある意味で『決めつけ』になる危険性だって、含んでいる場合があると思うな。少なくとも『気づけないタイプ』に対して『気づいて欲しい!』って伝えるべきなんじゃないのかなぁ?」
「そ、そんなこと言ったって‥」
「世の中にいる人たちに『気づくチャンス』が与えられてもいいんじゃないのかなって、僕は思うんだけど‥」
「‥気づくチャンス?」
「この世界のすべての人が『気づくタイプ』になればいいなって、一番願っているのは、本当は貴方自身なんじゃないんですか?」
「‥確かに、私はそう思っているし、そう信じたいわ。でも‥」
「‥難しいですよ。気づきにくい人がいることは確かです‥でも、そういう人たちを『気づかないタイプ』って切り捨ててしまうのは、諦めたことを認めたことになりませんか?」
「頭の中では、理解できるけど‥じゃぁ、具体的にどうすればいいって言うのよ?」
「百回言ってもダメなら、二百回言う勇気を持たなければ変わりませんよ。世の中なんて‥」
「でも‥でも、私‥一人が吠えたって‥そんな声は‥届かないんじゃない?」
「貴方は、自分が独りだと思っているかもしれないけれど、少なくとも貴方の考え方を理解している人‥例えば雅和さんがいるじゃないですか?‥ついでにだけど、この僕も‥」
「ええっ?」
「貴方が思っていること、考えていること、願っていることを伝えていって、仲間を増やしていく。‥そうやって仲間が増えていけば、不可能も可能になるかもしれませんよ?」
‥あれは、ただの口論だったのかもしれないですが、今考えたらあれが優司さんから香里さんへのプロポーズだったのかしれません。僕の生き方を教えてくれたお二人の幸せをいつまでも、ずっといつまでも祈っています。本当に大変長くなりましたが、僕のお二人への感謝の思いと、お二人の門出に際しましての祝辞とさせていただきます。本日は誠におめでとうございます。