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「お前のせいで親父の人生滅茶苦茶だよ!!」

 目の前の少年の息が掛かる。

 その目尻には涙が溜まっていて、その瞳には怨恨が浮かんでいて――酷く腹が立った。



 ×××



 私はごく普通の女子高生だった。

 飛び抜けた容姿でもなく、スペックもそこそこ。成績は少しだけ中より上の方を保っていて問題児という訳でも無い。部活はソフトボール部で、一年の時に地道に頑張ってたお陰か二年の今では何とかレギュラーを勝ち取ることが出来た。……と言ってもうちの部活、弱小なんだけどね。

 クラス内でも浮く事無く、教室移動や昼のお弁当を一緒に食べる友人も何人か居り、それなりに充実した毎日を送っていた。

 本当に普通に平凡に――ちょっと女子力は低かったけど――、それでも毎日が楽しかった。

 それがある時壊れてしまった。

 あの日から私は、男を恐ろしいと感じるようになった。


 夏。

 蝉の鳴き声はまだ煩く、太陽が炎天下の中で活動する私達をこれでもかと照らし出していた。いつもと変わらない倒れそうになるような暑さ、眩しさの中で、私達ソフト部員はグラウンドで泥まみれになっていた。

 大会が着々と近付いているこの頃、例に違わずその日も遅くまで練習が続いた。

 グラウンド整備が終わると、今日も暑かったね、まーた真っ黒に焼けちゃうよなどと声を交わしながら駅に向かった。

「あ、電車来たみたい」

 他の部員達に別れを告げて電車に乗ると、定席に荷物と腰を下ろした。

 私が帰る方面はこの時間帯は人が少なく、いつも私が座る席も空いている。

 ガタゴトと心地良い揺れに少しうつらうつらするも、完全に眠ってしまわない様に注意した。

――あ。今日冷蔵庫に何も入ってない。夕食の分と明日のお弁当の分、買い出しに行かなきゃ。

 ふと、そう思い出したところで、視線を感じた。

――いけない、いつの間にか足開いちゃってたよ……女子力、女子力。

 疲労しきった身体は、だらしなくも足をおっぴろげていた。学校の指定制服のスカートは短いのでこれでは中身が丸見えだ。気を付けなくてはいけない。

――女子力、女子力。


 自宅の最寄駅に着くと、いつものようにスーパーに寄って食材を数日分だけ買った。今は夜九時半。そこそこ安く商品が手に入る。

 本来ならそこまで遅くならないのだが、大会前の今時期は結構ハードな練習が行われる為、また、普通電車で通う私の帰宅時間はめっきり遅くなる。大会が終わり次第、自転車通学に戻るので年中こんなペースでもなし。雪の降る冬場もまた然り。

――明日はお母さん帰ってくるし、そこそこ距離もあるんだし、心配させない為にも駅まで自転車で行こうかな。

 母はキャリアウーマンで、只今出張中。

 離婚してから女手一つで育ててくれているが、仕事だけではなく私にもきちんと愛情を注いでくれた。私が大きくなるまでは、出張もせず、残業も出来るだけして来なかった程だ。それでも会社からの信頼は厚いのは彼女がよっぽど仕事の出来る女であるからだろう。そんな母を同じ女として尊敬し、母親としても深く愛していた。ま、そんな事恥ずかしくて普段は言えないけどね。

 母の負担にならない様、出来る限りの家事や手伝いをしてきた私が明日の母の帰りを楽しみだなと、気分上々で帰路に就いている時だった。

――――――ひたり。

 視線と、僅かながらの足音。

 誰かが私を尾けていた。

 またか、と私は息を詰めた。

 そう、この尾行は最近毎日行われていた。所謂ストーカーというやつだ。

 私の足は必然的に早足となる。すると、向こうも段々と足を運ぶペースが速くなった。

――――――ひたり、ひたり、ひたり。

 誰も居ない暗い夜道、私と彼奴の荒い息遣いだけが響いた。

――怖い怖い怖い怖い!!!!

 その恐怖は自然と私を走らせていた。全速力で駆け抜け、いつもならまっすぐ帰る家ではなく、近くの公園に入った。ドーム型の滑り台の空洞部分に身を隠した私はじっと息を潜めた。

――これで私は闇に紛れて見えない筈だ。

 真っ暗闇で何も見えない中、遠くにいる彼奴の足音が耳に届く。

 じゃり、と靴が公園内の砂利を踏んだ音が鳴った。それは段々と近付いて来て--私の心臓は今にも破裂しそうに音を立て、彼奴にも聞こえてしまうのではないかと身を震わせた。もう限界だった。

