4話 聖女は笑い続ける
彼女はいつも笑っていた。
朝の祈りのときも。
食事のときも。
兵士に声をかけられたときも。
疲れているはずの夜ですら。
ずっと、同じ微笑みだった。
雑用係にもすっかり慣れてきたころ、私の仕事に聖女の世話係が追加されることになった。
同じ転生者でしかも同性。
聖女が少しでも心休まるようにと配慮した結果らしい。
「リナさん、こちらを運ぶのを手伝っていただけますか?」
柔らかな声に呼ばれ、そちらに視線をやるとエリシアさんが積み上げられた木箱を指差していた。
「はい、もちろん」
近づいて箱を持ち上げると、思ったより重かった。
「これ、全部薬草ですか?」
「ええ。回復魔法だけに頼るのは良くないと教わりましたので」
そんなところは、ちゃんと現実的だ。
少しだけ意外だった。ファンタジーの世界の聖女が薬草を使うなんてイメージがない。
ああ、でも。モブに与えるのには回復魔法は贅沢すぎるかもしれない。
二人で倉庫へ向かう。城の廊下は広くて、足音がよく響いた。
沈黙が続く。
気まずいわけじゃないけれど、何を話せばいいのかわからない。
同じ異世界召喚された仲間だけれど。住んでいた世界は明らかに違うだろうし、共通の話題なんて見つからなかった。
「リナさんは、元の世界に帰りたいですか?」
突然の質問だった。
「え?」
エリシアさんは前を向いたまま歩いている。
「私は……まだ、よくわからないんです」
ともすれば聴き逃してしまいそうな、小さな声だった。
「聖女だと言われても、実感がなくて。皆さんが期待するほど、立派な人間じゃありませんし」
彼女は少し笑った。
でもその笑顔は、いつもの微笑みとはどこか違っていた。
「怖いですか?」
気づけば、そう聞いていた。少しだけ踏み込みすぎたかもしれない。でも、目の前の彼女があまりに儚く見えたから。
エリシアさんは驚いたように目を瞬かせる。
それから、ほんの少しだけ間を置いて。
「はい」
迷いのない返事だった。
「失敗したらどうしようって、ずっと考えてしまいます」
「でも、みんなエリシアさんを頼りにしてますよ」
「だから怖いんです」
廊下の窓から光が差し込む。
彼女の銀髪が淡く光った。
「期待って、優しい形をした命令みたいで」
その言葉に、胸が少し痛んだ。
異世界から突然こちらの世界にやってきて、聖女だともてはやされて。不安にならない理由がないじゃないか。
でも、周りはそれを許してくれない。
「笑っていれば安心してもらえるから、笑っているんです」
エリシアさんはそう言って、また微笑んだ。
今度は完璧な聖女の笑顔。
でも今は、それが仮面みたいに思えた。
気づいたら、私は言っていた。
「……無理に、笑わなくてもいいと思います」
自分でも驚くほど自然に出た言葉だった。
エリシアさんが立ち止まる。
「え?」
「その……私は、誰にも期待してないので」
「それはそれで少し寂しいですね」
「違います。そうじゃなくて」
慌てて言い直す。
「エリシアさんが聖女じゃなくても、別に困らないって意味で」
言ったあと、余計に失礼だったかもと焦る。
でも――エリシアさんは、ぽかんとした顔をしたあと。小さく、吹き出した。
「ふふ……」
初めて聞く笑い方だった。
作られていない声。
「そんなこと、初めて言われました」
「すみません。変なことを言いました」
「いいえ」
彼女は首を振る。
そして少しだけ、肩の力を抜いた。
「リナさんといると、不思議と息がしやすいです」
その言葉に、なぜか胸が温かくなる。
倉庫に着き、箱を下ろす。
薬草の匂いが広がった。
「……秘密ですよ」
エリシアさんが小声で言った。
「私が弱音を吐いたこと」
「もちろんです」
「勇者様にも内緒にしてくれますか?」
「はい」
少し考えてから、彼女は微笑んだ。
聖女としての笑みじゃなく、エリシアさんとしての笑みで。
「リナさんといると、何だか安心できますね」
その瞬間。
空気が、ほんの少しだけ揺れた。
視界の端で、光が歪む。
誰かがページをめくったみたいに。
頭の奥に、知らない声が響いた気がした。
――修正対象外を確認
「……え?」
「どうかしましたか?」
「い、いえ。なんでも」
心臓が早くなる。
今のは、空耳?
倉庫を出ると、遠くで勇者を持て囃す声が聞こえた。
また物語が進んでいく。
決められた役割どおりに。
エリシアさんはいつもの聖女の笑顔に戻り、手を振って去っていった。
一人残された私は、しばらくその場に立ち尽くす。
「……修正対象外って、なに」
答える人はいない。
けれどなぜか――聞いてはいけないことを聞いてしまった気がした。




