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勇者と魔王は月光の下で踊り狂う  作者: みのまむし
第一章 片目の少年
18/59

其之十五 シスターと片目の少年 後編

 夜が来て。

 その夜、私は再びに庭に出ていた。

 そして私はやはり庭でお酒を飲んでいた。

 今日は私が先にイスに座り月を眺めていた、今宵は満月。

 お酒のお相手は、赤い赤いお月様。

 そんなお相手の光を頼りに私は手紙を読んでいた。色褪せた古い手紙を月明かりの下で。



『もう直ぐ帰れます。貴方の元で再び働ける日を楽しみにしています』



 そんな出だしで書かれた、そして叶わなかった手紙を。

 羽根も生え揃い大空を自由に泳ぐ大鳥が、こんな小さな巣に帰りたいと、『あの娘』は言った。トリフェ領の教会からは司祭や、それ以上の待遇として声を掛けて貰っていたと言う。


 彼女が望むなら、地位も名誉も手に入るだろうに。

 手紙の中には『ようやく孤児院をお手伝いしてシスターに御恩を返せます』なんて書いてくれていた。

 私は何もしていないのに、私のしたことは教典を読み聞かせただけだ。

 それなのに。

 そんな彼女の手紙の文末を見て涙が滲んだ。




 魔王が討たれ、『もうすぐ帰ります』という手紙が来て私は喜々として日々を過ごしていた。15年にも及んだ魔王との戦争も終わった。

 孤児達も減って、成長した彼らの働き口も増えて行くだろう。

 きっと世界は良くなる。

 魔物が減って世界は秩序を取り戻すに違いない、私は今日の幸せをイシス神への祈りを唱えない日はなかった。


 この手紙が来るまでは……。

『あの娘』からの最後の手紙が届いたのは、すでに『処刑』が行われた後だった。

 トリフェ騎士の一人が宮中から白い目で見られるのを覚悟し、無理をして運んでくれたのだった。


 私が祈りを捧げる教会に入って来たその騎士は、美しい女騎士だった。

 だが、酷く窶れて、打ちひしがれているようだった。私に会うと言葉を選びつつ、沈痛な面持ちで私に『勇者とその仲間』が罪人として処刑された旨を私に伝えた。

 『罪人』の遺体は王都の片隅で焼かれ、朽ち落ちた遺体は他の罪人と共に墓地へ打ち捨てられ、もはや判別はつかず……。

 辛うじて残った遺品は全て他の仲間達と共に勇者の故郷に埋葬されたと言う。


 訳がわからなかった。

 信じられなかった。


 騎士の言葉を信じられず、信頼できる方に教会と孤児院を任せ、一人王都に駆け付けた私は高札に掲げられた中に、『あの娘』の名前を見つけてしまった。

 処刑の際にはイシス聖女様と大司教様の連名の入った罪状が読み上げられたという。

 特に聖女様にはお会いした事はなかったが、普段からその人柄には敬愛の念を抱いていたのだ。


 そんな聖女様が、イシス神の名を出し処刑に署名されたと言う。

 私が失意の内に町へ戻った時には、勇者と共に『あの娘』の死が噂になっていた。

 同時に町の人たちの態度も変わった。人種の裏切り者を出した教会というレッテルが張られ、私に対しての笑顔はよそよそしい作り物になった。


 人の噂はいずれ時が解決してくれる。真実はいずれ明かされる。そう願い……また自身に思い込ませた。

 その願いとは裏腹に町での私の居場所は徐々になくなり、使いに出た孤児院の子供達までもが生傷を作って帰って来る事が出始めた。


 孤児院を後援してくれていた、いくつもの貴族達から、援助打ち切る文が届き、直ぐにその文すらも途絶えた。まるで過去の自分達の汚点に蓋をするように。愚かな間違いを閉じ込めるように。


