其之十 月灯りと誕生
目が覚めた。
起きると全身に残る倦怠感はそのままだったが、痛みが嘘のように消えていた。
「ん……?」
身を起こすと額にタオル代わりの布が当てられていた。
毛布は汗でびちゃびちゃで寝心地は最悪に近かったが、額の布だけがヒンヤリと俺を心地よくしてくれる。
視線をずらせば、枕元の机にはたらいに入れられた水と変えの布。
その机に突っ伏しヨダレを垂らし寝ているのはには……手をあかぎれで腫らしたリリル。
なんか色々台無しの顔だ。
感謝すべきか叩き起こすべきか……。
「起きたか」
思案にふけっていて気づくのが遅れた、仮面の妖術師は通常通りだ。
「まず聞こう、お前は勇者か?それとも『魔王様』ですかな?」
こいつとしては後者の方が万々歳なんだろうが……。
「おいおい、ザクエス?
魔王との会話聞いてただろ?俺の身体をくれてやるのは十年後さ」
……そうは問屋が卸さないってな。
俺は高いぜ、ザクエス。
「ふむ、三日三晩叫び続けその姿になって尚、魔王様をその目に宿しつつ自我を保つ。
流石は勇者か、ここは素直に驚嘆しておこう。して身体の調子はどうだね?」
「ああ、身体が軽い。今までの人生で一、二を争うぐらいの絶好調だ。……腹減っている以外はな」
あの痛み、数年続いた様に感じたがたった三日かよ。後一日続いてたら持たなかったな。
「そうか、リリルに何か用意させよう。紅玉様は、起きていらっしゃるのか?」
「いや、返事がない。寝てるのか?」
左目を指し示しザクエスに告げる。
指で軽くなぞると本来の柔らかい眼球とは近かった硬質の硬い感触。
同時に見慣れたはずの指に、いや手に違和感が……ある。
「あれ?」
「如何したかな?」
「……いや。俺の手ってこんなに綺麗だったか?」
いや、そもそも全体的にほっそりとした頼りない印象の手だ。
産まれてこの方見続けて来た手だ、見間違い様がない。
手のひらに剣を振り続けた剣だこもなく、作り続けた刀傷も見当たらない。
慌てて自信に掛けられた毛布を剥ぎ取り、全身を注意深く凝視する。
駆けだしの頃、ハイウルフに噛まれた脚傷が無かった。
ならず者の山賊に囲まれ逃げ出した際に負った肩の傷が無かった。
何より……魔王につけられた全身に広がった火傷の痕が無かった。
「グゥブフフ……勇者よ、ここに鏡があるが……見るかな?」
仮面で顔は見えないが言葉の節々から嫌らしい、挑発するような感情がひしひしと。
ひったくるように奪おうとして、手が止まる。
何か恐ろしいものを覗き込もうとしているのでは……。
既に俺の身体は無く鏡には何も映らないのではないか?
ザクエスの仮面の下の様に直視し難い姿になっているんじゃないか?
