橋で眠る猫
翌日、目覚めて1階の食堂に向かうと、既にスルゲリが朝食を食べていた。
「よう。早いな」
「おはよう。先に食べちゃうなんて酷いのね」
もう食事を終える寸前だった。
「疲れて昼くらいまで寝ていると思ったのさ」
それを言うなら自分だって条件は一緒だろう。
「私の朝は早いのよ」
「そうだな。知ってた」
私も適当に食事を適当に頼む。
スルゲリは食べ終わると、ちょっと店を調べてくると言って席を立った。
「焦らずゆっくり食えよ」
スルゲリは私の父か。
言おうと思ったけれども、それは言葉にならなかった。
どうする?
そう聞かれた私は剣を、と答えた。
やはり剣が無いのは落ち着かない。
「んじゃ、まずは鍛冶工房だな」
工房の場所を調べてくれたらしい。
金貨はそのままでは使いにくいので、まずは両替商で両替をして貰ってから、一軒目の工房に向かう。
そこで見せてくれた剣はどれも綺麗で切れ味は良さそうだった。
実際に振ってみても、変にぶれる事が無い。
良い剣だな、とは思ったけれども、いまいち気に入る物が無かった。
あの斧の小人を思い出す。
イメージであいつに剣を振る。
剣はあの時と同じように折れた。
スルゲリ、次に行こう。そう言って工房を出た。
「そこそこ有名な工房なんだけどな」
「あそこの剣だとまた折られると思う」
それであの斧の奴の事を言っていると分かったらしい。
「そうか。そうだな。もうちょっと造りの太い奴の方が良いか」
私の腕を見る。
「でも、あんまりゴツくても扱えないだろう」
「重い物は疲れる。出来れば軽い方が良い」
次の工房でも駄目だった。
良い悪い以前に、工房の職人の私を見る目が駄目だった。
女に振らせる剣は無い。
そう言わんばかりだった。
次の工房は割と良かった。
しかし、長さの合う物が無かった。
頼んで作ってもらう事も出来たが、気分はもう今日手に入れるつもりでいたので、待つのは嫌だった。
もし回ってみて見つからないようなら、また来よう、そう話して工房を出た。
「なかなか無いものね」
「街の中で襲われる事なんてそうそうないさ。焦らず探そう」
次に訪れたのは工房では無かった。
「ここは?」
「武器屋だな。よその街の工房の武器とか、誰かが使わなくなった武器とかを買い取って売っているんだよ」
そういう店もあるのか。
中に入り、条件を言っていくつか出してもらう。
店の主人が出したのは、どれも細身のショートソードだった。
長さも短い。
私の言った条件にはどれも合っていない。
女が使うのはこの辺だろうと言わんばかりだった。
手に取るまでも無い。
「もう少し、しっかりした造りの物を見せて」
「このお嬢さんは辺境の蛮族3人相手に一歩も引かずに斬り伏せた腕利きなんだ。もうちょっとちゃんと相手してやってくれよ」
スルゲリが口を出す。
出会った時の事を言っているなら、一歩も引かずに、は嘘だ。
最初は走り去った。
それとひとりは弓を使った。
斬り伏せてはいない。
それも嘘だ。
わざわざそれを言って、また見くびられるのも嫌なので黙っていた。
主人は出した剣を全て片付け、別の剣を6本出してきた。
今度はまともそうだった。
1本目をためつすがめつ見ていると、スルゲリが1本を手に取った。
それはいかにも地味で無骨な剣だった。
鍔にも柄にもまるで飾り気が無い。
刃は鈍く曇っている。
まるで眠っているような剣だな。
何となくそう思った。
「これはどうした剣だ?」
由来を聞いたようだ。
10本くらいまとめて引き取った剣の中に入っていた1本らしい。
いくら研いでも曇りが取れず、しかもむらのある見た目になってしまい、仕方ないからこの状態で売っているらしい。
「気に入ったの?」
私の買い物だからと気兼ねされても嫌だ。
そう言おうとすると、その剣を私に渡してきた。
「持ってみろよ」
「自分のじゃないの?」
「俺のは間に合っている」
私の腰に差さっているのはスルゲリのナイフだ。
確かに剣が手に入れば、これを返すのだから間に合っている。
持った感じは少し重いかなと感じた。
しかし持ち重りはしない。
むしろ、この程度の重さがあった方が力が出そうな気がした。
長さは折れた形見のショートソードよりも少し長い。
私が思っていた長さには少し短いが、この重さならこの長さが良いだろう。
刃幅は私の手の甲程だ。
その刃元から切っ先はゆるやかにカーブしていて、刃元だけを見た印象ほどには幅広には見えない。
主人に言って振らせてもらう。
一度目は振り切り、二度目は止める。
振り切る時には刃にしっかりと重さが乗るのが分かった。
それでいて剣に振り回される印象は無い。
止める時にはぴたりと止まった。
掛かった力が切っ先からするりと抜けるようだった。
すぐに分かった。
これは良い剣だ。
あの斧の小人をイメージする。
剣は斧に当たる前に止まる。
またイメージする。
今度は剣が斧に当たる。
剣は弾かれ、甲高い音を上げる。
私の腕が痺れる。
それでも剣は折れない。
私が力負けする事はあっても、剣が負ける事は無い。
スルゲリの顔を見る。
私がこれを気に入ったのが分かったらしい。
「いくらだ?」
主人は悩む振りをしながら、銀貨15枚と言ってきた。
高い。
隠さずに顔に出す。
そんなにする物なのか。
「そうか」
スルゲリも渋い顔をする。
「じゃあ、これなんてどうだ?」
スルゲリが別の剣を差し出す。
他の剣も全て見てみたけれども、あの眠っているような剣より良いと思える物は無かった。
渋い顔をしてスルゲリが聞く。
「強いて挙げるなら、どれが良かった?」
考えるまでもない。
指差すものの、気は乗らない。
もう少し安ければ考えるのだけれど。
「こっちも別に急いでいる訳じゃない。それでもまけてくれるんなら考えるぜ」
どうせまとめて仕入れた物なんだろ?
