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家出・ホーム・ラン  作者: 鑑青楓
第一章 コーちゃんと家出する家
2/13

#01-2

 乗り換えた電車で窓を開けてみると、わずかな隙間から入った風が冷たくて、すぐに閉めた。季節は春だが、山の方は未だに寒い。

 古賀野へ行くには、まず電車で二つの路線を乗り繋いで行く。今僕が乗っているのは、その二つ目の路線の電車。

 ボックス席に座って周りを見渡すと、まばらに席についている人々の頭が見えた。

 まだ通勤客の帰宅時間には早いのだろうか。学生も一学期が始まるぐらいのタイミングだから、もうほとんど家に帰り着いているのかもしれない。

「まったく、いつもいつも……」

 遠くまで迎えに行かせる──言葉を途中で飲みこみ、窓から見える景色を眺める。

 古賀野へは、いくつもの山や峠を回りこんで向かうので、自然と車道に沿って電車が走る形になる。

 窓の向こうを併走する車を見ると、後部座席に座る女の子と目が合う。

 まだ十代にもならない、小さな少女は何故か嬉しそうに手を振ってくる。

 つられて、僕も手を振り返した。

 そうしてわずかな瞬間に挨拶を交わすと、少女を乗せた車はうねる車道の向こうへ消えていった。

 ──そういえば昔、信子が古賀野に連れていかれた時、車に酔っていたっけ。

 線路の横を走る県道は急カーブが続く作りで、さながら蛇を思わせるうねりを体感させる激しいコースだった。

 昔、小学生になるくらいの信子は、最初こそはしゃいでいたものの、母の荒っぽい運転で途中からぐったりしていた。

 戻したりしなかったものの、その時ばかりは妹がひたすら可哀想に見えたものだ。

 さっき手を振り合った少女が車で酔わないように、と心の片隅で祈ると、今度は周囲にそびえる山々を眺めた。

 山はたくさんの木々をその身にまとい、緑の景色であふれていた。

 これだけたくさんの緑を見るのは、久しぶりだ。

 阿妻沢市は、都心部へ繋がる電車の路線が交差している町で、便利ではあるけど緑が少ない。

 ここの道沿いにはまばらにしか家が建っていない。景色を占めるのは山の緑と空の青。

 これだけで、何だか別の世界に来たような錯覚が起きる。

 いや、きっと僕の祖先はこういう景色の中を生きていたはずだ。

 木々の合間に家を建て、そこで実る恵みを味わい……あるいは草間にできた道を過ぎ行き、山々を越えてたくさんの景色を旅してきたのだろう。

 僕のお祖父ちゃんが、今の阿妻沢まで流れ着いたように。

 そうして、顔も名前も知らない僕らのご先祖様は放浪と定住を繰り返して生き、方々に足跡を残したのかもしれない。

 その一つが、もしかしたら『家』なのだろうか。

 僕ら──出原家の人々は、それぞれどんな家で過ごし、どんな風に暮らしたのか?

 辛いことの方が多かったのか? 笑顔でいられた時間はどれくらいだったのだろうか?