嫌な妄想が脳をよぎる。
『どうしたのかね?』再度ザクエスの問いかけ。
嘲笑するかの笑い、仮面で表情は見えないがきっとこいつは今、俺を馬鹿にしている。
恐怖を飲み込み、俺は鏡を奪い……見た。
牙が生えてる訳でも、ツノが伸びてる訳でもない。
そこにいたのは確かに『ルトーシェ』だった。
確かに俺だ。
見覚えのある『ルトーシェ』だ。
だが……この姿は……。
「説明しろ、ザクエス」
「魔王様の為さる事などワシには及びも付かんね。魔王様はなんと?」
「寝てるって言ってるだろ!」
広くはない室内に響く怒声。
リリルが慌てて覚醒し、口元に気づき慌てて涎を拭うのを横目に、俺はザクエスに鏡を投げ返す……が。
その手は、その腕は、大人と言うには未成熟の成長途中。
ザクエスに怒鳴りちらす、その声は甲高くまだ男らしい低さが無い。
ザクエスが受け取った鏡を再度俺に向けた。
鏡には映ったのは……忌々しそうに鏡を睨む、生意気そうな未成熟の『ガキ』がいた。
その顔は、見覚えのある『ルトーシェ』だ。
故郷の村を飛び出した頃の直向きで不器用で……世界はハッピーエンドで終わる事を信じて疑わない、世間知らずな子どものあの頃と変わらない子供の『ルトーシェ』がいた。
見た目は14、15歳だろうか。
道理で手が小さく感じるはずだ。
注意して見れば声も高く、喉仏もまだ出始めたばかりだ。
しかし、細部は異なる。
ロリーナが好きだと言ってくれた鳶色だった瞳は、左目の宝石のように、紅く色付き。
薄っすらと茶色がかった黒髪は、赤毛に染まり。
旅の間に日に焼けた肌は、まるで赤子の肌のごとく純白に張りを輝かせ。
……印象が全く違う。
肌と瞳、髪の色が変化し体型が子供に戻っていた。
第三者として見ればまず『ルトーシェ』とは思わないだろう。
左目を除くすべての傷が新たな肌により消えた。
髪も、瞳も、声も、歳も。
顔は幼いルトーシェなのに、顔を構成するパーツが異なるだけで別人の如き存在がそこにいた。
「グゥブフフ……。眼と髪は魔王様の影響だろう、あの方の魔力はその名の色を持つ。
そして、他者に加護を与えた場合、その魔力もまた色を宿した加護を与える……歳の理由までは知らんがね」
ザクエスはいつの間にかリリルが用意したであろうパンの乗った机を指差し促す。
「碌なものは用意出来ぬが腹を満たすがいい」
飢えは正直だ。
腹は安っぽい硬そうなパンを食いたがって止まない。
だが……。
「親父の作ったパンが食いてぇなぁ……」
数年前から、ずっと。
どんなご馳走より食いたかったパンがあった。
こんな身体になった俺を、親父は、門番の爺さんは気付くだろうか。
気づいてくれるだろうか。
「……勇者よ、何を言って?」
背後に給仕よろしく控えたリリルが眉を寄せるが無視した。
「ザクエス、悪いけど俺は村に帰るわ……」
「勇者よ、お前!?」
いち早く、ザクエスは俺を取り巻く魔素の変化に気づいたようだ。
何やら魔術を唱える俺を拘束しようとする。
そんなザクエスを嘲笑うかの様に。
先程のお返しとばかりに。
俺は唱えた。
「『渡る、あの場所へ……転移する』」
世界中から選抜された精鋭中の精鋭の魔術師。
そいつらが青筋浮かべて数人がかりでうんうん唸って漸く発動する大魔術。
自身と装備を最小の魔素に細分化し指定の位置に再結成するその術を。
人種にとってアブトス王家が牛耳り、秘術中の秘術と言われるそれをアッサリと。
魔力に縁の無かった俺は、今日初めて魔術を使った。
『ほぅ、我が魔力を、我が魔術を行使するか』
いつの間にか俺の左目の奥で、魔王は楽しそうに笑っていた。
ーーーーーーーーーーーー
〜石竜歴 410年4月〜
アブトス王国辺境ー名もなき村
石竜歴 410年の今日、もう10年以上になろうかという、魔王とその配下の魔物との戦争はいっこうに終わる気配を見せなかった。
13歳だった俺は、偶然お使いに出た先のアブトスの街の片隅に貼られた『魔王と戦う勇敢な兵士を求む!君の勇気が世界を救う第一歩だ!』という張り紙を、見て心を決めた。
別に英雄になりたいとか思ったわけじゃない、自分のできる事をしたかったからだ。
アブトス王国の辺境中の辺境と言われる田舎と呼ばれる村で畑を耕すのもいいと思う、俺は畑仕事好きだった。
だけど人種どころかこの大地に住む、すべての種族が魔王の率いる魔物によって脅かされているのに、畑仕事に精を出すのは何か違う気がした。
