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冬萌

作者: あじゃじ
掲載日:2026/03/27

 それは本当に、本当に寒い冬だった。現在進行形で降り積もっていく雪の中を懸命に歩いた。突き刺ささる冷気が痛い。極限まで冷えた指には曲げるだけの力すら入らない。こんなことなら、手袋を持って来れば良かった。意識を逸らそうと、考えるのは自分の姿。高校に進学して二年の月日が過ぎようとしているけれど、将来像がこれっぽっちも見えていない私の事。少しずつ重なって、人々が生活した跡を消そうとする雪へ、もう一度同じ跡をつけながら前に進む。

 これといった趣味の無い人生だった。それなりに好きなものはあれど、趣味という言い方をするのには抵抗感が拭えない、その程度のもの。自己紹介の度に音楽や読書といった当たり障りのない解答で誤魔化してきた。しかしその無難さで大学が決まるかと言われれば、そうじゃない。進路の決定。それが私に与えられた課題だった。

 真っ白に染まった景色が私を襲う。加速していく、心に穴が開いたような感情を、私は知らない。悲しさではない。だって、悲しいことなんて何もないから。孤独感でもない。だって、孤独は人がいてこそ感じるものだから、最初から独りだった人には関係ない。漠然とした迷路に放り出された私が感じているのは、薄暗い色の何かだ。

 ただ、出口を探していた。好きな教科も、嫌いな教科も、得意不得意だって目立ちはしない。そんな平凡な私に、教師たちは一体何をさせたいのだろうか。どんな答えが正解なのかがわからない。一色の中をさまよい続けた。

 散歩は良い。他の人や環境に邪魔されず、一人の時間に浸ることが出来る。この時期は寒いのだけが玉に瑕だけれど。いつもの道とはあえて違う道を選ぶ。何か得るものがあるのではないか、と貪欲にあたりを見る。枯れた木の上に積もった雪。まだ丈夫に成り切る前に冬を迎えてしまった枝へ、猛攻を仕掛けている。だんだんとたわんでいく様子に、意識を寄せる。

 ゆっくりとその身にかかる重圧で壊れていく。その姿は数か月後の私かもしれない。それとも、気がついていないだけで、今もなのだろうか。果たして私は、投げかけられた問いに満足いく答えを出せるのか。雪が解けきるまで耐えることが出来るのか。ポキッと小さな音を立てて雪と共に落ちた枝を眺めながら、そんなことを考えた。

 ふと、泣き声が聞こえてきた。凍えながらも、必死に助けを呼ぶ女の子の声。お兄ちゃん、と繰り返し叫ぶ様子は痛々しいものがあった。関わるつもりは無かったのに、気がつけば声の主を探していた。

 少女は、進行方向そのまま歩いた先の公園にいた。小学校にも上がらないくらいの女の子だ。水色のスキーウェアを着て、雪が積もったベンチに腰掛けている。雪遊びに最適な恰好をした少女は、素の両手を擦って白い息を吹きかける。地面に着かない足をふらふら動かしながら、泣き続けていた。

「どうしたの?」

 私は少女の前にしゃがんだ。出来るだけ怖がらせないように、精一杯穏やかな笑顔を浮かべる。少女は一瞬、困惑した表情を見せて泣き止んだ。何故だか、安心も混じっていたように思う。しかし又すぐに泣き出してしまう。今度はただ泣くだけ。兄を呼ぶ声は消えてしまった。私は少女の両手を握るように包み込んだ。お互いに冷えた手だ。それでも少女の方がほんの少しだけ熱を帯びていた。

 少女はもう一度泣き止むと、今度は笑い出した。安心してもらえるように動いた結果とはいえ、なるほど子供の感性は謎だ。笑ってくれたとはいえど、ずっと泣いていたからか息が切れていた。私は手を放さずに、じっと待った。少女が落ち着いた頃にもう一度問いかける。言葉は途切れながらだったけれど、意図は伝わってきた。

 兄と母から頼まれたおつかいに来ていたという事。いつも少女が買い物中退屈そうにしているから、近くの公園で遊んでいるように言った事。偶然、そこにいた少女の友達が先に帰ってしまって、寂しかった事。仕方がないから一人で遊んでいたら、兄からの誕生日プレゼントで貰った手袋を失くしてしまった事。残された喪失感が少女の孤独をより強いものにしたからこそ、涙が溢れたのかもしれない。そうやって予想は出来れど、私に理解や共感はできない。

