ジンの決断
ジンが来たのは、それから間もなくだった。ザッザッと、芝に混ざった砂利を踏む音をさせ、意外にも車とかではなく、歩いてやって来た。コチラからは見えないが、ちょうど反対側に位置する玄関の扉を開ける音が僅かに聞こえた。そして、しばらくすると『テスの家』の灯りがついた。
「ルナ、行くよ?」
お兄様の後ろを静かに歩く。窓や玄関の周辺に敷いてある砂利の混ざった芝を踏まないよう、家の外壁へと回り込み、そこでジッと息を潜めた。家の中の音は、よほどジンが慎重に行動しているのか、または防音仕様になっているみたいで物音すら聞こえない。
まったく中の様子が分からない状態なのに、私の隣にいるフィリーオ兄様の視線は、窓から僅かに漏れている光が照らす地面の方を向いていた。どうやら光を遮る影が動く様子を見ているみたいだ。私もジッと同じように見ていると、家らしい暖かな光の色から赤と黄の警告灯が点滅しているかのような光へと、突如変わった。
ガタンッと乱暴に玄関側から扉の開く音と共に、家の中からと思われる機械音が遠くから聞こえてきた。
「クソッ! どこだ!?」
ジンのイラついた罵声と、ジャリッと家の外へ出ていく足音がする。お兄様は私の肩を軽く叩き、ジンの足音が聞こえる方と反対側へ静かに歩き出した。
お兄様がホルダーから銃を取り出し、開いたままの玄関の扉の影に隠れて中の様子を窺う。
『……通信セキュリティシステム、ボディチェックでエラーが発生しました』
『認められていない電波を受信……発信源特定、頚部皮下組織……神経集中部位のため、除去不可能と判定』
『通信を遮断します』
エラーメッセージを告げる音声が繰り返し家の中から流れている。
――カナルがジンにつけた発信器って除去不可能なの!?
『やるなら徹底してやる主義』とは言っていたけど、まったく容赦ない。カナルはジンが子供相手にも容赦しないことを知っているから、こうしたのかもしれないが。
ジンは中にいないと判断したフィリーオ兄様が私に合図を送り、家の中に入った。お兄様は玄関の扉近くの壁に沿って体を一部接触させた状態で屈み、銃を構える。そして、もう一方の壁にある本棚の影に隠れるようにジェスチャーと無声音で私に指示する。
――この本棚……確かテスが暮らしているシェルターの入口だ
カナルの未来の歴史書で、フィリーオの実験メモを『テスの家』のシェルターに取りに入るため、何度も操作したことがある。本棚と壁の隙間に手を入れ、裏にもある棚の本の位置を数冊入れ替えて、最後に残った大判の本を横にずらした。本があった場所に手のひらをのせ、その感触から、埋め込まれているスイッチがあることを確認する。
「クソッ!」
再びジンの罵声が聞こえ、体がビクッと強ばった。全身で脈が強く打ち、ドクドクと体の中で血の流れる音が響いた。
――ダンッ
ジンが扉に八つ当たりするかのように乱暴に閉めると同時に、「盗んだデータを返してもらうよ?」というフィリーオ兄様の声が聞こえた。ここから二人の姿が見えない。様子を見たいが、敵のパーソナルスペースにいると意識してしまい、足が動かなくなっていた。
「思ったより早かったな」
「それはどうも。無断で持ち出しとは産業スパイか?」
「いや? 中身に興味はない。ただ、取引に有利になるものは見逃せないからな。返して欲しいなら、その体と引き換えだな」
「……そういうことか」
お兄様をジンと会わせたのは、やはり失敗だった。このままでは、データを私に渡して私だけココから脱出ということになりかねない。それは絶対ダメだ。
私は深呼吸して、落ち着きを取り戻す。覚悟を決めれば、あとは行動するだけだ。本棚に触れている手にチカラをこめて、私はテスのいるシェルターの隠し扉のスイッチを押した。
ゴォーと私の背後の壁が開き、物置ぐらいの小部屋が現れた。床に小さなグレーの板が埋め込まれていた。これがおそらく地下シェルターへの出入口だ。
わずかに板が開き、「ジン……?」という小さな子供の声がした。