 辛うじて残っているのは当主を病で亡くし没落の道を歩む、新たなトリフェ卿だけだった。

 しかし領地経営は苦しくその寄付も長くは続かないだろう事は今のトリフェ領の噂を聞けば十分に理解できた。

 私が嫌われるのは一向に構わない。しかし同時に疑惑の目を向けられる、孤児院の子どもたちが哀れだ。

 同時に忍び寄る貧困と飢え。

 私に知られないようにミリタリアが子供達の生傷を治癒魔術で治し、フリッツは過去の全てを取り戻し、屈服させ、従わせようと剣に手を伸ばした。


『いっそ人目を引かぬ山奥に引越そうか』


 そう何度も考えた。


 しかし考えるだけで実行に移せない私は、信じていない神を子供たちには、『イシス神は偉大なり、慈悲深き大神なり』と説き伏せる。


 『イシス神はこんな状況でも挫けぬ者を見捨てはしません』と。


 昼間は気丈な仮面を貼り付け、揺らいだ信仰を子供達に押し付ける。……もはや私は聖職者ではない、単なる薄汚れた詐欺師だ。


 もはや素面ではいられなかった、正気ではいられなかった。

 気がつくと祈祷、祝福の葡萄酒は私の喉を通過し、胃を満たした。

 神は最早、私の悩みを打ち明ける相手では無くなった。


 夜、子供達に隠れて虚空に向かい溜息と涙を零す私を月だけが見ていた。

 月の夜に私は月に向かい語りかけた。愚痴を言う相手は神の代わりに、物言わぬお月様だけ。……いよいよ私も救いが無い。

 信ずべき神を信じられず、イシスという組織には見放された。飢えと貧困は確実に迫り来ているが名案もあるはずが無い。

 パンの支払いすら事欠く有様だ、もし少年が銅貨を寄進してくれなければスミス氏との話し合いはどうなっていただろう。



「夜逃げでもしますかね……」



 子供達をこの町に置いて人気の無い山奥に。

 今、町の人に疎まれているのは『裏切り者を育てた魔女』だ。

 私一人が消えれば子供達は、また町という群れに認められまたかつての生活に帰れるかも知れない。彼ら彼女らは私と血の繋がっていない子供達だ、私の咎までその身に受ける必要はないのだ。


