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個人的な事情により遅れました。

すいません。

「俺は……」

 帰り道、彼がぽつりと呟いた。

 それまで沈黙が支配していた空間を彼の声がゆっくりと割いていった。

「俺は、最低な野郎だ」

 何を言っているのだろうか。

 その疑問は声にならない。先程までずっと泣き続けていた声は、とっくに枯れてしまっていた。

 目の前の少年が最低。

 少し前なら「そうね」と頷いて軽く流していたかもしれない。でも今はそうは思わない。

 否定の意味を込めて首を左右に振った。

 けれど彼も、首を振った。

「あんだけ好きだった親父が今は憎い。あんたにとんでもない虎馬植え付けて、今だってこうして傷付けてる。それを止めなかった俺は本当に屑だ。親父の変化には気付いてた。でも何もしなかった。確かに俺なんかには何も出来なかったかもしれない。だけど、何か出来たかもしれないんだ。動けない俺の事全部あんたのせいにして、悲劇の主人公ぶってたんだ。カッコ悪ぃ。あんたの言ってた事全部当たってたんだよ。『お前のせいで俺の人生滅茶苦茶だよ』『一番大事なのは自分の事』ってな」

 彼は自嘲気味に笑った。

 私は出ない声の代わりに必死に頭を振った。

――違う。そうじゃない。悪いのはあなたじゃない。

 けれども俯く彼に、首を振る私は見える筈もなかった。

「狂乱者の親父の血が確かに俺にも通っているのが最近手に取るように分かってきたんだ。俺もストーカーなんだよ、あんたの。現に住所だとか誕生日だとか他にもソフトボール部の一年あたりに聞き出したりしてさ。休部してる事だって本当は知ってたんだ」

「……っう゛」

 “違う”。たった一言。その一言が私には言えなかった。

 彼の言った事は、喩え言葉にしなくとも心の奥底で考えていた事だった。

 “あんただって父親と同じじゃない”。

 私が彼を睨んだ時、確かに、そんな思いで彼を責めたのだ。

「初めは憎悪やら罪悪感やらで近付いた。けど今は……いつの間にかそれだけじゃなくなってた」

 あの男の言った通りだな、と彼は唇を噛んだ。

 もう、何も言えなかった。

「泣いてるあんたを見て可愛いとさえ思った。傷付いてるあんたに欲情しないよう必死に抑え込んで、どうにかつけ入る隙は無いかって……どうかしてるよな。俺も親父と同じで狂ってる。最低最悪の糞虫野郎」

 泣いている、という事が分かった。

 彼が自分を責めて泣いている。

 悪くないのに。悪いのは私なのに。

 他にも傷心している人がいる事に目を向けずに被害者ぶっていたのは私だった。

 周りを顧みずに自分の事しか考えてなかったのも私。

 私こそ何もしなかった。実害は出ていたのに只怖い怖いと繰り返して、あんな事になる前に警察にきちんと掛け合えば良かった。その気になれば護身術を習う事も出来た筈だ。母を追い詰める事も無かったかもしれないのに。今だって、そう。私は何もしていない。

 出してしまった言葉をもう一度仕舞う事は出来ない。

 あの時怒り任せに放った言葉が彼を刺している。

 私の無責任な言葉が彼を傷付けた。

――私が、彼を壊してしまった。


 ××


 箱の中の物を指先で弄んだ。

 淡い黄色の綺麗な包装紙で包まれたそれは、彼が帰り際にくれた物だった。

『誕生日おめでとう』

 彼に言われて初めて今日が自身の誕生日であった事を気が付いた。

 今日は噂ばかりで、仲の良い友人達でさえも忘れていた。

『ごめん、気持ち悪いよな……。だけど、捨ててもいいから受け取って欲しいんだ』

 本当は昼休みに渡す予定だったんだけどと呟きながら自虐の笑みを浮かべた彼は今にも泣きそうで。

 私は何も言うことが出来なかった。

 もう一度それを弄ぶ。鍵の形をしたそれは、何故か今の私に似ていると思った。彼にも、似ていると思った。

 彼。泣いていた彼。

 ふと思う。

 あの日出会ってから見てきた彼の表情は殆どが泣いているか怒っているか不貞腐れたものだった。笑顔なんて滅多に無い。

 極偶に、登下校時の気不味さに私がふった話に口角を少しあげるくらいで。

 今更ながらに気付いてしまった。

――私は本当に何をしてきたのよ……!

