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ロッキン・パンク・バレリーナ

作者: 風合文吾



〇.SISTER・STRAWBERRY


 ああ、夏だなあ。


 旅に出たい。この『犬小屋』から逃げ出したい。


「……止めはしないよ。……束の間の旅行でも、楽しんでくるといい。……ただ、シヲ、君はこの土地から逃げられはしないけれどね……」


 そんな理由で、こんなことを言って、シスター・ストロベリィはボクを送りだした。この人の考えていることはよく解らない。ボクみたいな親に捨てられた子どもを引きとっては、孤児院を兼ねた教会(キリスト教の教会とは違った、妙な建物だけど、シスターは教会と呼んでいるのでボクもそうする)で衣食住を保証した上で、簡単な勉強や、神様に関するお話なんかを教えてくれるのだった。


 シスター・ストロベリィはこのN市……『犬小屋』という蔑称で呼ばれる田舎町では、ちょっとした名物になっていた。そもそも出身は『外の世界』らしい。それが、本人曰く「神様の思し召し」でフクシマにやってきた。この放射能に湧き返る頽廃の大地に。N市の中でも、教会の周りじゃ慈善家みたいな扱いを受けているけれど、実際は神様の教えを、ボクのような孤児に教え込むのが目的であるらしかった。どうも彼女の背後には全国規模の教団が潜んでいるらしく、生活に不自由するなんてことは一切なかった。そういう意味でも、浮いていた。


 しかし、N市民が彼女に寄せる関心の大部分は、彼女の美貌についてだった。シスターの年齢をボクたちは知らない。訊いてもはぐらかされる。でも、パッと見た感じでは二十代前半程度……それも、どう高く見積もってもだ。下手をするとティーンエイジャーでも通るかも知れない。それより歳をとってるのは確実なんだけど、誰も知らない。整いながらも透徹した顔は表情に乏しいけれど、それが逆に彼女のミステリアスな魅力を高めているようだった。……下卑た話だけれど、N市の、殊にボクの周りの大人たちはみんな彼女と寝たいと思っているらしかった。いや、確かにそうなんだ。ボクはそれを聞いたじゃないか。その時ボクは、まるで自分の母親を穢されたみたいで、とても厭な気持ちになったんだ。


 大人たちの卑しい視線を、シスター・ストロベリィは確かに感じとっているらしかった。けれど、そんなことにはまるで頓着せずに、毎日の生活と、神様の教えを説くことと、趣味の占いに没頭しているのだった。

君は将来どんな大人になりたい? と訊かれたら、ボクは「シスター・ストロベリィみたいになりたい」と答えるだろう。


 そうしてボクは、リュックサックに簡単な旅支度と、宿になる場所が書かれた一枚の紙切れ、少しのお金を詰めて、シスター・ストロベリィの呪いのような言葉を胸に秘めて、旅だった。






一.『呪いの館』へ


 行き先はフクシマの街。バスと電車を乗り継いで、一時間ほどの小旅行だった。フクシマという大地では、それくらいの旅行しか出来ない。


 ああ……。


 ボクは駅から出た瞬間に、この街が『自殺者の街』と呼ばれている理由を理解した。それは理屈で説明出来るものではなく、怖ろしく体感的なモノだったけれど、駅前に溢れかえっている、恐らくはホームレスであろう人たちが喫煙所があるのを無視してあちこちの地べたに座って煙草を()んでいるのと、行き交う人の誰も彼らに目をくれない光景を見ると、「この街は壊れている」という気がしてくるのだった。


 実際、フクシマの自殺率はそれほど高くはない。何故ここが『自殺者の街』と呼ばれているのかと言えば、それは大よそ、あの震災でばら撒かれた放射能が集中するこの場所(ホットスポット)に住まうこと自体が一つの自殺行為だからっていう理由だ。そう考えてみると、道行く人の誰もが暗い瞳をしている。このまま家に帰ったら首を(くく)るのだろうか……なぁんて感じるくらいに。


 そんなことを考えながら、ボクは宿を探してメインストリートから裏路地に入って行った。


「……フクシマはここより物騒だからね」


 シスター・ストロベリィの言葉を思い出しながら、ボクは財布に入れてある一枚の広告をとり出した。そこには禍々しい書体で『バー 猟奇』という文字が躍っていた。なんでも、シスター・ストロベリィの知り合いが経営している店らしい。なんか怪しさ全開の店だったけれど、シスターが勧めるくらいなんだから安心なんだろうという気がした。