「お姉ちゃん?」

 少女はそう呼びかけた。現実から逸れかけていた思考が戻ってくる。私は握った少女の手をそっと放す。すると少女は、また涙を流し始めそうな顔をした。宙を掴む少女の片手を、私は両手で握って思い切り引っ張った。下にあった重心が急激に動いたことで、少女は着地をするのにフラつかなければいけなかった。しかしそんなことお構いなしに私は言う。

「手袋、探すよ」

 自分で想定したよりもずっと力強い声になってしまった。怖がらせてしまったかと少女を見る。心配は杞憂で終わった。失くした時の状況は少女から聞いている。とはいっても、正確性があるわけではない。友達と夢中で遊んでいたらいつの間にか失くなっていた、と言っている。だからとにかく、しらみつぶしに探すしかない。

 私たちは隣に並んで捜索を開始した。最初は手分けをしようとしたけれど、少女がそれを嫌がった。行かないで。そう訴えた。ただでさえ、兄に置いて行かれて寂しいところに、私は追い打ちをかけようとしたのだ。

 冷えた手を交わらせながら、私たちは公園中を練り歩いた。公園には足跡が多すぎて、少女のものを追うのは困難だった。真っ白な雪の中だ。手袋があれば目立って仕方ないだろう。それでも隅から隅まで、見落としが無いように目を凝らして探した。

 雪が勢いを増す。公園を一周したけれど、手袋は見つからなかった。少女はまた、泣き出しそうだった。もう一回見てみよう、と声をかけた。少女は力なく頷いた。けれど何度見ても手袋は見つからずに、白い粒が層を作るばかりだった。

 何周したのか、数えるのを止めた頃。体が少しずつ温まってきた頃に、私たちは一つの山と向かい合った。公園の一角に聳え立つその真っ白く大きな出っ張りは、ずっとそこにいたにも関わらず、私たちを自然と遠ざけた。残すところはもうここしかないと、覚悟を決めた。

 少女は未踏の雪山に勢いよく登って行った。私は雪に耐性のあるズボンを履いていなかったから、少女が踏み固めた足場を辿っていった。それでも少女と私では体格差がありすぎる。私のズボンの裾と靴が濡れてしまうのは、この山を前にした時点で必然だった。

 それでも私は頂上を目指した。手袋を目指して足を動かす。そこにあるかもわからないゴールへ到達しようと志を決めた。それに、少女を独りにすることは出来ない。孤独に怯えて迷う子供を、救える人間で在りたかった。この人助けは私自身のためだったことに、今更気がついた。

 善意ではなかった。私の良心が何か訴えたわけではなかった。むしろ私の計算尽くの狡猾さが、この状況を引き起こしたのだ。それを知っても尚、私は悪い気がしなかった。それが正しい在り方で、人間らしさというものだと処理をする。

 果てしなく感じた小さな登山は、少女が行動を停止したことによって終わりを迎えた。少女の目線の先には、スキーウェアとお揃いの色をした手袋が落ちていた。すっかり雪だらけになってしまっていたけれど、見落とさなかった。

 少女は足場が積もったばかりで固まりきっていない雪なのも忘れて、飛び跳ねた。少し姿勢を崩しながら自分用の喜びを噛み締めると、私へ抱き着こうとする。自分よりもずっと軽いはずの重さは質量以上の何かを持って私のもとへやって来た。

 下山はあっという間だった。一度辿った道をなぞるだけの簡単な作業だ。むしろ手間取る方が難しい。少女は来た道なんて関係ないと、駆け下りていった。恐れを知らない無邪気な子供だ。ついさっきまで悲しみに暮れて泣き叫んでいたとは、とても思えない。すっかり元の調子に戻ったようだ。

「お姉ちゃん、ありがとう!」

 少女は赤さの残る目をしっかりと見開いて、真っすぐ私を見た。それは大人になりかけた私には強烈な光だった。偏見と先入観で他人を推し量り、捻くれた考え方ばかり身に着けてしまった私が、かつて持っていたもの。あの頃のような世間知らずに戻りたいとは思わないけれど、心打たれるような素直さ。

 大切そうに手袋を抱える少女が、公園のベンチに腰掛けている。その隣には雪で濡れることを厭わずに、座る私がいた。私は少女の話を聞いた。幸せそうな家族の話に憧れを持って、耳を傾けた。私は少女に話をした。学校とはどんな場所なのか。世の中を知らない少女は、終始目を輝かせていた。

