樫の木にて。
先月の専門学校のオープンキャンパスでAО入試の手続きをして。
今月に入って合格通知が来た。
これで医療事務の専門学校への進路が決まった。
そして、今週の月曜から週四~五日。
午前中、7時からの4時間、アルバイトを始めたんだ。
蓮くんも自宅の近所のスーパーで午前中だけのシフトで。
午後は予定がなければ会ってるんだ。
お互いの家に行き来したりもしている。
蓮くんの家に行くと、蓮くんのご両親が。
私のうちに蓮くんが来ると、私の両親が。
どっちが息子で娘なのって感じになる。
勉強したり。
散歩したり。
近場デートしたり。
ちゃんと、大事に大切に過ごしているよ。
私のバイト先は、お父さんの同級生、樫村さんが経営する喫茶店『樫の木』。
アルバイトしたいって両親に相談したら。
条件を色々聞かれて。
お父さんが樫村さんに話をしてくれたの。
私も両親に連れられて何回か行ったことがある。
レトロな雰囲気の店内で。
かわいい制服を着た奥さんが応対してくれた。
樫村さんが淹れるコーヒーがウリみたいだけど。
メニューも豊富で、手ごろなサンドイッチからハンバーガーまである。
デザートもケーキやパフェとか。
お気に入りはキャベツたっぷりのホットサンド。
カリカリに焼いたベーコン。
スライスチーズ。
マヨネーズ。
ブラックペッパー。
くせになる美味しさ。
手軽な料理の勉強にもなるし。
家から徒歩5分で近いし。
制服は昭和のイメージらしくて。
そう言われても昔の感じはしなかった。
マスタードイエローのAラインワンピース。
首元には白い大きな襟。
腰には茶色のハーフエプロンをキュッと結んで。
歩くたびにワンピースの裾が少し揺れる。
喫茶店って看板は出してるけど、テラス席もあって。
今どきのカフェっぽさもある。
さすがに、コーヒーが推しだけあって。
樫村さんが淹れるコーヒーをお目当てに、朝から来るお客さんも多い。
出勤前に毎日寄るお客さんもいる。
午前中は樫村さんの奥さんと私と日比野風夏さん。
このうち二人が出勤。
今日は風夏さんと。
風夏さんは東都美術大学に通っている大学二年生。
そして、お店の看板娘。
実はコーヒーより風夏さん目当ての男性客は実際いるみたい。
アシンメトリーのショートボブが印象的なきれいな人。
私が言うのもおこがましいけど。
気さくな性格で、誰とでも壁を作らない、男女問わず好かれるタイプ。
モーニングのお客さんの波が引いて。
少し落ち着く時間帯。
私と風夏さんは壁際のテーブル席で樫村さんが淹れてくれたコーヒーで休憩中。
「結衣ちゃん慣れた?」
「はい。お陰様で」
「ふーん。結衣ちゃんは真っ最中だね。いいね」
風夏さんは、主語がない話し方をよくする。
芸術肌だからって樫村さんは言ってたけど。
「まっさいちゅう?」
あっ。
そのまま返しちゃった。
「フフ。青春も恋愛も。今を一生懸命って感じで素敵だなって」
年上の女性に素敵って言ってもらえて嬉しいのと。
恋してるのがバレてるのが少しショックな私。
「え? でも、風夏さんだって美人だし、絵の才能だってあるし、すごいと思います」
「フフ。ありがとう。結衣ちゃんは灰汁がない野菜で出来た豚汁だね」
風夏さんは、人差し指をこめかみに当てて、斜め上の宙を見据えている。
「?」
首を傾げる。
その視線の先を追ってみる。
ダメだ。
難しい。
「灰汁って苦いの。知ってる?」
「初めて聞きました」
「灰汁を好んで口に入れる人はいないもんね」
「ああ、確かに」
「灰汁って余分なものなの、でも元々ある。ありすぎると毒のようなもの。だから灰汁」
「はい……」
「結衣ちゃんは毒気がない」
そう言いながら自分で納得するように何度もうなずく風夏さん。
「どくけ?」
「フフ。人間思い通りにしたくなるのよ。特に恋愛とかさ。こう言われたいからあざとくしたり、察して欲しくて裏腹な感情を出したり」
「はあ」
「本来そんなことする暇あったら相手のことを考えてあげればいいのに」
「はい」
「結衣ちゃんは、それを考えないで出来る子。美味しい具沢山の豚汁なんだよ」
具沢山の豚汁?