 昼間だってのにそんなことはお構いなしに誘って来る売春婦たちの群れをかわしながら、『猟奇』を探す。「監視されてるみたいで厭だ」という理由で携帯電話を持っていないボクは、一枚の紙切れに書かれた地図を頼りにするしかなかった。この街には昼と夜という観念がないらしい。汚い身なりをした男はホームレスで、街角に立っているそこそこの恰好の男は大体ポン引きか麻薬の売人だ。そしてそんな彼らが目立たなくなる程に色とりどりに様々な、煽情的な服を着た売春婦たち。


 流石にフクシマはN市とは違うなあなんて、田舎者特有の感興が、売春婦や麻薬売人、そしてホームレスの姿から湧いて来る。ここはそういう街なのだ。道を尋ねたかったけれど、話しかけるとヤバそうなヤツばっかりで、初めてフクシマの地を踏んだボクは途方に暮れてしまった。それでも、立ち止まると売春婦の群れが寄って来るから、ひたすら歩いていたのだけれど。


 そして意図せず大通りに出て、ああ、完全に道を間違えたな……なんてことを考えていると、珍奇な集団が目に入った。


 ロックバンドらしい。らしいというのは、フクシマといういかがわしい土地で、半裸のヴォーカルがギターとキーボードに合わせて何かを、ほとんど聞きとれないような甲高い声で歌っているその様をロックバンドと呼んでいいのか、ちょっと躊躇いがあるからだ。でも、わざわざフクシマまで来たんだし、N市では絶対にこんなのは見られないし、折角だからちょっと観衆に混じって見てみることにした。


「Θ×я×-ξ×ё=д=λ=ξ-ю=-ゝλ¶=-д÷ξ÷÷!!!!」


 ……何を歌っているのか、まるで見当がつかなかった。それでも、この辺じゃ有名なバンドなのか、ノリのいい人がいたのか、「ヒサルキー!!」という黄色い歓声が聞こえた。多分、あの意味不明な絶叫をあげているヴォーカルの名前なんだろう。


 しばらくの間、ボクはその歌と演奏を聴いてた。そろそろ飽きて、宿探しに戻ろうかと思った時、それまでまったく意味を成さなかったヒサルキの歌がハッキリと耳に聴こえた。


「呪いの館には行っちゃいけねえ!!!! 呪いの館には行っちゃいけねえ!!!!」


 下手くそな演奏に乗せて下手くそな歌を歌っているヒサルキの歌は、どうやらオリジナルじゃあないらしい。ボクはこの曲を知っている。演奏の所為で全然そうは聴こえないけど、筋肉少女帯という昔のバンドの「マタンゴ」という曲だ。いつかシスター・ストロベリィから借りて聴いたことがある。ヒサルキは冒頭の一節だけを狂ったように何度も何度も繰り返し歌っていた。興味を惹かれたボクは最後まで聴いてみることにした。


 特になんのアレンジもなく、ヒサルキの歌は「呪いの館には行っちゃいけねえ!!!!」と叫ぶだけで終わった。そして演奏が終わると楽器隊と一緒になってビラを配りだした。ほとんどばら撒くように。ボクも一枚貰った。というか、拾った。それにはこんなことが書いてあった。



呪いの館


――片脚の踊り(バレリーナ)

――狂人の歌い(ヴォーカリスト)

――シャム双生児

――顔に穴のある女

――無脳症の赤子

――梅毒詩人

――サリドマイドの女性

――達磨女

――脳に蠅を飼う少年

――エレファントマン

――老人少女


異常者がギチギチと犇めく『呪いの館』、どうぞお越し下さい……


殘月(ザンゲツ)蟲空(ムシゾラ)曲馬(サアカス)

フクシマ特別興行!