 話してあげてるだけマシだとか、大人の対応をしてあげてるだとか、そんな風に考えてきた自分が酷く滑稽で恥ずかしかった。腹が立った。

 彼の方がよっぽど大人だ。


 ××


「……おはよう」

「おはよう」

 翌朝、彼はいつもの様に私の家の前で待ち伏せしていた。

 昨日の彼を想像してはもう来ないかもしれないと思っていたが、『罪滅し』と彼自身が言った言葉はどうやら果たそうとしている様だ。

 無言が続く。

 今まで、どんな事を話していたのか、まるで思い出せなかった。

 ふと、前を歩いていた彼が口を開く。

「昨日の事は……いや、何でもない」

 彼の表情は見えなかった。


 教室に入ると、既に五十嵐君は来ていた。楽しげに男子達と談笑している。

 私の体は冷えていき、微かに揺れた。

 首からぶら下がるものが振動に合わせて鎖骨に数回当たる。

 冷たい筈のそれが、何故か温かいと感じた。

――大丈夫。気にしない、気にしない。

 鞄をぎゅっと握り締め、なるべく平然を装いながら席に近づいた。

 自席が隣である私が席に着くと必然的に気付かれる訳で。

 ガタリと椅子を引いた私をチラリと一瞥し、直ぐに男子達に目線を戻した。先程よりもその顔は強ばっていた。

 今まで交わされてきた一応の挨拶はその日は無かった。


 今日は一日が酷く長く感じられた。

――息が詰まりそう。

 やっとの事で帰りのSHRを終えたところ、同時に彼が教室に入ってきた。

 私は少なからず驚いた。

 いつもなら玄関で待っているか、教室から誰も居なくなってから入ってくるというのに。

「帰りましょう」

 一瞬だけ隣の五十嵐君を睨んだ彼は、私の手首を掴み強引に外へと連れ出した。

 校門を出て暫くした所で手は離された。

「悪い。俺なんかに触られるなんて嫌だよな」

 歪な弧を描くその唇は微かに声を震わせた。

――何で、またそんな風に微笑むの。私が見たいのはそんな表情じゃない。

「……そんなことない」

 思わず滑り落ちた私の言葉に、えっと言う様に彼は私を見つめた。

 その視線に思わずたじろいでしまう。

――けれど。伝えなきゃいけない。何もしないままの自分でいたくない。

「ごめんなさい」

 そう言って腰を折る。

 微かに手が震えているのが視界に入る。

 怖かった。私がこれから謝る事は全部私を否定する言葉。彼に、それを肯定されてそうだそうだと非難される事を想像すると体の震えが止まらなかった。

――ああ、私ってばまた自分の事ばかり。

「ごめんなさい。あなたは悪くない。悪いのは私なの。全部、全部。」

 そこまで一頻り言うと、目から熱いものが流れ落ちそうになってぐっと堪えた。

――泣いてはいけない。泣いてはいけない。

 そう、何度も心の中で呟いて。

 渇いた口内に空気を吸い込んだ。

「あなたの父親が悪い。自分の親の暴走を止められなかったあなたが悪い。被害者は私だ。私は以前そう言った。だけど、謝らなきゃいけないのは私だった。私と出会わなければ、あなたの父親は変わらない優しい人だった。五十嵐君もあんな風に豹変する事は無かった」

「違う! あれはどう考えたって被害者はあんただろ!」

 そうじゃないと叫ぶ彼は優しい。

 独りよがりだった自己保身の戯言を肯定してくれているのだから。今迄の私を受け入れてくれているのだから。私を傷付けないように。

 そんな彼に私は首を横に振った。

「それだけじゃないの。……私にはお母さんがいるの。お母さんは優しくて格好良くて仕事も出来てね、私にとって大切な人。そのお母さんがね、泣いてた。一人で、誰にも気付かれないように。私に気付かれないように。働いてた会社も辞めて、今は小さな小会社に勤めててね、帰ったら必ず家に居るようになった。仕事だって、仕事量が多くて大変だったから、なんて言ってたけど、本当は出張が多くて家を空けることが必然的に増えるからっていう理由。楽しそうに働くお母さんが私は好きだった。だけど、そんなお母さんから楽しみを奪ったのは、私。泣かせたのも、私。私がお母さんを壊してしまった」

 気丈に振る舞ってはいるけれど、段々と窶れていく母の姿。化粧で隠しきれない程の目の下の隈は今でもはっきりと残っていて母の笑顔を嗤っていた。恐らく夜もまともに眠れていないのであろう。