「出るな!」
ジンの焦った怒声が、今も繰り返されている機器のエラーメッセージー音を消し飛ばす。
「他にも仲間がいるとはな……また、例のロークスの嬢ちゃんか?」
地下シェルターを開いた時点で私の存在はジンに分かってしまったので、本棚の影から出た。お兄様がジンを床に押しつけた状態で、ジンの両腕を固定し、銃を突き付けている光景が目に入る。再度、体が動かなくなるが、「落ち着いて」と、ココロの中で何度も繰り返した後、ロークスの交渉術を頭に思い浮かべ、言葉を口にした。
「えぇ。前にお会いしたときに、私は忠告したハズですよ? 訓練も何もしていないテスに切り札を渡しても、死ぬだけだって。いい加減、テスを巻き込むのは止めたらどうですか?」
「これがロークスのやり方か? 発信器を除去できない体内に埋め込み、子供を……」
「煽っても無駄ですよ? そういう感情に流されないように訓練はしてますから」
淡々とジンに対し答えた。
「データを返してもらいますよ?」
私はエラーメッセージーの流れ続ける機器に刺さったメモリーチップを引き抜いた。うるさく流れていた音が止まった。次に、カウンターテーブルに置いてあるヌイグルミの背の縫い目にグイッと無理矢理に指を入れ、マイクロカードホルダーを取り出した。
床に埋まった地下シェルターの扉から、ふと視線を感じる。テスが扉から顔を出してコッチを見ている。私は近づき、テスの前しゃがみこんだ。テスは私の顔を見たまま、動かず、声も発しない。
「おい!」
焦ったジンの声がするが、私は構わずテスに話しかけた。
「テス、もしジンと今よりもっと一緒にいることができたら、暮らす場所は、この家じゃなくてもいいですか?」
テスは無言で頷いた。
「そう。それならイイコトを教えてあげるので、紙と書くものを貸してください」
テスは頷くと、地下シェルターの扉から奥の部屋に行き、紙とペンを持ってきてくれた。
「ありがとうございます」
受け取った私は、ロークスの監視下に置かれるが、諜報活動を終えた人達の面倒をみてくれる組織への連絡先を書き、テスに渡した。
「ココに連絡すれば、地下シェルターで暮らさずにジンと一緒にいられますから」
テスは素直に頷く。私が子供であるとはいえ、知らない人にこういうことを言われたら疑ってもいいハズだけれど、その雰囲気がテスからまったく感じられない。ジンはテスに対し、そういう教育も訓練も疎かだ。これでは、あっという間に死んでしまう。
「子供に発信器を埋め込まれるようでは、諜報員を引退した方がいいな」
テスとの会話から、私が紹介した連絡先を察したらしく、お兄様はジンにそう言った。ジンはフッと可笑しそうに笑っている。
「いづれは辞める予定だったが……まさか、こんな子供のせいで強制的に引退させられるとは思ってなかったな。どちみち発信器が取り除けないなら、諜報活動はできない。稼ぎは充分あるから、テスとのんびり暮らすさ」
ジンは地下シェルターの方を向き、お兄様に「テスの元へ行きたい」と言う。お兄様は私に扉近くまで来るように言い、それと入れ替わりで、ジンをテスのいる地下シェルターの扉まで連れていった。
「ロークスの嬢ちゃん、イイコトを教えてくれて、ありがとう。この家を出るときに、ついでに家の周りの掃除も頼むな? 俺は引退したから、一般人だ。このヒトは病弱そうではないし、腕は立つ方だろ?」
「……病弱?」
「詳しくは、その嬢ちゃんに聞いてみな。じゃあな」
最後にジンは私に恩を仇で返すような、厄介な爆弾発言を残し、地下シェルターの扉を閉めて内側からロックをかけた。
「ルナ、病弱って?」
「……こ、恋の病です」
「…………」
苦し紛れに出た自分の言葉が寒すぎて、死にそうになった。お兄様が無言のまま、顔を俯き、肩を震わせている。
――そんなに笑わなくてもいいのに、ヒドイ!
私はムッとしながら、取り返したデータの入ったチップをベルトポーチに入れ、しっかりチャックした。




