火葬1
人は必ず灰になる。
それは逃れようのない終着であり、いかなる英雄も罪人も例外ではない。
だが――もしも。
炎が拒んだ死者が存在したなら。
本作『火葬師ダルス』は、王都の外れに生きる一人の火葬師と、「焼かれなかった死者」から始まる物語である。
灰だけを信じ、感情を炉に置き去りにしてきた男が、世界の理から外れた存在と対峙した時、何が崩れ、何が残るのか。
静かな炎と、終わり損ねた者たちの物語。
その第一幕を、ここに。
火葬師ダルス ― 火葬1
灰は、嘘をつかない。
それがダルスの持論だった。
泣き崩れる遺族も、怒り狂う権力者も、祈り続ける聖職者も、炎の前では等しく沈黙する。残るのは灰だけだ。灰は語らず、飾らず、ただ「終わり」をそこに置いていく。
夜半過ぎ。
王都の外れにある火葬場には、風の音しかなかった。石造りの煙突は月光を拒むように黒く立ち、炉の奥では鈍い橙色が静かに脈打っている。
ダルスは無言で薪を整えていた。
背は高くない。痩せてもいない。目立たない男だった。だが、その手つきには奇妙な正確さがあった。迷いも感情もなく、ただ必要な動作だけを積み重ねる職人の手。
「……次だ」
炉の脇に置かれた担架に、白布に包まれた亡骸が横たわっていた。
若い。
それは、布越しでも分かった。身体の線がまだ細く、死の硬さよりも生の名残が強い。運び込まれた時、付き添いはいなかった。名も告げられていない。
珍しいことではない。
身寄りのない死者。
処理としての火葬。
この国では日常だった。
ダルスは布の端を少しだけめくった。
少女だった。
眠っているような顔。外傷はない。苦悶の跡もない。だが、肌の色は既にこの世のものではなかった。
「……またか」
呟きは、誰に向けたものでもない。
ここ数ヶ月、同じような亡骸が増えていた。若年、外傷なし、死因不明。医師たちは「病」と言い、役人たちは「統計」と言い、聖職者たちは「神の御心」と言った。
ダルスはどれも信じなかった。
炎に運ばれる者の数だけ、違和感は積もっていく。
彼は少女の顔をしばらく見つめ、やがて布を戻した。
「……始めるぞ」
返事はない。
当然だった。
担架が炉へと滑り込む。
扉が閉じられる。
鉄の軋む音が、夜を裂いた。
炎はすぐには応えない。
だが、数秒後、炉の奥で火が唸った。
空気が変わる。
熱。
匂い。
音。
ダルスはそのすべてを受け止めながら、じっと立っていた。
火葬とは儀式ではない。
処理でもない。
それは変換だ。
肉が灰へと姿を変える、不可逆の工程。
やがて、炉の中で異変が起きた。
「……?」
火の色が揺れた。
それは風のせいではない。炉内の空気は完全に制御されている。炎は安定しているはずだった。
だが――
次の瞬間。
炉の中から、音がした。
爆ぜる薪の音ではない。
肉の焼ける音でもない。
それは、明確な、規則性のある――
「……叩いている?」
ダルスの背筋に、冷たいものが走った。
あり得ない。
火葬炉は完全密閉。
生存者が入ることなどない。
そもそも、あの少女は確かに死んでいた。
音は止まない。
コン、コン、コン。
内側から扉を叩くような音。
ダルスは一歩も動かなかった。
長年この仕事をしていれば、錯覚も幻聴も知っている。熱と匂いと心理が人間に見せる悪質な冗談だ。
だが。
音は徐々に強くなっていく。
コン、コン、コン、コン。
炉の鉄扉が、わずかに震えた。
「……冗談だろ」
初めて、彼の声に感情が滲んだ。
ダルスはゆっくりと扉へ近づく。
取っ手に手をかける。
常識が叫ぶ。開けるな、と。
だが職人の本能が囁く。確かめろ、と。
そして。
彼は、扉を引いた。
熱風が噴き出す。
炎の向こう。
そこにあったのは――
灰ではなかった。
焼け崩れるはずの身体は、まだ原型を保っていた。
少女は。
こちらを見ていた。
目が開いている。
焼かれているはずの眼球が、異様なほど澄んでいる。
唇が動いた。
「――――」
声は聞こえない。
だが、確かに言葉を形作っていた。
ダルスの理解が、追いつかない。
次の瞬間。
少女の身体が、炎の中でゆっくりと起き上がった。
火は彼女を拒まない。
肉を焼かない。
ただ、まとわりつく。
あり得ない光景。
そして。
少女は、微笑んだ。
死者の顔ではない。
生者の顔でもない。
それは、灰よりも不気味な「何か」の表情だった。
「……お前は……何だ」
問いかけに意味はない。
だが、少女は確かに応えた。
今度は、はっきりと。
「火葬師……ダルス……」
炎の中から、声が響いた。
あり得ない。
知るはずがない。
名を告げた覚えはない。
ダルスの喉が、凍りつく。
少女の瞳が、炎よりも赤く光った。
「あなたの火で……私は、終われなかった」
その言葉と同時に。
炉の炎が、爆発的に膨れ上がった。
夜の火葬場に、絶叫のような光が満ちる。
灰は、嘘をつかない。
だがその夜。
ダルスの信じていた世界は、静かに焼き崩れ始めた。
『火葬師ダルス ― 火葬1』を読んでくださり、ありがとうございます。
この物語は、死と終焉を日常として受け入れてきた男の視点から、「終われない存在」という異物を描くところから始まりました。
火葬とは本来、完全なる終わりの象徴です。その絶対性が揺らいだ瞬間、世界観そのものに亀裂が走ります。
ダルスが見たものは何だったのか。
少女は何者なのか。
そして「終われない」とはどういう意味なのか。
物語はここから、より不穏に、より残酷に進んでいきます。
続きの「火葬2」も、もしご興味があればぜひお付き合いください。