 ……どうやら見世物小屋みたいなモノらしい。それにしても凄いラインナップだ。よくもこれだけ集めたもんだ。最後の「フクシマ特別興行」の一文だけが妙に資本主義的で浮いている。フクシマの地で資本主義ほどナンセンスなモノもそうそうない。


 明日、覗いてみよう。ボクはそんなことを考えながら、シスターから貰った紙に書いてある簡単な地図と、今拾った広告についている地図を照らし合わせてみた。意外と近い処に、目的のバーと『呪いの館』があるらしかった。ひとまずは、バーに行こう。話はシスター・ストロベリィが通してくれている筈だから、きっと休ませてくれるだろう。さっきっから歩きっぱなし立ちっぱなしでいい加減に疲れてきた。


 バー『猟奇』はとある廃ビルの地下にあった。階段を下りるとおどろおどろしい文字で「猟奇」と書かれた看板があったが、地上には何の目印もない。ましてビル自体が『猟奇』のある地下を除いて廃墟になっているんだから、分かりづらいことこの上ない。


「……いらっしゃい……」


 ボクを迎えてくれたのは、髑髏に肌と目と鼻と髪の毛をつけたような陰気な男だった。シスター・ストロベリィの知り合いというんだから、まあマトモな人じゃないだろうとは予測してたから、そんなに驚きもしなかった。


「シスター・ストロベリィの教会にいる者です。話は聞いてると思いますが……」


 ボクがそう切り出すと、『猟奇』のマスターは黙って店内にあるソファを指差した。とりあえず座れということなのかと思って座ってみる。マスターは、まだ開店時間じゃないからだろう、色々な酒やカクテルを作る為のボクには名前も分からない道具をいじっていた。まるでボクなんかいないかのような振る舞いで。それでも何か向うから言うだろうと思って、三十分が経過した時点で不安になってもう一度声をかけた。


「あの……シスター・ストロベリィの話ではここに泊まらせて貰えるっていうことでしたが……」


 マスターは痩せ細った体を回して、その落ち窪んだ眼窩で、まじまじとボクの方を見た。数十秒ほど(数十分に感じたが)ボクの全身を舐めるようにジットリと眺め回していたマスターが、ようやくまともに口を開いた。


「ほら……そこに従業員用のスペースがある……今は私以外の店員はいないから……一週間くらい自由に使ってくれて構わん。……必要なモノは勝手に使ってくれ。……酒も呑んでいい……シスターの頼みだからな」


 そうしてその従業員スペースを指差しで示したマスターは、更に強くボクの方を――ほとんど睨むように、けれど目は合わせずに――見詰めて続けた。


「……ここの客人のルールはただ一つ……何かする、何か使う、その度に……いちいち私に声をかけないことだ」


 ……こうしてボクはバー『猟奇』に宿泊する権利を得た。


 マスターはなかなか偏屈な人だったけれど、寛容な人でもあった。ボクが勝手に(間違いなく売り物の)酒を呑んでも別に怒らない。ただ、シャワーの場所を訊いた時にはとても不機嫌そうな顔をした。ひたすら声をかけられるのが嫌らしい。それを除けば――ついでに一緒にいるとこっちまで憂鬱になるようなオーラを放っているのも除けば――まあ、いい人と言って差し支えない。


 店そのものはとてもじゃないが繁昌してるなんて言えない感じだった。ボクがシャワーを所望したのは夜九時くらいだったけれど、仮にもバーの癖に(別に定休日でもないのに)客がいなかった。マスターはカウンターの奥で椅子に座って、何かの本をひたすらに読み耽っているのだった。声をかけると怒られるので、何を読んでいるのかは訊かなかった。


 机の上にさっき拾ったビラと、メモ帖をとりだして、明日の予定を考えてみる。別に目的があって来たわけじゃあない。ただ、N市にいるのが厭になったというだけの理由。だから、どこに行ったって、退屈を紛らわせられれば、それでいいのだ。


「……あの館に行くつもりかね……」


 不意にマスターが声をかけてきたもので、ボクは思わず跳び上がってしまった。この人、自分から話しかけることもあるんだな……なんて考えながら返事をする。


「はい。面白そうだと思って」


 ボクの返答に、マスターは難しい顔をした。そして、語りかけるでもなくぽつぽつと語り始めた。


「……あまりいい噂は聞かないな。……そのビラに書いてある畸形児のほとんどは、このフクシマの地で生まれたと聞く。……『殘月蟲空曲馬団』の座長は……そういう子どもを引きとっては、見世物にして私腹を肥やしている、と……」


