(1)ある陪審員の日記より
ある機会があって、性同一性障害の事を ほんの少しばかり知り、ふと思いついた物語です。私 本人には全く未知の感覚なので、私と同様に、何も知らないヒトの視点で書きました。
こんなんじゃない! などと言われると、何も返す言葉がありませんが……。
言うまでもなくフィクションです、念のため。
その子供の名をアキラと記しておこう。本名である。本名を出しても問題にはならない筈だからだ。それは、間違いなく変更されるのだから。しかし漢字まで同じにするのは、私が嫌だ、気が引ける。それより、これは守秘義務違反になるのだろうか。
私は、GID当事者のMtF(性同一性障害で、生物学的性別が男性で、性の自己認識が女性である者)というモノを誤解していた。と言うより知らなかった、全く理解していなかった、の方が正しいのかも知れない。
理解しようとするのさえ おこがましい。今では そう思える。心と身体の不一致。それが、本人に取っては決して許容できない事柄なのだとまでは、それまでの私は、全く思ってもいなかったからだ。
その裁判は、ある子供、アキラが小学校入学の約一箇月前に起こした。とてもショッキングな事件だった。当然だが、報道はされていない。
マスコミに この事が知れたら どんな風に報道されるか知れたものではない。彼らは、ハイネが獲物の骨を噛み砕くように、アキラの心を噛み砕いていただろう。
それに、あれは本当に事件だったのだろうか。あれは事柄、ただ あっただけのことではないのだろうか。事柄と言ったのには意味がある。アキラは他人に危害を加えた訳ではないし、誰かが迷惑を被った訳でもない、彼にとっては『あるべ姿に戻した』にすぎないからだ。
いや、迷惑は……、家族だけが被ることになった。同時に、彼は家族と社会によって追い詰められ、そのコトを起こした。
アキラが実際にコトを起こしたのは、去年の三月一日。
だが、その時――陪審員席に着いた時――に配られた資料によると、事の淵源は もっと幼いころ、アキラが物心の付く前から あったかのように思える。
アキラは 今でもそうだが、赤ん坊の頃から とても可愛らしい容姿をしている。小さい頃から『女の子』と間違われていた。
彼には一歳年上の姉がいる。アキラは その姉より色白で、目のパッチリした子供だった。写真が添付されているが、確かに これらの写真で、この子供を男の子だと見分けるのは難しい。なぜなら、女の子の服を着ているからだ。なで肩で、鳩胸であったのも それに加担している。
後で分かった事実として記載されていることがある。
アキラは『横座り』が出来るそうだ。小さい頃からの習慣によるモノなのだろうが、それが可能なように 骨格が変形している。それは添付の、一般的な男児のソレと比較して、明らかに形状が違うレントゲン写真によって証明された。
女装は、母親と姉が、最初はイタズラ心で始めたという。
外にも その格好で連れ出した。「アキちゃん、アキちゃん」と呼び、呼ばれていたから、誰も彼が男の子だとは気付かなかったらしい。
現に、引越し以前に住んでいた地域の住人に「アキちゃんと呼ばれていた子供の印象は?」と聞いた調査員に対し、異口同音に「可愛らしい女の子で、皆と楽しく遊んでましたよ」と答えた、と報告書に記載がある。男の子だと気付いた者は、質問を受けた者の中には一人もいなかったとも書かれている。
引越しを契機に、母親はアキラに対する そのイタズラをやめた。いや、やめようとしたが、姉が許さなかった。やめるどころか、更にエスカレートしていった。
彼女の中に 弟の『可愛らしさ』に対する『嫉妬心』が全く無かったとは思えない。彼女は「だって、似合ってるじゃない」と、母親に言い切ってという。母親も 母親だ、それで許してしまうとは、どうかしている。
ではアキラ本人はどう思っていたのか。
それが普通だと思っていたらしい。それも そうだと納得するしかない。
それこそ、物心付く前から女の子の服装をしていたのである。それが間違っているなど、判断のしようがないではないか。
引越し以前から、アキラの着る服は 基本的に姉の『お下がり』だったが、下着まで女の子のモノを着けさせていた。さすがに これは お下がりは使えない。
そして、母親が買って来なくなった。それからは、アキラの姉は、自らの小遣いを削ってまでして 買い与えていたそうだ。
父親は、遊んでいるだけだと思っていた、と語った。私でなくとも これは可怪しいと思うだろう。彼は、自分の子供に 全く関心が無かったのだろうか。
残念ながら、資料を見る限りでは、それこそが正解のようだ。
それどころか、仕事と趣味以外には 何にも関心がないと思われる記述がある。