 彼は何も言わずに瞼を伏せている。唇を微かに噛み締めているようだった。

「あなただって、そう。私の存在があなたから優しい父親を、家族を奪った。あなたの生活を破壊した。あなたの人生を狂わせた。私の言葉があなたを深く傷付けた。自分自身を傷付ける要因になった」

 彼の涙が脳裏から離れない。

 私のせいで泣いて欲しくなかった。苦しんで欲しくなかった。そんな姿、見たくなかった。

「私さえいなければ、あなたが苦しむことはなかったのに」

――私さえ、いなければ。

 脳内で反芻する。

 繰り返される内に、その言葉が身体中に浸透していった。ゆっくり、ゆっくり。

「私さえ、」

 唇が震えながら、その言葉を唱えようとした。

 しかし、それが紡がれることは無かった。音は動きと共に掻き消された。彼の温もりによって。

「……っ」

 一瞬のことだった。けれど数分にも数時間にも感じられて。

 私は何もかも忘れて息を止めた。息が、止まった。

 彼の顔が離れていく。同時に、髪と目元しか見えなかった視界が、彼の顔全体をはっきりと映していった。

「……言わせない。それ以上はあんたの母親も、俺も、何よりあんた自身を否定する言葉だ。俺自身の勝手な我儘でしかないけど、俺はあんたが苦しむ所をもう見たくない。あんたの涙なんて見たくない。俺が見たいのは笑ってる顔だ。あんな事件のことは忘れて、元気で幸せにしている姿だ。これじゃあ何の為にあんな事言ったのか分かんねぇよ。頼むから、そんな風にこれ以上傷付かないでくれ。自分を傷付けないでくれ。……俺も自分を卑下にすることは止めるから」

 混乱していた脳が冴えていく。

 泣いているようだった。

 滲む世界で彼の目尻には涙が溜まっていた。その瞳に映る私の顔も酷く歪んでいる。

 うん。

 気付けば頷いていた。音にもならない声が響く。

 馬鹿みたいだと思った。彼も、私も。

 分かったふうな顔で相手を傷付けて。勝手に自分で傷付いて。今度は相手の泣いている姿は見たくないと思っている。

 馬鹿だと思った。

 何処までも自己中心的で、自分の意思さえ不安定で簡単に覆してしまう愚かな私達。

 けれど、確かに相手の幸せを願っている私達。それはどうしようもなく自分勝手な願いだけれど、何も見えなかった頃とは違う。

 お互い。

「ごめん」

 彼のぼそりと、そしてはっきりとした声が私の鼓膜を震わせた。

 その表情は何処か笑っているように見えた。

「……ごめん」

 私の掠れた声が耳に響く。

 そしてまた、彼の瞳に揺れる私も笑っているようだった。




 ××




 私が星宮清二にストーカーをされた事件。法律上、この事件の被害者は私で、加害者は実刑判決が下された星宮清二という男。

 それが真実で、絶対であると思っていた。

 けれど、本当にそうなのだろうか。

 これによって傷付いた人間は私だけでは無い。母も、彼の息子である蒼二も涙を流した。

 私自身も、誰かに害を与えた。完全なる悲劇のヒロインなどでは無かった。


 では、一体誰が被害者だというのか。


 それは私かもしれないし、母や蒼二、はたまた星宮清二なのかもしれない。

 若しくは誰にも該当しないのかもしれない。

 けれど、そんな事はどうでも良くなった。

 これまでの私は、誰が悪くて誰が悪くないのか、そんなことに拘ってばかりだったけれど、それ以上に優先させる事が出来た。

 善悪をはっきりさせるのは勿論大事なことだ。その為に法という基準が有り、それに反するものを取り締まる警察というものが存在するのだから。

 けれど、そのせいで相手も自分も傷付いてしまうのは本末転倒なんじゃないかな、とそんな風に考える様になった。

 私にとって何より大切な事は、皆が笑って前に歩いていくことだから。私も、母も、蒼二も、皆。

 被害者も加害者も関係なく対等に、ただ蒼二の隣に立つことが今の私にとっての幸せだから。


『あなたのせいで私の人生滅茶苦茶よ』

 あなたのおかげで、後ろばかり見ていた私は明るい未来を見つめることが出来るようになったんだから。

最後までお付き合い頂き、本当に有難うございました。

これにて拙作『被害者はだれ?』は完結です。

あまりにも恋愛要素が薄くてすみません。


その内ちょろっと番外編を書くかもしれませんが、その時は是非是非宜しくお願いします。

本当に気が向いたらになると思うので期待はしないで下さい。

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