3.神話の森
全ては一つの森から始まった。この“原初の森”から。
世界の始まるずっと前、世界と言うものはそこに無く、そこに横たわるようにあったのは、まさしく“無”だった。そして、その“無”から生まれたのが、我々の偉大なる原初の森だった。
原初の森は初めは一本の若木から始まり、まるで蠢くようにして瞬く間に樹海へと変化した。
原初の森の最初の一つの樹木のことを、そこから産み出された初めの人々は“母なる神樹”と、呼んでいた。
神樹は常磐木。大きくずっしりとしたその幹から無数に別れた枝々を木の葉が重みでしならせていた。
人々の心はいつも神樹と共にあった。
そして、それをとっくの昔に忘れて森を出たのが短命種。今もまだ忘れられずにいるのが長命種なのだ。
しかし、たとえどんなものであろうとも命さえあれば、神樹のその姿を見た瞬間、懐かしさと畏敬の念が込み上げると言う。それはもしかしたら、生きとし生けるものの全てが、神樹から生み出されたと言うことなのかもしれない。
「っふう…」
私は紙に走らせていたペンを置くと、小さく伸びをした。
戦災孤児の少年、もといアルトを拾ってから早くも半年ほどが過ぎようとしていた。その間にも、アルトは怪我が治ったそばからめきめきと成長している。
その成長速度は目を見張るもので、本人にそれを伝えたら、
「僕ちっちゃい方だよ?」
と、なんとも不思議そうな顔で答えられた。長命種と短命種では成長速度もそれに対する認識も違うのかとさらに驚かされた。
「肩凝った…」
やっぱり歳をとると長時間同じ姿勢でいるのはかなりきついらしい。私はすぐ傍に置かれた飲み物を一口飲む。今日のメニューはキノコ茶だった。
アルトを引き取ってからというもの、家事やらなんやらをかなり引き受けてくれるようになっていて、正直とても助かってる。
家事をしなくていい分だけ研究に割ける時間が長くなるし、今こうして飲んでいるお茶もアルトが淹れてくれたものだ。アルトのお茶の腕前が格段に上手くなっていて、私は舌鼓を打つばかりだ。
私は思い出してくすり、と笑った。
そういえば少し前までは、お茶淹れればすぐこぼすし、洗濯物は地面に落としてべちゃべちゃにするし、料理なんて謎の暗黒物質を生み出していた。
やはり、子供の成長は早い。何を考えても、結局はその結論に落ち着くのだ。
「若いってすごいなぁ…」
ー・ー・ー
僕は洗濯物を干していた。
二人分だけだし、毎日洗濯はしているしだから、そんなに量は多くない。だから僕は早々に干し終わった。
今日はとても心地の良い日だった。太陽が明るく森を照らし、木々は風に撫でられて歌うように揺れていた。
こんなにのどかな日は、のびのび走り回りたくなるのは仕方がないと思う。
というわけで、僕は走り回っていた。腕を振り回したりしながら、めちゃくちゃに走り回っていた。
彼女の家がある周辺は、少しだけ開けたようになっていて、程よく伸びた草が足元でさわさわと揺れている。
僕は姿勢を低くしてそれらを片手で撫でながら走っていた。
…この森に起きた異変に、気が付かないまま。
空が、曇りだした。
妙になまぬるい風が、僕の髪をざらつかせるように撫でながら抜けていく。
出所不明なじっとりとした汗が体に纏わりつき始める。
…何だか、嫌な予感がする。
僕は立ち上がると、彼女のいる家に向かって一直線に走り出した。
僕のめがみさまなら、守ってくれると信じていたから。




