1 どうしても確認したいこと
「ルナさん、これは?」
私がお兄様から受け取ったデータチップをカナルの目の前に置くと、眉間にクッキリとシワを刻んで不機嫌そうに私に聞く。
「お兄様のヒミツのデータが入ってるんです。ちなみにクラックすると消えてしまうので、ちゃんとパスコードを入力してロックを解除しないとイケナイようです」
「……それで、ルナさんは控え室まで来て、これからツアーのステージリハが始まるボクに何をさせようと?」
ここはサバンナ地域にある大型複合施設のコンサートホール。そのバックステージで、さらにカナルが態度を硬化させた。いかにも巻き込まれたくないと言いたげだ。
「さっき、話す時間は充分あるって言ってませんでしたか? まぁ、そのことはいいです。カナルさんなら今の説明で分かってくださると思ったのですが」
「絶対、イヤですよ! 間違いなくヤバそうじゃないですか!」
「そんなことないです。このデータがお兄様が狙われた大きな理由の1つだったので、今後のことも考えて、少しだけ中身を確認したいだけです」
「その話を聞いたら、ますます……」
「もうキメラ関係で狙われることはありませんから、今のところ問題ないハズです」
畳み掛けるように説得するが、「元気になったと思えば、早速コレですか……」と、カナルはウンザリした様子でボヤいた。その言葉を私は聞かなかったことにする。あの一週間は、精神的にボロボロで普通の状態ではなかったと、今でも思っている。『迷惑だ』とか、『うっとおしい』とか思われても仕方ないくらい、お兄様のそばから離れることができなかった。まるで小さな子供みたいに甘えて、お兄様の温もりを求め、常に体の一部を接触させる行為を要求していたことは、記憶の底に封印したいほど恥ずかしい。
そして一週間の最後の日、フィリーオ兄様が肝心な情報を隠していたことについて抗議すると、「嘘は言ってないし、言うタイミングを逃しただけ」と惚けられた。何を言っても上手くかわされてしまい、さらに私を宥めながら楽しんでいる様子だった。おかげで手の上で転がされている気分になり、沸き上がった怒りがすっかり萎えてしまった。
その後は、以前――カナルの未来の歴史書の記憶が甦る前と同じように、お兄様と私は穏やかな普通の生活の毎日を過ごしていた。
一方、お父様たちは相変わらず忙しいかった。LISSの建物内の修復や研究事業の整理が終わり、抜けてしまった人材を補充して、ここ数年で一番忙しい時期を乗りきり、やっと一段落したばかりだ。数日前に、ようやく通常の生活に戻れる兆しが見えたところで、ロークス邸にいた私を両親二人で迎えに来てくれて、一緒にサバンナ・ロークスの邸宅へ戻り、今に至る。
「そもそも、なぜルナさんがコレを持ってるんですか? まさか……兄さんに無断で」
「違いますよ? お兄様公認です。それに中身はだいたい予想出来ています。実際に確認しない限り推察の域を出ませんが、『一般的に、この世の生物は系統的に離れすぎた種を中継ぎなしで掛け合わすことは出来ないと言われているのに、それが出来てしまう』……というデータが中に入ってるのではないかと。それをチラッと確認するだけです」
「ルナさん、さっきから『少し』とか『チラッ』とか言ってますが……ロック解除したら、絶対すべてのデータをまんべんなく見る性格だって分かってますから! ボクは兄さんを裏切るような真似はできない!」
「そうですか……カナルさん、お兄様が危険な目に合ってもいいんですか?」
「少し前なら通用しましたが、キメラの件が解決した今、そういう脅しは通用しないです」
案外、しぶとい。『お兄様の危機』ではダメなので、すぐに別の作戦に切り替える。
「それなら仕方ないです。カナルさんに頼むのは諦めます」
「そうしてください」
カナルがほっとした表情になるのをシッカリ見た。ここでは一旦引くことが大事だ。相手の油断を誘って次の手を打つに限る。
「ところでカナルさんに聞きたいのですが、今までどのループでもフィリーオ兄様は必ず恋人と別れていたんですよね?」
「え? まぁ……そうですね。でも、今回は今までと違いますから、ボクは心配していないです。ルナさんは、不安なんですか?」
「……今はいいかもしれませんが、先のことは誰にもわかりませんから。些細なヒミツが二人の関係に影を落とし、それが感情のスレ違いとなって修復出来なくなった恋人たちが中にはいると聞いてます」
「それは古典文学にもそういう話があって、昔から言われていますね。でもルナさんが過去からの転生者であることは、すでに兄さんは知ってますから、ヒミツなんてないですよね?」
「はい、確かにないです。ただ……」
「ただ?」
「このデータの内容によっては、そういうこともあり得ると思ったんです。今までのループと同じように『恋人との別れ』のキッカケになっているかもしれません」
「……不吉なことを!」
適当に受け答えしていたカナルが、真剣になった。
「キメラのことは解決しましたが、そちらの件はこれからですよ?」
「いやいや、まさか……。本当に?」
「ですから、カナルさんのチカラが必要です。今まで何十回ものループを生きてきたなら、どこかのループでフィリーオ兄様からパスコードらしきことを教えて貰ったこと、ありますよね?」
「…………」
沈黙する部屋で、眉間に中指と人差し指の2本の指を当てて考えるカナルの結論を待った。
しばらくしてから決意をしたように顔をあげ、カナルは口を開くと、淡々とした口調で話し始めた。
「ルナさんが消えてから一ヶ月半、いつ戻ってくるか分からない状態でボク達はルナさんを待っていたんですが、兄さんは極端に口数が減ったし、殺伐とした雰囲気になって、ボクも何となく話しかけにくい感じになっていました。まるで昔のループに戻ったようでしたよ。ただでさえ、あの容姿のせいで孤立しやすいんですから、またあの状態になるのは避けたい」
いつも優しく穏やかなお兄様が無口で殺伐って……銃撃しているときならともかく、まったく想像がつかない。交友関係は慎重なだけで、人当たりは良いから孤立しているところなんて見たことないけれど、どうやら以前のループでは違ったらしい。そして、私がワザと仕掛けた話を、カナルが深刻に捉えていることも理解した。しかし、今さらカナルの方が深く考えすぎと、フォローすることはできない。すべては気になるデータチップの中身をチョット確認するためなので、そのまま何も言わずに作戦を続行する。
「私がお兄様に会ったときは、そんな風には思いませんでしたが……。今も前と雰囲気が変わっているようには見えませんよ?」
カナルに怪しまれないよう、会話を慎重に運ぶ。
「一週間で急速フル充電していましたからね」
「…………」
地雷を踏まれ、今度は私が閉口する。
「とにかく、そうならないように事前に厄介な要因は取り除くべきですね。しかし、証拠を残すことはしたくないので口頭で。英数記号を含む24桁で構成されてますので、今ではなくボクとルナさんの都合がつくときにしましょう」
「記号まで含む24桁……わかりました」
私は頷くと、カナルの前に置いたデータチップを回収し、「それでは、カナルさんのショーを楽しみにしてます。リハーサル頑張ってください」と別れの挨拶をしてバックステージを後にした。
この私の小さな好奇心がキッカケで、新な旅の始まりとなった――