 孤児を引きとって、という処でボクはシスター・ストロベリィを思い浮かべた。マスターも同じことを思ったのか、感慨深そうに天井を仰いだ。そして溜息をついてまた独り言のように語り続けた。


「……あの災害以来……この街の人間は誰も絶望の表情しか浮かべなくなった。……最近では、無邪気なガキどもは楽観的に生きているが……しかしそれも、どうせこんな土地に生まれた以上、マトモな人生は歩めない……そんな諦観から来る刹那的享楽主義だ。……或いは痙攣的ですらあるかも知れない。……畸形児、精神病者辺りは特にそうだが……私はそれでいいと思っている。……それも、一つの天命……一つの生き方だからな……しかし、そんなガキどもを……私欲の為に……商売道具にしている他所者は……排斥されるべきだ。……我々、フクシマ人の手によって……」


 ……言いたいことを言い終えたのか、マスターはまた手元の本に視線を落とした。それっきり黙して何も語ろうとはしない。ただひたすらに活字を目で追っていた。


 出会って数時間しか経っていないのだけれど、ボクはなんとなくマスターの心情を理解出来たような気がした。この人は、見た目も中身も怖ろしげだけれど、それは多分、見た感じの年齢通りであれば、あの震災を実際に体験している、そのことから来る態度なんだろう。でも、その奥底にはぶっきらぼうな優しさがある。自分の次の世代の子どもたちを思う気持ちと、『外の世界』への燃え滾るような憤怒が、今の話から垣間見えた。


 マスターに共感することは出来ない。ボクはあの震災を知らないから。ボクが生まれるよりも少し前に、あの震災が起こった。そしてその二年後、フクシマという広大な大地は封鎖された。『福島経済特区』と言う名前の元に、復興の為という看板を立てて、当時のフクシマ人たちは隔離された。『外の世界』から入ることは出来るけど、出ることは出来ない。自由に出入り出来るのは、『外の世界』の人間だけだ。理不尽なことに。震災から二年以内にフクシマを脱出した人たちは『外の世界』で子どもを生んだ。ちょうど、ボクらの世代だ。きっとこの『殘月蟲空曲馬団』の座長は、そういう『外の世界』で生まれた畸形児や精神病者を引きとっているんだろう。


 そう考えると、マスターの言葉に背くように、『呪いの館』への興味が湧いてきた。同じフクシマに(ルーツ)を持ちながら、フクシマの外で育った、ボクと同じ年頃の子どもたち。どんな人たちなのだろう。見てみたい。この目で見て、出来ることなら話をしてみたい。そんな期待が湧いて来た。


 そうしてボクは、明日への希望と、今日の素敵な出会いを神様に感謝しながら、住込み従業員用の狭いベッドに体を丸く毛布に包んで、眠りに就いた。


 ……冷静に考えれば自分の所属するハコに来んなと叫ぶ宣伝バンドも珍しい。ヒサルキとかいうあのヴォーカルは一体どんな意図で叫んでいたんだろう。多分、本心から『呪いの館』に来て欲しいわけじゃあないんだろう。そうでなけりゃあえてあの曲をチョイスする意味が解らない。


 それはきっと、自分の姿を見世物にされるのが厭なんだろう。

 

 でも。


 この壊れた街でそんなことを気にする意味はあるんだろうか。


 歩きながら考えてみると、どうもそんな気がしてくる。それほどにこのフクシマの街は頽廃している。異常なほどの売春婦、足を引きずりながら歩く爺さん、路傍に座り込んでアーアーと鳴いているホームレスの若者……そしてそれを侮蔑の眼差しで横目に見ながら足早に通り過ぎるスーツ姿のお兄さん。


 二極化が激しいフクシマであんな見世物小屋をやって、一体どんな層が見に来るというのだろう。ボクらの世界に中間という言葉はほぼ、ない。底辺と頂点ばっかりだ。底辺の人たちはその日の暮らしに精一杯で、歓楽の為の金なんて持ってない。日銭を稼いで、それを酒と煙草、そしてドラッグかギャンブルか色事に使ってしまって、宵越しの金は持たない。頂点は逆に堅実過ぎるほど堅実だから、決してあんな不健全な見世物小屋には行かないだろう。あのスーツのお兄さんみたいな人種は、みんなこの大地から出たがっている。でも、出れない。フクシマ人だという理由だけで『外の世界』からは弾かれてしまうから。どうしようもなくやりきれない心のはけ口を底辺の人たちを見下すことにしか見い出せない絶望的な人の、小さな群れ。それがフクシマという街の頂点層(エリート)なのだった。