彼は仕事では有能だったらしい。対人関係は壊滅的に不得手だったらしいが、事務仕事などの単独で行う いわゆる細かい作業が、他に抜きん出で得意だった。そのせいか転勤族なのに 常に事務仕事を担当していた。
彼の趣味は『模型造り』だ。それも、とても精密な、いわゆる凝ったものだそうだ。写真で見ただけなので詳細は不明だが、その関係者から言わせると『垂涎の仕上がりのモノ』らしい。
アキラの父親は、仕事と趣味だけに生きていた。それ以外は何もしない。給料は 全て妻に渡し、趣味の経費は別途入手していたらしい。趣味の関係での収入らしいが、門外漢の私には、全く理解できない。
そんな者が結婚し、子供を設けることが許されるのだろうか。親としての義務や責任を果たさなかったとして、彼は罰せられるべきだ、と私は思う。
アキラは保育園に行かなかった。母と姉が家庭にいるのだ、普通は それで問題はない。
姉が、育児担当の大人より 細かく彼の世話をしていたので、任せる というよりは放っておいた、仕方ないことだが これも問題だ。
幼稚園では、年長組にいる姉に いつも連れ回されていたという。その幼稚園の制服は『短パン』だった。つまり男の子と女の子の区別がなかった。
アキラは年長組には ならなかった。父親の転勤に伴う引越しによって。引越し先では幼稚園に入れなかったのだ。
そして小学校入学の時期が近づいてくる。
アキラは最初、ただただ戸惑ったという。なぜ、こんな服を着るのか、と。
姉は笑いながら言った「それが普通」だと。
アキラは当時、母親、姉と一緒に風呂に入っていた。年齢からいえば、まあ当然だ。
その日の入浴時、姉はアキラに、彼の局部を指差して こう言ったと記録にある、「それがあるから、アキラは あの服を着ないといけない」と。
蛇足だが、ここで言う『あの服』とは、母親が買ってきた、小学校に着ていく男児用の服のことだ。
ここまで記した内容を見ると、アキラは母と姉に無理矢理女装させられたことによって、GID当事者(性同一性障害)に似た症状を示しているだけではないか、とも思える。
しかし、そうではない。と、精神科の医師も婦人科の医師も声を揃えて主張する。「彼、いや彼女は、間違いな『GID当事者のMtF』であると。
アキラの母親は、思春期の真っ只中の時期に『阪神・淡路大震災』に遭遇し、罹災者となった。彼女の両親と兄は亡くなり、ただ一人 生き残ったと言う。
PTSDに悩まされ、相当の期間 苦しんだようだ。心的外傷 (トラウマ)の強烈なモノらしい。
これも私は 縁のなかった事だったが、それでも 想像できる範囲内だと思っていた。とんでもない思い上がりだったと、今は とても反省している。
アキラの母親は、地面が揺れることを極度に恐れた。「(地面の)揺れを感じたら、あの時の恐怖が蘇る」と語った、との記載がある。
アキラの家族が、引越し前に住んでいた地域では、頻繁に地震が起きていた。小さな体感地震、震度1や2程度のは、週に一度くらいの頻度で あったという。アキラの母親は、そのような僅かの揺れにさえ過敏に反応し、座り込んでしまうような有様だった。
アキラの姉は、更に その前の赴任先で生まれており、そこでの赴任期間中には一度も地震に会っていなかった。その時の母親は、地震のことオクビにも出さず、事実 思い出すことも無かったらしい。
GIDをひきおこすには、恐怖などで起こるストレスによる ホルモンバランスの異常、これだけで十分だという。現に、アキラを妊娠中に、産婦人科の医師から ホルモンバランスを整えるための治療を受けたとの記述と共に、カルテの一部(やけに隠してある項目が多い)のコリーが添付されている。
なんでも『人の胎児における心身の性分化のメカニズムは 極めて複雑で、数多くの段階を辿る構造をしている。そして その過程の中で、ただの一つでも 正常に働かなければ、簡単に異常を起こし得る。そのような絶妙なバランスの上に成立している。
多くの胎児では正常に性分化し発達するが、一方で性分化疾患における さまざまな事例などは、人の心身の性は、必ずしも想定通りの状態に性分化し、発達するとは限らない』らしい。引用は まだ続く。『……胎児期の性分化では、性腺や内・外性器などの 解剖学的な性別が決定された後に、脳の中枢神経系でも 同様に性分化の反応を起こし、脳の構造的な性差が生じる。
この脳における性差を決定ずるとき、通常は 脳内においても解剖学的性別と一致する。しかし、何らかの原因(ストレスなど、心身への負荷)によって解剖学的性別とは一致しない脳構造を部分的に持つことにより、GIDの発現がある、と考えられる』