「美雪!」

 遠くから誰かの名前を呼ぶ声が聞こえた。声変わりが終わった後の、低い男の人の声。少女はその声に呼応してベンチから勢いよく立ち上がり、どの瞬間よりも力強く白い大地を蹴った。男は少女が全力を出したタックルを食らっても、よろけずに受け止め切っていた。

 察するに少女の兄なのだろう。少女を思うが故、孤独にして泣かせた張本人。私は正直言って、少女の兄に苛立ちを感じていた。まだ幼い妹を、友達がいたからと言って目を離すのはどうかと思うのだ。実際、少女は友達が帰ってしまった後、独りの世界を怖がっていたのだ。

 そうやって、考えるだけ考えて心の中に仕舞う。私は飽くまで通りすがりの部外者だ。それを忘れてはいけない。無事に兄妹が合流出来たのだから、早々に立ち去ってしまおう。私は彼らが近くにいない方の、一つ奥にある出入口へ向けて歩いた。彼らの横を通過しようとした時、少女が私の手を掴んだ。

「お姉ちゃん!」

 そのまま立っていては合わない視線のために、私はしゃがみ込んだ。そうして合った背丈の天辺に、微笑みながら優しく手を置く。ちょっとずつ動かされるその手に、少女はくすぐったそうな笑みを浮かべた。少女の兄はその様子を驚いた様子で見ていた。そして、動かしていた手が止まる。

 彼に近づいて初めて気が付いた。私が友情を育んだ少女の兄とは。苛立ちを覚えた相手とは、私のクラスメイトだった。お互い同じ中学校から進学したのだからある程度、生活圏が被っていることは予測したけれど、まさかこんな出会いをするとは思わなかった。それにしても、相手が悪い。もしこれがクラスの中でもあまり目立たないような、平凡な生徒であればどれだけ良かったか。

 芸能人かと思う程の圧倒的な認知度と人気を誇り、文武両道な彼のことを知らない生徒は私の学校にはいないだろう。制服ではない分服装は楽なもので、いつもと受け取る雰囲気も異なった。非日常な特別感に満ちたこんな場面を、彼のことを好いている人たちに見られたら最悪だ。明らかに、頬が引き攣っていく。少女に対して向けていた、自然体で穏やかな笑顔はもう無かった。

「妹が世話になった。ありがとう」

 真っ白な頭に突き付けられたのは、単なる感謝だった。何の変哲もない言葉だ。それが何故だか、嫌に私の胸を動かした。少女から受け取ったものとはまた違う何か。この感情の名前を、在りかを私は知らない。

「いいえ別に、大したことはしてません。次は買い物、連れて行ってあげてください」

「そうする。美雪に声をかけたのが、あんたでよかった」

 少女の頭から手を下ろし、しゃがんだまま膝の上で腕を組む。目も合わせないまま言った皮肉は、それ以上の威力を伴う誠実さで返された。想定外の返しへ更に続ける言葉もなく、そこで会話は止まり、私は硬直したままでいた。

「じゃあまた、学校で」

 そう言って彼が少女の手を取って公園を出ようとした時、少女がまた私の手を掴んだ。彼は困った顔で少女を見る。降り続ける雪は勢いを増している。兄としても、なるべく早く帰宅したいのだろう。私からもそれをお願いしたい。

「お姉ちゃんも一緒がいい!」

 少女は私たちの思惑を全て飛び越えてそう言った。私たちは、似たような顔をしていたと思う。しかし妹の我儘を聞くのも兄の仕事。ただでさえ、ご機嫌を一度損ねている姫の言う事は実現させたい気持ちもあったのだろう。彼は私に同意を求めてきた。

 少女は私たちの反応を見て、手袋を探していた時のような不安そうな表情を浮かべた。私は結局、少女の提案を断れなかった。私が頷くと少女は満足そうな顔を浮かべて、抱えていた手袋をスキーウェアのポケットに仕舞った。私は覚悟を決めて立ち上がる。すると少女の片手は私の手を握った。もう片方には彼の手のひらがあった。

「手袋はいいの?」

「こっちの方があったかい!」

 たしかに、少女の手は温かい。手袋を捜索した時にお互い温めあったから。だけど温かさの原因は、きっとそれだけじゃない。一人分の隙間を開けた先にいる彼は、楽しそうに公園での話をする少女を見ている。学校では見ないような穏やかな表情。少女越しに繋がる彼の体温が、私にまで伝わってくるようだ。

 そうして、私の世界に少しの色が差した。

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