38、人智(じんち)を越えた者
「ほほう、土産と申すか」
「ははっ、助右衛門殿、ぜひ味わって下され」
岡田助右衛門重頼は饅頭を手に取ると、しげしげと眺める。梶川平九郎高政はにっと歯を見せる。ここは本陣だが、のんびりとした時が過ぎていた。攻略するのは尾張清水城だが、農民が徴兵に応じ、七千の大軍に膨れ上がっている。清水城には千ほどの手勢しか籠っていない。勝負は目に見えていた。
「ふむう。美味よ。うーん、良い味わいよ」
助右衛門は相好を崩して褒める。梶川平九郎はにっこりと笑う。居並ぶ武将たちも笑顔だった。
清水城は間もなく落ちる。勝ち戦に違いない。本陣の空気は緩み切っている。
ブヒヒ――――ン。馬の嘶きが響く。武将たちが陣幕を見た。
「申し上げまする! 神谷の大軍が大高城に向かっておりまする!」
騎馬武者の言葉に武将たちは目を剥く。そう、水野家は反撃に出て、大将である千代丸を狙ったのである。
大高城。大広間にいる千代丸は落ち着いていた。孫十郎はそんな主君を不思議そうに見る。
「ハハハ。孫十郎よ、俺が神谷助兵衛吉久を誘い出したのが分からぬか」
孫十郎はびくっとして主君を見る。童子は底意地の悪い笑みを浮かべていた。
「神谷助兵衛め、なかなかの男だな。殺すには惜しい。そうだな。家老として俺に仕えさせたいわ。フフフ」
千代丸の不気味な笑いに孫十郎は立ちすくむ。怖い。いやいつものことだが、もはや今の主君は神すらも越えた何かである。
「案じるな。大高城は落ちぬわ。罠にかかったのは神谷の方だ。そうだな。弓矢をお見舞いしてやれ」
「……はっ」
孫十郎は頷くとその場を出て行った。残された童子は得体のしれない笑みを浮かべ、地図に見入るのだった。
大高城二の丸。深い空堀に守られた城内は緊張感に包まれていた。そんな中、動じない男が一人いた。甲冑をつけた男は用意された床几から立ち上がる。
「敵は三千と聞いたが……」
花井備中守は目を細める。家臣が顔を青くする。
「一万は越えていよう。ふむう、神谷吉兵衛め、やるのう」
備中守の言葉に家臣たちは黙る。どう見ても勝ちそうにない戦いだ。城の籠るのは三千足らず。ほとんどが花井勢だ。
「弓隊、構えっ。神谷勢に弓矢を放つのじゃっ」
備中が采配を振る。その顔は自信に満ち、勝利を疑ってはいなかった。