畑仕事は魔王が死んでからでも出来る、だけど魔王がすべての種族を滅ぼしたときに畑仕事をするものは、もはや存在しないのだから。
お使いから戻った俺は親父にそう切り出した。
毎日、土をいじり畑で鍬を持ったごつごつとした分厚い手で、俺の頭を撫でて親父は『好きにしろ』、そう言ってくれた。
その表情は厳しく、本心では反対だったのだろう。
このまま畑で平穏な毎日を送ってほしかったのだろう。
だけど、あえて親として、家長として命令せず、俺に対して一人の男として扱い、その意見を尊重してくれた。
その日、親父は初めて俺に酒を飲むことを認めてくれ、俺は苦い麦酒を不味そうに、親父はそんな俺を見て嬉しそうに飲んだ。
翌日、二日酔いというモノを初めて経験し、床を這いずっていた俺に親父は乱暴に剣を放り投げた。
『俺の爺さんが若いころに村を飛び出したときに使ってたらしい、錆が浮いているが砥げば何とか使えるだろう』、そんな言葉を聞いて飛び起きた。
初めて、身近に見る剣という武器、鍬でもない、鉈でもない、鎌でもない。
敵を倒す為に特化した『刃物』がそこにあり、鞘から抜くと鈍い光を放った。
自然と胸が熱くなった、俺も男だなと再自覚した。
早速、納屋から砥石を持ち出して錆を落とした後、村の兵士詰所へ行って暇そうにしている門番のじいさんに剣の稽古をお願いした。
辺境の村だ、剣を扱える人間なんていやしない、俺が知っている剣を持っている人間は時たま来る冒険者か、王都でここを修める王様が、一応『治安維持』という名目で派遣してきているこのじいさんしかいない。
こんな田舎に盗賊なんて出る訳もなく、村の諍いは村長が裁く。
兵士の爺さんは暇そうに村の入り口で毎日、村人に挨拶しながら突っ立ってるだけだ。
俺は酒を手土産に必死に頼み込んで空いている時間に稽古をつけて貰う事に成功した。
じいさんは傭兵上がりというやつで、昔は傭兵稼業をしてあちこちで転戦したと酒を飲みながら自慢話をいつもした。
そして歳を重ね、体力も衰えた所で伝手のあった貴族に頼み込み、下っ端兵士として安定収入を得つつ、穏やかな老後を迎えているところだ、そんな事を語っていた。
その話は、本当かどうかは分からない、だがじいさんは剣士としては一流ではないものの、そこいらの冒険者よりは腕は良かったようだ。
今だからこそ、こうして爺さんの腕を振り返れるが、当時の俺はこの爺さんが伝説の将軍や英雄が隠居してここにいるのではないか?と思えるほどに大きな壁として立ちはだかってた。
『わしに勝てんで魔物に勝とうなんぞ、笑い話じゃな』
その言葉を何百回、何千回聞いただろう。
『俺が倒そうとしているのは魔王だ!』
その言葉を同じ回数だけ言い返した。
俺の未熟な筋肉の付いていない体が重い剣に振り回され、バランスを崩された所に背後に回られた爺さんから蹴られ、無様に土を舐めた。
そんな日々があっという間に……二年が経った。
15になった俺は、ようやく爺さんを追い越した。
爺さんは悔しさ半分、嬉しさ半分と言った表情で『儂なんぞより強い奴はいくらでもおる、まして魔物は人種の数倍の筋力を持つ者、数倍の敏捷性を持つ者、そして数倍の魔力を持つ者、様々じゃ。
絶対に「自分が世界最強だ」などと驕るなよ』、そう言ってお古の軽鎧を俺にくれた。
笑顔で頷く俺に、爺さんは『ほんとにわかっとんのか……』とぶつぶつ小言を言いながら門番の仕事に戻って行った。
その足で、俺は親父に、三日後に旅立つことを伝えた。
それから俺は旅支度を整えながら村長を始め、村のみんなに挨拶して親父の畑を手伝った。
その間、親父との間に特別な会話は特に無かった。
旅に出る前日、俺は親父と一緒に一日中鍬を振るった。
これが俺なりの別れの言葉で、そして俺の横で同じように鍬を振るう親父の態度が、俺への言葉だとそう思った。
旅立ちの日の朝、親父は蓄えた財産の内、半分を俺にくれた。
『キツくなったらいつでも帰ってこい、ここがお前の家なのだから。逃げかえってもわしはお前を馬鹿にせん』
その言葉に、『ここは「魔王を倒すまで帰って来るな」と言うところじゃないのか?』と言うと『農家の跡取りに負ける魔王なんぞいるのか?』と真顔で言い返された。
母さんの墓参りを最後にして、俺は町へと旅に出た。
