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2.目覚め

「んぅ…」

 僕は目が覚めた。なんだか背中にふかふかとした感触がする。あたりにあった家はみんな崩れたはずなのに、ちゃんと綺麗な天井もあるし、鳥の囀りまで聞こえてくる。

 …ここは天国?

 なぜだかよくわからない状況に戸惑い気味になる。僕が死んだにしては、感覚がリアルすぎた。いや、前に死んだことはないからこれが死んだ後の感覚ってやつなのかもしれないけど。

「あ、起きた」

 木製の扉が開いて、女の子が室内に入ってきた。手には何か持っていて、ゆらゆらと湯気が立っていた。

 僕はぼけっとしたまま目線だけを女の子の方に向けた。

 彼女のキラキラとした真っ白な髪と、蜂蜜みたいな色をした目が、とても綺麗だと思った。でも、尖った耳の左耳が、先端を切り取られたようになっていて、少しだけそれに怖さを覚えた。

「君、気分はどう?痛いところはない?」

 彼女はゆっくりと僕が寝そべっているベッドに近づいてきた。その口元には混じり気のない優しい微笑みが浮かんでいた。

「…めがみさま?」

 僕は気がついたら呟いていた。僕にだってよくわからないまま。だけど、“めがみさま”の響きは彼女にぴったりだと思った。

 それにだって、めがみさまは僕を助けてくれるから。

「え?」

 彼女は戸惑うように目を見開いた。そして、どこか困ったようにこちらを微笑みながら見る。

 僕が悪いことしてしまった時のおばあちゃんの困った顔に似てるなと、思った。…おばあちゃんは僕が小さい頃に死んじゃったけど。

「ちがうの?」

 ぐらりと、視界が揺れたかのような錯覚に襲われた。

 めがみさまじゃないの?じゃあ、僕を助けてはくれないの?ねえ、なんでなんでなんで…

「えぇと、うーん…私はただの通りすがりの長命種だよ。でも、君の味方」

 ふわっと、暖かい風が僕の髪を撫でた気がした。

 その手つきは、彼女の見た目はまだ幼さの残る女の子なのに、どこか歳の離れた小さいものを愛しむような温かさに溢れていた。

 僕はほおっと、息を吐く。この心地良い温度に身を任せたくなった。

 彼女はベッドサイドに置かれた椅子に腰掛けた。彼女の膝の上で、お盆に乗せられたお椀のような何かからほかほかとした湯気が見える。

 だけど、僕には気になることがあった。

「ちょうめい…?」

 僕は思わず首を傾げた。聞いたことのない単語だったから。

「あー、“長耳”って言ったらわかる?」

「うん!」

 “長耳”は聞いたことがあった。でも、不思議だなと僕は思った。

 だって、“長耳”は森の奥で暮らす野蛮な亜人だって聞いていたから。目の前のめがみさまはとてもそんなふうには見えない。

「…私のこと気持ち悪いって思わない?」

 彼女が少し不安げに尋ねる。それに合わせて、彼女の白い絹糸のような髪がさらりと揺れた。琥珀色の瞳が彼を伺うように揺らめいた。

 …なんでそんなことを聞くの?

「ううん、助けてもらったもん!僕のめがみさまだよ!!」

 僕は心の底からそう言った。僕を助けてくれたのは名前も知らないめがみさまで、僕はそんな彼女をとても綺麗だと思った。

 彼女が否定しても、僕はまだ彼女をめがみさまだと思っていたし、そうあってほしいと願っていた。だって、めがみさまなら僕のことを助けてくれるはずだから。

 彼女は僕の言葉を聞いて呆気に取られたような顔をした後、みるみるうちに表情が変わって、遂には吹き出した。

「そっかそっか…めがみさま、か…」

 ひとしきり笑った後、彼女はふいに寂しそうな顔をした。

 その横顔はひどく寂しげでひどく懐かしげで、僕は思わず息を呑んだ。

 しかしそれはほんの一瞬だけで、彼女はすぐに元の顔に戻ると、僕にお盆に乗っていたお椀みたいなものを差し出した。

「とりあえずこれ、飲める?…体がぽかぽかするけど悪いものじゃないから」

 それは少しトロッとした液体で、色は乳白色。口に含むと、苦味を消そうとしたのか程よく変に苦味と甘味が混在していた。

 まるで、幸せの中に振った砲弾みたいな味だ…

 僕は一瞬だけ、頭の中が真っ白になった。

 あの日降った砲弾、誰かの悲鳴、鳴り止まない銃声。もうやめてくれと、涙で顔をべちゃべちゃにしながら何度も願った。…そして、大切だった何かを失った。何を失くしたのかも分からないままに。

