17話 世界に耳を澄ます者
午後の休息時間。
行軍を止めた遠征隊は、森の開けた場所で束の間の休息を取っていた。兵士たちは鎧を緩め、水を飲み、思い思いに腰を下ろす。笑い声とため息が入り混じり、戦場へ向かう途中とは思えないほど穏やかな空気が流れている。
私は馬車の影にしゃがみ込み、補給品の数を確認していた。
乾燥肉、保存パン、水筒、薬草。
一つ数えて印をつけ、並びを整え、紐の緩みを直す。
同じ作業の繰り返し。けれど、不思議と落ち着く時間だった。世界がどれだけ騒がしくても、ここではやるべきことがはっきりしているから。
――数を間違えなければ、誰かが困らない。
それだけで十分だと思えた。
「……几帳面だな」
背後から声が落ちた。振り返ると、ノアさんが立っていた。無表情で、視線は整えられた補給品に向けられている。
「え、あ……いえ。間違えると困るので」
「ああ、そうだな」
ノアさんはゆっくり頷く。
「戦場では、そういう人間が一番多くを救う」
思わず言葉に詰まる。
英雄でも聖女でもない私が、誰かを救うなんて考えたこともなかった。
「そんな、大げさです」
「いや」
ノアさんは静かに言った。
「剣は目に見える命を救う。だが、補給は――未来の命を救う」
その言葉は重くなく、ただ事実を述べているようだった。少しだけ胸が温かくなる。
ノアさんは荷物の列の前にしゃがみ込み、整然と並んだ荷袋を眺めた。しばらく沈黙が続く。
風が吹き、木の葉が揺れる。
そして彼は、さりげなく言った。
「……君は、最近、周囲の世界の動きに違和感を覚えたことがあるな」
心臓がわずかに跳ねた。
けれど驚きや戸惑いはなかった。
――私は、もう何度もこの“違和感”に気づいていた。
「ええ……あります」
「やはりか」
ノアさんは少しだけ逡巡したあと、口を開いた。
「無理に理由を探す必要はない。理解できなくても構わない。君が感じたままでいい」
視線を荷物に戻す。手先の感覚に集中することで、胸のざわつきが少し落ち着く。
ノアさんの言葉は、警告ではなく、確認であり、共感だった。
「気づいていること自体が、力になることもある」
彼はそう添えて、ゆっくり立ち上がった。
そして初めて、まっすぐ私を見た。
「だから、リナ、君はこのままでいい」
言葉に温かみはない。淡々と告げているだけだ。
けれどそこには、無自覚の配慮と確信が含まれているように感じられた。
ノアさんはそれ以上何も言わず、静かに去っていった。
私はしばらく動けなかった。胸の奥が、落ち着かない。
首を振り、作業へ戻る。
数を数える。並べ直す。紐を結び直す。
いつも通りの仕事。
けれど、その日――世界は、ほんのわずかに息を潜めているようだった。




