感情的に怒らない理由*フィリーオ・ロークスの場合
目が覚めると、ルナもカナルもベッドにはいなかった。二人が早起きってワケではない。たぶん外の明るさから推測すると、今はもう昼過ぎだ。
昨晩はルナが寝たあと、明け方まで採取したサンプルの成分分析をして、父親のレンと連絡をとって調査の進捗状況を確認し、それから寝た。
眠気を飛ばすためにシャワーを浴び、服に着替える。それから2階へと降りると、カナルがいて、「おはようございます」と、いつものように挨拶される。
「おはよう。今日、リハじゃなかったのか?」
「いえ、ステージリハは明日からで、今日は搬入だけです」
「そうか……」
カウンターの水の入ったペットボトルを手にし、キャップをひねりながら「ところで、ルナは?」とカナルに聞いた。いつもなら、このソファの主のように座っているはずだが、どこにもいない。
「ココのコンサートホールの隣りにあるショッピングモールです。今朝、ご自分で外商部に『柴藤』名義で連絡を入れてました。それから黒のカラーコンタクトとかメガネとか装備したり、髪の毛を黒髪のストレートにしたり……別人に変装してサッサと出掛けましたよ?」
「あぁ、あそこなら庭のようなもんだから大丈夫だろう」
腕時計で念のため位置情報を確認した。確かにカナルの言うとおりだ。
「……兄さん、過保護すぎませんか?」
「そう?」
「ええ。しかも……気を悪くしたら申し訳ないですが、ことさら今回、恋愛面に関しては、視野が狭いように感じます。兄さんなら、もっと大人の余裕のある女性のほうが、こんなに振り回されることなく付き合えるのに」
「つまり、ルナと別れろって?」
「いえ、そこまでは言ってません。ただ……もう少し視野を広げてみるのも良いかと。今の感じだと、全速力で走り抜けているようで、以前のような余裕が見られませんので」
カナルの意図が読めない。カナルと出会ってから、ルナとのやり取りを見ている感じでは、強いて言うと、まさに『姉と弟』の関係に近い。だから別れさせてルナを奪うというワケでもなさそうだ。時々、彼は独特で意味ありげな言い回しをするため、イマイチ真意が掴めないところがある。
「まぁ、余裕はないのは認める。視野を広げるっていうのも難しいな。少しでもルナ以外を見たなんて本人に知られたら、バッサリ切り捨てられて痕跡を残すことなく音信不通になりそうだ」
「そうですか? あんなに兄さんにベッタリなのに」
「突然『冷める』タイプだよ。すでに別のことで3年前に経験済みだから。だいぶ関係修復までに時間がかかった」
「それって、3年前の『いとこ会』でルナさんに会ったとき、聞いたような気がします」
「なんて?」
「確か……『この木の辺りにオニが出る』とか言ってましたので」
「うん、間違いなく僕のことだな。あの時は自分も幼かったから、『子供に対する叱り方』が分かってなくて失敗した。木に登って高いところから飛び降りたルナに、焦って感情的に叱ったんだ。謝ってくれたから、それでこの件は終わりって思ってたんだけど、ルナはその日から姿を見せなくなって、完全に避けられるようになった」
「それは……ルナさんが悪いですよ。ただ、兄さんが感情的に怒ると迫力ありそうですね。特に小さい子供にとっては」
「だから『オニ』なんだろうな」
「しかも『オニが出ないときは大丈夫』とか言ってましたし」
思わず笑ってしまう。どんなに怒っても、まったく懲りてない。なんともルナらしい。自分が納得しないことは、徹底して無視するか、反対する。それは今でも変わらない。
「ルナと会える貴重な時間がなくなったと思うと、あの時の失敗で本当に損した。まさか僕の存在をこんなに徹底して排除されるとは思わなかったからね。相手に伝わる叱り方じゃないと意味がないって痛感したし、感情的に怒るのは止めたよ。まだ、あの頃のルナは何とか懐柔できたけど、行動力もあって知恵もついた今では厳しいな」
「確かに、その話を聞く限りでは、ある日突然初めからそこにいなかったように跡形もなく消えるぐらいのことは、ルナさんの場合やりそうですね。それと、分かったことがもう1つ……もしルナさんが兄さんを切り捨てて音信不通になったときは、ボクも同じくルナさんとは連絡がとれなくなるってことですね」
「カナルは別じゃないか?」
「いえ……ボクは兄さんとの関わりがありすぎるって、ルナさんに思われてるから」
「そうなのか?」
「はい」
カナルとの話が一段落ついたところで、食事をとり、片付けて1階の実験室へ移動しようとしたところ、カナルが「それにしてもルナさん、遅いですね。兄さんが起きる頃には戻るって言ってたんですけど」と呟いた。
「きっと楽しんでるからじゃないか?」
「兄さんが心配するから、遅くても食事の時間までには戻るか、外食するなら連絡を入れますって言ってましたよ?」
カナルの言葉に不吉な予感を覚え、時計を確認する。昼食前に連絡を入れるとなると遅すぎる時間だ。位置情報を確認すると、ショッピングモールではない位置情報が示されていた。
「ルート1048を高速移動中か……これは車に乗ってるな」
「まさか誘拐ですか!?」
「……分からないが、迎えにいけない範囲じゃない。行ってくる」
オーク材の壁になっている部分を開き、コルト45口径の入ったガンホルダーと弾倉を取り出した。
「ボクも行きますか?」
「いや、いい。何かあったら連絡入れる」
住居型トレーラーから出ると、バイクがあるガレージトレーラーへと向かった。