「チッ」

 暫くして彼奴は舌打ちすると、早足で公園を出て行った。

 私は腰が抜け、立てそうにもなかった。

――危なかった。

 いつも初めに足音を聞くのはもう少し家に近付いてからで、今日は家までの道程が結構残っていた。それ故、公園に駆け込んだのだが……。

 彼奴はなかなか足が速いので、家まで走ったとしたら途中で追い付かれただろう。判断は間違っていなかった。

 息を吐き、漸く立てるようになった足に安堵しながら出口へ向かった。

 手足は未だ震えているも、肌寒くなってきたこの時間、あまり外に居るのも体に良くない。それに明日も早いのだ。

 覚束無い足でコンクリートの道に出た時だった。

 口が抑えられ地面に叩きつけられた。

 背中に強い衝撃を感じ、その鈍い痛みを必死に堪え、顰めながらも目をぐっと開けた。

 目の前にいるのは男。どうやら塀に隠れて待ち伏せしていたらしい。中年……自分の父親くらいの年齢なのではないだろうか。小太りでその腹にも重量感のある脂肪を備え付けていた。

 私は一瞬、何が起きたのか分からなかった。

「由恵ちゃん。僕の可愛い由恵ちゃん」

 刹那、全身を寒気と鳥肌が襲った。

「もう、駄目じゃないか。逃げたりなんかしちゃあ。悪い子にはお仕置きかな」

 男はニタリと下種びた笑みを浮かべた。

 見た目に反して男の力は強く、彼奴の体で押え付けられた手足はピクリとも動かない。

 思わず目からは涙が溢れた。

「怖いのかい? 大丈夫、痛い事はしないよ。するのは気持ちイイことだけさ」

――そうだ、携帯!

 そう思って目だけで探してみるが携帯は鞄の中に仕舞ってある。鞄は自分達より少し離れた場所に投げ捨てられていた。

 這っていこうと足掻いても男の力には抗え無い。言い知れない恐怖と嫌悪だけが身体中を巡った。

「由恵ちゃんが僕をこんなにしたんだよ。由恵ちゃんが明るくて可憐で一生懸命で……こんなにも可愛いから」

――そんなの知らない!! 怖い、嫌だ、気持ち悪い!!

 そう叫ぶも抑えられた手のせいで潜持った声が漏れるだけだった。

「だから君にはさ」

 嫌な予感に一瞬私の暴れていた体は止まった。

 もう涙と呻き声しか出ない。頭なんてまるで回らなかった。

 男の気味の悪い笑みがより一層深みを増した。

「その責任を取ってもらわなきゃね」

 男の手が、私の制服をビリビリと破いた。


 いやあああああ!!!!


「何をしている!!」

 その声と同時に私達は明るく照り出された。

「っこの!」

 私を覆っていた圧迫感が無くなり、いつの間にか男は一人の男に抑えられていた。

「大丈夫ですか」

 私に寄ってきたその男はどうやらこの辺を巡回していたお巡りさんらしかった。

 その問いに答える事もなく、私はその場にぼんやりと佇んでいた。

 放心した様子の私にお巡りさんは心配そうにおろおろしていたが、構っていられなかった。

 全身から力が抜け、再び視界がぼやけた。

 転がっていたじゃが芋に一粒の雫が溢れる。

 なんでこんな所にと首を傾げれば、そういえばスーパーに寄ったんだったと思い出される。辺りにはじゃが芋やら人参やらが転がっていた。

 遠方でパトカーの音がひたすら鳴り続けていた。



「佐々木由恵さんはいますか」

 昼休み、自席で女友達とお弁当をつつきながら談笑している時だった。

 教室内に入ってきたのは知らない男の子だった。ネクタイが一年生を示す緑色だった。

 私が男子生徒に呼ばれる事は滅多に無いので女友達は何だ何だと不思議そうにしている。私自身も首を傾げた。

「何何〜? ひょっとして告白とか?」

「いや、由恵がモテるとか無いでしょ!」

「何それ酷くない? ……もう。まあ、言ってくるね」

 ニヤケ顔で好き勝手言っている友人達にひと言言い、席を立った。

「私だけど」

「ちょっと来てもらっても良いですか」

 そう言いながら私に有無を言わせず、さっさと歩き出した目の前の少年を慌てて追いかけた。

 黒髪でクセのない真面目そうなスッキリとした髪型。背は私と同じか、若干彼の方が高い位。

 スタスタと歩く少年に、本当に何の用なのだろうと、頭の上に疑問符を浮かべた。


 人気の無い二線校舎に着いた私達は適当な空き教室へと入った。

 少年は窓の外を見つめ、暫く沈黙が続いた。

 痺れを切らした私が要件を問おうとして、彼がゆっくりと口を開いた。

「僕の家は四人家族です。父、母、社会人になったばかりの兄、そして僕です。」

 おおう。いきなり自分語りが始まったぞ。

 混乱したものの、黙って聞くことにした。

「父は真面目に働き、偶に家を空ける事も在りましたが僕達家族にも優しく接してくれて。母は専業主婦で美味しい食事を作ってくれて、主婦友とも関係は良好で。兄も勤勉で有名な国公立大学にも受かった程に頭が良くて、それでも父に似て優しい人です。本当に仲が良くて――近所でも評判になるくらいに――毎日が幸せでした。……あの日までは」