 だけど、だけれど……。

 『家族』と離れるのは辛い。

 私は『あの娘』を失っている、最早誰とも離れたくない。

 そう願う私は……。



「神よ。そんな私は……ワガママですか?」



 そう問いに、見上げる月は今日も答えてはくれない。

 ただ無言に世界を照らすのみ。

 だが声は背後から聞こえた。



「先を越されましたか……残念」



 虫の声しか聞こえないその場に草を踏む足音が響く。子供達の足音は全て分かる、その誰でもなかったので私は隠す事もなく酒を飲み続けた。



「二度目ですね。やはり貴方は月と語らう事がお好きな様だ」



 私が月を見ていると、月と語り合っていると現れる。少年も月と語るのが好きなのだろうか?あまり前向きな趣味とは思えないですが。



「ごめんなさいね。お客人にこんな姿で」



 振り向くと、いつもの笑みに予想通りの姿。分かってはいたが、言葉に出すと同時に私は見られたのが彼で安心した。彼ならば何を見られようと、いつかは居なくなる存在だ。

 子供達にはとても見せられない。

 彼ら彼女らが慕ってくれる女が罰則を犯し酒に溺れる姿など。

 愚痴を月に向かい吐き捨てる寂しい女の姿など。

 そんな女の姿を夜の闇で隠さず、その光で私を闇夜から浮かび上がらせるその月は、今の私にはとても意地悪に思えた。



「……月がこんなに綺麗なのに。月の女神さまはお優しくないのね」


「そうでしょうか?僕は好きですよ、月の女神様。だっていつでも僕らを見ていてくれるじゃないですか。

辛い時も悲しい時も、嬉しい時も楽しい時も、夜の時はいつも月の女神様と共有できる。

もし夜空に月が無くて、夜がもっと暗く辛いものだったら、僕はもっと夜が嫌いで、闇を恐れたと思います」



 分かっている、分かってはいるのだ。

 月の女神様に罪を着せるのは間違っていると。ただ、こんな姿は他人に見られたくなかったから。闇夜に溶けて消えてしまいたかったから。


「ここの子供達は粒ぞろいですね。男子は熱意に溢れ、女子は治癒魔術を駆使する。将来が楽しみだ」



「……フリッツを冒険者にでもするつもりですか?」


「彼が望んだのですよ?力が無くて後悔するよりは、余程いいのではないですか?」



 中途半端な力など、きっとない方がいい。

 『あの娘』には才能があった、力があった信頼に足る仲間を見抜く眼力があった。だからめげず挫けず諦めずに魔王と対面した。……してしまった。

 だからこそ、『あの娘』は信じた組織に切り捨てられたのだ。……イシス聖女と大司教の名において。



「フリッツを宥めてくれた事には感謝しますが……」


「誰にでも吐ける正論を振りかざしただけですよ。そして今のあの子に必要なのはその正論を胸に刻んでやる親だと思うのですがね」



 親……か。


 何度自問自答しただろう、『私に親の資格はあるのだろうか?』そう自身に問いかけた。

 私は神に仕え独身で今日まで歩み、意味合いは違うが『未婚の母』とも言えなくもない。

 少年は先日と同じように懐から『葡萄ジュース』を取り出しテーブルに置いた。先日と同じように、無造作に。

 だが、先日とは違う部分を私の視線は見つけていた。


『傷』


 少年の指に幾つか刺し傷の様な小さな傷を、複数。決して大きな物ではない、注意していなければ……。

 月の光が後少し少なかったら光量が足りずに見逃してしまっただろう。きっと今日が満月だから気が付けた些細な奇跡。



「あら?その傷は?」


「これは……えーと。その……」



 不味いものを見られた、とバツが悪そうな顔はフリッツそっくりだった。彼も歳ごろの少年なんだと再確認させられる、ならば私が取るべき行動は日常と何ら変わりはしない。



「見せてご覧なさい」



 やや戸惑い躊躇するが、私は右手を差出し待ち続けた。

 孤児院に来たばかりの、辛いそれまでの生活から他者を極端に恐れる子には、他者との距離が離れすぎている子には、手を差し伸べる。

 私はずっとそうして来た。

 今は自分からは強引に少年の手を取りにいかない、男の子は手を差し出すくらいの勇気をもたないといけないから。



「貴方の手を見たい……嫌、ですか?」



 少年は数瞬、差し出した私の手をじっと眺め、無言で首を横に振った、そして渋々左手を私の手に乗せ、開いて見せた。

 その手は小さなそして冷たい手だった。

 誰もこの少年の手を温める存在はいなかったのだろうか。

 いや、私は少年の左目の包帯をみて思った。

 『いなくなってしまったのだろう』、と。


 その手に見えるのは若い女性には良くある刺し傷。私も若い頃は随分と拵えたものだ。



「これは縫い針による傷? 繕い物でもしたのですか?」


「……いや〜。昔から苦手でしてね。痛くは無いので気にしないで下さい、本当に。……痛みには慣れているので」



 その言葉尻はよく聞く言葉。

 孤児院の子供達が暗い目をして当たり前の様に吐き出す言葉。



「貴方が今日まで。どの様な生き方をして来たかは知りません。

だけど、痛みには慣れるなんて悲しい言葉……言わないで下さい。

貴方の様な年若い少年が痛みに慣れているという事実、それは世界にとって悲しむべき事実なのです。『紅月戦争』の際、その言葉を子供達に言わせない為に戦った人を、私は知っているのですから」



 孤児院に来る子供達には異常なまでに大人を恐れたり、身体を触られる事を嫌悪する子達がいる事がある。

 その子達にする様に、私は出来る限り優しくその左手を両手で包んだ。



「偉大なるイシス神よ、この者の傷に慈悲と祝福を……『神の癒手』」



 孤児達の痣を治す様に、フリッツやミリタリア、そしてかつて出会った『あの娘』にしたように。

 ああ、そうだ。

 『あの娘』はこれを『心の針』と呼んでいた。目に見えない心に深く刺さった傷。

 あの娘はいつも弟妹の『針』を抜こうと、癒やそうと躍起になっていた。


 私よりもずっと尊い在り方。

 ……今の私にはもうできない。

 今の私にできるのは、見える傷を癒す事だけ。子供達の心を癒す事は出来ないが、肉体に傷ついた傷を癒す事はまだ私にもできるのだから。

 私にはもう、それしかないのだから。

 そう考えている間に治癒が終わった。



「これで良し」


「ありがとう……ございます」



 照れくさそうに不器用なお礼。

 ここまで照れくさそうにその手を引っ込める彼は、しばらく他者に手を重ねられ、優しく包まれていないのだろう。きっと少年はしばらく他人の優しさに触れていないのだろう。

 ……良かった。

 この少年にこんな顔をさせられるのだ、私にも価値はある。他者を癒してあげられる、それが私に残る唯一の意味だ。



「明日朝一番で、僕は発ちます。これ以上ここに居ると……ずっと住み着きたくなってしまうから」


「やるべき事が終わって、時間ができたらいつでもいらっしゃいな。ここは神の家なのです、巡礼者たるあなたを誰も拒みはしませんよ?

