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家出・ホーム・ラン  作者: 鑑青楓
第六章 家と共に語りぬ
13/13

#06-2

 校庭に立つ、大きな三本の木。

 その一本に駆け寄ると、根本に腰かけるコーちゃんの姿があった。

「コーちゃん♪ 一緒に帰ろ?」

 小学生になった私たちは、学校の授業が終わると二人で一緒に下校するため、校庭の木で待ち合わせしていた。

 主に、私がコーちゃんにせがんでのことだったけど、コーちゃんはいつも嬉しそうな顔で私が教室から出てくるのを待っていた。

 でもその日だけは、彼の顔は冴えなかった。

「どうしたの、コーちゃん?」

 出原家の丘へ上がる、長い坂道。

 いつもなら笑ったりじゃれあったりして元気に登っていく道を、コーちゃんは辛そうな顔で歩いていた。

「具合でも悪いの?」

「…………」

 私の問いかけに答える余裕がないのか、荒い息で曖昧に頷いた。

「……さ、むぃ……」

 それだけ呟いて、急に体が震えだすコーちゃん。

 ──どうしよう。

 コーちゃんの様子が只事でないと気づいた私は、しかしどうすれば良いのかわからず、オロオロし始めた。

 そうして私が思いあぐねていると、コーちゃんはとうとう歩道の上に崩れ落ちた。

「コーちゃんッ!」

 慌てて抱き起こそうと、その体に触れる。

「熱いッ!」

 とっさにコーちゃんの体から手を離した。

 ものすごい発熱だった。

 校庭で会った時はそうでもなかったのに、学校から歩いてる数分間で、急激な変化が起きていた。

 さっきは気づかなかったけど、よく見るとコーちゃんの口の一部が赤く爛れていた。

 目も赤く充血していて、皮膚も赤い吹き出物がポツポツと見えていた。

 風邪なのだろうか?

 子どもながらにそう考えたけど、しかし風邪と呼ぶには見慣れない症状が多い。

 とても、小学生にわかるような病気ではない。

 でも、このままだとコーちゃんが死んじゃうかもしれない。

 それだけをかろうじて理解した私は、『早くお医者さんに見せないと』と考えた。

「コーちゃん、立てる?」

 ここに倒れたままにはしておけない。

 そう思った私は、まずコーちゃんに話しかけた。

「コーちゃんッ!」

 何回かの呼びかけに、コーちゃんは力なく頷いてみせた。

 私は、丘の上の方を振り返った。

 コーちゃんが倒れた場所は、出原家から歩いて五分くらいの距離。

 いつもならあっという間に登ってしまう坂道を、今のコーちゃんは一歩も進むことができない。

 私は、迷わずコーちゃんの体を助け起こして、彼の腕を自分の肩にかけた。

「コーちゃん! あともうちょっとで家だからッ! がんばってッ!」

 家に着けば、杏子おばさまがコーちゃんをお医者さんに連れて行ってくれる。

 全身の力を失い、歩くことすらできないコーちゃんを連れての道は、人生で一番長い五分間に思えた。



「ごめんください! おばさまッ! おじいさまッ! 開けてください!」

 何とか出原家まで辿り着いた私は、鍵のかかったドアを叩いた。

 しかし、誰もいないのか一向に開く気配がない。

「おばさまーッ! コーちゃんがッ! コーちゃんが病気なのー! あけてーッ!」

 懸命に叫ぶけれども、虚しい沈黙だけが帰ってくる。

「どうして……どうしてなのぉ……」

 どうして、こんな時に留守なの……?

