三匹の子ぶた on the Battle X'mas
十二月二十五日の昼。二人の若い男は息を切らせて走っていた。
真っ青な顔で、雪崩から逃げるように、不器用に足を絡まらせながら。
ガンガン、ガンガン、と重たく鳴る靴底と地面の打撃は、二人の吐息から焦りと恐怖以外の感情を吹き飛ばしているようだった。
そして二人は目的地である扉の前で足を止めた。ギュリリ、という鈍くて耳に刺さる摩擦音が野外に響く。
二人はそのドアを必死に叩き始めた。
「先輩! 先輩! 大変です!」
今にもドアに凹みを作ってしまいそうなほどに、二人は何度も叩いた。早く、早く、と念を込めながら。耳に覆いかぶさる鼓動を破壊するように。
その音に、ドアの向こうにいる人物――川崎――が何も察しないはずはない。鍵を開く音は、いつもよりずっと力強かった。
「どうした?」
川崎はドアを開けてすぐさまそう訊く。その表情は曇り、眉は微かに曲がっている。
何が起きたのかを分かっているのは一目瞭然だ。ただ、信じたくない。その一心。
だが、非情にも後輩である原は、その言葉を半ば叫ぶように口にする。
「奴が、遂に奴が来ました!」
川崎の左目が、針を刺されたように一瞬閉じられた。彼の左頬には切り傷があるのだが、彼のその様子は、まるでその傷の痛みを思い出したかのようだった。
更に、もうひとりの後輩、世古は義務のように状況を伝える。
「俺と原の陣地はもう制圧されてしまいました」
「ここに来るのもおそらく時間の問題です!」
チッ、と川崎の舌が鳴る。おそらくほとんど無意識のものだ。
「……そうか、分かった。入れ」
川崎の指示を聞き、世古は「でも!」と反論する。その声に、冷静の色はない。「でも、奴は絶対にここにも来ます! ここは一時撤退した方が――」
「――駄目だ」
川崎は世古に最後まで話させない。その目には、常に最良の判断をしなければならない司令塔の光があった。「奴は俺たち全員の顔を知っている。遭遇してしまった時のリスクを考えてみろ。ここに留まるのがベストだ」
「でも……」
そう原が不安がるのも無理はない。だが、彼は川崎を誰よりも信頼していた。それは世古も同じだ。
「心配するな。俺を、信じろ」
そう言われると、二人は息を合わせて川崎の陣地へと入っていった。
二人を招き入れた川崎はすぐにドアを閉める。外の寒い風が一瞬だけ隙間から入り込み、彼の頬の切り傷を擦る。
川崎の陣地。原も世古も、ここには何度も来たことがあった。
「せっかくのクリスマスだっていうのに、あの野郎め……」
昨日だって原と世古はここにいた。そして、戦った。ここにはまだその痕――赤い飛沫――が何箇所にも残っていた。
「奴が来る……奴が来る……」
赤い跡、川崎の傷、そして微かなアルコールのにおい。それが世古に一層の不安を与えたのだろう、彼はほとんど放心状態だった。
「本当に大丈夫なんですかね……」
世古と比べれば、まだ原には自我が残っていた。だが、今にも壊れてしまそうなのは間違いない。おそらく、頼れる先輩がいなければ二人とも精神を壊して地に伏せていたことだろう。
「大丈夫だ」
川崎はそう言うが、それが本心なのかどうなのか、原には分からない。おそらく、川崎自身にも。「今からお茶入れて来てやるから落ち着け」
その時だった。半ば魂が抜けかけていた世古の耳に、何かが届いた。
「ちょっと待ってください――」
世古は川崎に手を伸ばし、息を殺して耳を澄ますようにジャスチャーした。「……なにか、聞こえませんか?」
「ん?」
川崎の耳には何も聞こえなかった。しかし、動きを失った時間の中、何か異質なものがフェードインしてくるのは感じた。
……ン、
そしてそれは、徐々に徐々に川崎と原の耳にも届くようになる。
カツン、カツン、
ゆったりと、そして重厚に、その音は地を揺らす。
カツン、カツン、
川崎にとっては初めて聞く音だったが、残りの二人にとっては違う。つい先ほどそれと全く同じ足音を耳にしたばかりだったのだから。
間違えるはずがない。
「この音は……奴だ!」