おとぎ話での物語だと、ここで幼馴染の可愛い子や、同じく腐れ縁の兄弟分が一緒に旅について来てくれるのだが、俺にそんなものはいなかった。
それで良いと思っていた。
美女の為に剣をとるなんて柄じゃない、見知らぬ誰かを笑顔にする為に旅に出るんだ。
皮袋には旅の荷物と親父の育てた小麦で焼いたパンを詰め込めるだけ。
決して最高級と言えるものじゃないけど……。
産まれた土地で、育った水で、尊敬する男が造ったパンだ。
俺には世界のどんな美食よりも口にあう。
いつかこの村に帰る時に胸を張って帰ろうと誓い、俺は村の入り口を後にした。
ーーーーーーーーーーーー
〜石竜歴 415年6月〜
焼けていた……。
記憶にある木をアーチにした村の入り口は、煤けて黒墨となって、かつて村がそこにあった証拠として残っていた。
「俺たちはやってねぇ!悪くねぇ……本当だ!」
俺の眼前には焼き尽くされた村の名残と荒らされた田畑。
そして無様に尻餅をつき喚き散らす野盗らしき男たち。
魔術が完成し、村の入り口に戻った俺を出迎えたのは親父でも、門番の爺さんでもなかった。
焼かれ炎の残り火が燻る村であった場所を闊歩していたのは、火事場泥棒をしていたこいつらだ。
壊滅した村に貧相なボロ布を纏っただけの子どもが一人村に現れたのを見て、野盗達はどういう態度を取るか?
下卑た笑みを浮かべ仲間を呼び『商品』の確保に動きだした。
十人程の男達が村のあちこちから現れる。
「坊主、悪く思うなよ。恨むんなら運の無い自分を恨むんだな。なぁに奴隷暮らしもなれりゃ悪いもんじゃないって言うぜ?」
子どもの見てくれで、ずっと俯いたその姿を見て、自分の未来を夢想し、絶望に打ちひしがれていると思っているのだろう。
確かに絶望はしていたが、その原因は別にある。
野盗達が俺を拘束しようと手を伸ばす。
人数も体格も武器も全てが有利。
……だが、この場合。
狩るものと狩られる者は全くの逆だったのだが。
彼らは知らない。
その『商品』が、かりに彼らが十倍の戦力が居ても勝つ事の出来ないであろう相手だと。
冒険者の中で、最高峰の一人と言われる剣の使い手であり、魔王と戦い生き残った男だと。
一時、世界の半分を支配し、世界一の魔力を持った魔王の魔力を行使して此処に現れた事を。
名誉を、仲間を、恋人を、そして今、故郷を失った彼の心が砕けた音を。
……彼らは知らない。
ぶつんと。
子どもの如き細腕の一振りで、不用意に近づいた男から首から上が消えた。
「えっ……?」
間抜けた声はどの野盗だったのか。
更に一振り。
近くにいた男の上半身が下半身を残し、悪い冗談みたいに村の隅へ転がっていった。
「……畜生、『肉体強化』だ!こいつ、魔族だ!!
魔剣持ってる奴は構えろ!持ってねぇ奴は撹乱!援護しろ!」
剣を抜き放ち構えた野盗達を俺は無表情に眺めた。
…………。
………………。
……………………。
そして物語は先程の場面に戻る。
眼前には恐怖の為か腰を抜かして尻餅をつく男達。
いつしか夕陽は沈み始め夜の時間が始まろうとしていた。
夜の虫達が騒ぎ出す中で、俺の耳に不快な音が耳に入る。
ぐちゃりと。
人種には決して不可能、人種のなかで一、二を争う程の硬度を誇る頭部を、俺は林檎のように握り潰した。
……何も感じない。
冒険者時代から魔物、魔族を斬り捨て多くの命を奪って来た。
夜盗、山賊と戦って命を奪った事もあった。
だけど。
ここまで心が動かない事は無かった。
あの日、初めて野盗と戦い……命を奪った夜。
罪悪感に襲われ一睡も出来なかった。
出会って間も無いシスティは『それで良いんですよ、命の重みがいつか『只の数』なってしまったら人は魔物と変わりませんから』。
そういって優しく頭を撫でてくれた。
そのシスティはもういない。
生き残るのは数人になった男達、辺りには虫と畑の肥やしになった肉塊がいくつか散らかっていた。
「降伏する、させてくれ!俺たちは金目の物が残っていないか見に来ただけのケチな盗賊なんだ!本当だ!あんたに逆らう気もない!」
「……この村はお前達が?」
俺が会話をしたのが、言葉が通じる存在だったのが分かって少し安堵したのか、余程命が惜しいのか早口で語り出す。
「いや、この村は数日前に壊滅した……らしい。
やったのは俺たちの同業で騎馬を組んだかなりの数だって話だった。
……って話だが、ここらを根城してるのは俺たちだけだ。
騎馬組む様な大規模なやつらなら、知らねぇ訳がねぇ!
