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家出・ホーム・ラン  作者: 鑑青楓
第四章 家の闇に潜むモノ
7/13

#04-1

 電気の落ちた廊下で、柔らかな谷間が僕の腕を飲みこむ。

「こ、コーちゃん……!」

 怖い──という言葉を飲みこんだ、アカ姉の息遣いが耳にかかる。

 アカ姉、ちょっとくっつき過ぎ……と言いたいところだが、言えば腕を挟む極上の感触が去ってしまうので、突き放せない。

 それに、今の僕らは非常事態の真っ最中だ。

「お兄ちゃーんッ! アカお姉ちゃーんッ! 大丈夫―?」

 真っ先に逃げた信子の声が、家の外から響く。

 アイツ、抜け抜けと空気を読まず……ッ!

 心の中で舌打ちしてると、アカ姉が愚妹に返そうと口を震わせる。

「だ、だいじょ……」

「答えちゃダメッ!」

 僕は慌ててアカ姉の口を塞いだ。

 今叫ぶことは危険だ。こっちの居場所を『相手』に知らせることになる。

 今僕らは出原家の中、二階の廊下にいる。家屋は瞬間移動していない。

 辺りは急な停電によって真っ暗闇となっており、突き当りの窓から降り注がれる月光が、僕らの足元を照らしてくれる程度だ。

 僕は、廊下のコンセントにささっているフットライトを見る。

 人感センサーがあるはずのそれは、僕の足が近づいても反応しない。

 やはり、屋内すべての電気が絶たれているらしい。

 恐らく……『何者か』が出原家のブレーカーを故意に落としたのだろう。

 ──トトトトト……!

 不意に、近くの床を叩く音が走る。

「ひぃッ!」

 その音に、アカ姉が竦んだ。

「こ、コーちゃぁあん……」

 泣き出しそうな声で、アカ姉が僕の名を呼んだ。

「だ、大丈夫……僕から離れないで」

 アカ姉を落ち着かせるように、そう囁いた。

 ……くそッ! どうしてこういう時にサチが消え失せてるんだッ! 家の中なら何でもわかるんだろうがッ!

 闇の中で孤立した僕らは、周囲に蠢く気配に慄き、身動きできなかった──



 宇宙で隕石とぶつかり迷子となったサチが帰還したのは、それから三日目の日曜日だった。

 しこたま僕らのお叱りを受けたサチは、その二日後の夜には平然と僕の部屋でくつろいでいた。

「私、『心の闇』って表現は何だかつまらないと思うのです。十年以上も前からテレビで使われていますが、あんな言葉に頼るというのは、安易な方向に逃げている気がするのです」

 また何を言い出したのか。

 人のベッドの上でスナック菓子を食べていた座敷中年が、脈絡もなく口を開いた。

「いきなり何の話だ? あと、人のベッドをいつまで占拠しているんだ、そろそろどけ」

 ベッドの上に着物のまま横たわるサチは、追い立てる僕を無視して、タブレット端末でグッチのカタログサイトを見ている──バッグでも買う気か、お前はッ!

「それはあまりにも酷いお言葉。そもそも、ここは私の体内。自分の体の中でどう過ごさうと勝手ではありませんか」

「自分の体内でくつろぐ輩がどこにいるッ!」

「ここに」

 パリッ! とスナック菓子を噛んだサチ。その口から菓子くずがこぼれて、ベッドに落ちる。

「菓子をこぼすなッ!」

「あだだだだだだッ!」

 堪りかねた僕がサチを引き起こし、コブラツイストの刑に処した。

「……もう、すーぐ関節技をかけるんですから……! 私でなかったら、家庭内暴力で訴訟沙汰ですよ?」

「住人が僕らでなかったら、お前なんかとっくに建て替えられてるだろ! さっさと片づけるッ!」

「──ちょっとお兄ちゃんッ!」

 サチにベッドの菓子くずを掃除させてるトコに、信子が肩を怒らせて乱入してきた。

「アタシの『たけチョコ』、勝手に食べないでよッ!」

 突然の糾弾を浴びせられたが、僕には一切心当たりがない。

「何だよ、イキナリ……僕は食べてないぞ?」

「嘘おっしゃいッ!」

 おっしゃいって言われてもなぁ……。

『たけチョコ』とは、維新製菓が製造販売している竹を模したチョコ菓子で、信子の好物だ。見た目が可愛く、食べやすいということを気に入って、自分が買ったそれを誰かに食べられることを嫌ってすらいる。

 もちろんそのことを良く知っているので、僕はそれをこっそり食うなんて愚は犯さない。

 だから、こうして信子に部屋まで怒鳴りこまれること自体あり得ないのだ。

 そこで僕は、湧き上がった疑念をサチに向けた。

「……まさか、お前か?」

 新しい容疑者のサチは、首をブンブン振って声高に否定する。

「何をおっしゃいますかッ! 私が『きのチョコ』派なのはご存知でせうにッ!」

 そういえばそうだったな。すこぶるどうでも良いが。

 ちなみに『きのチョコ』は、『たけチョコ』同様維新製菓の商品で、こちらは木をモデルにしたチョコだ。確か葉の部分がチョコで幹の部分がクラッカーと、完全に区分けされている構造だとか。

 サチは自分に向けられた不当な容疑に怒り、いきり立っていた──盗み食いについてなのか、『たけチョコ』を食うことについてなのか、イマイチわからなかったが。

「きのチョコ派が、たけチョコを食べることなど決してあり得ませんッ! それは、きのチョコに対する背徳ですッ!」

 何の宗教戦争なんだよ、それは。

 サチの言葉を聞いた信子の顔がひくつき、態度を豹変させた。

「チョコを頭に乗せるしか芸のない『きのチョコ』が……粋がるなよ……ッ!」

 信子さん、口調が変わってますが?

