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1.出会い

 気がついたら、一人になっていた。

 僕は一人立ち尽くして、あたり一面煤けてしまった世界を受け止めきれないでいた。

 脆く崩れた家々と何処か血生臭い匂いが、あたりを満たしていた。ほんの微かに聞こえる誰かの泣き声みたいな着弾音と、雄叫びみたいに轟く銃声。

 ああ、ここは地獄だと、ぼんやりした頭で僕は理解した。

 僕の右手は左腕と、手を繋いでいた。…そう、“左腕”と手を繋いでいた。

 この左腕は、肘より先が吹き飛ばされて無くなったのだ。僕が左腕より先に何があったかも思い出せなくなるほど、強烈で鮮明な殺意の“流れ弾”を受けたから。

 僕たちは何も悪いことをしていない。ただ普通に、毎日を和やかに過ごしていた。それだけなのに。“流れ弾”で奪われる暮らしなんて、何のためにあるのか分からない。…何も、悪いことなんかしてないのに。

 陽が、傾いてきた。影が伸びて、闇が深まり、この惨状を隠そうとする。

 許せるはずもないそれを止めようと足掻くだけの気力は、もう僕には無かった。だけど、せめてもの抵抗と言わんばかりに左腕の手のひらを握りしめ、瞬きもせずに、黒く沈んでいく地面を、ただ見つめていた。

 なす術もなく陽は落ち、あたりは闇に包まれていた。時折聞こえる争いの音は、もはや秋虫の鳴き声のように感じて、気にも止まらなかった。

 もう、へとへとだった。怒りも悲しみも喪失も、全て走り抜けて通り越したその先にあったのは、“無”だった。ただ全身にのしかかる妙な重だるさが、まだ生きていると言うことを教えてくれた。

 これから、どこに行こう?これから、何をしよう?

 僕の手を引いて教えてくれていた誰かはもう、いない。

 これからの全てを自分で決めていくにしては、僕は幼すぎた。何も考えたくなかったし、何も考えられなかった。

 僕が動けないままに時間は着々と経っていって、その間ずっと、僕は立ち尽くしたままだった。

 お守りのように“左腕”を抱きしめながら。


 握りしめた“左腕”から、微かな腐臭が漂い始めたことが、確かな時間の経過を仄めかしていた。

「おなか、すいた…」

 頭も痛いし、全身も痛い。髪はボサボサで、“左腕”には蝿がたかっていた。

 それなのに僕の口から出てきた言葉は、酷く幼くてか細くて、自分でも少しびっくりした。

「ぅぁ…」

 僕は気がついたら地面に倒れ込んでいた。微かに土埃が舞って、手のひらから“左腕”が転がり落ちた。

 “左腕”を拾いたい衝動に駆られる。それに縋り付いて泣き出したい衝動に駆られる。けれど、もう僕に動けるだけの余力は無かったし、随分前に僕の涙は枯れ果てた。

 …ああ、僕はここで死ぬのか。

 目を瞑った。僕を覚えている人も、僕が覚えている人も、等しくここで息絶えるのだとあやふやながらも理解した。生き残った人も等しく死んだ。自分を覚えている人がいないのだから。

 僕の瞼の裏にぼんやりと誰かの影が近づいてきた。それはとても眩しく、きらきらとしていた。

 ふと、なんだか女神様のように見えた。

 …ああそうか。僕はあなたを待っていたんだ。ずっと、ずっと…。ちょっと待ってよ。ねえ、これからどこに行くの?僕も、僕も連れて行ってよ…


ー・ー・ー


 近くの村が“あれ”の被害に遭ったらしい。町の中はそんな噂で溢れていた。

 私はフードを目深に被り、通りを歩く。ちらちらと横目で町を見渡しながら、さりげなく警戒をする。

 基本的には綺麗にされているが、そこかしこには崩れたままの建物や道端に座り込む物乞いがちらほら。

 この地は、人間と亜人の戦争地帯のすぐ近く。

 最前線の森の入り口の少し後ろにある町だ。最近は専ら軍の補給地として利用されているみたく、栄えていた。

「…どちらかと言えば、人間が亜人に粉をかけているだけなのだけれど」

 と、考えてしまうのは、私が亜人だからだろうか。

 それに、私たちは“人間と亜人”なんて呼び方をしない。“短命種と長命種”と呼ぶのだ。この二つは元々、同じ種族だったと言うのに、短命種はそれを過ぎていく時間と世代の中で忘れてしまった。今尚長命種たちは、短命種を別の種族と認識できていないと言うのに。