それに、ほんの数日の間でしたが、あなたのお陰で子供たちは皆楽しそうでした。また会える日を楽しみにしています」



少年は考え込むように深く目を瞑り……。



「このご恩はいずれ」



 私の願いの返事はしなかった。

 そう、初めから言っていたではないか。私と少年の道は偶然混じり合っただけ、きっと再び出会う事は無いと。



「恩などと。私は恩の為に貴方を泊めたのではありません、ましてここは神の家。

屋根を欲する信徒に閉ざす門はありませんよ。まして貴方は神への寄進を行って下さった、神の加護は貴方に微笑む事でしょう」


「……その言葉がイシス大聖堂にも通じればいいんですがね」



 その言葉が少年の琴線に触れたのか、笑みが僅かに曇り、その言葉は私の心に刺さった『針』の痛みを深く感じさせた。



「……その言葉は決して他の教会では口になさいませんように。

人が集まれば、それは組織となります。組織の中には派閥が産まれ、他組織へ意思の阻害が始まります。

勝った組織は自己顕示が始まり他者を見下そうとします。

痩せた老人より、恰幅のよい方が威厳がまします。浮浪児のようなボロを着るより、豪奢な聖衣を着た方が言葉に有り難みが増します。誰も浮浪者の老人の言葉に耳を貸さないでしょう。

例えそれが聖者の金言であっても。全ての人が言葉だけに有り難みがを感じている訳では無いのです。権力者が常に正しく慈悲深いとは限らないのですから」


「失礼ながら……それはご自身に対する言い訳ですか?」


「なんですって?」



 少年から……いや私からも口に出た言葉には、厳しい棘が生えていた。

 その棘は的確に私の中の棘に反応し鈍い痛みが心に走る。

 貴方の様な子供に私の何が分かるというのか。少なくとも私は貴方の二倍の時を生きている筈だ。

 少なくとも何も知らないこの少年に私の言葉をとやかく言う資格は無い筈ではないか。



「僕には……俺にはあんたが零したモノを諦める為に、自分自身に言い聞かせてる様にしか見えねぇよ。……少なくとも俺は諦めたりしない。醜く足掻いて踠いて、全てをぶち壊した奴らに思い知らせてやる」



 仮面が剥がれるように、笑みを崩したその顔は絶望と苦痛にまみれ怒りと憎しが溢れていた。

 よく知った表情だ。

 『あの娘』の死を知った時、私も鏡で毎日見ていた顔だから。

 今の私がその顔をしなくなったのは、子供達が一緒に泣いてくれたからに他ならない。

 目の前の少年は一人で、今もそんな道を歩んでいるのだろうか。ならば……それはきっと悲しい事だ。


 しかしそれでも、私は少年に感謝もした。

 この少年は今、その笑顔に彩った仮面を自ら引き剥がし、私に対して仮面の下、心の内を曝け出してくれた。

 少年が私に対して率直な心の内を、笑みという仮面の下に隠れた有りのままの激情を語ってくれた事が嬉しかった。

 無知な私には少年の事情は全く分からなかったけれど。

 その言葉の意味も大半は理解出来なかったけれど。


 これは機会なのだろう。

 この少年は機会をくれた。

 少年にとって精一杯に手を伸ばして、私の棘を引き抜く機会をくれているのだ。

 孤児院の子供達に対しては決して吐き出せない『棘』の痛み。 


 私は……何を語ればいい。

 この少年に何を打ち明ければいい?

 何を懺悔すればいい?

 最早、信じられないイシス神ではない、この少年に対して語るべき私の心に刺さった棘はなに?


