9話 英雄の影に寄り添う夜
夜の静寂が、テントを包んでいた。
遠征隊は眠りにつき、アルトさんもようやく剣を置き、肩を落として座っている。
私はそっと、彼の隣に座った。
手を握ると、わずかに温かい。
先程の戦闘での兵士の死。勇者を庇ったあの名も無き一人の命――胸に焼きついた痛みがまだ消えていない。
「……アルトさん」
声が震える。
彼は私に視線を向け、疲れ切った顔で小さくうなずいた。
「リナ……」
その声のか細さに、胸が締め付けられる。
勇者という立場の重さ。失った命の重さ。
すべてを一人で背負わなければならない孤独。
その背中を、私はただそっと見守るしかない。
「今日の、あの兵士……」
言葉を飲み込み、代わりに小さく息をつく。
アルトさんは手元を見つめ、肩をわずかに震わせる。
英雄の光や威圧は消え、そこにはただ、一人の青年が疲労と不安に押し潰されそうになっている姿だけがあった。
「俺が、この世界の勇者でいる意味って……」
肩の力が抜け、声がかすれる。
私は無言で、ランタンの光に手をかざすようにして、そっと彼の肩に手を置いた。
あの兵士の死を悼む心も、勇者の孤独も、私たち二人だけが知っている――そう思うと胸が締め付けられる。
外では森のざわめきがテントを揺らし、遠征の緊張感を運ぶ。
息を吸うたび、あの兵士が最後に勇者を庇った瞬間の映像が脳裏をよぎる。
血の匂い、砕けた鎧の音、そしてそれを無表情で受け止めるアルトさん。
「アルトさん……弱音を吐いても、いいんですよ」
自然に口をついて出た。
アルトさんは驚き、目を見開く。
「……でも、俺は勇者だ。泣いている場合じゃない」
弱さを見せることへの葛藤と使命感が混ざった声。
でも私は、アルトさんも人間だとわかる。
疲れて、迷っているということを。
「泣かなくてもいいです。でも、ため込まないでほしいです」
私の言葉に、彼は一度だけ大きく息を吐いた。
肩の震えが少し和らぎ、疲労の影が少し薄れた気がした。
アルトさんは視線を落とす。
ランタンの淡い光が頬に反射し、剣や鎧ではなく、ただ疲れ切った自分自身を映している。
英雄である以前に、一人の青年であるその姿を、私は胸に刻んだ。
「……リナ」
アルトさんの声は少しだけ震えている。
「ありがとう」
その一言に、世界の重さがほんの少し軽くなった気がした。
勇者は確かに強い。
でも、時には弱さを見せてもいい――その事実を知れたのは、私だけの特権かもしれない。
私はそっと彼の手を握り直す。
言葉は交わさない。けれど、互いの存在が、ほんの少しだけ支えになっていることを感じる。
胸の奥で誓った。
この世界で、背景として消えていく人々の命に、少しでも意味を与えられるように。
悲劇に、ほんの小さな光を――私が置くことができる光を。
ランタンの光が二人の影を長く伸ばす。
森の夜風が静かに吹き込み、遠征の明日を告げるように葉を揺らす。
ただ隣にいるだけで、少しだけ強くなれる――そう思った。




