思い出す、コトの始まり
常々放任主義な家庭だよなあ、と思っていた。パパもママも働いているから家には基本私一人、遊びに行く時もメールを一通入れておけば朝帰ることになろうと連絡も来ない。その環境に羨ましがられることも多々あったものの、果たして今この現状においても同じ反応を受けるでしょうか。
「……大きいマンションだなー」
目の前にそびえ立つマンションは裕に二十階はありそうだ。簡単に描かれた地図を書いたメモを片手に、もう片方の手には簡単な荷物を詰めたトランクを持って、それをガラゴロと引いて家から歩いてバスに乗り、炎天下の中再び歩くこと約三十分。ようやくお目見えしたマンションは見るからに高級感満載です。だってエントランスからして無駄に背が高いよ、シャンデリアとかぶらさがっちゃってますよ。よし私、ひとまず中に入ろうか。エントランスにも入らず外に突っ立ってても怪しいだけ、うん。
自動ドアをくぐると足音が変わった。パンプスがコツコツと鳴る。トランクもガラゴロガラゴロ煩く言わなくなった。
はあ。思わず溜め息が出る。
この現状は夢ではないだろうか。ここに来るまで何十回も考えた。何十回も携帯を見た。だけど分かったのはこの現状が嘘じゃない、ってことだけだった。
信じたくもないその『状況』を聞かされたのは、お待ちかねの夏休みが一週間後に迫っていた、七月某日の夜。パパもママも家で食べるから、今日は何か買って帰ろうか? そうやってママに言われて、珍しいなあなんて思いながら、美味しいお寿司を所望して地味にそわそわして二人の帰りを待っていた。
ただいま、って二人で仲良く帰ってきて二人が帰り一緒なんて珍しいね、なんて言ったのを覚えてる。ママは期待を裏切らずに、美味しいお寿司を買ってきてくれた。食事も後半、残しておいた大好きなサーモンに手をつけたその時。
「ゆり子ちゃん、ちょっと話があるんだけど」
ママはそう切り出した。
ママもパパもそれなりに真剣そうな顔だから、たたずまいを正して話を聞く用意をした。
「パパ達、夏から海外に行ってくる」
「はい、海外? あー、海外旅行? いいよね、私も行きたかった!」
話が止まらなくなりそうだと思ったのか、パパは小さく、首を横に振った。
「仕事の拠点がイギリスになるんだ」
……イギリス?
イギリスっていうと時差が結構あるよね、仕事っていうと移住するのか? ってことは私も移住?
疑問が尽きない私の頭の中が分かったのか、ママは私を安心させるように切り出した。
「大丈夫よゆり子ちゃん、ゆり子ちゃんは日本にいれるから」
ああ、それなら良かった。
安心したのも束の間、爆弾発言が投下された。
「ゆり子ちゃん一人にこの家は大きいと思って、許嫁の所に同居させて貰うことになったから」
にこにこにこにこ、笑ってるママとうんうん、と納得しているパパと。なんか話は丸く収まっているようだけど……。
「いいなずけ?」
「そう、許嫁!」
「ごめんママ、今日ってエイプリルフールじゃなかったよね、今日七月だよね」
「ゆり子、安心しろ。嘘じゃない」
いやいやパパ様、嘘じゃないことに安心するんじゃなくてですね。
「私、許嫁がいるの?」
大好きだったサーモンの後味なんて吹っ飛んでいた。
二人からあれ、と戸惑った雰囲気が漂う。言ってなかったっけ? なんて呟きが聞こえてきそうだ。
「ゆり子ちゃん、三歳の時には許嫁がいたのよ」
「え、誰?」
「パパの友人の子供だよ。社長のご子息だ、身元もしっかりしてる。確か、ゆり子の六つ上だったかな」
「海外留学もしてたんですって! 今回のことをパパのお友達に相談したらね、是非家にって仰ってくださったのよ!」
素敵よねえ、なんてママが言って家族会議は終わった。
今思い出しても信じられない。恋愛してたわけじゃないのが、不幸中の幸いとでも言うんでしょうか。