35、平島の戦い③
水野左近大夫の軍が敗走するとすぐに神谷本陣と蜂屋・滝川両軍は交戦になった。神谷軍の後方の中山軍は幟旗を立てたまま、動こうとしない。
「者ども、進め―――っ」
滝川八郎は声を張り上げて、命じる。盾を手にしながら弓矢の攻勢を凌いで、滝川軍が進む。
長崎弥左衛門元春を先鋒にじりじりと神谷軍を追い詰める。
馬上の人である八郎はすうと息を吸いこんだ。水野勢は手強い。戦上手が揃っている。
八郎は隣の蜂屋軍を見る。蜂屋軍は後退し、神谷軍の槍部隊が進軍していた。
八郎の周りには木全又左衛門征詮、蔵田小平次、谷崎忠三郎、稲田九蔵といった家臣たちが脇を固める。
「殿、兵庫殿の軍が押されていまする。ここはそれがしに後詰めを」
蔵田小平次が懇願する。八郎は無言で首を振った。
「何故……」
小平次が絶句する。蜂屋軍は後退していく。このままでは蜂屋軍が崩れる。共倒れを危惧する家臣たちは八郎を見た。
八郎は目を閉じる。
わぁーーーーーーーっ。わぁーーーーーーっ。喚声が上がった。蜂屋軍は反撃に転じたのだ。油断していた神谷軍は槍隊の猛攻にたまらずに後ずさる。
「戦は早ければよいというものではない。かの孫子は早さを説いた……。だがな。あれは雄大にしてはるかな大地のある明でのこと……口で勝って、戦に負けた者など数多いわ」
八郎は悠然と馬を進める。家臣たちも馬を走らせる。
「信じるのだ。兵庫殿はあの若を頼ってきた。その才、尋常ならずや。戦の才、抜きん出て候。我らが兵庫の心中を図るなどできぬ芸当と知れ」
八郎は笑みを浮かべる。策だけではない。あの男はやってくれる。酒を酌み交わし、友となった男を八郎は信じたのだ。
家臣たちは目を見開き、じっと大将の八郎を見る。この男は軍師としてだけでなく、将としても優れている。家臣たちは主君を改めて見直すのだった。
(俺はそなたを褒めぬぞ。兵庫。そのほうも嬉しくあるまい?)
蜂屋兵庫頭頼安は頭の中で童子の姿を思い浮かべていた。美濃は豊かな国だった。何不自由ない殿様の子としての暮らし……しかし、守護は俺の才覚を認めず、いやあまりの才に恐れた。
武において比類なき功なり、守護も守護代も俺を褒めた。城も作った。民を豊かにした。だが虚しかった。兵庫は唇を噛む。
敵の先鋒が逃げ始める。滝川軍が喚声を上げて突っ込む。頼もしい、そう思った。第二陣は固い。兵庫は先鋒隊を下がらせる。間が合った。童子の姿が思い浮かぶ。
(そなたが仕官したかったのは父上でもなく、兄上でもない。そなたの目は俺を見ているのだな。ハハハっ、民百姓は良き者に政を為して欲しいとと思っておる。そのほう、変わっておるな。俺の所で働け。共にこの世に新しき地を築こうぞ)
ブンっ、槍を振るう。敵の第二陣が崩れていく。若、口に出していた。兵庫はニヤリと壮絶な笑みを浮かべる。初めて生きているという実感を得た。殿さまの子ではない。蜂屋兵庫という武人として。千代丸のおかげよ、兵庫は誰ともなく笑い声を上げていた……。