 昔はどちらも互いに友好的で、短命種は長命種の住む森への不可侵を誓い。長命種は短命種の文明の発展の手助けをしてきた。

 それが今や…

「変わっちゃったな…」

 めきめきと急発展する短命種の文明に合わせて、長命種は森の奥へ奥へと追いやられるようになった。かつては良き隣人だった、短命種たちの手によって。

 過ぎていく時の流れに対する感覚のズレのもどかしさと同時に、ほんの少しの寂しさが込み上げる。

 すると突然、大きく風が吹いた。通りを走り抜ける、大きな大きな風が。

「ひゃぁっ」

 被っていたフードが思いっきり捲り上げられる。それと同時に、隠していた私の長い白髪と琥珀色の瞳が曝け出される。長く尖った耳が露わになる。

 しかし、私の左耳は何かに切り落とされたように半分ほどの長さでぶつ切りになっていた。

 私は急いでフードを被り直す。が、遅かった。一瞬で和やかだった通りは凍りつき、鋭い視線が私に突き刺さる。

「なんで“長耳”が俺らの町にいるんだよ!」

 皆が口々に罵詈雑言を喚き始める。怒り、蔑み、非難、罵倒。全ての棘が、悪意が、私の息の根を止めようと向けられる。

「森へ帰れ!!!」

 突然私を避けるようにできた人垣から、私にめがけて腕が伸びてきた。手のひらからも伝わる、酷く込められた憎しみと嫌悪。

 …私は彼らに、何もしていないのに。

「ひっ…」

 私は息を呑んで身構えた。

 ころ、される…


 私は恐る恐る目を開けた。辺りの匂いと雰囲気が急に変わったように感じたから。まるで、別の場所に来てしまったかのような…

「やってしまった…」

 仄かに舞う土埃に跡形もなく崩れた家々。ここは紛れもなく、先程までいた町とは違う場所だった。

 転移魔法。一言で言えばそれだ。もう少し詳しくするならば、転移魔法を応用した防御魔法。発動主が危険を察知したらすぐさま魔法が発動し、一定範囲内の場所にランダムで飛ばされるのだ。この魔法は、精密性を捨てたお陰で発動速度が他の魔法と比べ格段に速い。まさに一時的な危険から身を守るためだけの魔法だ。

 ずきんと、一瞬だけ左耳が痛んだ。思わず私はそっと押さえる。

 …この左耳を切り落とされた後から、私の防御魔法はより複雑さと発動速度が桁違いに上がった。

 私は少しだけ苦笑気味に笑う。

 どれだけ長い時間を生きて、こんな一生にいくら愛想を尽かしただろうか。それでも、幸か不幸か、私はまだ死ぬのが怖いらしい。

「おや?」

 誰もいないと思っていた焦土の中に、小さい人影が見えた気がした。それは、力なく数度左右に小さく揺れた後、ぱたりと倒れ込んでしまった。

「子供…!?」

 私は急いで駆け寄る。走っている勢いでフードがまた捲れてしまったが気にしない。そんなことに構ってる余裕など無かった。

「君、大丈夫!?」

 私は子供の横に跪く。子供は小さく呻いただけで目も開けずに地面に寝そべっていた。今にも生き絶えそうな弱々しい様子とは裏腹に、目立った外傷は特に無さそうだった。

 …誰かに、庇われたのだろうか。

 しかし私は考え事をしている余裕など無かった。子供に応急処置を施して運び出す。

 親代わり程度には、なれるだろうか。

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