 その時はまだコーちゃんのお祖父様──出原幸太郎さんも存命で、家には誰かしらいたのだけれども、その日はタイミング悪くみんな出払っていた。

 せっかく家まできたのに……そう思って、ドアの横に座りこんでるコーちゃんを見て、あることに気づいた。

「コーちゃん、家の鍵持ってる?」

 私の問いに頷く元気もないのか、コーちゃんは自分が背負っているランドセルを力なく指さした。

「ここ? 開けるよ!」

 許可が返ってくるのも待たず、蓋を開ける。

 すると、ランドセル内の背中側のジッパーに伸び縮みするタイプのキーホルダーがくくりつけられていた。

「これだね?」

 キーホルダーについている鍵を、ドアノブに差しこむ。

 焦って手つきがもたついたけれども、出原家の玄関を開けることには成功した。

「コーちゃん、家だよ!」

 来た時と同じようにコーちゃんを支えて、家の中に入りこむ。

「誰か! 誰かいませんかーッ!」

 玄関を叩いた時にいないと知れたけど、それでも私は再度呼び叫んだ。

 しかし、私の声に気づいて出てくる人影などなかった。

「コーちゃんが病気なんですッ! 誰かいませんかー!」

 諦めの悪い私はしつこく呼び続けるけど、すべて無意味だった。

「どうしよう……どうしよぉ……!」

 頼みの大人がいなくて、私はいよいよ泣き出しそうになった。

 コーちゃんが、死んでしまうかもしれない。

 そう考えると怖くて、怖くて怖くて、溢れ出てくる涙が止まらなかった。

 でも、泣いてるワケにはいかない。

 本能的になのか、そう思った私は辺りに視線を巡らし、電話を見つけた。

 すかさず受話器を掴んだ私は、『1』『1』『9』をダイヤルした。

 救急車! 救急車を呼ばないと!

 受話器を耳に押し当て、相手の応答を待つ──出たッ!