 問う。

 自身の心に。



『シスター・シルヴィ、貴方は何を言いたいのですか?』



 言いたい事?そんなものは……ない。

 私は満たされているから。



『……嘘つき』



 そうやっていつも貴方は他者に心を開かない。

 貴方が赦しを願うのは『イシス神』だけ。

 そして貴方は三年前のあの日から、あの手紙を読んだその日から。

 神にすら心を開いていない。


 だって。




『だって何?』



 だって神は、聖女様は……。

 私から『あの娘』を……。


 駄目だ。

 言ってはいけない。

 この先はいけない。



『言いなさい!』



 地震のように揺れる心を内に、私の視線は息荒く少年を見つめる。

 出会ったばかりの時とは違う、笑みはもう浮かべていない。代わりにその目は真摯に透き通り、私を見つめる。

 綺麗な目だ。憎悪と嫌悪と、そして一欠けらの愛情。


 ただそれだけ。


 それ以外には何も考えていない、思っていない。

 その目が言っていた。

 『あの娘』について聞かせてくれと。 



「……私は『あの娘』に赦されたいのです。私の導いた先で神に裏切られた、あの優しくも健気な少女に」



 『針』が痛む。



「それが貴方の『心の針』ですか?」


「死者は生者に語りかける事は出来ません。きっとあの娘は私を赦してくれる。私の頭によぎるあの娘は、いつも笑顔でいる。太陽のように輝きながら私を抱きしめてくれる。


 でも、そのあの娘は私の頭の中で生み出した妄想で……本当は私を憎んでいるに違いないから!私があの娘に歩まなくても良い荊の道を押し付けたのだから!その荊の道をあの娘は歩みきり、魔王と戦い……信じた神に裏切られた!」



 懺悔ではない。

 ただ心にあった、三年間叫びたかった、その言葉を絶叫するかの如く吐き出した。

 痛かった、入れる針は返しでも付いたかのようにわたしの心に深く食い込んで抜けたくないと抗った。

 私はこの痛みから逃れられないだろう、永遠に。



「許しますよ」



 穏やかな声だった。

 私に投げかけられた声、目の前の少年の声は。



「僕が許しますよ。彼女の代わりに僕が許します。

僕は彼女の過去を知りません、だけど貴方の知らない彼女の旅路を知っている。

知らないでしょう?彼女が貴方への手紙を書くとき、どんなに幸せそうな表情だったか?赦すに決まっているじゃないですか。そもそもあの人は貴方を怨んだりしませんって」


 本当に?



