公爵令嬢のアルバイト 2
すぅーはぁー。
とある扉の前で私は深呼吸で気持ちを落ち着かせる。
ちらりと原稿の入った鞄を確かめ、そしてノックをしようと手を上げかけて………「きゅう!」足元から聞こえてきた可愛らしい鳴き声とふさふさした毛並みの感触に高速で足元に目をやって、ほにゃりと顔を崩した。
「ちびさん!」
そこには魔王さま………もとい借金取り……ごほん!いやいやイダイナル先輩であり、私の小説の編集から販売までを担当している東雲先輩の使い魔であるちびさんの愛くるしいお姿があって徹夜明けで死に掛けていた私の精神を一気にハイまでに跳ね上げた。
「どうしたんですかぁ~~~?極悪ご主人さまにいじめられて家出ですかぁ~~?そうですよね~~俺様の相手は辛いですよね~~~?よろしければ私のところにきますかぁ~~?貧乏ですけど精一杯おもてなしさせてもらいますよ!」
本当に、ちびさんみたいな頭もよくて性格もよくて外見も可愛くておまけに能力も高く素晴らしくて可愛い存在がなんであんな人を人とも思わない魔王さまの使い魔なんてしているんだろう。世の中は無情だ。非情だ。
私はしゃがみ込み、ちびさんのふさふさもふもふの毛皮を撫でながら魔王さまに対する不満をぶちまける。
「きゅう?」
ちびさんが不思議そうに首を傾げながら私を見上げた。
「きゅう?きゅう、きゅう!」
ちびさんの前足が私の服に置かれ、つぶらな瞳が私を見上げる。
ぐはぁ!見えない矢が百本ぐらい私の心を射抜きました!
鼻血、出しそう………。もふもふ!最高!可愛いは正義!!
果ての見えない萌に打ち震えている私を狙い済ましたかのように突然開け放たれた扉が直撃して、衝撃と激痛と共に私は廊下を滑った。ずざざざざぁぁぁぁぁとまるでマンガのような擬音とぶっ飛び具合である。そんなものをまさか自分が体現することになるとは思わなかったなぁ~~~。って!いたっ!衝撃が去ったら激痛がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!
「きゅう!?」
遠くからチビさんの声が聞こえたけど激痛でのた打ち回る私に反応するだけの余力はなかった。
のおおおおおおおお!!いたい!!目茶苦茶痛い!!
滂沱の涙を流しながら叫ぶことすらできない痛みに転げまわる私。私をそんな目に合わせた扉を開いた張本人は慌てて私の元へと駆け寄ろうとしたチビさんを軽々と肩に乗せると痛みを紛らわせるために廊下をひたすらにローリングしている私の背中を足で押さえつけた。
ぐぇ!
ひき潰された蛙のような声がのどから漏れる。
「よぉ~~~、何やってんだ?」
涙目で見上げれば秀麗な顔。なのに私には大魔王にしか見えない!
制服は肌蹴、鍛えられた肉体を惜しみなくさらしている青年は無駄な色気がムンムンだ。首元や胸元に残る口紅の後や気だるそうな空気が彼が何をやっていたのか如実に私に伝えてくる。
この色魔が!!神聖なる学びやでなにやってんのよ!
心の感ずるまま隠さず軽蔑の視線を送れば笑顔で足に更に体重をかけられた。ぐぇ!やばい、乙女としていや人間として出してはならない色々なものが出てきそうである。
じたばたと手足を動かし逃れようとする私を楽しげに見下ろす大魔王こと東雲先輩は無駄な色気を纏ったままグリグリと私の背中を踏みにじった。
「イタイイタイい~~~~た~~~~~い~~~~~~~~~~!!」
「人の悪口は言ってはいけないって小さな頃習わなかったのか?」
どうやら私がちびさんに言った言葉はバッチリ室内にまで聞こえていたらしい。だらだらと冷や汗を流す私をよそに東雲先輩はにっこり笑いつつ私の背中から足はどけない。
罰ですか?コレって罰ですか!!ここ公共の場ですけど!さっきから通り過ぎる人達がものすごい目で見ているのですけど!!羞恥?羞恥プレイなの!!っうか誰か止めろ!!大魔王の笑顔に頬を染めるな!その足元では容赦なく人を踏みつけているぞ!しかも頬を染めるのが女性全般と男八割ってどうよ!!男の残り二割は青ざめて逃げていくんだけどこの人なにやったの!!
