15、萱津(かやつ)の国人
七月。織田領内は落ち着きを取り戻し、商人の往来も普段通り始まった。千代丸は大きな屋敷の前にいた。豪邸である。
尾張国萱津宿、清洲につながる宿場町で賑わっている。津島から清洲に向かう要衝であるが、ここを支配しているのは蜂須賀大和守正永、この一帯を治める豪族だ。清洲や美濃の土岐氏に通じ、織田信秀との交流はない。
史実で秀吉と共に駆け上がっていく蜂須賀小六はこの大和守の孫になる。
千代丸は次に蜂須賀家の調略に取りかかるつもりでいた。目的は清洲の織田家の力を削ぐことだ。守護代の織田家は松平の侵攻に動かなかった。
清洲は信用できない。そう思うには十分な出来事だった。
屋敷に奥の部屋に通されると筋肉質な壮年の男がいた。蜂須賀大和守である。千代丸と大和守は向き合う。
「千代丸殿、はてこの大和守に如何なる用件か」
「津島で職人が作った一品です。どうか受け取って下され」
梶原平九郎が大事そうに抱えていた布に包まれた壺を差し出す。
布を取っていくと大和守の顔つきは変わっていた。
「これは……何という代物よ。おお……」
大和守は壺に釘付けとなった。コレクターの大和守にとってはこの茶色の壺はかなりの名品だと分かる。千代丸はニッコリと笑みを浮かべる。
「父は尾張では抜きん出た将でございます。津島を抑え、熱田に手を伸ばさんとしております。松平次郎三郎よりも父織田信秀こそが尾張を統べる者」
蜂須賀大和守は息を飲む。千代丸の言いたいことが分かったのだ。
「誼を通じましょう。もはや守護の時代でもなし。関東を見て下され。京から来た北条新九郎が成り上がり、関東に覇を唱えた。畿内も細川の家臣に過ぎぬ三好家が力を持っております」
「うむむ。弾正忠殿には今後とも良い付き合いをしたいと申しておったとお伝え下され。この大和守、一族郎党を率いて力を貸すと」
大和守は真顔で言う。この童子の機嫌を損ねてはならないと判断したのだろう。有力国人の蜂須賀家はこうして信秀と誼を通じることができた。それは清洲方を刺激したことは言うまでもない。
息子の千代丸から蜂須賀家を味方につけたと報告を受けた織田信秀は大いに喜んだ。
「頑固者の蜂須賀大和守も相好を崩しておったと聞く。ハハハ」
勝幡城にいる織田信秀が言うと重臣たちから笑い声が起きた。
「千代丸の奴、ようやりおる……松平は如何か」
信秀の問いに重臣・佐久間左衛門尉が口を開く。
「目も当てられませぬな。松平一族の中でも次郎三郎は専横が過ぎると不服を申す者もおります。守山城の松平信定がそうです」
「ほう……あの信定がのう」
「松平次郎三郎、家中をまとめ切れぬと見えまする」
信秀は笑い声を上げた。絶頂だった松平清康も負ければ転落が早い。一門衆から不満に思われるのも当然だった。これは織田方に通じる者も出るだろう。松平信定は一族の重鎮で若い清康に対して快く思っていない。そこを利用する。信秀は千代丸のおかげで蜂須賀家が靡いてきたので気が大きくなっていた。
次は大高城攻めだ。信秀は水野家との同盟も模索している。すべては千代丸の策だ。
「左衛門尉、松平信定はそのほうに任せる。水野には平手五郎左衛門を向かわそう。誼を通じるのだ。ハハハ。次郎三郎め、手も足も出まい。ハハハ!」
信秀は次々と手を打つ。尾張の虎は千代丸の戦略で本格的な勢力拡大に乗り出したのだ。