 穏やかに話していた彼の表情は途端に翳りを差した。

「半年程前、突然父の様子がおかしくなったんです。仕事を休む日が増え、頭を抱えて酷く悩んでいる姿をよく見かけました。飲酒量も増え、遂には会社を辞めました。仕事をしていないというのに家を空ける事も度々あり、帰宅すると何やらコソコソ、ソワソワと隠し事をしている様で、その事を尋ねると人が変わったように怒鳴り散らして暴力を振るうようになりました」

 誰もいない教室に重く響く声は、微かに震えているように感じた。

 彼は未だ窓を見ている。表情は見えない。

「そして、父はある日捕まったんです。ストーカー加害者として」

 悔しそうに少年は身体中を震わせた。その拳は固く閉じられている。

「ある女子高生をずっとつけ回していたということで父は告訴されました。裁判の結果、課された判決は懲役一年半。今も彼は帰ってきていません。面会に行くとその女子高生の名をうわ言の様に呟いているだけです。その様子はまるで狂乱人ですよ。近所からも掌を返されたかのように冷たくあしらわれ、気の弱かった母は病みに先月逝去しました。兄も生活費だけは入れてくれますが家を出ました。僕は今一人暮らしをしているんです」

「……」

「そういえばまだ名乗っていませんでしたね。僕の名は星宮蒼二。父は星宮清二と言います……この名に聞き覚え、ありますよね」

 窓を眺めていた少年が振り返る。彼は静かに笑っている。憂いを帯びた表情は犬がションボリする様子に重なるが、視線はまるで一致しなかった。

 私は長い息を吐いた。

「ああ、あの男ね」

 瞬間、彼は目を見開き、私に詰め寄った。顔は真っ赤だった。

 少し下がった私は丁度後ろにあった壁にぶつかった。

――これ以上は行けないか。

「お前が居たから親父はおかしくなった。お前の存在が親父を壊した。俺は、俺は……! お前のせいで親父の人生滅茶苦茶だよ!!」

 目の前の少年の息が掛かる。

 その目尻には涙が溜まっていて、その瞳には怨恨が浮かんでいて――酷く腹が立った。

「『お前のせいで俺の人生滅茶苦茶だよ』」

 静かに放たれた私の言葉に彼は瞠目した。

「……は?」

「あなたの話を要約するとそう言う事でしょう。本当は父親が心配なんかじゃない。一番大事なのは自分の事。違う?」

 彼の顔は見る見る赤くなっていく。眉間の皺もどんどん深くなり、もう一生取れないのではと思わせる程にくしゃくしゃだ。

「本当のことでしょう。そもそもその事で私が責められるのはどう考えたっておかしいわ。一番の被害者は私なのに。あなたの父親は自業自得の罰を受けたのよ。あれでも足りないくらい」

「たかが、ちょっとつけられたくらいで……!」

「なにが『ちょっとつけられたくらい』よ!!」

 彼は反論しようとしたみたいだが、その言葉は私を逆上させるには充分だった。

「私とお母さんが不在の時、不法侵入して私の持ち物……下着も盗んで行ったじゃない! それにその尾行だって毎日毎日……朝も夜も電車に乗ってる時だって私を見つめてた。怖かった……家に盗聴器やカメラなんかも仕掛けられたりして、家も落ち着かない。だからって外だって……怖くて怖くて、誰にも相談出来なくて……毎日毎日まいにち……っ! 未遂だったとはいえ襲われて、漸く逮捕されてほっとしたのに判決もたった懲役一年半。裁判だって準備とかあの男と顔を合わせなきゃ無かったりで……」

「あ、の」

 叫ぶ私に声をかけようと差し出された少年の手を払いのける。乾いた音が教室に響いた。

 肩で呼吸しながら、動揺している彼を睨みつけた。

 握り締められた私の掌は爪によって傷つけられた傷跡が血を垂れ流していた。

 あの日以来、私は男が嫌いになった。触れられるのは勿論、同じ空間にいるだけで拒絶反応が起き、酷い吐き気を催した。実際に嘔吐した事もあった。数日間、学校も休んだ。

 それでも今は何とか克服した。他でもない母の為だ。

 母は決して悲しんでいる姿は私に見せず安心させるように優しく包んでくれたが、陰でひっそりと泣いている事を知っていた。彼女をこれ以上苦しませたくなかった。

 必死で我慢した。男が近寄ってきても嫌悪感をぐっと押し止めた。

 結果、今でも男に苦手意識は持っているが拒絶反応は殆ど無くなった。

 だが、あの男と血が繋がった息子になんて触られたくなかった。

「あなたの父親のせいで私の人生滅茶苦茶よ」

 睨み付けながら零し、さっと教室を出た。

 彼はただ呆然と立ち尽くしていた。

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