 ……そこまで考えて、僕は一人で勝手な思考に陥っていることに気づいた。

 どうも、一人で『家』を探している間は考えこみすぎてしまう。

 そんなことを考えたって、答えが出るワケじゃない。

 僕らは、出原家のルーツは何も知らないのだ。

 それはお祖父ちゃんが話しそびれたことに由来するのだが、ともあれ知らないモノは考えたって仕方がない。

 僕は、ボックスシートに深く座り直し、なるべく頭の中を空にして風景を眺め続けた。



 古賀野の町役場前でバスを降りた僕は、まず山の空気を思いっきり吸いこんだ。

 電車から乗り継いだバスは予想外に揺れ、軽い酩酊状態になりかけたからだ。

 たっぷり空気の味を堪能した後、僕は親戚である紀田さんのお宅を目指していく。

 道順はしっかり覚えている。町役場の裏手、山の手前の農園だ。

 僕は記憶を辿って細い路地を進んでいく。すると、十数分後に紀田さんの家を見つけた──瞬間、頭を抱えた。

 紀田さんは主に桃や梨を栽培している。そのため、それなりに広い土地を持っていて、最近余った土地で太陽光パネルを置こうかと考えている話も聞いた。

 その、余った土地らしき空間に……僕らの『家』が立っていたのだ。

「あのバカ……図々しいにも程がある」

 僕は躊躇なく紀田家本宅の前を通り過ぎ、農園の端に見える家屋の前に立った。

 出原家──八十年代に祖父が建てた、一般的な鉄筋コンクリート製の二階建て住宅。

『実家に帰らせていただきます』と書き残し、実際には書き置きの言葉とはまったく関係のない場所までテレポートした、意味不明な存在。

 それが僕の眼前、他所様の敷地内にどんと大きく構えて立っている。

 通算三十何回目だかの『家出』捜索は、たった今ゴールに辿り着いた……今日はわりとスピード解決だ。

 ドアノブにかけた手に、感慨などもちろんない。

 あるのは『とにかくさっさとこの家を元の場所に戻す』──その一念だけだ。

 いつもと同じように自宅のドアを開けると、よく見知った玄関に一組のサンダルがあった。

 女物のサイズだから、連絡をくれた紀田のおばさんのモノだろう。

 僕は『ただいま』すら言わず、自分の家に上がりこんだ。

「──やあ、美味しいですね! このイチゴ」

 廊下の奥から、高い声が響く。

 その声の出元へ向かうと、ドアがわずかに開いたままのリビングが目に入った。

「そうでしょ? 近所の人がおすそ分けしてくれたイチゴなのよ。一杯あるから、持っていってくださいな」

 ドアの隙間に見える中年の女性が、対面にいるらしい人物に果物を振舞っているのが見えた。

 紀田のおばさんだ。

 僕に連絡をしてくれた時、『アイツ』の相手をしてくれると言っていたけど……果物で釣るというのは、中々効果的だ。

「それはありがたいッ! この美味しさはきっとコーちゃんたちも喜ぶでせう」

 調子の良いことを言っている声に、若干イラつく。

 いくら美味しいモノを土産にしたって、やることはやらせてもらうぞ。

「お久しぶりです、紀田のおばさん」

 ドアを押し開けて、おばさんに挨拶した。

「あら、光太郎くん。お久しぶり」

「あ、コーちゃんお帰りなさい」

 僕の顔を見て、おばさんの前に座っていたそいつが顔を上げた。

『そいつ』は年の頃は四十くらい、女性と見間違える線の細さだが、よくよく見ると男の骨格。昔の童子がしていそうなおかっぱ頭で、華奢な体を赤い着物で包んでいた。

 言うなれば、『座敷童がそのまま歳をとったみたい』と思わせる容姿である。

「紀田さんがくれたイチゴ、スゴいですよ。こんなに美味しいモノは初めて食しました」

 その細身から発せられる高く繊細な声はどこか色気を含んでるような錯覚さえ覚える──言ってることはイチゴの品評なのだが。

 フォークに刺さったイチゴをかざして見せる座敷中年。

「一口食べると、口の中に甘く瑞々しい旨味がぶわっと広がって──」

 僕はイチゴを差し出したその手を引き寄せ、そいつの背中までねじり上げた。

「いだだだッ! いだだだだだッ! ギブッ! ギブッ!」

 途端に、男の口から悲鳴があがった。

 イチゴの刺さったフォークは床に落ちた。

「サチ、お前はなぁ……!」

 僕は『サチ』と呼んだその男に、自らの怒りを表現してみせる。

「お前というヤツは、毎回毎回どうして断りもなく家出するんだ、えぇ?」

「断りなく出かけるから、『家出』と言うのではありませんか……いだだッ!」

 減らず口を言うので、さらに力をこめて腕をねじる。

「軋むッ! 家が軋んでしまいますッ!」

 サチの言葉通り、僕らがいるリビングの壁や柱から軋む音が鳴り始めた。

「お前が性懲りもなく家を移動させるからだろうが。あと、ここは他所様の土地だからな」

 言いながら、僕はさらに力をこめてアームロックをかける。

 そう、この『サチ』という男──座敷中年こそが、この家の『家出』騒動の張本人だ。

 この男は見た目人間のようだが、実際は家にとりつく精霊のようなモノだ。

 ただ、座敷童と違うのは見た目が中年であること、家そのものを瞬間移動させられること。姿が誰にでもハッキリ見え、触れることもでき、関節技もかけ放題だ。

 ついでに言えば、こいつの姿を見かけたからって富はもたらしてくれない。宝くじだって当たりゃしない。

 そのクセ、時折今日のように家を動かして『家出』をやらかす、大迷惑な存在だ。

 故に、僕は躊躇なくアームロックをかけるのだ。

「大体、何で古賀野が実家なんだ!?」

 アームロックの力を緩めて、サチに問い詰める。

「それは……心の故郷?」

「疑問形で返すなッ!」

 ツッコミと同時に、アームロック地獄再開。

「いだだだだッ!」

 小気味良い叫びと同時に、建物の軋む音が響く。

「光太郎くん、それくらいにしてあげたら? 家壊れそうよ?」

 少しハラハラした表情で、紀田のおばさんが仲裁に入ってくる。

「さうですよ、私の体はデリケートなんですからッ!」

「大丈夫ですよ、おばさん。こいつ、自分で体揺すってるだけですから」

 おばさんの誤解と心配を解くべく、僕は平然とした顔で返した。

「あら、そうなの?」

「そうです。こいつ自由に家鳴り起こせるんで、それで同情引こうとしてるんです」

「あぁ、何て人聞きの悪い……」

「やかましいッ!」

 気合をこめた声と一緒に、一際強い力を腕にこめる。

「あひぃッ!」

 情けない声があがったので、キリ良しと見て僕はアームロックを解除してやった。

 僕の腕から逃れたサチは、自分の腕を抱えて崩れ落ちた。

 そうしてしばらく僕の足元で悶絶した後、よろよろと上体を起こしてきた。

「いたた……自分の『家』に関節技をかけるとは……いつからそんなストイックな子になってしまったのか」

「全部お前のせいだろうが」

 サチが落としたイチゴをテーブルの皿に戻し、一個だけ残っていた手つかずのイチゴを口に運ぶ──うん、美味いッ!

