3話 聖剣の儀
翌朝、城は朝から騒がしかった。
廊下を行き交う兵士の数がいつもより多い。侍女たちも落ち着かない様子で、小声の噂があちこちから聞こえてきた。
「今日らしいぞ」
「聖剣の儀だって」
「先代の勇者以来だ」
私はパンの入った籠を抱えながら、その間をすり抜ける。
目的地は儀式会場――ではなく、その横の控え室。
補給係の仕事は簡単だ。
英雄が万全でいられるように、裏側を整えること。
目立たず、静かに。
控え室の扉を開けると、そこにはアルトさんがすでにいた。
椅子に座り、手元をじっと見つめている。
「朝食、持ってきました」
「あ、ありがとう」
声が硬い。それに少しだけ震えている。
緊張しているのがすぐ分かった。
でも、それには気付かなかった振りをして、テーブルにパンとスープを並べる。
緊張している人間に、緊張してますか? なんて聞けるはずもない。
「……食べられそうですか?」
でも、あまりにも硬い顔をしてるから、ついそんな言葉をかけてしまった。
しまったと思ったけれど、時すでに遅し。
「正直、あんまり」
アルトさんは苦笑いしながら、首を振った。
勇者らしくない顔だった。
そんな顔を見れるのは異世界転生仲間の特権だろうか。
「失敗したらどうなるんだろうな」
ぽつり、と小さな声がこぼれ落ちる。
「聖剣って、選ばれた人しか抜けないんだろ?」
「たぶん……」
私は曖昧に答えた。
本当は、この儀式は形式的なものに過ぎず、失敗なんて想定されていない気がしていた。
だってこの世界は、もう彼を勇者だと決め付けている。
それが当たり前のことかのように。
「でも」
気づけば口が動いていた。
「昨日も勇者として頑張ってましたよね」
「……ああ」
出てきたのは励ましの言葉ではなく、ただの感想だった。
頑張っていた。だなんて、彼にとってはそれは当たり前の行動でしかなかっただろう。
なのにアルトさんは、少し肩の力を抜いた。
「……リナってさ」
「はい?」
「変に励まさないよな」
「下手なので」
正直に言うと、彼は笑った。
その笑顔を見て、胸の奥が少し軽くなる。
外からラッパの音が響いた。
儀式開始の合図。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
勇者が立ち上がる。
マントが揺れる。
アルトさんは扉へ向かい、その途中でふと振り返った。
「終わったら、剣の手入れの仕方でも教えてくれ」
「わかりました」
その言葉を残して、彼は出ていった。
私は少し遅れて、観覧席の端へ向かった。
補給係は前には立たない。邪魔にならない場所が定位置だ。
広場の中央。
石の台座に、一本の剣が刺さっていた。
飾り気のない長剣。
けれど周囲の空気がぴりぴりと張り詰めている。
こんなに離れていても息が浅くなるような圧。近くにるアルトさんのプレッシャーはどれほどだろう。
「あれが、聖剣アルカディア……」
誰かが呟いた。
それを皮切りにして、全員の視線が一点に集まる。
そこへアルトさんが歩み出た。民衆は何も心配いらないとばかりに期待の眼差しを向けている。
神官が告げる。
「選ばれし勇者よ。剣に触れ、資格を示しなさい」
観衆が息を飲んで見守る中、アルトさんは柄に手をかけた。
その瞬間。
ぞくり、と背筋が冷えた。
理由は分からない。でも、何かが引っかかった。
まるでこの場面を、何度も見ているような。
アルトさんが息を吸い、力を込めた。
剣は、ぴくりとも動かなかった。
想定外のことが起こってしまった。民衆はざわめき、神官の顔が強張る。
アルトさんは深呼吸して、もう一度柄を握り直す。
そのとき。
――大丈夫。
誰かの声が聞こえた気がした。周囲ではない。頭の奥から。
次の瞬間――光が弾けた。
石が砕け、白金の輝きが空へ伸びる。剣が、ゆっくりと持ち上がった。
歓声が爆発する。
「聖剣が応えたぞ!!」
「勇者だ! 本物の勇者だ!」
光の中心で、アルトさんが剣を掲げていた。
完璧な光景。絵画のような英雄の姿。
――なのに。
私は気づいてしまった。
剣が抜ける直前、一瞬だけ。
まるで誰かに“押し上げられた”みたいに、剣が先に動いたことを。
拍手が響く。
世界が、正しい場面へ収束していく。
私はただ、観客席の端で立ち尽くしていた。
「……今の、なに」
胸の奥がざわつく。
勇者は選ばれた。
物語は始まった。
それなのに。
どうして私は――少しだけ、怖いと思ってしまったんだろう。
剣が動く前の、あの一瞬の違和感。
世界が勝手に正しい場面へ収束していくような、奇妙な感覚。
それが、心の奥にざわつきを残した。