そんで……そのナワバリを荒らす同業に忠告しようと跡を追って来たんだ!
そしたらどの家も家財一式そのままだったから、その……『有効利用』しようとしたら、お前……いや貴方が来たんです!」
「状況はお前達か犯人にしか見えないが……な」
「本当だ……です!信じて下さい!」
「……なら言ってみろ。
お前達が追跡した騎馬隊、そして村に残った証拠。
お前達が犯人じゃないと言うのなら犯人を告げてみろ。
よく考えろ?お前の言葉が俺の琴線に届かない時はお前達もああなる」
辺りに散らばる野盗だった『もの』に目を向ける。半泣きになりながら男達が喚きだす。
『村中に馬の蹄の跡が残ってるが俺達みたいな辺境の野盗は数人しか馬を持ってねぇ!』
『どの家も金目の物が手付かずなんだ、騎馬隊の奴らは金が入らなかった奴ら……金持ちか魔族が襲ったんだ!そうだ、じゃないとあんな上等な武器持ってる訳がない!』
生き延びる為だろう、嘘臭すぎる嘘を聞きながら聞き逃していたが最後の言葉が気になる。
「おい、上等な武器ってなんだ?」
「あっ?……ああ。拾ったんだ、数本だけこんな村には不似合な剣が折れたのか棄てられてたんだよ。
鍛冶屋に持って行けばまた使えるかも知れないって思ってよ」
差し出されたのは二つに折れたありきたりの量産品の剣。
量産品にしてはよく出来ている。
……出来すぎている。
量産品の中では最高級。
辺境の野盗が持つには文不相応、なら誰が持つに相応しい?
『最高級の量産品を持った騎馬隊』
この国でこの言葉が当て嵌まる存在は決して多くない。
……そうか。
そういう事か。
結論は直ぐに出た。
考えるまでも無い結論が。
「グルフィルド……お前は本当に俺から何もかも奪ったんだなぁ」
ポツリと呟くと遂に俺の無表情だった顔が耐えきれなくなった。
絶叫した。
目尻から止めどなく涙が。
その涙の意味は慟哭。
その涙の思いは怒り。
その涙の心は悲しみ。
一人だ。
恋人も、仲間も、家族も、子も。
全てが権力者の都合で。
いらなくなった人形のように棄てられて。
誰も彼もが居なくなった。
これが俺達の旅の終わり?
違う……。
「違う……」
始まりだ。
始まりだ!
始まりなんだ!!
「魔王、俺に力を貸せ」
左目はさも当然の様に返事を返した、脳内に直接響くその声は野盗共には聞こえはしない。
『……ふむ、かまわぬぞ。汝以外に我が魔力に耐えられる肉体を再度探すのも骨であろうしな。我の何を望む?』
「兵を率いる頭脳、国を奪う謀略、人とは違う膨大な知識、そしてお前の持つ魔力とその魔術すべてだ」
『ふむ、我も随分と高く買われたものだな。代わりにお主は何を差し出す?』
「復讐に狂った勇者の、血まみれの世界を見せてやる。お前が滅ぼしたかった人種の世界の滅びの様を俺の目として……最高の特等席で見せてやる!」
『勇者よ。無理をすれば汝は死ぬ、肉体はではなく精神がな。
我が魔力を使う事は即ち、我に肉体を渡す日を早める事ぞ』
「かまわねぇ!!
