暁の出発
顔にかかった髪を私の耳にかけるヒンヤリとした誰かの手の甲の感触を感じ、寝返りをうった。薄目で見ると、私が横になっているベットの端に、背中の月明かりのせいで影となってコチラからは表情がわからないフィリーオ兄様が座っている。
「……お兄様?」
「ごめん。起こした?」
お兄様の静かに語りかけるような謝罪の言葉が心地良く、眠りを誘う。まどろみの中、私は「どうしましたか?」と目を閉じたまま尋ねた。
「なんでもない。少しルナの顔を見たくなっただけだ」
お兄様は片手で私の頬と耳を包み込み、顔を近づけると反対の頬に唇を寄せた。そこから流れるように首筋にも口づける。肌を掠めるだけのキスに、くすぐったさを感じて私は静かに笑った。
「もう……ベットではキスしないって約束はどうしたんですか?」
笑いながら冗談半分っぽく責めると、お兄様は私の首筋から顔を離して「ごめん」と呟く。
「お兄様、謝らなくてもいいです。私の方も少し意地悪く言ってしまいましたので、おあいこです」
ブランケットから両腕を出して、お兄様の首に巻きつけ「お兄様は自分勝手なところがありますから、ときどき意地悪をしたくなります」と甘えながら囁き、お兄様の顔を引き寄せて唇を重ねた。
「もしかして、また下着だけで寝てる?」
両腕を出したせいで肩より下が見えたらしく、お兄様は私の肩を手のひらで撫でた。
「冷たくなってる」
そう言うと、サイドボードから部屋着を取りだし、私の枕元に置いてくれた。
「明け方は冷え込むから」
もう一度、お兄様は角度を変えて深く唇を重ねた後、私の髪に軽く撫でて、「おやすみ」と、ベットから立ち上がった。
お兄様が階段を下りるのを見計らうと、私はベット下に置いておいたバイクスーツを手にし、それに素早く着替えた。髪を手櫛で軽く整え、ベルトポーチからインカムマイクを取りだし、片耳に装着したところで、カナルが階段下から「ルナさん、起きてくだい」と、私に呼び掛けてきた。
「ありがとうございます。お兄様は?」
「あぁ、もう起きてましたか。今、外に出たところですよ」
ガレージの階段を駆け下り、外に出た。
――やられた!
お兄様はバイクをガレージから出し、いつでも行ける状態で私のベットに来たらしい。すでにコンサートホールの向こうへと走り去り、小さく見える。
「お兄様、ヒドイです!」
ガレージに戻って言った私の第一声を聞き、カナルが「え!?」と驚いている。
「まさか! ナビゲーターパネルもインカムも腕時計もココに置きっぱなしですよ? 弾倉もココに……」
「奇襲をかけるから、ロークスとの関係が明らかになるものを全部置いていったんです。私も含めて」
「……ルナさん、メチャクチャ怒ってます?」
私のココロの機敏に疎く、地雷を踏みまくっているカナルが気づくほど、怒りが表情に出ていたらしい。
「フフッ、気のせいですよ? こういうときこそ冷静にならないと。まずは自宅に連絡ですね」
「こんな時間に?」
「ええ、緊急事態ですから。いろいろ忘れて行ったお兄様に、先回りして届けないとダメですし」
「先回りしてって……ムチャですよ!? アソコは山の中ですし、トレーラーは入って行けないです」
「行き先は分かっているんですから、トレーラーじゃなくても方法はいくらでもあります。お兄様のことですから、途中で弾倉を調達しますので、そこで待っていて合流すればいいだけです」
「マズイですよ! 兄さんが身元がバレないように置いていったものをワザワザ届けるなんて」
「私はそうは思いませんよ? だいたいキメラの培養プラントを押さえに行った時点で、ロークスかジンの考えに賛同した諜報員仲間のどちらかに絞られますから、すぐに身元はバレてしまいます。それなら少しでも有利になるように道具を揃えるべきです」
眉間にシワを寄せて唸っているカナルを放って、私は「アプリケーション 00 コール カレン」と、インカムでサバンナ・ロークス邸にいるお母様に連絡を入れた。