「昔、彼女が家出した時。貴方は必死に探し、二つ離れた村でようやく彼女見つけた。

怯え泣きじゃくる彼女に貴方はこう言った『心配をかけさせないで!』。

駆け回ったであろう服と髪は土埃にまみれ、涙を湛えた目に隈を拵えて」



 ああ、そうだ。そんな事もあった。

 あの子を探しに声を枯らして辺りを探し回った。

 あの時に……私達は。



「『逃亡』と『捜索』。役の違う二人は共に帰り、疲れ切った二人は一緒のベッドで泥のように眠った。

翌日、貴方が遅めの目覚めを得た時、彼女ははにかみながら朝食の準備をしていた」



 家族となったのだ。



「朝食の最後に彼女は言った、『ありがとう』と。貴方はこう返した『許しますとも、家族じゃないですか』」



 そう、私は……。

 イシス神でも誰でもない。

 生ける生者に一言。

たった一言でいい。



「彼女は万の敵と戦いながら、同時に貴方のように多くの罪人を赦して来ました。

だから彼女はこう言うと思います。ただ一言……『許します』と」



 ……許して欲しかったのだ。



「願わくば貴方には幸せになって欲しい。貴方はそれだけの事をして来たのだから。

だから幸せになって下さい。

彼女が誰よりも貴方の幸せを願っているから……彼女の分まで幸せになって下さい。シスター・シルヴィ」



 ああ、痛みが引いてゆく。

 この三年、溜め込んできた『針』の痛みが。



「そして、本当にありがとう。『俺』と彼女を引き会わせてくれて」



 いつしか少年は一筋の涙を零していた。

 包帯の無い右目から一筋の涙が、月の光を浴びて宝石の如く。

 その言葉は優しく、今まで聞いたどんな経典の言葉よりも私の心に染み渡る。

 ああ、そうか。

 この少年はきっと。余りにも不甲斐ない私を見かねた、あの娘が遣わした天の御使みつかいなのだ。


 ならせめて、今だけは。

 今日だけはもう少し、その胸で泣かせてもらおう。

 私はまるで少女の様にその胸で泣きじゃくった。





 そんな私を、彼と……お月様だけが見ていた。







ーーーーーーーー






「……シスター。シスター・シルヴィ。こんなところで寝ると風邪ひきますよ」



 ミリタリアが心配そうな顔で、テーブルにつっぷし寝込んだ私を覗き込んでいた。

 その後ろには同様の表情のフリッツも見えた。

 ……ああ、またこの子達に心配をかけてしまった。



「あれこの酒瓶。あの冒険者の方のですか?一緒にお月見でもしたんですか?!なんだぁ、誘っていただければよかったのに。それで彼は?」



 ミリタリアがテーブルを片付け、辺りを見回しながら矢継ぎ早に聞いて来た。



「あの冒険者の方なら今朝早く旅立たたれましたよ」



 あの少年はきっともう私の前には姿を現さないだろう。

 ミリタリアはしゅんとして『お別れくらい言いたかったなぁ』とぼやき、フリッツも眉を寄せて何か言いたげだ。

 いつか離れると分かってはいても、弟子として別れの挨拶くらいはしたかったのだろう。

 ふと肩に違和感を感じた、見ると私の修道服の上に一着の古いローブが掛けられていた。

 見覚えのない物だ。

 あの少年が最後に私に掛けてくれたのであろうか。

 そう思い私は、古い裾の擦り切れたローブを、そっと丁寧に折りたたんでテーブルに置いた。



 ……すると、辺りに金属音が響いた。



『?』



 鍵でも落としたかと腰に手をやるが鍵束は変わらずに腰に付いている。

 辺りを見回すと、ローブを置いた卓上に一枚のコインが落ちていた……。



 金貨だ。



 燻げに金貨を眺めた。

 最近、貧窮したこの教会事情では見る事も無くなった最高通貨である一枚。

 この教会ならばこれ一枚で一年は優に運営を維持し、食べていける。


 それがなぜか卓上に転がっていた。

 背後にいたミリタリアとフリッツも同様に訝しげだ。

 疑問に度惑いながら私はローブを手に取った……すると。


 また、金属音が響いた。

 今度は連続でだ。そしてその音は止む事は無く。

 ローブの隙間から金貨が溢れてくる、まるでテーブルを覆いつくさんばかりの勢いで。

 甲高い金属音を響かせながら、後から後から途切れる事無く。



「これは……」



 そこで思い当った。

 メジャーなマジックアイテムの1つを。


『収納のローブ』



 収納の魔術を袋やローブ、マントに織り込み品物を空間に収納する冒険者の必需品。魔術品に疎い私でも知っている品だ。

 そのローブに金貨が納められていたのだろう。だがなぜ?


 思考を巡らせる間にも、ローブに納められていたであろう中身が卓上に溢れでていた。

 気がつくともう、テーブルの台部分は金貨の山に埋まり、見えなくなっていて、それでも音は止まなくて……。

 どれだけの時が過ぎただろうか。

 ようやく金貨の音が止んだ時、私は震える手で、そのローブをその手取ってにしっかりと眺めた。



 その時。



『ガチャリ』



 記憶の扉が開いた音がした。

 同時にわき上がる懐かしい感触。

 ……いつだったか。

 やはり裕福では無いこの孤児院を旅立つ若鳥に、この様なローブを贈った記憶がある。


 私自身の手で入り慣れぬ冒険者の店に行き買い付けた『収納』の魔術の織り込まれたローブ。

 中古の安物で大した量の収納ができる訳でもない。

 それでも彼女は、『あの娘』は宝物の様に喜んでくれた。


 しかし、それがここにある訳が無い。

 彼女は……『あの娘』は死んだのだから。

 他ならぬイシス教の聖女の名の下に処刑台へ消えたのだから。


 だから……。

 震える手はローブの裏地の確認を拒否した。



「シスター・シルヴィ……私が」



 ミリタリアが優しく私の肩を支えてくれた。

 フリッツも無言で『俺が見ようか?』と目で聞いていた。


 大丈夫。


 私の役目だ。

 私がしなくてはいけない役目なのだ。

 震える手でローブの内側を確認する。



『俺の大切な仲間の先生へ』



 慣れていないのか、やや荒い刺繍が視界に飛び込んで来た。

 それはローブの内側に真新しい刺繍で縫われたメッセージ。


 しかしそれ以上に目についたのは。

 そのメッセージの下に在ったのは……。



 そこに縫い込まれ書かれた名前。

 見慣れた刺繍で……他ならぬ過去の『私自身』の刺繍で縫われた『あの娘』の名前。



 ……私はそのローブの襟に縫われた名を見て涙が止まらなかった。

 ローブを握り締め、込み上げる嗚咽止める事が出来ず。




 そこに在った愛しい彼女の名は……。



遅くなりました。

前中後編合わせて30000文字超え。

5000文字くらいでパッと纏めるはずだったのですが……。

「なろう」で私の好きな小説を書いていらっしゃる方は毎週毎週20000文字を定期的に更新されて本当に驚き尊敬するばかりです。


私の場合、『調子が良くて』今回の30000文字でおよそ一か月でした。

比べるとまだまだ遅筆ですが、自身の出せる最大速で今後も書いて行きますので、ブクマして頂いた本日の時点で4名の方に感謝しつつ、今回は以上とさせて頂きます。


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