「あ、あのッ! コーちゃんが……コーちゃんが病気なんです」

 慌てた私は、まとまりのない説明をし始める。

「急に熱出して倒れて……イタズラじゃありません! コーちゃんは、友だちです! 今コーちゃんちの人いなくて……じゅうしょ? じゅうしょは……」

 しどろもどろに話していると、後ろで倒れていたコーちゃんが、急に声をあげた。

「いた……ッ! いたいッ! いたいよぉッ!」

 その声に、私は受話器を耳から外してコーちゃんに駆け寄った。

「コーちゃん痛いの? どこが痛いの?」

 痛いなら、痛い場所を抑えるはずなのに、体のどこにも触れずもがき苦しむコーちゃん。

「か、からだ……からだぜんぶ、いたいッ!」

 私は、コーちゃんの唇を見て息を呑んだ。

 さっきよりもずっと赤く爛れていて、暗い色の口紅をさしたみたいに染まりきっていて、隙間から見える舌もイチゴのような赤さになっていた

 さらにその手には赤く腫れている箇所があり、手を触れようとすると固くなっていた。

 明らかに、症状が重くなっている。

 子どもの目からしてもハッキリわかるほど、激烈な変化だった。

「いたいよぉ……いたいよぉ……!」

 泣き叫び、私にすがりつこうとするコーちゃん。でも、その手さえも弱々しかった。

「……コーちゃぁん……!」

「アカ……ネちゃ……いたいよぉ……!」

 苦しみから逃れたくて、私の名前を呼ぶけれど、私にはもうどうすることもできない。

 だって、私はコーちゃんと一つしか違わない、ただの小さな女の子だったから。

「コーちゃん、大丈夫、大丈夫だよ……」

 どうして良いのかわからず、私はコーちゃんを抱きしめて呼びかけた。

「みえない……なにも、みえないよぉ……」

 コーちゃんは確かに目を開けているのだけど、私の姿が見えないらしく、焦点の合わない目を泳がせた。

 充血しているのと関係あるのか、視界が失われているのかもしれない。

「コーちゃぁん……コーちゃんがぁ……」

 コーちゃんが、死んじゃうよぉ──そう叫びたかったけど、その言葉を口にすることができなかった。

 それを言うと、本当にそうなってしまいそうで。

 ただ、私はコーちゃんを抱いて叫んだ。

「だれかぁ……だれか、コーちゃんを助けてぇッ!」

 瞬間──体の重みが消えた。

 グラついた一瞬の後に、私は思わずコーちゃんを下敷きに倒れかけた。

 ギリギリ手をついて持ちこたえると、視線の先の床にさっきまでなかった、人間のモノらしい足先が見えた。

 顔を上げると、見覚えのある赤い着物の人が立っていた。

「こんにちは」

 さっきまで泣き叫んでいた私は、その人をただただ呆然と見上げてしまった。

 最初に出原家を尋ねて以来、会っていない赤い着物の人。

 子どもにはあまりにも長く感じられる時間が経っていたため、うっかり忘れかけていた。

 そんな私を尻目に、サチさんは私たちの横を通りすぎて玄関のドアを開けた。

「さ、行ってきてください」

 促されて家の外を見ると──私は息を呑んだ。

 開け放たれたドアの向こうには、見慣れた出原家の庭も門扉も消え失せていて……アスファルトで舗装された、見慣れない空間が広がっていた。

 そこには無数の車が停まっていて、赤いランプの白い車が大きな音と共に入りこんできていて……その車が向かう先に白い建物が見えた。

「びょ、ういん……?」

 その建物の呼び名を口にした私に、サチさんが頷いてみせる。

「私は家の外に出られないので、アカネちゃんが連れて行ってあげてください」

 そう言うとサチさんは私の背中を優しく押して……押された私は、何かに突き動かされるようにコーちゃんを助け起こして歩き出した。

 よろよろと歩きながら、私はコーちゃんを救急病院に連れて行くことができたのだ。



「……今思えば、アレが最初の『家出』でしたねぇ」

 しみじみと噛み締めるように、サチさんが言った。

 私は、庭の畑仕事に戻ったタビちゃんを眺めながら、コーちゃんが病気で倒れた時の思い出話を黙って聞いていた。

「それまで私は出原家の皆さんを黙って見守るくらいしかできませんでしたが、あの一件で私にもできることがあると気づいた時は、とても嬉しかったですねぇ」

 ──そのできることで、僕らが困ってるんだが。

 今のコーちゃんならそう言いそう、と思いながら私は別の感想を口にする。

「アレがあったから、コーちゃん助かったと思う」

 川崎病──コーちゃんが発症した病気は、そういう名前だった。

 急性の熱性発疹性疾患だそうで、主に乳幼児にかかるらしい。

 治療法は確立されているのだけれど、未だにハッキリとした原因が特定されていない病気だ。

 ただ、あの日の前日、コーちゃんとおばさまが出かけてる時に台風が吹き荒れていて、それに乗ってやってきた菌に感染したのかもしれない、と杏子おばさまは考えている。

 死亡率は約〇・〇五%程度だという話だが、あの時の切迫した状況が続いたら、どうなっていたのか──想像すると未だに怖い気持ちになる。

「あの時、サチさんがいて良かった……私の前で、コーちゃんが死んだりしたら……私、どうなってたかわからない」

 初めて仲良くなったボーイフレンド。

 初めてキスして、それに『お嫁さんにする』と応えてくれた、大好きな男の子。

 その死を目の当たりにすることは、私のその後の人生にどれだけ影響するのか……正直考えたくない。

「いえいえ……私もあそこでコーちゃんが亡くなったりしたら、幸太郎さんに顔向けできませんでした」

 すでに飲み干したレモン水のコップを傾けて、サチさんは穏やかな口調で答えた。

 幸太郎さん──コーちゃんのお祖父さんとサチさんは、元々は古い友人であるらしいことは、何となくサチさんの話しぶりから感じていた。あまり多くのことは話してくれないけれど。

