ad 裏切り
「お兄様? カナルさん達が待ってますし、おじ様も早く助けないといけませんから」
いつまでも唇を重ねようとするお兄様の体を両手で押して、私から体を少し引き離した。ハッとするかのように、一瞬にしてお兄様の瞳に鋭さが戻る。
「行こう」
続き部屋の方に足を向けるお兄様が気になり、「お兄様、大丈夫ですか? 様子がおかしかったですけど」と、後ろを歩きながら聞いた。
「ダメだ。雰囲気に呑まれた」
「雰囲気ですか?」
「特に他意はなく、僕に足を触らせただろ?」
お兄様の言っている意味が分からない。
「何の話でしょうか? お兄様は常々『確認は口頭だけでは不十分。呼称とあわせて目視による確認、もしくは手触による確認をしないといけない』って言ってたハズですが、違いますか?」
「……合ってるけど、色々問題があることがわかった」
何ともどっちつかずな答えだった。
*****
確認作業が終わり、カナルとプエルマが待っている迎賓室の扉の前に戻ると、カナルが「深刻な表情ですが、何か部屋で問題がありました?」と、お兄様に聞いてきた。
「部屋は問題はない」
「じゃあ、ルナさんですか?」
カナルの切り返し方がおかしい。まるで私が「問題を引き起こすヒト」のような口ぶりだ。
「良かれと思って色々教えてきたことが、自分の首を絞めるハメになるとは思わなかった」
「今更ですか? 気づくのが遅いですよ」
カナルは『私が教わった知識を総動員して、お兄様にヒミツで調べていたこと』を暗に言っているのだ。共犯のハズなのに、お兄様に気がつかせるようなことを言うなんて裏切り者だ。
そんな『お兄様とカナルの会話』は、迎賓室に訪問者が来たことを知らせる音により中断した。
『おくつろぎのところ、すみませんが、アナタ方に会いたいというヒトがいるんですよ。特にお嬢さん方に』
扉越しに声が聞こえた。立ち入り禁止区域の別館で、お兄様に怒っていたヒトだ。私達は要人ではないので、ココにLISUのスタッフや外部のヒトが訪ねてくること自体、おかしい。
部屋の中が、いっさい物音を立ててはいけないようなピンと張り詰めた空気に変わる。LISUのスタッフだけど、その言葉に違和感を感じた私はプエルマと手を重ね、扉から離れた。そして、扉からだと死角になるキッチンカウンターの中に入る。
『コチラが紳士に対応しようとしても、返事もなく、扉すら開けないとはな』
特徴的なヒャヒャヒャ……という引き笑いが聞こえ、扉のすき間から入ってくるようなニュルリという粘度のある水音がした。身の毛がよだつ。
なんで『呪いの美術品コレクター』がココにいるのか混乱する。ジンが追いかけていた『コレクター』とは別の『コレクター』なのだろうか。
『待ってください、ココでそのお姿になってはダメです。迎賓室の中では監視はありませんが、扉のコチラ側にはモニタリングされてます』
LISUのスタッフが止めているのを聞こえた。このままでは侵入され、部屋の中では逃げ場がなくなる。私の視界に入ったキッチンカウンターの上の『あの料理本』をスッと手を伸ばして取ると、開いてボタンを押した。