その原の声に、ほとんど精神を壊していた世古は騒がずにはいられなかった。
「もう!? まさかこんなに早いとは!」
原も自身の鼓動音に押し潰されそうになっていた。
「まさか俺と中世古がここにいるのもバレてるんじゃ……?」
「二人とも落ち着け」
あまりにも早い奴の登場に、川崎だって内心焦っていた。だが、それでも二人の先輩という立場上、それを表に出してしまうわけにはいかない。「そんなに騒いでしまっては奴の思う壺だ」
「でも、」
原の声は、手は、脚は、ガクガクと震えていた。
「でも、奴が……奴が……!」
そして遂に、原は『奴』の名前――禁断の名前――を口にしてしまう。
「不動産屋の都築さんが!」
※不動産屋……土地およびその定着物(建物・立ち木など)を売ることを商売とする者。大家やそこの住人の信頼を得るため、近隣住民に迷惑をかける人物を追い払うのも仕事のひとつである。
「俺は嫌だぁ! あらぬ罪をなすり付けられて強制退去なんて!」
「そうだ! クソッ、両隣の住民め! ちょっとシャンパン・ファイトしたくらいで苦情入れやがって!」
この陣地――マンションのワンルーム――に飛び散る赤い飛沫。その正体は、この三人がクリスマス・イブに大はしゃぎした際に飛び散った赤ワインである。
「分かった。落ち着け」
そして川崎の頬の傷。それは、割れたグラスの破片が刺さったためである。
「落ち着いてられますか!? ああ、チャイムが鳴って出た瞬間の都築さんの怪しいほどの笑顔がフラッシュバックしてしまう!」
「俺なんて息をひそめて居留守したっていうのに……、奴はマスターキーで無理やり俺の陣地を制圧してきやがった!」
あわあわと全身を震わせる、同じマンションに住む二人。ちなみに、何故かこの三人は全員の部屋でそれぞれシャンパン・ファイトを開催したらしい。
その二人を安心させるため、川崎は笑った。「大丈夫だ。チェーンロックはしてある。ここにいることはバレたとしても、奴が俺たちに危害を加えることはできない」
その時だった。
ピンポーン
「嫌だぁああああ!」
「都築さんのあの顔をもう一度見るくらいなら、ここから飛び降りて死んでやる!」
「ちょっと待て、落ち着け」
更に追い打ちをかけるように、不動産屋の都築はドア越しに声をかける。
「川崎さーん、開けてくださーい。いるのは分かってるんですよー」
なに? と世古と原は顔を合わせる。
「いるのは分かってるだと!?」
「奴はエスパーか!?」
「お前らが騒いでいるからだ」
都築は平坦に、そして業務的に続ける。
「マスターキー使っちゃいますよー」
はっ、と二人の脳裏に地獄絵図が浮かぶ。
「もう駄目だ! あの最強の矛に勝ち目なんてない!」
「誰か! 今すぐ俺を撃ち殺してくれ!」
「いいから黙れ」
川崎は二人を制する。「最強の矛がなんだ。俺たちには最強の盾『チェーンロック』がある」
鍵穴にマスターキーが入る鈍い音が部屋に響く。それに思わず原と世古は耳に木の枝を入れられたような、身がよじられる感覚に襲われた。
そして、ガチャッと鍵が開いた。ドアノブが回される。しかし、チェーンロックによって扉はほんの少ししか開かない。
「チェーンロックですかー。どうやらもう隠れる気はないようですねー」
勝利を確信した川崎は堂々と都築へと対峙する。
「ああ。俺たちは正々堂々お前と戦うことを誓おう」
「あなたたちがここから退去してくれないと、お隣さんに迷惑かけちゃうんですよねー」
「それでも、男には譲れないものがあるんだよ」
「こちらだって譲るわけにはいかないんですよー」
「フン、ならばこのチェーンロックを乗り越えてみろ。それができなければお前の負けだ」
その表情は、満面のドヤ顔だ。「どうだ、やってみろよ」
この時には原と世古も勝利を確信して囃し立てていた。「そうだそうだー!」
はあ、と微かではあるがドア越しに溜息が聞こえた。その頼りのない吐息に三人は笑いを押さえるのに精一杯になっていた。
だが、しかし。
「分かりました。できればこの手は使いたくなかったのですが……」