内心の疑問や叫びは全部悲鳴と謝罪に変えられた。
グリグリと一通り背中を踏みにじられ罵倒された私は開放されたときにはグッタリとその場に座り込みたかった。
「これに懲りたら俺に逆らおうような言動はするなよ」
「は、ははははは………」
空笑いしか出てこないですねー。
「なに笑っているんだ?さっさと部屋に入れ」
「はいはい、わかってますよ~~~」
先輩に促されふらふらと部屋に入る。原稿のチェックとその後に待っている校訂という名の辛口批評を思うとため息が出るよ。
先輩の後を追って入った瞬間、鼻につく香水の香りと篭った空気に私の顔が引きつった。
おいおいおい~~~~!まさかのことの済んだ後のお部屋ですかぁ~~~~~~~?
唯一の幸いは女性がどうやらもういないことだけだ。それ以外は最悪。
皺くちゃのシーツには極力視線を送らないようにして素早く窓を開け放つ。ドアも全開にしてとにかく換気だ。換気!!
持てる力の全てを出し切り俊足で窓という窓を開け放った私に東雲先輩はニヤニヤと笑う。
「そんなにバタバタしたどうした?」
「デリカシーというものを学びなおしてください~~~~~~~~~~~~!!」
確信犯的に男女のあれこれを私に見せつけた鬼畜の襟首引っ掴んだ私は喉が裂けても構わないとばかりに絶叫した。
その後、笑顔で頬を力の限り伸ばされたのは当たり前の結果であった。
ペラリ、ペラリと原稿が捲られる度に床に正座させられた私は恐怖に肩を震わせた。
お茶くらい出してください。っうかせめて椅子に、椅子に座らせて!
そんなことを思いつつソファーで優雅に足を組み、紅茶の入ったティーカップを片手に原稿を読み進める東雲先輩の様子を固唾を呑んで見守る。
「ふん」
最後の一枚を読み終わった東雲先輩はゆっくりと原稿をテーブルに置くとにやりと笑う。
飛び上がらんばかりに肩を震わせた私に東雲先輩は口火を切った。
「スペル間違いが多い。ここの文法はおかしいだろう。あと、ここの主人公と仲間の会話はもう少し主人公側の心情を詳しく。そして………」
怒涛のごとく繰り出されるダメだしに私は「はい。ごもっともで」とただただうなだれるしかない。
言葉って、立派な暴力ね!
いつの間にか現れた赤ペンにより原稿の修正箇所が見る見るうちに増えていく。
「まぁ、校訂はこんなところだ」
「はい」
「締め切りは三日後だからな」
「え?あの……私、レポートの資料を集めた……」
「うん?なんだ?」
「イエ、なんでもありません」
しおしおとこれからの修羅場を思って私はがっくりと肩を落とした。
「さて、それじゃあ次の話について考えるぞ」
「あ、次回作ですね。一応、ざっと考えて………」
「ちょっと待て。今回はこちらから注文がある」
がさごそと鞄から設定について書いた紙を出そうとした私を手で止めた東雲先輩はそんなことを言い出した。
「注文、ですか?」
「ああ、次回作は恋愛重視でいくぞ」
「………れんあい………」
「大体お前は戦記ものだの友情ものだのコミカルだのには強いが恋愛描写はとことん避けてるだろう。男からの受けはいいが女子生徒からはいまいち反応が良くないんだよ。ここは一発女子受けのよさそうなものを出すぞ」
「はぁ………書けと言われれば書きますが………」
しがない債権者ですかね。私。借金返済のためならナンデモ書きますよ。ええ。グロだろうと怪物パニック小説であろうと!
そんな決意を固める私に楽しそうに先輩は頬杖をついて爆弾発言を投下した。
「ちなみに今、女子の間でブームなのはBでLな小説らしいぞ」
はい?
「いま、なんと?」
「お、これで通じるか。まぁ、いわゆる男どうしの………」
「あ~~~~!!説明はいいです!!わかります、わかりますから説明はいいです!」
その先を言わせてなるものかぁぁぁぁぁぁ!!と叫ぶ私。東雲先輩はやっぱり楽しそうに笑う。
「で、お前は書けと言われたらナンでも書くんだよな?」
「えっとそれは………」
できればそのジャンルはご遠慮したいなぁ~~~なんてははははっ!
「私、その手の知識がないので」
「お得意の妄想があるだろう」
「でも、あの、そのジャンルでどんなキャラが好まれているかとかわからないですし!」
「安心しろ。お前の身内をモデルにすれば売れる」
「私に家族を売れと!!」
「作家とは自分と周辺を売ってなんぼの仕事だろ」
いや~~~~~誰をモデルにしてもばれたらどんな目に合わされるかわからないぃぃぃぃぃぃぃぃ!!
だらだら汗を流しながら恐れ、おののく私に東雲先輩はやっぱり容赦がなかった。
「いいから、書け」
「い、やぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!むりむりむりぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」
後日、発売された新規開拓な小説は隠れ婦女子だちの間で爆発的な売り上げを叩き出し、末永く学院の女子たちの間で読み継がれていくことになるとは私も先輩も知る由もない未来の話だ。