8話 勇者を庇う犠牲
兵士が一人死んだ。
だけど、そんなことで遠征の予定は覆らない。
きっと、勇者や聖女にはこの犠牲は伝えられてもいない。
物語の端役というものは得てしてそういうものだ。
けれど、違和感がぬぐえない。
ロイドさんを含めたあの事故の現場にいた兵士、その人達すらも平然とした顔をしているのだ。
目の前で仲間が一人死んだにも関わらず、だ。
ノアさんの言うとりこの世界が“物語”ならば、モブ兵士の死などを悼む場面などなくても当然だろう。
だけどあの人は確かにこの世界で生きていたはずだ。
「リナさん、どうかされましたか?」
「エリシアさん……」
なんでもないです。と言葉を続けようとして――止めた。
「あの、ご迷惑じゃなければ、祈りを……捧げてくれませんか?」
「祈り、ですか?」
「ええ、今回の遠征に参加した全ての人達への祈りを」
誰も死者を悼まない。
だけどほんの少し、ほんの少しだけ救いがあってもいいと思ってしまった。
だから、エリシアさんにお願いした。あの兵士を含めた“全て”の人達への祈りを。
「そうですね。では皆で無事に帰ってこれるよう旅の安全を祈りましょうか」
エリシアさんは優しく微笑むと、ゆっくりと手を組んだ。
実際には何も起きてはいない。
だけど、キラキラとした光が舞い散るような感覚があった。
これが、聖女の祈り。
その光景に圧巻されてごくりと息を飲んだ。
“全員”で帰ることは、もう、叶わないけど。
あの兵士が少しでも安らかであればいいと、私もそっと目を伏せた。
遠征隊は谷を越え、森の奥深くへ進んでいた。
静かな朝の空気は、逆に不穏な気配を孕んでいる。
突然、木々の影から魔物の奇襲が飛び出した。
兵士たちが剣を構え、アルトさんは先頭で敵を迎え撃っていた。
その瞬間、頭の奥でざわつく感覚があった。
直感――誰かが、この戦闘で死ぬ。
「いやだ!」
反射的に駆け出していた。最も危険にさらされそうな兵士の方へ、足を伸ばす。
だが――腕が宙で止まる。足がもつれる。心臓が跳ねる。
どうやっても届かない。
「……くっ!」
ロイドさんの時とは違う。どうしても直接的に介入できない。視線だけが、目の前の未来を見通す。
魔物の爪がアルトさんに振り下ろされる。
その瞬間、若い兵士が体を投げ出した。
――アルトさんを庇って。
鈍い音。悲鳴。膝が崩れた。
胸の奥が締め付けられる。この世界は勇者を守るために犠牲を差し出すことすら躊躇しない。
倒れた兵士――名も無き一人。血が地面に滲む。
アルトさんは無事。エリシアさんの魔法も間に合った。周囲の兵士たちは、あたかも何事もなかったかのように戦闘を続けている。
呆然とした。何も出来なかった。
「……変えられない。これが正解だとでも言うつもり?」
世界は勇者を守った。
――だが、それと同時に、背景の犠牲は絶対に避けられないことを、嫌というほど思い知らされた。
ノアさんの冷静な声が背後から響く。
「君が動こうとしても、この世界はそれを許さない」
振り返ると、ノアさんは手帳を閉じ、静かに戦況を見守っていた。
「世界は勇者を中心に回る。それを変えることは、簡単ではない」
兵士を止められなかった無力な手が、まだ微かに震えていた。
だが胸の奥で、決意が芽生えている。
「……いつか、この世界の犠牲を、少しでも減らしてみせる」
モブとして消費される運命。
でも、少しずつ、背景に揺らぎを生み出すことはできるはずだ。
血に染まった兵士を目に焼き付け、そっと立ち上がった。
世界は強い。でも、諦めるわけにはいかない。