俺が為すべきをするには、お前の魔力が必要だ!
終わった後は好きにしろ、俺の身体をくれてやる!
奴らに落とし前を付けさせるのに、十年なんて時間かかるものか!」
『人種の滅びになど興味は無いが……汝の肉体が手早く手に入るは魅力的であるな。
だが人種は多い、すべてを滅ぼすのは骨だぞ……現に我は成すことができなかった』
「ふふふ、魔王。お前らしくないなぁ」
それはお前が人種を知らなかったからさ。
アブトス王とその一族。
そしてイシス教聖女と上層部。
そいつらさえ居なくなれば人種の結束なんて。
簡単に崩れる。
簡単に壊せる。
お前を目に宿す肉体は、生者を斬り伏せる事に長けた勇者様だぜ……。
この世界に、時間を巻き戻す魔法は無い。
この世界に、死者を生き返す魔法は無い。
この世界に、再度人生を繰り返す魔法は無い。
できるのは、ただ今を生き抜く事だけ。
できるのは、死者の無念を注ぐ事だけ。
『……人種が減ればその分我が民への仇なす派兵も減るか、なれば……再度問おう。汝の為すべきが終わった時、それはこの肉体を我が貰い受ける時だ。誓うか?』
「ああ、血の一滴、髪の一本までくれてやる」
俺の守りたかったものは消え果てた。
ここにいるのは勇者であったルトーシェの搾りかす。
惜しむものは全て奪われた。
『なれば、我が魔力存分に振るうがいい』
独り言を呟き喜怒哀楽を表す俺に野盗達が訝しむが、無視した。
あぁ、こいつらは無関係の野盗達だ。
だから……。
「待たせて悪かったな、犯人は『お前達』だな?」
そう、無関係で『哀れな』野盗達だ。
「お前らは嘘を言っていないかも知れない、お前らも、かつては誰かの為に剣振う気高さがあったのかも知れない。
だが……駄目だ。お前らは俺と戦わなくてはならない。
何故か?お前らは運が悪かっただけだ。
お前らはただ、俺の八つ当たりに遭って死ぬ。
理不尽か?理不尽だよな?そうだろうとも。
だが、俺はそれ以上の理不尽と裏切りに遭った」
野盗達に恐怖が浮かぶ。
「お前達も腰に剣を吊してるんだ。
今まで多くの弱者に対して理不尽を行って来たんだろう?
今日、偶々、遂に、お前達に抗いようの無いタチの悪い理不尽がやって来ただけさ。
機嫌の最悪な勇者と魔王の出来損ないがな」
俺が言い終わるかどうかのあたりで、遂に吹き出す恐怖に耐えきれず、一人が森に向かい駆け出し……後へ続く様に次から次へと。
……やれやれ、人の話を聞かないとは。
人間の出来てない奴らだ。
あ、だから野盗なのか。
「ん、そういや俺、武器がねーや。えーと……」
脳内の記憶を探る様に両目を閉じる。
だが、意識するのは未だに痛みと熱を伴う左目の奥の奥。
あった。
本来なら存在しない記憶。
本来なら理解出来ない品。
本来なら見たことも触れた事もないはず。
それらを、ルトーシェの記憶であったはずのモノを小馬鹿にするように身体は魔術を行使する。
「『剣よ、在れ。我が道に相応しい血道の剣よ』」
そう、俺の中の奴の記憶。
魔力を持たない俺には叶わなかった力。
無色が基本の魔力が紅く染まり自身を中心に吹き荒れる。
魔力は辺りに散らばる野盗の亡骸に吸い込まれ変化を始める。
死んだ筈の亡骸から血が噴き出し辺りに飛ぶ。
しかしその血は大地には還らない。
還らせない。
貴様らの血でこの村を穢してたまるか……。
この村はお前らの血如きが汚していい場所ではない。
血は地面を滑る生き物の様に俺を中心に集まり始める形を作る。
イメージは剣。
今の俺に相応しいであろう真新しい白銀には程遠い色。
ゆっくりと形を成し眼前に浮かび上がる。
「『妖刀、蛭。斬ったものの血を吸い切れ味を増す。今の貴様にこそ相応しかろう』」
俺の意思に関係なく口が動いた。
最早、自分がルトーシェであるとは言えないのだろう。
手に取るとその形に違和感を覚える。
歪曲した刀身は俺の記憶にあるどんな剣にも合わない。
アブトスの南に住む異国のサーベルという武器に似ている。
だが、そんな事は些細な事だ。
「さぁ、鬼ごっこの始まりだ」
とっぷりと暗くなった森を見ながら、俺は笑う。
きっとこの笑いは仲間の誰にも見せられないだろう。
森を駆ける。
鬱蒼と生い茂るその姿は生まれ育ったあの頃と変わらない。
勝手知ったる森を肉体強化を使い、本来な人種には到達できぬ速度で走り抜け、残る右目は魔力で暗闇でも昼の如く視界を映わし、逃げ惑う野盗の速度など児戯に等しかった。
狩りはあっという間に終わった。
眼前で倒れ絶命するのは、最後まで逃げ惑っていた野盗の頭。
『焼けろ』!!
