36、平島の戦い④
千代丸軍の命を受けて岡田与十郎重季は別動隊を率い、水野の浅井六之助の奇襲部隊を迎撃した。両軍の間で激しい槍合戦が行われる。
「ほほう、浅井の兵め、やる気ではないか。我らも負けるな。行けぇーーーーーーーっ」
与十郎は采配を振る。敵は浅井六之助道久。水野軍では知られた名将だ。相手にとっては不足はない。
槍部隊が突っ込むと弓矢が背後から支援される。さしもの浅井勢も怯んだように退いていく。
「徒を押し出せ」
家臣が頷くと徒武者部隊が動き出した。与十郎の自慢の精鋭部隊だ。
浅井軍は与十郎の切り替えの早さについていけない。
(筋が良いな。与十郎よ。そうだ。兵をそなたの手足と思うが良い)
勝幡での模擬戦が蘇る。面白い男だった。与十郎はニヤリとする。平手政秀、筋骨隆々(りゅうりゅう)とした男の顔を思い浮かべる。鍛えられた与十郎は用兵でも目を見張る成果を上げた。
「騎馬武者を突撃させろっ、本陣を狙えっ」
浅井勢が逃げ出した。勝った。与十郎は笑みを浮かべる。平手政秀を紹介してくれた幼い主君の顔が浮かんでは消えた。
「何っ、浅井勢が負けただとっ」
思わず床几から立ち上がったのは水野軍総大将である神谷助兵衛吉久は呆然と立ち尽くす。
「おのれ、成り上がり者どもめっ、やられたわい。……しかし、なぜだ。なぜ負けたのだ。なぜだ……」
助兵衛は放心状態になっていた。何が起こっているのかは分からない。千代丸はいない。それなのに千代丸の重臣たちは鮮やかな手口で水野軍を圧倒する。
「そんな……殿に顔向けできぬわ。まあいい。ここは中山勢を後詰めさせて……」
まだ勝負はついていない。後方に中山軍や太田軍、久松軍も布陣している。敗走した川口軍も態勢を立て直した。ここで一気に挽回できるはずだ。
神谷助兵衛吉久、若いが筆頭家老を任されるだけあって、機転も利くし、胆力もある。冷静に事態を見極めていた。
「申し上げまする! 川口勢、水野左近大夫勢、緒川に帰る由。中山勢、太田勢も同じく」
伝令が本陣に駆け込んできた。神谷助兵衛はへたり込むとあまりのことに言葉を失った……。
「呆気なかったのぅ」
岡田助右衛門重頼が馬をゆっくりと歩かせる。戦場には兵の死体がそこかしこに転がっている。
「我らが強すぎたのかもしれませぬ。ハハハ。それがしが出陣することもない程でしたな」
隣で同じく馬に乗っているのは梶川平九郎高政である。涼しい顔をした平九郎は周りを見る。
「蜂屋兵庫……恐ろしい奴よ。戦では鬼となる。ふむう、若も喜ぼうな」
助右衛門は唸ると、平九郎も首を縦に振った。
「あの水野勢も逃げ回っておりましたからな。神谷助兵衛も逃げていきましたし」
追撃はしなかった。水野勢は苦戦と見るや、雪崩を打って敗走した。神谷の本軍も耐えられなくなり、敗走した。結局、根性があったのは神谷助兵衛だけだったのだ。
「このまま、進みますか?」
平九郎が聞くと助右衛門は大きく頷く。
「水野の力は少しでも削っておかねばな。若には伝令を送った。今頃驚いているだろうよ」
助右衛門は上機嫌だった。平九郎は笑みを浮かべながら別のことを考えていた。
(若がいなくても家臣たちだけではじき返した。これで周りは千代丸様のみならず、我ら家臣を恐れるようになろう。この武功が遠く今川まで届けば、今川も手を出してこないだろう)
平九郎の視野には強国今川家が含まれている。国人衆を従えた大大名の今川家は足利の重臣だ。幼い当主とは言え、あの軍団が来たら、千代丸軍とて太刀打ちできない。そこで千代丸は考えた。助右衛門たちの猛将ぶりを見せつけることで今川の目を瞠らせる。千代丸はわざと大高城を留守にしたのである。すべては千代丸と平九郎が仕組んだことであった。
(全く神童よな、あの御方は……)
平九郎は苦笑する。すべては千代丸の思惑通りに進んでいた。




