折れた剣
最初はどうしたものかと思っていたスルゲリだったけれども、本当に害意は無いらしかった。
私が狩りに行くのに付き合ったり、家の掃除を一緒にしたり、私の日々の生活に他愛無く付き合った。
革の鎧の調子は良かった。
森の中で枝がトゲのように体に当たると痛い。
以前はそんな些細な傷が絶えなかった。
体だけとは言え、それを防いでくれるのはありがたい。
改めてスルゲリに礼を言った。
「これは凄く良いわ。ありがとう」
「どういたしまして。お嬢さんは腕が立つんだから、もっと良い物を使わないとな」
次はその靴と、後は小手かな。
私の木の靴を見て彼は言う。
しかし、靴を作れるだけの材料なんて無い。
小手も然りだ。
スルゲリは部屋に飾ってあった鹿の頭の剥製を見る。
父が生きていた頃に作った物だった。
「あれがあるって事は鹿がいるんじゃないのか?」
「前はこの辺りにもいたけれども、私が狩り尽くしてしまったわ」
「なんて言うか、やっぱり物騒なお嬢さんだな」
その科白には苦笑いが含まれていた。
「それなら少し遠出をしましょう。森の奥まで行けば、いくらかはいるでしょうから」
家の周りから離れるのは久しぶりだ。
日々の生活に家から離れる必要はあまり無い。
それを言うと、引きこもりだな、と笑って言われた。
天気は晴れだ。
雲ひとつない。
雨はしばらく降っていなかった。
雨は嫌いだ。
水に困る事は無いから、このままずっと降らなければ良い。
森を奥へと進んで行く。
進む程に傾斜がついていく。
大きな岩が点在し出す。
ここから先へはあまり来なかった。
あの嫌な小人が群れて出てくる事があったからだ。
思わずスルゲリを見る。
彼の様子に変化は無い。
そう心配する事は無い気がした。
ここ数日間の彼は安穏として、恨みや怒りは露程にも感じなかった。
その時はその時だ。
スルゲリが鹿の足跡を見つけた。
そう古いものでは無い。
弓の準備をして進む。
気配を消すように、音を立てずに進んで行く。
果たして鹿はいた。
立派な角を持ったオスの鹿だ。
スルゲリに頼んで、風上から鹿の背後に回り込んでもらう。
あまり剛い弓では無い。
ここからでは遠い。
少しずつしゃがんだ姿勢で近づいて行く。
そろそろ限界だろうか、という時に、スルゲリが鹿に向かって飛び出した。
鹿は驚き、走り出す。
それは私の方に向かっていた。
矢をつがえる。
なおも近づいて来る鹿のリズムを読む。
瞬間、閃きを得て、立ち上がった。
突如として現れた私の姿に驚き、鹿が方向を変える。
鹿の側面が露になる。
その心臓に向かって、矢を放った。
「見事なもんだな」
矢は心臓を寸分違わず射抜いていた。
ショートソードを抜き、腹を裂き、内蔵を抜き出す。
首を落とし、血を抜く。
飾るつもりは無いので、頭は邪魔だ。
「なんか、いっつも血塗れなのは気のせいか」
「それが生きるって事よ」
「違いない」
何でそこで笑うのだろう。
スルゲリが角を外す。
頭はいらなくとも、角には利用価値がある。
足などのいらない部位をどんどん落とす。
私とスルゲリだけで持ち運ぶには鹿は少し大き過ぎる。
作業を終え、血が抜けるのを待って、木に括り付け、ふたりで持った。
体格が違うのでスルゲリは担ぎ、私は手を下ろして持つ形になる。
彼の力は思ったよりも強かった。
休憩を交えつつ歩く。
途中、おかしな気配がした。
ほんのわずかな違和感。
何かを聞いた気がした。
足を止める。
急に足を止めたのに文句を言わないのは、彼も気が付いたのか。
鹿を下ろす。
弓を体から抜く。
「一応聞くわ。あなたは味方?」
「そのつもりなんで、後ろからばっさりはやめて欲しいね」
どこから出したのだろうか。
スルゲリの手にはナイフが握られていた。
それは革鎧を作った時の小さな物では無い。
この辺りの小人達が使う物とは違って、造りがしっかりしてそうだ。
立派な大振りのナイフ。それを見て、確信する。
彼は違う。
やがて数本の矢が飛んできた。
遠くから放たれたであろうそれは弧を描く。
そして間延びしたような遅さだ。
避け、木の陰に入る。
スルゲリも別の木の陰に入った。
それは私たちが向かっていた方向とは逆の後ろ側からだった。
つまり、鹿を解体していた辺りから追ってきたのかもしれない。
どちらから来るのか分かってしまえば対応しやすい。
やはりあいつらは馬鹿だ。
それでも念のため、他方にも注意する。
弓を持った小人が3人、剣を持った小人がふたり、斧を持った小人がひとりだった。
特に鎧の類いは着ていない。
しかし、数が多い。
だから、この辺りに来るのは嫌なのだ。
それでもスルゲリが助けてくれるなら、何とかなるだろう。
矢を数本まとめて抜き、弓を構えた。
弓を持った小人がやっかいだ。
以前にそれで痛い目にあっている。
何とか先に潰したい。
しかし、弓を持った小人は後ろ側に付いている。