 ツッコみたい僕の眼差しをよそに、サチと信子は部屋の真ん中で睨み合った。

 その瞳には闘気が宿っていて、両者一歩も譲らないという風情だった──盗み食いのことは完全に忘れてるな、これは。

「前々から、たけチョコ派は気に入らないと思っておりました……!」

「もはや、引き返せないトコまで来たようだね……?」

「そのやうですね……」

 マズイな、これは……!

 放っておくと、この部屋で戦いが始まる雰囲気だ。

「あー、お二方。開戦するならそれに相応しい場所をセッティングしていただけますかね……?」

「否ッ! もはや止まらぬッ!」

 やんわりと二人を言いくるめようとしたが、二人は口を揃えて叫んだ。

「時は『今』ッ!」

「場所は『ここ』ッ!」

「これこそが血の運命さだめッ!」

 順番に口上を並べた二人が構え、臨戦態勢に入った──それだけ息が合うのに争うなよ。

「行くぞぉぉぉ────ッ!」

「シャオォォォ────ッ!」

 かくして、『きのチョコ』派対『たけチョコ』派の激しい戦いが、僕の部屋で切って落とされた。



「──っていうことがあってさ」

 家から避難して転がりこんだコンビニ『ホームマート』で出会ったアカ姉に、ことのあらましを説明した。

「ふーん、それは災難だったねぇ」

「今頃、僕の部屋含め色んなトコで暴れてるだろうね……」

 二人の戦争は、当初信子の関節技や投技に対してサチが掴みかかる信子の手を払う形で応戦していたが、次第に物を投げたり廊下を駆けて罠を張ったりなど、あの手この手を使った乱闘にもつれこんでいった。

 戦いの激しさにたまらず家を抜け出したが、僕の所有物が壊されていないことを祈るばかりだ。

 嘆息と共にコンビニ内を見回し、レジに目を止める──あ、後でチキン買おう。

 二人の闘争がもたらす被害から逃避した僕は、レジ横に並んでいるホームマートオリジナル商品『ホムチキ』を買おうと思った。

 その横で、アカ姉は買い物カゴ片手に飲み物を選んでいた。

「『きのたけ戦争』は根が深いからね」

「たかだかチョコで熱くなりすぎじゃないか?」

 話しながら、僕は陳列されていたチョコ菓子の一つを手に取る──パイプ状のプレッツェルの中にチョコを詰めた『トッピ』だ。

「コーちゃん知らないの? 維新製菓自身が、『きのたけ戦争』を煽ったという噂を?」

「へ?」

 アカ姉曰く、『その昔、きのチョコ・たけチョコ双方の売上が伸び悩んでいたことを憂えた維新製菓社員が、インターネットの匿名掲示板で各々のチョコを批判したスレッドを立てて、ファン同士の闘争を煽った』という炎上商法の走りみたいな噂があるらしい。

