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サダの木  作者: 志内炎
3/5

第三部 貞淑な妻

 昔。ずいぶん昔なのか、そう遠くない昔なのか、それでも昔。ある夫婦があの木の近くに住んでいた。男は仕事はできるが、酒癖が悪く、家では妻に暴力を振るうような人だったらしい。らしい、というのは、妻は決して文句をいわなかったから、周りの人も聞くこともできず、家の様子や、妻が時々脚をひずったり、顔を腫らしたりしているのを見て、推測されていたからだった。

 それでも妻はかいがいしく男に尽くしていた。

 あるとき、噂が立ち始めた。その男がよその女に入れあげている、というのだ。その噂は妻をどんどん弱らせた。もともとそんな内情だから明るくなかった妻はさらにどんどん暗くなり、やせ細っていった。そしてしばらくして、男は忽然と姿を消した。妻が死んでしまうのではないかと周りの者は心配した。あの木に祈りをささげる妻の姿が、たびたび目撃された。

 だが、妻は死んでしまうどころか、どんどんと元気を取り戻した。不思議に思った人が妻に尋ねると、妻はこう答えた。

「夢枕に神様がたって言われたんです。毎日この木にお祈りすれば、旦那様は帰ってくると。今までよりも優しくなって帰ってくると」

 そして九ヵ月後、優しくなった男が帰ってきて、二人は幸せに暮らし、先に旅立った妻の墓はいつまでも手入れが行き届いていた。それ以来、あの木には家庭円満のご利益があり、粗末にすると祟りがあると言い伝えられている。


「で、お向かいさん、なんていったと思う?」

「さぁ……」

今日の出来事をかいつまんで夫に話していた。明日、急に東京に向かわなくてはいけなくなったらしく、少し上の空だ。それでも私はかまわず話し続けた。

「あなたにはサダの木は必要そうね、だって」

 夫は自分が悪者の男にされたような気になったのか、顔をしかめた。

「いやね、あなたのことじゃないわよ。『奥さんは、よく旦那様に尽くされてるみたいだから』だって」

 あまりにもうれしそうな私に夫は苦笑していた。

「明日、私も行こうかしら」

「明日中には帰ってくるから大丈夫だよ。家のほうは回ってみてくるから。交通費使うくらいなら、新しいコートでも買えば?」

「あら?いいの?やけに優しいじゃない?」

「よく尽くしてくれる奥さんをないがしろにしたらばちがあたりそうだからね」夫はそういって、頬にキスをした。

 翌日。朝早くに夫を送り出した。

「やっぱり降りそうね。折畳傘、入ってますから」

「向こうは晴れてるんじゃないの?」

 夫はそういいながら、出て行った。

(向こうは晴れてるなんて、帰りのこと、全く考えてないんだから)

 背中が見えなくなるまで見送って、ふと大木を見上げた。

(なんで、サダの木なのか、聞くの忘れたな……)

 大方、その妻の名前がサダとか、そのあたりだろう。しかし、夫婦円満の木にしてはどうにも暗い印象がぬぐえない。空気が湿ってきているのか、高いところの枝が、いつもより重量感を見せながら、ゆっくりと左右に揺れている。その不穏なリズムに酔ったのか、めまいを感じ、私は家の中に入った。

 結局夫は、その日には帰ってこられず、東京の家に泊まり翌朝一番の電車で帰ってきた。東京の家はガスを止めてあるので、シャワーを浴びて朝食をとると、また出て行った。

「ちょっと問題があってね、一週間か二週間に一度戻るかもしれない」そういい残して、出て行った。

 あの母親が尋ねてきたのは、四日後だった。菓子折りを下げて、やってきた。

「このたびはありがとうございました」

 首を少し横に傾け、あごが上がっている。お礼を言う態度ではない。

「ねぇ、本当に誰も見なかったの?」

「ええ……」

「ふうん」あきらかにうたがっている。

「まあ、最終的な話が警察からきたら、改めて伺います。もちろん、お礼にね」かちんと来たが、黙っておく。

「あなた、この辺の人じゃないでしょ?東京?」

「ええ、まぁ」

「やっぱり。この辺のしみったれた感じじゃないと思ったわ。お子さんいないの?」

「高校生の息子がいますけど」

「あの駅前の?」

「いえ。東京で寮生活をしてます」

「ふうん。息子より旦那につく貞淑な妻、ね」

 玄関を出て行くときに、女は鼻で笑っていった。

「女はいつも追いかけられていないと。そのうち逃げられるわよ」

 あまりの腹立たしさと、女が残した香水のにおいで気分が悪くなった。めまいを感じた私は、少しだけのつもりでソファに横になった。


「おい、具合でも悪いのか?」

夫の声で目が覚めたときには、外は真っ暗だった。カーテンもかけていなかったので部屋の空気が冷えている。

「あなた……ごめんなさい」

「いや、俺はいいけど、具合は大丈夫か?」夫はコートを着たまま、カーテンを閉めてエアコンをつける。

「体調じゃないんだけど……」

 私は昼間来た、あの女の話をした。まるで犯人扱いをされたというと、夫は怒っていた。

「こっちは善意なのに、全くなんてやつだ。お前もそんなこと気にするなよ」

「ええ……」

 女の捨て台詞のことは言わなかった。

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