やはり距離がある。
山なりの軌道で射ても避けられるかもしれない。
矢を手にしながらも、なかなか射ようとしない私の考えを読んだのだろうか。
先にスルゲリが陰から出た。
あいつらの注意が彼に向く。
それならば。
目立たないように陰から出ると、回り込むように動く。
スルゲリは器用に矢を避け、剣や斧から一定の距離を保つ。
弓を持った小人が一直線に並ぶような位置まで出ると、一息に3本の矢を放った。
それは1体の頭を、1体の胸を、そして1体の肩を射た。
ひとつ浅い。
さらに矢を抜き、走り寄りつつ放つ。
それは頭をとらえ、衝撃を受けて転がるように倒れた。
そのまま走る。
弓の小人のいた位置に出ると、スルゲリと挟撃する形になる。
斧を持った小人がこちらに向かって来る。
体に合わない大きな斧を担いでいるにも関わらず、その足は速い。
矢を1本射る。
それは斧で防がれた。
すぐさま弓を捨て、剣を抜く。
こいつは手練だ。
たまにいるのだ。
妙に腕の立つ奴が。
大きな斧が盾の役割をしていて斬りつけられる面積が少ない。
初撃を譲るしかない。
小人は突進してきた勢いそのままに斧を振るう。
それは体ごと回転させるような見事な斬撃となって私を襲う。
まるで砲弾だ。
横に飛んで何とかかわす。
さすがにあれを受けては革鎧も役には立たないだろう。
着地し、飛びかかって斬りつけようとした矢先に小人の頭が振り向く。
こちらの方が早い!
そう思って振るった剣は小人が腕だけで振り回した斧に当たった。
剣が半ばから折れた。
小人がにやりと笑う。
そこに構わず突っ込む。
下衆が笑うな。気持ち悪い。
腕だけで斧を振り回した体は開いている。
その体勢からはどんな反撃も難しいだろう。
折れて半ばになった剣を首に押し当て、その刃を引いた。
絶叫。
血しぶきが上がる。
すぐさまスルゲリを確認すると、どうやったのか1体は既に倒れ、そして2体目の胸にナイフを突き立てている所だった。
「終わったわよ」
「そのようで」
辺りには濃厚な血の匂いが立ちこめていた。
「2体も同時に相手に出来るなんて、強いのね」
「いや、アンもやってたじゃん」
「あれはたまたまよ」
「じゃあ俺もたまたまだな」
そう言うスルゲリの顔には余裕が見える。
「それにしても、その斧のは強かったな」
見てたのだろうか。
そんな余裕があったとは驚きである。
「父の形見が台無しよ」
一応、折れた刃先も回収する。
折れてしまっても形見は形見だ。
しかし、剣が無いのは困る。
スルゲリが自分のナイフを差し出してきた。
「とりあえず、これを差しときな」
「あなたはどうするのよ」
「俺はとりあえずこれで良い」
そう言って、今倒した小人の剣を手にした。
粗い造りが見て取れる。
とてもじゃないが、私はそれを使う気にはなれなかった。
「そう。遠慮なく借りとくわ」
他に小人からは何も取らなかった。
斧を一応確認してみたものの、粗く、バランスが悪い。
薪割りに使う気にすらならない。
そもそもそういう手斧なら既に家にある。
鹿の所に戻ると、川に向かって歩き出した。
川に着くと、革鎧を脱ぎ、すぐさま血を洗い流した。
あの小人の血は気持ちが悪い。
自分が実際以上に汚れた気になる。
それを見て、またスルゲリが後ろを向く。
「まったく」
何が全くなのだろう。
スルゲリが鹿の処理をしてくれていた。
川が赤く染まる。
もしも他に誰かがいたら、頻繁に赤く染まるこの川を呪われているとでも思うだろうか。
何となく楽しくなって笑う。
「アン。怖いって」
鹿の肉は川で水にさらしたままにして、家に戻ってきた。
既に皮は剥いで、表に干してある。
今日はもう何だか疲れてしまった。椅子に座り込むと、スルゲリも対面に座り込んだ。
「何だか疲れたな」
「そうね」
「なあ、街に行ってみないか?」
唐突な提案だった。
街が何なのかは知っている。
しかし、それがどこにあるのか。
それがどんな場所なのかは知らなかった。
「行ってどうするの?」
「まずはアンの剣を買わないとな」
「お金なんて無いわよ」
いや、家の中を探せば少しくらいは出て来るかもしれない。
必要なかったので、その存在を意識すらした事が無かった。
「まあ、それも何とかなるだろう。あの鹿の角と皮と肉を売るだけでも多少の金にはなるだろうし」
「食べないの?それに靴は?」
「少しはな。靴は俺が作るより、職人にきちんと頼んだ方が良い」
いずれにせよ、剣は必要だ。
自分で作れない以上、あの小人の粗い物を使うか、スルゲリの提案に従うかのどちらかしか無い。
息を吐く。
仕方ないか。
「分かったわ。案内してもらえる?」
「仰せの通りに。お嬢様」
何、その芝居がかった科白。
妙にそれが様になっていたので思わず笑ってしまった。
手作りの弓矢
形見のショートソード → スルゲリのナイフ
藁の小手
鹿革の粗いベスト
つる草のベルト
木の靴