13話 物語の外で世界はわずかに揺れる
遠征隊は午前の行軍を終え、森の縁に小さな休息地点を設けた。
木々の間から差し込む光がまだ柔らかく、兵士たちは鎧を緩め、水を飲みながら短い安息を味わっている。
私は補給班として、馬車の荷物を整理していた。
食料袋の確認、水筒の残量、武具の破損チェック。地味で目立たない仕事だけれど、誰かが欠ければ遠征はすぐに立ち行かなくなる。
箱を開け、布を整え、紐を結び直す。
単調な作業のはずなのに、胸の奥でかすかなざわめきが続いていた。
――聖女が奇跡を起こしたときの、あの感覚。
世界が一瞬だけ静まり、何か大きな流れが動いたあの瞬間。
あれと似た気配が、今も微かに残っている。
もしかすると――私にも、できるのだろうか。
目の前の現実を、ほんの少しだけ揺らすことが。
そんな考えが浮かび、慌てて首を振る。
私は勇者でも聖女でもない。ただの補給係だ。世界を変える力なんてあるはずがない。
それでも、胸の奥の感覚は消えなかった。
荷物を整理しながら、心の中でそっと願う。
――水筒が倒れないように。
――箱が自然に並ぶように。
――必要なものに、迷わず手が届くように。
言葉にすらならない、小さな祈り。
その瞬間だった。
積み上げられた水筒の一つが傾き――落ちる、と思った瞬間、わずかに軌道がずれた。
それは、兵士の手元でぴたりと止まる。
「……あれ?」
兵士本人も不思議そうに首を傾げるが、すぐに気にせず持ち去っていった。
私は息を止めていたことに気づき、ゆっくり吐き出す。
箱の列を見る。
さっきまで歪んでいた並びが、いつの間にか綺麗に揃っている。
まるで――見えない誰かが手伝ったみたいに。
胸が、小さく高鳴った。
視線を上げると、少し離れた場所にエリシアさんが立っていた。
こちらを見ている。
その瞳に、ほんのわずかな安堵の色が浮かんでいた。
張り詰めていた肩の力が抜け、表情がやわらいでいる。
戦場にいるときとは違う、静かな顔。
私は胸の奥でドクン、と鼓動を感じた。
――どうしてだろう。
彼女が落ち着いているのを見ると、なぜか私まで安心する。
理由はわからない。ただ、空気が少しだけ軽くなった気がした。
エリシアさんは小さく微笑み、何も言わずに視線を外した。
それだけなのに、不思議と胸が温かくなる。
荷物へ視線を戻すと、また微かな揺らぎを感じた。
兵士が道具を探して手を伸ばす。
すると偶然のように、必要な物がちょうど手前へ滑り出る。
別の兵士が荷袋を取ろうとすると、絡まっていた紐が自然にほどけた。
偶然――そう思おうとして、思えなかった。
これは、たぶん。
ほんの少しだけ、私の意志が世界に触れている。
大きな奇跡じゃない。
運命を変えるほどの力でもない。
けれど確かに、世界の流れにさざ波が立っている。
森の風が吹き抜ける。
葉が揺れ、光がちらちらと地面に落ちる。
世界は何事もなかったかのように進んでいる。
それでも――
ほんのわずかに、違って見えた。
午後の光の中で、遠征隊は予定通り動き続けている。
だけどその隙間に、確かに私の意志が入り込んでいた。
小さな揺らぎでも、存在している。
そう思った瞬間、胸の奥がじんわり温かくなった。
荷物整理を続けながら、私は静かに決意する。
――この世界の背景として消えていく人々に。
ほんの少しでも、意味を残せる存在になりたい。
誰かを救う英雄にはなれなくても。
誰かの負担を、少し軽くすることならできるかもしれない。
森の風が葉を揺らし、淡い光が差し込む。
補給班という小さな役割のまま、私は立っている。
けれど――物語の外側から、世界はわずかに揺れ始めていた。