 ボクがそんなことを悠長に観察する余裕があるのは、シスター・ストロベリィのお陰だろう。あの人みたいな慈善家(かなあ?)の元にいる、頂天層より更に少ない中間層じゃなければ、周りを見る余裕なんてない。N市から出られないでいる友人(トミノ)のことなんかを思い出すと余計にそう思う。きっとここはそういう世界なんだと、随分昔にあの『犬小屋』の中で悟った。


 考えてみれば、フクシマの中か『外の世界』かの違いはあるけれど、立場も年齢もほとんどあの『呪いの館』の住人とボクに大差はない筈なのだ。興味と好奇の中に一種の親しみを感じるのは、その所為だろう。でも。フクシマの地で生まれて『外の世界』で育つというのは、一体どんな気持ちなんだろう。彼らもボクみたいに、自分の境遇を総て受け入れるような気持ちを持っているのだろうか。


 確かめてみたい、そう思ってボクの脚は少し速くなる。どうせ開演時間まではまだ間があるから、急いだって無駄なのだけれど。或いは、暗澹としたフクシマの街中を歩くことに、心が疲れたのかも知れない。


 件の『呪いの館』は今は使われていない大きな建物を借りきっていた。そこは『猟奇』みたいな小さいビルと違って昔は公共施設か何かだったらしく(マスターが教えてくれた)、結構な広さがあった。


 でも、ホールの客席(二階建てだった)には疎らな観客しかいない。開演前だからかも知れないけれど、それにしたって広さに対して虚しくなるほどの客入りだ。こんなんで採算とれるんだろうかと要らないお節介が湧いて来る。そもそも前宣伝もどれくらいしてたんだろうか。マスターは噂に聞いていたみたいだけれど。例えばあのヒサルキの野外ライブみたいなことしかしてないんだったら、あんまりお粗末だ。入る時に貰ったパンフレットも、ヒサルキたちがばら撒いていたものとほとんど変わらない。正直、手抜きだ。


 なんだかフクシマでこんなことをやっても、どうせ見に来る人なんてほとんどいないだろうというボクの予想が的中しそうな気がする。大体、パンフに書いてあるような異常者も畸形児も、フクシマじゃ別に見世物になるほど珍しくはないのだ。わざわざお金を払わなくたって、街を適当に歩いていればいくらでも見れる。


 そんなナンセンスな『呪いの館』に来ている観客というのはどんな人たちなんだろうと見回すと、やっぱりそれなりに身なりが小奇麗な、『犬小屋』にいたら滅多に見かけないような上流階級らしい人が多かった。紳士淑女、という言葉がピッタリ来る彼らの大半は気楽そうに開演を待っている。歳は中年ばっかりで、ボクみたいな十代のガキは見当たらなかった。


 なんとなしに、彼らが『外の世界』の人たちなのは理解出来た。フクシマ人じゃない人は、フクシマ人から見るとすぐに分かる。目つきが違うし、なりも違う。フクシマ人の目は暗く澱んでいるし、瞳には絶望か狂譟の色が浮かんでいるのが常だった。連れ立って来ている夫婦らしい男女の話声に耳を澄ませば言葉遣いも違う。フクシマ人は、例えばテレビに出て来る人たちみたいな綺麗な話し方はしない。イントネーションのない、平板な話し方をする。


 或いは、彼らはこの『呪いの館』にいる子たちを引きとりに来た慈善家なのかも知れない。そうでなければ、よっぽど暇を持て余した好事家だろう。でも彼らには、同じようなことをしているシスター・ストロベリィみたいな優しげな雰囲気は全然感じられないのだった。……これはボクの贔屓目だろうか?