視界に映りこむそれに、憎しみを込めて唱える。
勢いあまって辺りの木々までに火が燃え移るが知ったことじゃない。
自分を見ると半裸の全身は返り血で薄汚れ。
周りを見ると、森の木々は赤い月明かりの下で亡霊の様に俺を祝福して見えた。
木々のうろが月明かりと火の魔術の光源が入り乱れ、浮かび上がり亡霊が不気味な笑みを浮かべて見えるのだ。
『げらげらげら!
ケラケラケラ!』
嘲笑が聞こえる。
失笑が辺りに響く。
魔王じゃない。
ああ……笑うがいいさ!
お前らが裏切ったんだ!
俺の心の声か、それともどこかで俺を見下ろす人外の存在か。
しかし、そんなものはどうでもよかった。
俺の望みは世界への復讐。
「アブトスよ!
イシスよ!
そこまで自らの安寧を望むか?
ならば答えよう!
そんな物は幻想。俺がいるからだ!
復讐を望んだのはお前らだ!
混沌を産んだのはお前らだ!」
魔王が倒され、一人の復讐者が産まれた。
今を生きる人々は、今日という日を歓喜する。
魔王が打倒され、世界にようやく平和と安寧が訪れたと。
「アブトス王家に災いあれ!
イシス教に災いあれ!
全ての人種に災いあれ!」
未来に生きる人々は、今日という日を恐怖する。
魔王が死に、しかし世界の戦乱の火は変わらず燃え盛っていると……。
むしろこの日から更なる混乱が世界に蔓延ると。
世界の破壊。
俺達を必要としない世界なんていらない。
俺達を否定する世界なんていらない。
俺達を殺そうとする世界なんていらない。
愛剣も無く、鎧も、兜も無く。
僅か数日の間に痩せ細り、怒りと憎しみで充血し曇った瞳で両手を天に掲げた。
「勇者を蔑み、功績に罵声を浴びせた全ての者たちに災いあれ!」
俺は世界に宣言をした。
誰も聞く者はいない、俺の心を固める為の誓い。
炎の中で俺は踊っていた。
嫌々ながらに仕込まれた宮廷ステップも無い。
既にダンスでもない。
舞踏ですらない。
俺はただ狂った様に高笑いして、残る右目で涙を零しながらクルクルと踊っていた。
「さぁ、人種達よ。俺を否定した者達よ」
醜く足掻け。
無様に迷え。
狂おしく踊れ。
世界に、勇者の強さと魔王の魔力を持った一人の復讐者が誕生した。
この日から、世界は少しづつ音を立ててひび割れ始めたのだった。
この時点でその音に気付いたものは、まだ誰もいない……。
リリルとザクエスが駆けつけるその時まで。
踊り狂う勇者と、その左目に宿る魔王を。
いつかと同じ真紅の月が、ただ遥かなる空上の虚空から、ずっと見ていた。
悲しそうに、ずっと見ていた。
この物語は……魔王が倒れ勇者が消えた、その時から始まる。
序章終わりました。
夏も終わりです。
ああ、今年もひぐらしが