第一部 新居
この小説は完全なフィクションです
なんといえばいいのだろう。
まるでここのところ、晴れた日がないような、重苦しい空気が庭にわだかまっている。庭だけではない。町全体を、重たい空気が包み込んでいるように思う。
(なんだか暗い感じがするところだわ)
明確に何が、とはいえないのだが、そんな印象を受けたのは、夫とともに転勤先であるこの町に初めて足を踏み入れたときから、ずっと付き纏っている。
「お前はずっと都内にしか住んでいないからな」
夫は苦笑した。田舎町はこんなもんだと。そこまで田舎ではないんじゃないかな、とは思ったものの、やっぱりひそやかに過疎化は進んでいて、その証拠にやたらと子供に対する福祉が充実している。
「二年だけだから」
私の気がすすんでいない様子を汲み取ったのか、夫はそういった。
こちらでの住まいにと用意したのは、テラスハウスで庭も広くついていた。駅やスーパーも自転車で通える距離で、立地は悪くない。ただ隣が公園になっていて、そこにある大きな木が気になった。
「なんの木かしらね」
「さあ……」
ベランダに出て夫と並び、その大木を眺めていた。星が瞬いているはずの空をも覆うほど高く、もう秋も始まっているのに葉は茂り、衰える様子もない。
「不気味ね」
「……夜だからだよ。やっぱりここのほうがちょっと冷えるね」
震えにそう言い訳しながら、夫は部屋へと引っ込んだ。
文句をいっても何か変えられるわけでもなく、仕方がないとあきらめることにした。今年の春から、一人息子は寮のある高校に通っている。久しぶりに夫婦水入らずを、少し寂れた町で過ごすのも悪くない。二年後には元の家に帰ることも決まっているのだ。ちょっと長めのバカンスで来たと思えば支障ないだろう。
やはり田舎町のせいか、なかなかご近所ともなじめなかったが、それもバカンスと思ってしまえば何てことなかった。今までの子供のPTAなどでわずらわしい思いをしたことを考えれば、逆に楽かも知れないと思えるくらいだ。
夫はきっかり、六時五十分に帰ってくる。以前では考えられないことだ。
「結構、農業と兼業の人も多いみたいだな」
「そうなんだ」
二人きりでテーブルを囲み、晩酌をしながら静寂を楽しんだ。隣の家は来年には越してくる予定だと聞いていた。今は誰もいない。
夫が、東京の自宅にあるのよりも背の低い冷蔵庫から缶ビールを取り出していた。
「そうやっていると、出会った頃に戻ったみたいね」
「え?」
「あなたの部屋にあったのって、調度それくらいの冷蔵庫じゃなかったかしら」
「ああ……もう少し小さかったんじゃないか?」
「そうだったっけ」彼は冷蔵庫をしばらく眺め、
「これは……うん、ちょっと違うな」とひとりごちて、ビールを開けた。よく冷えたぷしゅっという切れのある音が二人きりの家中に響いた。
毎日、変わりなくすごしていた。心なしか、夫も優しい。夫にしてみても、この町ははじめての町で知り合いもいないだろう。会社の金銭にかかわる仕事をしているので、もともと飲みにいくことも少ないのは東京にいるころからだが、それでも同じ部署の同僚との飲み会に行って午前様になることも、二ヶ月に一度くらいはあったし、帰りが遅い日も週に一日くらいはあった。
ここでは、
「部下は二十六歳の女性だけ」という。田舎町だ。変な噂が立つと、地元の部下にも悪いと思っているのだろう。飲みに行くことはないようで帰りも早く、私は二度目の新婚生活のようで、平穏な毎日を楽しんでいた。