「考え過ぎだよ、そんなの」

 というか、単なる陰謀論じゃないか。しかもだいぶレベルが低い。

 菓子にまつわる販促陰謀説を一蹴した後、あらかた買う物を決めた僕は、店内の時計を見上げた。

「……そろそろ戦争は終わったかな?」

 開戦から一時間近く経っていた。二人の勝敗がどうなろうとも、体力的にそろそろ終戦を迎えざるを得ないはずだ。そもそもチョコごときで長期戦など勘弁して欲しい。

「いい加減家に帰ってみるか」

 そう言って、アカ姉を振り返る──アカ姉は、雑誌コーナーの棚の一点に、熱心な視線を注いでいた。

「帝王セックス、って何……?」

 小声で呟いたその言葉に仰天して、視線を追う。

 すると、週刊誌の表紙に書かれてある見出しに『帝王セックス同棲』とあるのを見つけた。芸能人の爛れた性生活のゴシップ記事であるようだ。

「……アカ姉?」

 ちょっと躊躇いがちに、彼女の名を呼んだ。

 我に返ったアカ姉は僕を振り返り、顔を紅潮させた。

「……な、何でもないからッ!」

 取りつくろうように飛び出したその言葉は、しかし説得力なく上ずっていた。

「見てないからッ! 『帝王セックスってどんなんだろう』とか考えてないからねッ!」

「わ、わかったから……店出ようか」

 慌てたせいか彼女の声のトーンが上がってしまい、他のお客や店員の視線が僕らに集まってきた。

 僕はアカ姉を連れてそそくさと会計を済まし、店を出た。



「ご、ごめんね。取り乱して」

「いいよ、それはもう」

 足早にホームマートを離れた僕らは、店が見えなくなる辺りでようやく口を開いた。

「暗いからアパートまで送るよ、アカ姉」

 コンビニでの珍事を忘れるため、僕はアカ姉にアパートまでの同行を申し出た。

 それに対し、アカ姉は何故か言い辛そうにうつむいた。

「あ……えーとね、コーちゃん……」

 言い淀むその態度を、僕は送迎を遠慮していると思った。

「遠慮しないで良いよ。夜道は危ないから」

「違うの」

 しかし、アカ姉は首を横に振った。

「そうじゃなくて……私もこれからコーちゃんち行こうとしてたの」

「へ?」

「おばさまに誘われて、今夜の夕飯はコーちゃんちでご一緒することになってたの」

 あぁ、なるほどね……。

 幼少時からの付き合いであるアカ姉は、現在一人暮らしなこともあり、たまに出原家で食事を共にしている。

 今夜も母さんがいつの間にか誘っていて、約束をとりつけたのだろう。

 ん? でも待てよ……?

「それなのに、サチと信子が家を荒らしているのか……!」

 今頃戦いが収まっているであろう我が家の惨状を想像して、僕は思いっきりうなだれてしまった。



 コンビニで買った物を冷蔵庫にしまうため、僕らは一度アカ姉のアパートに寄り、そのまま我が家へ向かっていった。

「あ、そうそう。コーちゃん!」

 何事か思い出したアカ姉は、坂道の途中で手を叩いた。

「実は、私も『たけチョコ』派なの」

「へ?」

「前、こんなの作ったんだ──ほら♪」

 アカ姉はそういって携帯電話を取り出し、僕の眼前に突き出した。

 画面を見ると、板チョコやクッキーが積み重ねられ、橋のような形になっている空間の真ん中で、二つの『きのチョコ』が無残にも崩されている写真が映っていた──この画像、見覚えあるぞ?

「じゃーん♪ 『きのチョコ皇太子夫妻暗殺事件』写真集♪ ミステリーっぽくない? ネットに投稿したら、すっごいウケたんだ♪」

 ──タイトルを何度か反芻して、僕はようやくその画像がどんなモノか思い出した。

 確か、近年の『きのたけ戦争』の情勢を大きく動かしたジオラマ写真として、ネット上で大きな評判を呼んだモノだ。

 この作品は連作になっていて、三十枚ほどの写真でストーリーを表現するジオラマ大作だ。

 あらすじは確か、『きのチョコたちが暮らす、きのチョコ公国の皇太子夫妻が、たけチョコ帝国との和平交渉のため帝国首都まで赴いたが、その街の橋の上で何者かの銃撃を受けた』というモノで、誰が何の目的できのチョコ皇太子夫妻を暗殺したのか、きのチョコ側とたけチョコ側の双方から謎を解き明かしていく。

 ジオラマの素材に菓子だけを使い、政治に翻弄される人々……チョコたち? の群集劇を壮大にかつ精緻に描いたことが評価され、ネットで半ば伝説となっている作品群だ。

 特に、殺された皇太子夫妻を遠巻きに囲む群衆のたけチョコたちと街並みに使われた菓子の物量が凄まじく、その奥行のある構図と相まって、印象的な絵になっていると大絶賛された。

 その写真連作三十枚すべてが、アカ姉の携帯に収まっていた。

「この画像作者は、アカ姉かッ!」

 アカ姉のカミングアウトが信じられない僕は、目を剥いて携帯とアカ姉を見比べる。

「うん♪ ほら、冒頭のきのチョコ公国を出る夫妻のシーン。玉座の後ろにあるタペストリー、私が編んだんだよ?」

 言われて携帯の画面に目を凝らして見ると、確かに玉座の後ろには壁に吊るされたタペストリーが見えた。

「……あ! これ、前に見た……」

 記憶を刺激された僕は、アカ姉が高校二年生の時、何やら熱心な顔で小さな布に細かい刺繍を施しているのを思い出した。

 その時チラッと見せてもらった模様と、写真の中に映るタペストリーの模様は完全に一致していた。

「えっへへん♪ どう? すごいでしょー!」

 得意げな顔で、アカ姉は胸を張った──その拍子に、二つの突起がポヨンと跳ねた。

 普段なら可愛いと思うであろうアカ姉のその姿を、今度ばかりは僕も唖然とした顔で見ざるを得なかった。

 写真連作『きのチョコ皇太子夫妻暗殺事件』は作者不明の作品としてネットニュースやブログでのまとめ記事に引用され大いに注目を浴びたが、当時下火になっていた『きのたけ戦争』の論争を活性化させてしまった作品としても記憶されているのだ。

 その功罪を知ってか知らずか、アカ姉は誇らしげに自分が作り出した作品群を僕に見せびらかしていた。

 身近なトコで作り上げられた名作とその影響の大きさを顧みた僕はしばらく黙りこんだ後、

「…………そ、その点トッピってすげぇな……終始チョコ一杯だもんな」

 と、トッピの宣伝で流れた謳い文句を口にして誤魔化した。


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