つまりは、身体の性別が決まった後、脳の認識があり、そこに邪魔が入ると、容易に『GID(性同一性障害)』が起こり得る、と言うことらしい。アキラの母親の場合は、地震への恐怖心が それなのだという。
アキラに女装をさせたのは、最初は母親だった。地震の恐ろしさを紛らわせるための代償行為だと、精神科の医師は診断している。
さて、そろそろ事件/事柄の概要を示さなければいけない。
・まずは、各人の状況を記そう。食後の一時、午後七時から八時の間。この時の 正確な時刻を確認する術はない。
父親は、食後 自室の工房に引こもって 趣味の模型製作に没頭していた。
母親と姉は、TVを見ていた。何らかのバラエティ番組だったらしいが、内容の記憶が乏しく、特定できていない。
アキラは、食前に入った風呂場での やりとりにより、食事も摂らず部屋から出てこない。母親は、アキラ分の惣菜にラップを巻いて、彼が降りてくるまで放置していた。
・アキラが二階から降りてきて、母親に「生物を入れても大丈夫な袋がほしい」と言い、母親が当日の昼間、買い物で使ったビニール袋を持って 父親のいる部屋の方に行った。「アキラは、いつものワンピースを着ていた」と姉が証言している。
父親は全く気付かなかったようだが、アキラは父の部屋に入り、大型のカッターとノミ(大きな彫刻刀のようなモノ)を持ち出している。
・アキラが自傷行為を行った場所は、ダイニングキッチンと父親の工房の間にある廊下、通路だ。彼が座り込んでいるのを姉が見ている。
アキラが行った自傷行為の内容は、詳細に書くつもりはない。
傷跡などが写真に撮られ明確である。簡単に言うと、性器をカッター切り落とし、ノミで切り刻んだのだ。彼は それをビニール袋に入れ、生ゴミを入れる投棄容器に、中身だけ放り込んで、倒れた。
母親は、その倒れた音で 初めて血溜まりの中にいるアキラを発見した、と言っている。
しかし姉は、彼がソレをゴミ入れに投棄した音で気付いた。彼女が振り向くと、アキラは 姉に向かって微笑みかけ、声には出なかったが「これでいい?」と口の動きで読めた、確かに そう言っていた、と語っている。
アキラ本人は、ゴミ箱に投棄したことさえ覚えていないそうだ。
・その後の事は、はっきりしない。アキラの母と姉はパニックに陥り、どちらが救急の電話をかけたのかさえ不明だ。父親は、信じられないことに、救急車が到着するまで気付かなかったと言っている。
ここに大きな問題が残ったそうだが、私には何が問題なのか分からなかった。法律上の問題である。
性転換手術、この呼称は誤りだそうだ。GID当事者にとって性は何も変わらない。だから、正式には『性別適合手術』という。
日本では、一般的には、戸籍法における「男女の別」の変更を示している。そして性同一性障害者の 性別の取扱いの特例に関する法律の第三条において定める要件に、年齢制限がある。『一、二十歳以上であること。』と。
しかしアキラの場合は、ソレは もう既に破損されており、仮に復旧させることが出来ても(ほとんど不可能)再度の自傷行為が予想された。
事実問題として、このまま放置は出来ない。何らかの処置をしなければ『排尿すら困難になる』と泌尿器の医師が語っていた。
結果、性器の復旧はしない。加えて、性別適合手術も行わない。しかし、排泄器としての機能は必要である。という手術を行ったそうである。
アキラの性別は『女性』になった。男性器を喪失した上、精神面では明確に女性である。それ以外に記載のしようがない。ただし、年齢的な制限により、性別適合手術は行っていない。そして、制限年齢に達し、アキラが望むなら、執刀も可能である、となった。
さて、この訳の分からない裁判と共に、もっと明確な裁判が執り行われ、既に結審している。
アキラの父母の離婚である。同時に親権の問題でもある。私は これには直接関与していないので、結果だけを書いておく。
親権:アキラの母は姉の、父はアキラの親権と持つことになった。そして互いに以後の接触を法的に禁止し、互いに対して義務も責任も失効する。赤の他人となり、以後 会ってはならない、ということだ。
財産分与:アキラの母には、父との結婚後に取得し、現在(裁判開始前まで)に至るまでの財産の内、父が務めている会社からの収入の全てが与えられることになった。そして、以後 一切の金銭に関する要求は認めない。それには姉の相続権も含まれる。
アキラについての補足事項:アキラの父は、親権を持つには ふさわしくない特性を持つ人物であるので(変人、と言うこと)、彼女と同居するのは好ましくないとされ、アキラには適切な施設において、正しく教育される権利があり、父親はそれを実行する義務を有する。
以上、これにて終了。