何かごそごそと音が鳴り始めた。都築が鞄から何かを取り出しているのだ。
そして「ガチャッ」という金属音と共に、そのごそごそは消えた。
「こんなこともあろうかと用意していた、このレーザーライフルを使うことにしましょう」
部屋の中で、三人は思わず顔を真っ青にし、だらしなく口と眼球を見開いていた。
「レーザーライフル!?」
「ただの不動産屋が何故そんなものを!?」
「どうやら、奴はドアごとぶち破ってくるようだ。これはさすがに予想外だな……」
初めて川崎が弱音を吐いた瞬間だった。
その様子に、原はパニックを超えて諦めていた。
「万事休す、ですか……」
原は、川崎が頷くものだと思っていた。しかし、反応は予想外だった。
「――いや、まだ奥の手がある」
「奥の手?」
ふう、と川崎は小さく息を吐いた。少しだけ額に汗がにじんでいる。
「お前たちの力も、貸してもらうぞ」
チェーンロックによって閉ざされた鉄壁の扉。その外にはひとりの不動産屋がレーザーライフルを握って立っていた。
十二月の終盤の寒空に風がうねる。埃やごみが廊下の上を転がっている。
次の瞬間、ひゅん、とひときわ強い冷風が都築の髪をなびかせた。それはまるで、開戦の汽笛のよう。
「では、遠慮なく行きますよー」
ビュンビュン、と軽快にレーザーが放たれていく。それと共にピンクの光が扉に当たり、ばんばん、がんがん、と音を立てて凹んでいく。
その凹みは、徐々に破壊の色へと染まっていった。
そんな中だった。
ンー
何か音が聞こえてきた。
「何の音かな? まあ、もう勝ったも当然ですし、攻撃を続けましょうか」
更に都築はレーザーライフルを乱射していく。
徐々に扉は変形し、二十秒経った頃にはその意味をほとんどなさないくらいにボロボロになっていた。
まさに、臨場。
都築は勝利を確信した。
「これで、チェックメイトです」
彼が放った最後の一発。それによってドアが完全に壊れ、ドアの倒れる重低音が都築の心臓を興奮させる。
だが。
その瞬間、さっきまで微かに聞こえていた音からドアというフィルターが解除され、けたたましい轟音が都築の耳に入ったのだ。
「な、なんですか、これは……!」
そして、都築は目の前の光景に愕然とした。
ドラ●ン●ールのセ●戦ラストのカメハ●波よろしく、三人がビーム砲をチャージしていたのだ。
都築が目を見開いて呆気に取られているのも束の間、チャージを終えた三人は気持ちを一つに、叫んだ。
ここで、負けるわけにはいかない!
「行っけぇええええええええええ!」
耳をつんざく高音と全てを吹き飛ばす重低音と共に凄まじい衝撃波が走り、ビーム砲が発射される。
そのあまりもの迫力に、都築は避けるという選択肢を失って立ち尽くしていた。
そして、
「うわぁあああああ!」
都築は轟音にも負けないほどの叫びを発し、ビームに飲まれていった――。
煙が上がっている。それが風によって更に舞い上がり、三人の視野を覆い尽くしていた。
最高の反撃だったことは確かだ。しかし、相手は奴だ。まだ彼らは勝利を確信できずに息を飲んでいた。
しばらくすると徐々に煙は晴れ、空が見え始めてきた。完全に煙が消えるにはそれなりの時間がかかったが、それ以上の喜びがあった。
そこに、都築はいなかった。
「やっ、やった……」
沸々と込み上がってくる確信。
「勝ったぞ……! 俺たちは勝ったんだ!」
徐々に輪郭がはっきりしてくる歓喜。
「ああ、俺たちの勝利だ」
この壮絶な一戦を乗り越えた三人の手には、他の誰にも負けることのない絆が握られていた。
そして男たちは固く抱き合い、叫んだ。
「よっしゃぁあああああ!」
その表情にはさっきまでの恐怖や不安など一切感じさせない、おおいなる笑顔があった。
「さあ、勝利の祝杯にシャンパン・ファイトしようぜ!」
「はい!」
「そして、」
三人は心の奥から、体の芯から、声を張り上げた。
「メリークリスマス!」
何から謝ればいいか分かりませんが、とにかくすみませんでしたm(__)m
リア充以外に最高のクリスマスを!←