其之三 魔力防壁
人種はこの戦争前後から『魔種』を差別し『魔物』と呼んだ。
しかしルトーシェ達冒険者の間ではそう言ったことはありえない。
なぜならば、『魔種』と『魔物』は別物であり戦い方が異なるからだ。
魔物とは広義的にすべての動物に当てられる言葉だ。
犬、猫に始まり狼、スライム、ゴブリン、ゴースト、そして下級ドラゴン。
人型でなく、言葉を話さない者達に適用される。
『魔種』は『人種』と大きく変わりが無い。
違うのは人種より生殖能力が弱く、代わりに長寿。
そして人種よりの魔術の才能に秀でている、それだけだ。
肌の色、骨格、耳の形、細かな差異は多いが基本は上記だけだ。
ゆえに魔種との戦いは人種と同じような戦いになる。
五体を使い、相手の隙を作り相手の心の蔵を止めるか、首と胴を断つか。
炎の魔術で焼き尽くすか、氷の魔術で刺し貫くか。
しかし魔種は強い。
魔をその身に宿すものは皆がその身を強化する。
人種が修練の末に得られるであろう魔力を生まれながらに抱え、幼少の魔族ですら魔力を持たない鍛え抜いた人種と距離次第では十分に戦える。
魔術は強力だ。
想像してほしい。
貴方は何の武器も持たず道端にいる殺気立つ野良猫に勝てるだろうか?
野良猫は普通人間に襲いかからない。
戦う必要がないからだ。
だから人間はその強さを知らない。
嘘だと思うなら、子猫を産んだばかりの子連れの親猫に近づいていけばいい。
貴方は猫の本気を知るだろう。
猫の次は犬だ。
貴方は何の武器も持たずに道端にいる殺気立つ野良犬に勝てるだろうか?
大抵の人は尻込みするだろう。
鍛えていない一般の人間はここが限界だ。
次だ。
少しハードルを上げて熊はどうだろう。
狩猟を忘れて久しい人間が、熊と戦う。
一般の人間はまず無理だ。
一握りのプロの格闘家などなら勝てるかも知れない。
だが人間の肉体限界はここだ。
次は象だ。
武器の持たない人間が戦うには最早不可能。
その質量差は如何ともしがたい、脚で蹴飛ばされて終わりだ。
想像するのも馬鹿らしい。
ここで武器の可能性を入れよう。
まずは接近戦用の武器。
剣、槍、斧で、上記と戦う。
望むなら鎧も付けよう。
貴方が鎧を着て動いた事があるか知らないが、20キロ以上の金属の塊を全身に付け、数キロの武器を振り回しながら上記の動物と死闘を繰り広げる体力が有るのならばだが。
首と頭部を防御できる鎧ならば犬相手なら貴方は勝てるかも知れない。
熊はどうだろう?
やはり無理だろう。
武器を持とうと一般人が勝てる限界を超えている。
ここで飛び道具の登場だ。
弓、スリングショット、ボーガン、そして銃。
熊も、象も距離の届かない位置から一方的に攻撃できる。
相手が接近してくる前に倒しきれば正に無双である。
そして、魔術は飛び道具に類する攻撃魔術が多々ある。
炎、氷、電撃、光に虚無の魔術。
そのすべてが、遥か彼方から遠距離で一方的に攻撃できる力である。
故に冒険者達の戦術は前衛の鎧戦士が敵を引きつけ、その間に後衛の魔術師が敵を削りきるものがオーソドックスな基本である。
ゆえに魔術は力である。
魔術には幾つもの応用があるが基本は二つである。
攻撃するか守るか。
先の通り、魔術による攻撃。
続いて魔術による防御。
魔術師は通常、ローブを身にまとう。
ローブの防御力は非力であり金属鎧とは比べるまでもない、材質は多々あるが基本は布なのだから。
故に魔術師は身体表面に魔力防壁を張り、外部からの物理、魔法衝撃に対して緩和させる。
と言っても一般的な魔術師による防壁は、あくまで無いよりまし、程度だが。
具体的には剣で切り落とされる筈の腕が、ギリギリ皮一枚でぶら下がってくれている……程度だ。
しかし、である。
もし、圧倒的な魔力を持ち、圧倒的な魔力防壁を持つ者がいたとしよう。
近距離でも、中距離でも、遠距離でも、剣でも、槍でも、弓でも、もちろん魔術師による攻撃も、全てが魔力防壁に阻まれる。
その時点で正攻法の打倒はほぼ不可能である。
鍛えた剣技も、必中の弓も、必殺の魔術も全てが無意味。
故に人々は魔法使うすべての生物を恐れ、畏怖する。
高い魔力を持ち、その魔力で障壁張る魔術師に対して、剣士は無力だ。
障壁を張っていない場合の不意打ちしか攻撃手段が無いからだ。
そして魔術師は自分以上の魔力を持つ者、正確には自分の魔力で打破出来ない魔力防壁を持つ者を畏怖する。
魔力を持つ魔物や生まれながらに高い魔力を持つ魔族を総じて魔種という。
ましてや、人種よりも優れた魔力の才を持つ魔族ならば。
そして、その魔族の頂点に立つ『紅玉の魔王』ならば。
「くっ……!」
分厚い金属を斬りかかった様に重い手ごたえと共に剣が弾かれる。
肌の硬度が固い種の魔族なのか?いや……これは……。
「ふふ……どうした、人種の勇者よ?我の防壁を破れぬようでは我を打倒するなど不可能だぞ?」
魔王様自らのネタばらし。
畜生!