 イチゴの旨味を味わいながら窓の外を見ると、太陽が山の影に隠れてしまい、大分暗くなっていた。

「ほら、そろそろ帰らないと母さん仕事から帰ってくるぞ」

 イチゴを飲みこんだ僕は、携帯で母にメールを送りながらサチの背中を叩き始めた。

「あら、もう帰ってしまうの?」

 サチを急かす僕に、紀田のおばさんが名残惜しそうに話しかけてきた。

「すいません、おばさん。こいつが勝手に敷地内に入ってしまって」

 頭を下げて謝った僕を、おばさんは笑って流した。

「良いのよ、久しぶりに会えて楽しかったわぁ、サチさん」

「こちらこそ、美味しいお茶をありがたうございました」

 親密そうに礼を述べるサチ──そういえば、こいつ紀田のおばさんとは面識あったな。祖父ちゃんの三回忌の時に。

「光太郎くん。これ少ないけど、さっきのイチゴとかうちで採れたモノ。みんなで食べて」

 おばさんはリビングの端に置かれてあるダンボール箱を指して言った。

「すいません、ありがとうございます」

 勝手に敷地内へ家ごと入りこんだのに、美味しい果物までくれるとは、良い人だなぁ……と思わず感心してしまった。

 収穫物をありがたく頂き、ひとしきりお礼を述べると、紀田のおばさんは手を振って紀田家本宅の方へ歩いていった。サチもリビングの窓から、おばさんを見送っている。

「ほら、行くぞ」

 その背中に声をかけて促した。

「…………」

 サチは黙って指を頭の上に掲げ──僕の体から一瞬だけ重みが抜ける。

 グラッと膝が崩れかけ、踏ん張った時にはすでに窓の外の景色は変わっていた。

 見覚えのある庭──その端に、一本の柿の木。

 出原家の敷地に、瞬間移動して戻ったのだ。住居の中にいる僕ごと。

「……ようやく帰ってこれたな」

 何の感動もない瞬間移動体験に、それだけ感想を述べた。もうこれだって慣れっこになってしまったのである。

 瞬く間に家ごと移動させられる現象も、その瞬間だけ重力から解放されて体勢を崩す感覚も。

「いつも思うんだけどさ」

 窓の向こうに広がる、薄紫の夕暮れを眺めるサチに尋ねる。

「何で家出するわけ? 僕たちに不満でもあるの?」

 僕の問いに、サチは慌てて振り返った。

「まさか! コーちゃんたちに不満なんてありませんよ……関節技は痛いですが」

 そして再び窓の向こうに視線を戻し、

「家だって、自ら動いたって良いじゃないですか……よその土地にお邪魔して、そこの恵みを頂いてきたり──ね♪」

 キメ顔で言った。

 その顔に、関節技をかけたい衝動を掻き立てさせられたが、僕の分のお仕置きは十分やったのでやめておく。

「……何も、始業式の日に家出しなくても良いだろうが」

 自分の今日の日程を思い出して、そう愚痴った。

「おや? では、休日の方がよろしいんですか?」

 ……それも、イヤだな。

 まったく、こいつはどれだけ叱っても悪びれもしないで家出を繰り返す……。

 せめて、何日も家を空ける──『土地を空ける』というのか? とにかく長く家出しないでくれると良いのだが。

「光太郎ーッ! サチーッ!」

 玄関のドアを開ける音と一緒に、声が届いた。

「母さんだ」

 僕が声の主を判別すると同時に、母は僕らが立つリビングまで足早にやってきた。

「お帰りなさいませ、杏子さん」

 母の顔を見るや否や、サチは朗らかな笑顔で出迎えた。

 どうしてこいつは家出しておきながら、こんなしれっと笑顔で挨拶できるんだ?

「紀田さんから、とても美味しいイチゴを頂いてきましたよ。信子ちゃんやアカネちゃんと一緒に食べ──ぐふぇッ!」

 嬉しそうにイチゴを見せようとしたサチに、母が渾身のラリアットを喰らわせた。

「アンタは、どうして──人が仕事で疲れてる時に家出しくさるんだぁッ!」

「ひぃぃぃぃッ!」

 憤怒の形相で迫る母に、サチは恐怖の叫び声を響かせる。良い気味だ。

 この後、信子からもドロップキックくらいはお見舞いされるだろう。精々覚悟するが良いや。

 サチに同情を引く余裕がないのか、家鳴りする気配はまったくなかった。


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