 なんだかわけの解らない感慨と虚しさを抱きながら、ぼんやりと観客を観察してる間に、開演時間が来たらしく、如何にも安物のホールに相応しい安っぽいブザーが鳴った。同時に、舞台上によく肥えた血色のいい、タキシードにシルクハットを被ってステッキを持った如何にも見世物小屋くさい恰好の男が現れて、何やら口上を唱え出した。朗々とした声で。


 彼は多分この曲馬団の座長なんだろうけれど、その語り口はいい感じに胡散臭く、もしここが『外の世界』で、なおかつボクも『外の世界』の人間だったならとても興味をそそられる内容だった。でも、やっぱりこのフクシマという異界で別に珍しくもない畸形とキチガイを見世物にするのは、無理があるなあ。


 初っ端から退屈を感じさせる口上で、その後に続々出て来る曲馬団の連中――シャム双生児、顔に穴のある女、無脳症の赤子、梅毒詩人、サリドマイドの女性、達磨女、脳に蠅を飼う少年、エレファントマン、老人少女――そんな連中も各段珍しくなく、彼らの芸と呼ぶにはなんだか芸人に失礼な変な動きは酷く退屈で。本当に、『見世物』小屋なんだなあ。物珍しさ以外に、なんのとり柄もない一団だった。しかも、別にフクシマでそれをやられたって珍しくないんだからたまらない。


 ボクが欠伸を噛み殺していると、ひと際大きな声で座長らしき男が言った。


「さあ! 本日のメイン、当曲馬団のロックスターに花形スター、狂人(きちがい)ロッカーヒサルキと片脚のバレリーナ、彼岸ナハトの暗黒舞踊! とくとご覧あれ!」


 ヒサルキ、という単語がボクの耳を捉えた。あの路上ライブをやっていた男だ。どうやら今日は踊り子つきで歌うらしい。いや、寧ろ踊り子の方がメインだろうか。あの紹介からすると。


 まず舞台に現れたのはヒサルキだった。相変わらず金髪と黒髪の混じったパンクヘアーに半裸で安っぽいジーンズを穿いている。そして、いきなり例の甲高い声で何事か叫んだのだけれど、ボクにはまるで聴きとれなかった。バックでは、やっぱり昨日見かけた連中が演奏を始めていた。演奏? いや、確かにそうなのかも知れない。でも、正直それは騒音と言った方が的確だった。ストーナー系と言えばなんとか言い訳になるかな。


 その演奏に合わせて――まるで綱渡りでもするかのような調子で――ゆっくりと、ゆらゆら〝暗黒舞踊〟の踊り手が舞台に現れる。ガラガラの客席で、ほぼ舞台の真っ正面にいたボクは彼女をつぶさに観察することが出来た。


 片脚のバレリーナって、一体どんなだろうというのがボクの興味の焦点だった。だって、片脚じゃあ踊れないから。その娘は、右足の太ももから先がなかった。代わりに義足をつけている。金色の、膝にダイヤ(のような装飾)をあしらった、豪奢な義足。機械的なそれが、生身の左脚との対比(コントラスト)によって彼女の肉体の妖艶さを演出する道具になっていた。


 露出の多いドレスは肩から胸元までが露出していて、右の胸から肩や鎖骨にかけて黒い百合と青い蛇の刺青が刻まれている。コルセットだけの上半身は、正中線をくっきりと顕わにしている上に、よく引き締まった脇腹、スカートの中央の切れ込みから下腹部までが見えるようになっている。薄いスカートからは彼女の艶めかしい脚が透けて見える。とにかく彼女の肉体の魅力を存分に強調する、煽情的な衣装。


 異常に細く、異常に白い少女だった。衣装の豪奢さや濃度の高い色合いも、彼女自身の肉体を引き立たせている。顔を見れば、切れ長で吊り目気味の蛇のような四白眼の瞳、右目の下の百合を象った刺青、苺のような唇、結い上げられた豪奢な金髪、そして、化粧なのか地なのか分からないけど、やっぱり病的に白い貌。田舎育ちの人間にはそれだけで眩しく映るほどに、正しく玉のような肌の持ち主だった。


 彼女が踊り出す寸前、客席に向けて、アンバランスな体と衣装から来る奇妙な動きからは意外に思えるほど優雅に一礼をした、その一瞬に、ボクと彼女――ナハト、というらしい――の目があった。


 ゾクッとした感覚がボクの全身を包む。鋭い視線が、一瞬でボクの内心を見透かしたかのように思えて――ボクの卑しい好奇心が、針を刺されて弾け飛ぶような畏怖に、鳥肌が立つ。