俺の剣に宿る魔力量では魔王の防壁を破れない。
魔王の体の表面に薄っすらと光る魔力防壁、本来は色を持たない無色のであるはずのその魔力は、その名の通り『紅色』の魔力。
俺の愛剣を、魔王の杖の一撃を死にもの狂いで躱してようやく打ち込んでいるのにその攻撃は魔王に弾かれダメージとして通っていない。
逆に魔王の魔力が宿る杖の一振りは重い鈍器や攻城兵器のように体に響く。
俺とケスト、ドルテドムの前衛は何度か回避しそこね、辺りに血をぶちまけた。
体にはシスティの肉体強化の加護。
鎧、防具にはロリーナの魔力を宿し魔力防御を上げているし、システィの支援魔法で肉体能力事態を上げているのだが、お構いなしの問答無用の攻撃で。
顔色真っ青なシスティが矢つぎばやに治癒魔法を唱えて、命を拾うが正直勘弁してほしい。
「これで魔術使ってないと言うのだから嫌になるのぅ……」
ドルテドムが俺と同じくボコボコに凹んだフルプレートを見ながらぼやいた。
俺達の中で一番の重装備であり、ミスリル鋼ので全身を覆いつつ敵に突撃し、挑み、そのすべてで生き抜いて敵将の心臓を貫いてきたドワーフの槍使い。
彼が言うとおり、眼前の杖を振るう魔王は先ほどから魔族の代名詞とも言える魔術を一切使っていない。
「こいつの余裕まみれの見下した表情がすげーイラつく!鼻の穴にドレグガラの実を生のまま突っ込んでくしゃみ地獄、ついでに涙まみれにしてやる!」
ケストがパーティの中で最高齢の大人のくせに自棄に子供っぽい事をぼやき始め、自然に俺とドルテドムの口元がほころぶ。
いつもこいつはどうでもいい事や下ネタをぼやいて皆に、特にシスティに説教されるのだ。
ドルテドムを除けは俺達人種の中で一番年上のくせに、いつも子供っぽい奴だ。
だが、その言葉で絶望的な窮地で、絶望で心の糸が切れそうなその時、何気ない一言は俺達に笑みをもたらしてきた。
いつだったか酔っぱらったその場で、色町で口説いた女自慢を始め、それが夜の閨の話に突入した辺りで真っ赤になったシスティがメイスをぶん回して二人で鬼ごっこを開始した。
酔っぱらっているはずなのに彼女の攻撃をひょいひょいと軽々躱すその姿は流石、盗賊というべきか。
ちなみに『ドレグガラの実』つーのは調味料に使われる木の実で凄く辛い。
普段は一つまみをスープに入れただけでスープ全体が辛くてそこらの子供では食べられなくなる。
まして木の実一つ丸ごとなど……。
いや昔、俺がケストの顔面に丸ごと食わせたんだけど。
いやー、あの時はケストに誘われてシスティの風呂覗きに行ったのに、最後には俺を囮にして逃げやがった。
あんにゃろう……。
怒り狂ったシスティから一晩中逃げまどい、長い長い土下座のおかげでなんとかアリガタイ、イシス教の分厚い経典を三回朗読する事で許してもらった。
数日間、寝ながら経典を読み上げるほどに精神ダメージを負った俺は一人の敵に復讐を誓ったのだ。
その『恩返し』の為に丸ごと砕いて、馬鹿面で寝ている『敵』の顔にぶちまけた。
魔術の仕えないはずのケストが文字通り飛び上がり、大乱闘のゴング代わりの奴の悲鳴が夜空に鳴り響いた。
翌日、顔中腫れ上がり青痣で染まった俺達を治癒したのはやはりシスティだった。