「それに、コーちゃんは私の家族でもあります。あんな小さい時に亡くなるより、生きていて欲しいですよ、もちろん……関節技は痛いですけど、ね?」

 最後の言葉をイタズラっぽく笑って、言い添えたサチさん。

「さういえば、そのことについてコーちゃんはお礼を言ったのですか?」

「あれ? 誰からも聞いてないの?」

 基本サチさんは、家から離れることはできない。だから、コーちゃんが回復した後の病院でのやりとりは伝え聞くしかない。

 この口振りだと、その時の話は出原家の家人からは聞けてないのだろう。

「コーちゃんが回復して面会できるようになってすぐ、私がお見舞いに行ったの。そしたら、私を見るなり抱きついて『ありがとう』って」

「おお……それは、中々にお熱い……!」

 サチさんがそう囃すので、昔のことながら気恥ずかしくなる。

「なるほど、その後コーちゃんはアカネちゃんに甘えてしまうワケですね?」

 どうやら、その部分は聞いているらしい。

 私にお礼を言った後、コーちゃんは私をお姉さんみたいに思ったのか、すっかり甘えてしまった。私が帰る頃になると、私と離れるのがイヤで泣き叫んでしまった。

 あまりにも引き止めるため、病院の計らいで私がコーちゃんの病室に泊まり、一緒に寝ることになったのだ。

「後にも先にも、コーちゃんが私に甘えたの、アレっきりなんだよねー……」

「今だって、アカネちゃんのこと大事に思ってますよ」

「……そう?」

「さうですよ、命の恩人なのですから!」

 自信たっぷりに言ったサチさんに、私も頷いて返した。

 そう、いつだってコーちゃんは、私には優しい。

 でも……。

「恩義なんか、感じなくたって良いのに……」

 私は、小さな子どもだった。

 私ができたことなんて、大したことじゃない。

 コーちゃんが病院に行けたのだって、サチさんの初テレポートが決定打だったのだ。

 私は、ただ泣き叫んでいた。

 大好きなコーちゃんが死んじゃうって、ただそれだけ……。

「それでも、アカネちゃんがいてくれて良かったと思いますよ?」

 帰り道で倒れたコーちゃんを、家まで連れて帰ってくれたのだから。

 そう言って、サチさんは微笑んだ。

「今でも、好きですか……?」

 突然の問いに、私の思考は追いつかない。

「……え、……ぇえッ?」

 慌てる私を落ち着かせようと、サチさんはどうどうと手を振った。

「子どもの頃から、好きだって言ってたじゃないですか。コーちゃんのこと」

「そ、それはそうだけど……」

「どうなんですか?」

 再度の問いに、私は少しだけ間を置いて、

「……大好き」

 と答えて、

「でも、自信ない」

 と付け足した。

「どうしてって聞かれると困っちゃうけど。だって、子どもの頃からずっと一緒にいたから……『もしかして私が勝手に思いこんじゃってるだけかな?』って、最近思っちゃうの」

 知り合ってから、十年超。

 二人の思い出を……歴史を振り返ると、誰よりも強い結びつきを感じてしまう。

「いつも一緒にいるのが当たり前で、コーちゃんが苦しんでた時も何とかしなきゃって思って……距離を置いた時もあったけど、それが思ってたよりも苦しくって、もう離れることなんか想像できないくらいで……」

 友だちとして、幼なじみとして……。

 ううん、そんなモノじゃない。

 ハッキリと、『好き』って気持ちを子どもなりに伝えた相手として。

 その思いは壊れることなく育ち続けて。

 この人以外、あり得ないって思えてしまう。

「おかしいかな……一人の人に、これだけこだわるの」

「全然おかしくないですよ」

 サチさんは、短く……自信たっぷりに力強く言った。

「私も、お二人を子どもの頃から見つめていました。二人とも、お互いを大切に……すごく大切に思っているのを良くわかっていますとも」

 二人とも──そう言ってくれた、その意味を私は慎重に噛み締める。

「アカネちゃん」

 窓の向こうにいるタビちゃんを眺めながら、サチさんは閑やかに語りかけてくる。

「『好き』って気持ちが溢れさうなら、いつでも言って良いと思いますよ」

 その瞳は、どこか遠くを見据えているようだ。

「コーちゃんは、きっとその思いを受け止めてくれます」

 私たちの知ってる思い出も、私たちが知らない記憶もすべて見通していそうで──

「二人は、ずっと私の中で仲良くしていたのですから」

 ──サチさんが、とてもキレイに見えた。

「……うん」

 言葉に頷いて、噛み締めて、

「大好きで大好きでたまらなくなったら、言ってみる」

 それだけ告げた。

 私の言葉に、サチさんは『今はそれで良い』と穏やかに目を伏せた。

「私は、密かに夢見ているのです」

「何を?」

「アカネちゃんが、コーちゃんのお嫁さんにきてくれるのを」

「……うん」

 子どもの頃の誓いを、他所様の『家』が覚えてくれている。

 そのことが何だか可笑しくって、くすぐったくて。

 私は家の精霊さんと一緒に笑った。

「……でも、家出する家はちょっと困るな」

「……ゥッ!」

 チクリと刺した私の言葉に、サチさんが呻いた。

「やっぱり、突然断りもなく消えられちゃうのは困るなぁ……せめて、どこに行くか教えてもらえると良いのになぁ~?」

「……アカネちゃん、さらっと笑顔でムード壊すのやめてください」

「どうして? 私、コーちゃんの気持ちになって言っただけよ?」

 苦し紛れに抗議するサチさんに、平然と返してみせた。本当は、私が以前から彼に言ってみたかった言葉だけど。

 でも、好きな人の肩を持つのは当然でしょ?

 サチさんは私からの苦言を受けて、呻いた顔のまま黙ってしまった。意外に効果があったみたい。

「……か、考えておきます……」

「サチさんはそう言うけど……本当かなぁ? 『考えておく』って言う人って、大体が考えないんだよね!」

「…………」

 旗色悪しと思ったのか、サチさんは黙りこくってしまった。

 その時、玄関ドアが開く音がした。

「ただいまー」

 ドアの音と一緒に、私の大好きな人の声が聞こえた。

 その声に、私たちは応える。


 おかえりなさい──

これにて、『家出・ホーム・ラン』一旦の区切りとさせていただきます。

ここまでお付き合いくださいました皆様、読んでくださって誠にありがとうございました。

また何か次の話を思いつければ、続編を投稿していきたいと思います。

その時はまた何卒よろしくお願いいたします。

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