 一瞬、ほんの一瞬目が合っただけで、ボクはナハトの魅力に囚われてしまった。


 ――そうして楽器隊がバカみたいに巨大なアンプで騒音を掻き鳴らし、ヒサルキがそれに合わせてバカみたいに意味不明な絶叫を上げる中で、ナハトは踊りまくった。暗黒舞踊というものは、ネットでチラっと見たことがあるのだけれど、どうもナハトのそれは正統派じゃなかった。片脚だから、というのもあるのかも知れない。だけど、ボクにはどうしてもその動きが滑稽な動きの羅列にしか見えない。まるで前衛芸術(アヴァンギャルド)のように、理解しがたい踊りだった。それでも、ナハトの肢体のうつくしさだけは一片も殺がれることなく、流麗としてそこにあった。


 細い肢体がダバダバダバダバ動き回る。よく観察すると、彼女は舞台中央の一定範囲から出ないように巧みに動いていた。踊りそのものは、やっぱり滑稽な動きの羅列にしか見えなかったけれど。


 ナハト、という少女は自分の肉体の、細くしなやかな、そしてしたたかな、煽情を生む艶めかしい魅力を充分に知っているらしく、時々踊りの型を明らかに外して、観客に媚態を見せるのだった。その姿(しな)の作り方だけは、確かにプロのそれだった。マスターの言葉を思い出すと、この曲馬団のメンバーは座長が引きとった子どもらしいから、きっとその媚態は、観客へのサービスなんかじゃなく、彼女が生きる為に身につけた、生存の為の技能なんだろう。極度に肉体に依存する生存戦略、ボクには真似出来ないけれど、そういう人間がいるのは、知ってる。


 一時間ほどだろうか。ヒサルキのひたすらやかましい歌に合わせて片脚の踊り(バレリーナ)は、義足の右脚の所為でバランスを崩すなんてこともなく、終始ダバダバと嬌態を繰り返していた。やがてその五月蠅い演奏と滑稽な、だけど妖艶な、踊りが終わると、ナハトは舞台に一人、ポツンと立って、初めと同じように優雅な一礼をして、その動作に合わせて幕が引かれた。


 お世辞にも素晴らしいとは言えない残念な「見世物」は、これもやっぱり残念なシュプレヒコールで終わった。別にアンコールなんかがあるわけじゃなし。物凄く不完全燃焼で、煮え切らないショーだった。

ただ、ナハト、というあの少女だけが、ボクの脳髄に焼きついて妖しくしなやかでしたたかな媚態を演じていた。


 ああ、これからどうしよう……別にフクシマに来た目的もないし、何か他に面白いことはないかな……。一時の夢想、ナハトという片脚の踊り(バレリーナ)白日夢(デイドリーム)から醒めて現実に戻ると、フクシマという頼れる人もいない壊れた街で、目的もなく彷徨しなければならない明日からの自分のことが切実な問題として浮かび上がって来る。


 何かないか、何かないか、とフクシマの街中をふらふらとあてどなく歩く。『猟奇』への帰り道だけは忘れないように意識して。しかし、繁華街の中に突然廃墟がぽつねんと建っている、道路のあちこちに亀裂が入ってる、駅前の地下道に至っては「工事中」という、過去の記憶がそのまま残っているこのぶっ壊れた街で、娯楽らしい娯楽を探すのは中々に困難だった。


 歩いているだけでも、緑豊かな(もちろん皮肉だ)N市とはまったく違う、より毒々しい空気を体感しながら歩くのは、でも、そんなに辛いことでもなかった。今日は駅周辺から、あの『呪いの館』の辺りまでしか歩いてないけれど、明日からはもっとあちこち見て回るのもいいかも知れない。何か新しい発見があるかも知れないし、それに飽きてしまったら、午後に開演するナハトの踊りを見に行けばいい。あの曲馬団の中でも、ナハトだけは見る価値があるな……いや、正直に言えば彼女の肉体、その媚態をもう一度見たいという欲望なのだけれど。

なんてことを考えながら、ボクは『猟奇』へ帰った。


 そこに、ナハトとヒサルキがいた。




続きはアナログで!

http://showjobungaku.blog.fc2.com/blog-entry-26.html

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