そうスルゲリが言うと、そうだなあ、と頭をかき、しばらく考えた後、銀貨10枚と言ってきた。
「何だよ、気持ち良くまけろよ。それなら9って言いな」
ちっ、と舌打ちした後、それでも元を取れると思ったのか、じゃあそれで良いよと主人は折れた。
それでも高いと思った。
しかし、スルゲリが良いと言うなら仕方無い。
言われた金額を支払い、店を出た。
「やったな」
言っている意味が分からない。
「何が?」
良い剣を手に入れたとは思った。
しかし、もう少し安くても良かったと思う。
「なんだよ。不満そうだな。ちょっとこっち来な」
店から離れ、通りを抜ける。
「その剣、本当はいくらくらいすると思う?」
「分からないわよ。でも銀貨9枚でも、ちょっと高いと思った」
スルゲリはにやにや笑っている。
「それ、買う所で買ったらさっきの10倍以上はするんじゃないかな」
「え?」
言っている意味が分からない。
それでは工房で頼んで作ってもらうよりも高い事になる。
思わず手に持ったままの剣を見た。
鞘まで地味だった。
とても高いとは思えない。
「どういう事?」
「あんまり有名な剣じゃないんだけどな」
そう前置きして、この剣の事を話してくれた。
ナクラって街にひとりの老人がいた。
小さな川の橋のそばにいつの間にか住んでいたその老人の名前を誰も知らなかった。
老人は1週間に一度、剣を打ち、それを橋の上で売った。
剣はやがて有名になった。
地味で無骨。
しかし剣の造りは一級品だと。
誰もが老人を褒め、その老人に名前を聞いたけれども、ついに一度として名乗らなかった。
いつからかその剣は売られた橋の名前を取ってトロワと呼ばれた。
「鍔に橋の刻印がしてあるだろ」
見ると、確かに刻印がある。
横にしたハシゴのような印。
「本当にこれがそれなの?」
「模造品が出回る程、有名な剣じゃ無いさ。それに例えそうじゃ無かったとしても、俺は良い剣だと思ったよ」
魔剣や妖刀の類いと比べてしまえば全然だけども、実用の剣としては十分名剣のクラスらしい。
確かに私も良い剣だと思ったのは確かだ。
それに買うのに金貨が必要になる剣だ、と言われれば銀貨9枚でも高かったなんて言えない。
「じゃあ、あれは演技だったのね」
散々、スルゲリも渋っていた。
「アンは真面目だったけどな」
確かに真剣に高いと思っていた。
金貨相当の剣を銀貨9枚でも高いだなんて。
思わず吹き出して笑ってしまうと、スルゲリも大声で笑い出した。
ふたりでこんなに笑ったのは始めてだった。
少しお腹が空いたので、軽く何か食べる事にした。
目に付いた軽食屋さんに入るり、サンドイッチと水を頼む。
食べ終わり、人心地が付いた所でずっと差しっぱなしになっていたナイフをテーブルの上に出した。
「ずっと借りっ放しになっちゃってたわね。ありがとう」
やっと返す時が来たのだ。
改めて見ると、やっぱり良いナイフのようだ。
それにきちんと手入れされながら使い込まれてきているのが分かる。
「いや。いいさ。どうせ道中、必要無かったしな」
スルゲリはナイフを手に取り、しばらくじっと見た後、再びテーブルの上に置いた。
「どうしたの?」
特に道中使わなかったのだ。
私が壊したって事はないだろう。
「アンはナイフは必要無いか?」
「私?そのナイフが必要なのは私じゃなくて、あなたでしょう?」
ずっと使ってきたナイフなら尚更だろう。
「いや、俺はまた別の物を買えば良い。俺が使ってた物をアンに使って欲しいんだ」
「何それ。ラブレターのつもり?」
笑って言った。
「そうだな。そうかもしれない。真剣にアンに貰って欲しいんだ」
そう言ったスルゲリは真剣だった。
笑みを消し、真剣に考える。
剣が折れた時に別の武器が必要になる事はあるかもしれない。
あの斧の小人の時は、あいつで最後だったから良かった。
もし敵がもっと多かったなら、必要だったかもしれない。
ナイフを見る。
これくらいの大きさなら腰の後ろにでも差しておけば邪魔にはならないだろう。
ちゃんとしたベルトがあれば、どうにでも出来る。
スルゲリを見た。
彼の目は真剣だ。
思えば彼は私から何も受け取らなかった。
せいぜい食事と寝床くらいだ。
欲が無い。
そう一言で片付けるのはおかしい気がした。
やっと、その事に気が付いた。
考える。
考え、そして母の姿が思い浮かんだ。
「スルゲリって病気なの?」
しかし、それを聞いたスルゲリは吹き出した。
「何で俺が病気なんだよ」
「違うの?」
まだ笑っている。
聞くべきか、真剣に考えた私が馬鹿みたいだ。
「違うなら、それで良いわ」
「ああ、違うね。そんな難しく考えなくて良いんだよ」
そう言って、穏やかな笑顔を浮かべた。
そうまで言われては、貰っても良いか、と思った。
「分かったわ。大切に使わせてもらう」
「そうか?何か半年後くらいにはバッキリ折れてそうだけど」
失礼な。
そう真面目くさって言った後、またふたりで笑った。
手作りの弓矢
スルゲリのナイフ
橋の剣
藁の小手
鹿革の粗いベスト
つる草のベルト
木の靴