 僕の心の中はぽっかり穴が空いていて、そこの隙間を埋めるように、めがみさまのくれた不思議な飲み物が満たされていく。

 不味いか美味いかで言えばめちゃめちゃ不味い。でも僕は全部飲んだ。

 いつもなら、苦い…って嫌そうな顔をするけど全部飲んだ。二回言うけど、嫌そうな顔をしないで、全部飲んだ。だって、めがみさまの前でかっこ悪いとこ見せたくないから。

「おいしかったです」

 僕は飲み終わると、彼女に丁寧にお椀を返した。すると彼女も妙にかしこまったようにして、

「お粗末様でした」

 と、言った。それがなんだかおかしくて、僕たちは気がついたらくすくす笑い合っていた。

 それじゃあもうちょっと寝ててね?と、言われたので、大人しくまたベッドに横になる。

 彼女は片手でお盆を持つと、すたすたと扉の方へ歩いて行った。

 僕はと言えば、唐突ながらも猛烈な眠気に襲われていた。どんどん瞼が重くなる。

 微睡む僕に、ドアに手をかけた彼女がふと振り返る。

「そういえば、君の名前は?」

 僕は半分夢見心地な気分のまま言葉を繋げていた。

「アルト…めがみさま、は?」

「      」

 彼女は口元だけで答えたように見えた。多分正しくは、僕がうまく聞き取れなかったんだと思うけど。

 “      ”

 なんて素敵な名前だろうと、思った。


ー・ー・ー


 “エルフィリア”

 手首まで濡らす水の冷たさが心地いい。小川から引いているこの清水は森で暮らす人々の癒しだ。

 私はお椀を丁寧に洗っていた。心に湧いてしまった雑念を押し流すように、洗い流すように。

 お椀の水を切る手がぴたりと、止まった。

「あの子の名前、アルトって言うんだ…」

 布巾でお椀の水気を拭う。木で作られたお椀は自作したものだ。と言うか、どれもこれもこの家さえも私自身が自作したものだった。

 森に住むものは森からほんの少しの恵みを得ながら生きるのだ。

「やっぱりこっちの方が性に合ってるのかな…」

 その瞬間、途切れ途切れなようになった記憶の切れ端が、走馬灯のように私の脳内をハイジャックした。

 “エルフィリア”と、誰かが私の名前を呼んだ。

 私の背中に、冷や汗が吹き出した。

「ひぁっ…」

 ずきんずきんと、心臓が大きく跳ねるにつれ同時に、私の頭痛はさらにひどくなる。

 怖い、怖い。もうあの時のことなんて思い出したくないのに。なのに、人々に求められる高揚も、掴まれた手首の圧迫感も、燃えて赤く染まった風景も、全部が全部、昨日のことのように瞼の裏に鮮やかに映り出す。

 私は片手で頭を押さえて、もう片手で小瓶を探した。その小瓶の中に入っている錠剤は、頭痛を和らげる効果がある。

「っふぅ、…」

 効果が絶大な分、中毒性も半端ないのだが、そんなもの気にする必要もなかった。

 もうずっとずっと服用し続けすぎて、なぜたかわからないが耐性がついてしまったのだ。中毒性は下がったが、その分効果も薄まってしまった。

 私の人生は驚くほど長いから。短命種の言う“永遠”を一人で歩んでいかなくてはいけないから。

 それなのに、もう歴史にすら残っていない昔の昔に起きた出来事に、今も私は取り憑かれている。まだ区切りをつけられないでいる。

 当時の私を、当時の出来事を、詳しく知るものが私以外にいなくなった今も、まだ。

 …永遠を生きる私が過去に囚われているなんてとんだ笑い話だ。

 私は力なく笑うと立ち上がった。いつまでも過去に足を取られている暇はない。私には直近のするべきことができたのだ。

 あの少年の、アルトの、怪我を治してみせるのだ。

 私の人生の一瞬はあの子の人生のどれくらいを占めるのだろうか。

 長命種を憎む短命種であろうと関係ない。命の長さ以前に、あの子は子供なのだ。種族で分けて考えて子供を見捨てるのは、私の信条に反する。

「やるしかない」

 だけど私は知っている。

 この信条さえも、昔の昔のそのまた昔に、とある人に植え付けられたものであることを。…私の耳の一部を刈り取った、他ならぬその人であることを。

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