もう怒りも通り越して呆れた顔で治癒してくれた。
本当に治癒の魔術は偉大だな。
そのおかげでこうして魔王の一撃も生き延びていられる。
ケストの一言で仲間達を見渡す余裕が心にできる。
後衛の二人の女性たちの表情は優れない。
特にシスティは沈痛な……もし俺達前衛になにかあれば躊躇なく前進し、魔王と一対一の戦いを挑みかねない感じだ。
なんだかんだで前衛三人だけじゃなく、ロリーナも血の気が多いからな。
抑え役のシスティも大変だな、まぁ血の気の多い筆頭が俺だけどさぁ……。
……大丈夫だよ、ロリーナ。
そんな顔しないでくれ、誰も死なせないからさ。
ロリーナも、君も、ドルテドムも、……ついでにケストも。
誰も死なせねぇよ。
「そろそろ本気をださねぇとね!見せてやるよ!勇者様の意地ってやつを……ロリーナ!」
俺達が稼いだ時間でようやく長い詠唱が完成しロリーナの強い声が響く。
その声に何度助けられた事か。
その声に何度支えられた事か
『……魔力は盾なり、魔力は刃なり、魔力は万能なりや?
なれば我が魔力を奉げん。
我が魔力よ、我が力を喰らいたまえ。
我が魔力よ、我が友の礎となれ。
我が魔力よ、鉄を断て。
我が魔力よ、敵を討て』
彼女の額に汗が滝のように滴る。
彼女の構える杖から魔力の光が奔流となり俺、ケスト、ドルデドム、各々の武器に光が宿る。
魔力は力だ。
魔力を込めた拳は岩を穿つ。
魔力を込めた脚は鉄板に足跡を残す。
魔力を込めた剣は鉄を裂く。
魔力付与は初歩的な魔術だ。
冒険者の基本中の基本と言ってもいい。
死霊系、アンデット達には魔術、もしくは魔力を宿した武器しか攻撃が通らないからだ。
魔力を体に纏う魔物には大抵の武器では防壁を突破できないからだ。
並大抵の魔術師が武器への『魔力付与』など 出来て当たり前の初級魔術だ。
しかし、だからこそ眼前の魔王に対抗し得る手段なのだ。
「……ゴメン、遅くなった。この魔王さま、反則もいいところだよ。私じゃ10分が限界」
不思議だよな。
誰かが声を掛けてくれる。
ただそれだけで全身にやる気が満ちてくる。
心が前に進めと渇望する。
しかし10分か。
それで彼女の振り絞った『魔力付与』が切れる。
その時、俺達は魔王に対する攻撃手段が尽き、犠牲覚悟の撤退戦へと移行しなくてはならない。
再度、前衛3人で魔王に迫る。
ケストの短剣が投擲され、魔王の右手に握られた杖の一振りで弾かれる。
その隙に急接近したドルデドムの槍が懐から突き出される。
魔王はケストを意識しながらも、槍を躱し残る左手でドルデドムを殴り飛ばす。
魔王の視界の端。
二人を見る魔王の視界の反対から俺は突っ込む、時間にして瞬き一回。
魔王は視線を動かし、俺を見据える。
俺は愛剣を振りおろし、魔王は杖を横薙ぎに。
腹部が消失したかのような鈍い鈍痛と共に壁に向かってぶっ飛ばされる。
鎧がひじゃげ、地面には俺の口から鮮血がまき散らされ、散々だ。
そして視界の先。
魔王さまは……地面を見ていた。
地面に落ちた自分の『左手』を見て初めて表情に驚愕が混じり始める。
ふらつく足。
血を失い始めて頭痛は酷く、仲間達も以下同文。
制限時間はあと9分30秒。
「充分だ!」