おいしいってこと?
なんか。
妄想大魔王がやってきそうで。
慌てて口を開いた。
「で、でも、かわいいって想われたいし、言ってもらいたい……」
「うん。女の子だもんね。当然。だからって、結衣ちゃんわざわざ何かする?」
「何かって? そっか、言って欲しいような何かですか?」
「そうそう。しないでしょ? 結衣ちゃん」
「どうなんだろ、おしゃれしたりメイクしたりはしますよ」
「それは誰でもするよね」
「それ以外ですか? 何かしてるかもしれないし。分からないかな。でも蓮くん……彼のことは考えるようにしています。完璧に出来ないけど」
「うんうん。いいことだよ。自分も大切。相手も大切」
ん?
なんだろう?
ちょっと、風夏さんの瞳が霞んだ。
気がした。
「風夏さんは恋人いらっしゃらないんですか?」
あっ。
また言っちゃった。
風夏さんの細い指先がティーカップの縁をなぞる。
「うん。今はね。振られちゃったばっかりだから」
「あっ。ごめんなさい。でも、素敵な風夏さん振っちゃうなんて信じられない」
微笑む風夏さん。
小さく漏らした吐息。
「私もかな……」
「ん?」
「ううん。ありがとう。結衣ちゃんも。自分も彼も大切にね」
「はい!」
「フフフ。その感じだとちゃんと結衣ちゃんは好きを伝えられてるんだね?」
「あ? はい」
両手を腿の間に挟んで。
肩を寄せて縮こまる私。
なんで分かるんだろ?
ぽっと頬が染まった。
「恥ずかしいことじゃないよ。言葉で伝えるのって大事だよ。いざ伝えようとしても手遅れになることだってあるからね」
「手遅れ?」
「ここは、いい子が来るな。店長の人徳かな」
首を傾げてニコッと笑う風夏さん。
「いい子?」
「結衣ちゃんより少し早くバイトし始めた春川くんっていう男の子。結衣ちゃんの一つ下だったかな。彼も真っ最中だから」
「そうなんですね」
「いいなって想うよ。春川くんも結衣ちゃんも応援したくなる」
「そんな風に言ってもらえて、その、ありがとうございます」
「だってね。出逢いってさ。偶然なんてないからさ」
そっとカップを口に運んだ風夏さん。
分かりそうで。
分からなくて。
でも、なんかこころに忍び込んでくるんだ。
風夏さんの話って。
「出逢いは、偶然じゃないんですか? たまたまそこにいたから出逢ったわけじゃないんですか?」
「そう。必然なの。出逢うべくして出逢うの。もしかしたら決まっていたのかもしれない」
「必然……」
「その中で、自分も大切に出来て相手も大切に出来る。そんな人と結ばれたら幸せだよ、きっと」
想い描いていない蓮くんとの未来が……
ちょっと頭をよぎってしまって。
「結衣ちゃん?」
「あっ……はい……」
「あれれ? ごめんね。私変なこと言っちゃったかな」
「いえ……」
風夏さんが言うように必然な出逢いだったのかなって。
想える。
蓮くんとのこと。
結ばれたら幸せって。
キスのこと?
それとも……
あっ。
結婚ってことなのかな?
でも蓮くんは……
ううん。
今が幸せだから。
そう。
いいんだよね。
未来のこと考えちゃった。
ごめんね、蓮くん。
「結衣ちゃん。何かあるならお姉さんに話してもいいよ。一応、二年だけ早く生きてるし」
風夏さんは、ピースサインをした両手の指を曲げたり伸ばしたりしている。
ん?
指が四本だから四年になってる?
肩をすくめる私。
「はい。ありがとうございます」
「よろしい。素直だな、結衣ちゃんは」
微笑む風夏さんは、頬杖をついて、髪を耳にかけた。
ん?
全然笑ってるのに。
どうしてだろう。
瞳がすごく寂しそうに見えた。
お読み頂きありがとうございます_(._.)_。
感想やご意見ありましたら、お気軽にコメントしてください。
また、どこかいいなと感じて頂けたら評価をポチッと押して頂けると、励みになり幸いです。




